33 寂しいのに嬉しい
屋敷に戻ってきたアルト様はわかりやすく息を吐いた。
『夜』のアルト様になる前に私たちは屋敷に戻ってきていたのだ。
「……予想していないことになった」
「そうですね」
食後のお茶を淹れてアルト様に渡す。先ほど夕食は軽く城で食べていた。午後にリイラの家族もやってきて食料やリイラの母が作った料理をたくさん持ってきてくれたんだ。久しぶりに食べた誰かの手料理はすごく美味しかった。
「国が変わるんですね」
「変えると言っているな」
私とリイラが城の片付けの続きをしている間に、アルト様は王子たちと話し合っていた。全く想像していなかった信じられない光景だ。
王子は今まで何も政治に関わってこなかった夢見がちな青年ではあるけれど後ろ盾もきちんとあるらしい。王都から追い出された有力貴族や政敵として押さえつけられている貴族が今回マティアス王子を立てて、現政権と対立するのだ。
ヒロインのためにセカイと戦う、乙女ゲームでは定番の流れだ。ご都合主義も働いてハッピーエンドだ、だからきっと大丈夫。そうやって気持ちを撫でつける。
お茶を飲み終えた私たちはアルト様の部屋に移動して『夜』を迎えた。アルト様はいつものように私を抱きしめると首元に顔をうずめる。
「一瞬でもアイノが国の手の中に行くことが許せない」
小さくくぐもった声に私まで切ない気持ちになる。私は処刑台にもなる演説の場に向かう。国王の隣に並びたち、王子たちを待つ。
「でも犠牲を少なくするために仕方ないことですよ」
「それでアイノが犠牲になったらどうする。あの王子は流れる血の多さを考えてアイノに危険な役割をさせようとしている。リイラ・カタイストもアイノも魔の森にいるままなら処刑されることはない。その後のクーデターなど知ったことか」
広場での処刑を免れても、どちらにせよ森への突入命令は下る。臨時魔法士たちが国に反旗を翻したとしても森は主戦場になり、魔物たちの被害は免れない。王子側の都合だけでなく魔物を守るためでもあるとアルト様も納得していたけれど『夜』の彼は素直な弱った気持ちがさらけ出してくれる。
「そうですね、ちょっと怖いですけど。……でも私アルト様と行きたい場所がたくさんあるんです」
アルト様を力を込めて抱きしめ返した。
「マティアス王子が魔人も普通に暮らせる世界と言ったとき、ちょっと夢見てしまったんです。この森で過ごす穏やかな日々も私は大好きなんですけど、海を見たりとか、街で美味しいものを食べたりだとか。アルト様と過ごす時間を」
「そうだな」
しばらくアルト様は私を抱きしめてから私の顎に手をかける。魔力の受け渡しだ、そう思ってもいつでも胸はときめいて甘くしびれる。
「アイノがいなくなることが一番怖い」
「いなくなりませんよ」
「俺に怖いという感情があると思わなかった」
「ふふ」
唇を離すたびにアルト様は不安を吐露する。こんなことを思うのはよくないと思うけれど、アルト様の不安が嬉しくもあった。
魔力を受け渡して、かわりに愛をもらって心が落ち着いてくる。不安を受け付けてキスで返す。くすぶっていた私の不安も溶かされていった。
・・
「やっぱりなんだか不思議な光景だわ」
城の食堂には二十名程集まっていて、キッチンでリイラの母とリイラから食事を受け取っている。
「殿下と同席するなんて恐れ多いです」と臨時魔法士が恐縮しきっているが、王子や他の面々は気にすることなく同じ席についている。長机は二つあるが同じテーブルを勧めたようだ。
「二人ともおはよう!」
マティアス様は私たちに気づくと爽やかな笑みを向けた。アルト様は小さな声でおはようと言っているが、マティアス様には届かないだろう。
「おはよう! 食事出来てるから取りに来てー!」
リイラは明るい声で叫んでいる。さすが人たらしのリイラだ、アルト様にも物怖じせずに話しかける。
「アルト様いきましょ」
朝食をリイラの母が作ってくれると聞いて楽しみにしていたのだ。昨日持参してくれた軽食も美味しかった。私の料理は前世の記憶のレシピだから現地料理はぜひ教えてもらいたい。
王子、貴族の息子たち、平民、魔人、生贄の私。本当に不思議なメンバーだ。
「アルト、お願いがあるんだ」
いつのまにか砕けた口調になっているマティアス様はにこやかに話を切り出した。
「彼らは訓練の途中に離脱したから、まだ魔法の練習が不十分なんだ。よければ魔法を教えてもらえないか」
「俺に? 俺は教え方はうまくないぞ」
「アイノが言っていたわ、アルト様はとっても上手だって」
リイラがにこにこと食事を運びながら席についた。そういえば昨日片付けをしながらそんな話をリイラにしたっけ。
「彼らは軍に所属していないぶん自由に動いてくれる。国に選出されただけあって適正はあるはずなんだ、頼む」
「……わかった」
「アルトも柔らかくなったわねえ」
ショコラが私の膝に飛び乗って小さく笑った。
・・
午後、アルト様が魔法を教える様子を見ながら墓掃除をすることにした。城の前の庭で行われているレッスンを庭隅の墓の陰からこっそり見ている。
想いが通じあってからアルト様はいつも私の後ろをついてきて見守ってくれていたというのになんだか寂しい。そして私についてきてくれていた理由がわかった気がする。
それにしても、私はアルト様に教えてもらうまでに時間がかかったのになんだかずるい。ずるいと思うけど、全然嫌じゃないのだ。嬉しくて仕方ない。
今日も夜みたいに暗い中、魔法の光だけがよく見える。
おおきな炎が上がってアルト様の顔が照らされた。口は一文字に結ばれているし、眉間にシワは寄っているけれど。機嫌は絶対に悪くない。
「アイノ、ここにいたの」
「うん。墓掃除兼見学」
リイラは私の隣にしゃがみこんだ。こうやって茂みに隠れこむと学園生活中に悪役令嬢サンドラにいじめられた日々を思い出す。こうして私たちは隠れていろんな話をした。
「私ね、アイノが魔王の花嫁になったって聞いて心臓が壊れるかと思った」
「心配かけてごめん」
「魔人ってどんなものか知らなかったから」
「でも実際会ってみたらすごくいい人でしょ、それにかっこいいのよアルト様は。そうだ、リイラはマティアス様とどう?」
「えっ!? ……でも私は身分が違うから」
「あの人自分のこと王子じゃなくて反逆者って言ってたじゃない。マティアス様が平民のことまで考えられるようになったのは絶対にリイラの影響だよ」
「マティアスはすごいの、本当に」
そう言ってリイラは黙った。いつもはつらつとしている彼女が黙り込み頬を染めるのが暗闇でもわかる。彼女の恋が成就したのなら、きっと奇跡だって起こせる。リイラはヒロインなのだから。
「アイノとこうやってまた話せて嬉しい」
「私も。まさかこんな場所で喋るとは思わなかったけどね」
私たちは顔を見合わせて笑った。