幕間-2
やはり僕は何も知らなかったのだ。未来の王だと持て囃されて甘やかされて、国のことを何も知らず、このままでは大臣や先王の思いのままに操られるお飾りの王だったに違いない。
「知ることができたんだからいいのよ。過去を気に病んでも変えられない。未来なら変えられるわ。気づくことができるあなたなら、真の王になれるはずよ。本当に民が求めているのはあなたみたいな人なんだから」
そうして励まして、教えてくれるのはいつだってリイラだ。
僕とリイラ、それから僕たちに賛同してくれた四名は、王都を離れてある街を訪れていた。
「まさかマティアス様がこんなところまでお越しになるとは……よくお調べになりましたね」
僕たちを招き入れてお茶を出してくれているのは僕の叔父、つまり王弟だ。
「叔父上、ありがとうございます。僕に堅苦しい言葉は結構です」
「ですが私は爵位も剥奪された身なので」
「いえ。そもそもそれが正しいと思えませんから」
一時期僕の教師でもあった叔父は五年前に突然姿を消していた。汚職により爵位剥奪と王都追放されたという噂を聞いていた。調査の結果、王都から数時間離れた街でひっそり暮らしていることがわかった。
「叔父上、僕は知りたいんです。この国の闇を、膿を。あなたはそれを知っていたから失脚させられたのではないのですか」
「……暗黒期が訪れたことで、国に動きがあったのか?」
「はい。国は魔人をせん滅させるつもりです。――それが国民にとって本当に正しいことならばいいのです。きれいごとだけではすみませんから」
「物事には様々な側面がある。どの立場から見るかによって正しいことかは変わる。国王がそう判断したのなら、国にとっては正しいことなのではないか?」
「……それがわからないから、知りたいんです。正直僕はまだまだ勉強不足です。何も知らないのです。だから、教えてほしいんです」
僕が頭を下げると、叔父は眉を下げて困った表情を作った。
「なぜ私を頼ってくれた?」
「幼いながら叔父上は優秀で国に必要な方だと思っていました。公正なあなたが不正に手を染めるはずがありません。あなたは知っているから。知っているからこそ、国の中核から外された。そう思ったからです」
「マティアスは純粋だな。そうあって欲しいという思い込みではないのか?」
「叔父上、この国は一部の貴族のためにあるのですか?」
カップに口をつけて小さく微笑んでいた叔父はこちらを見た。
「なるほど。わからないなりに色々と調べてはいるのか」
「はい」
「……君たちを見たことがあるな。――おや、君は宰相の息子だろう。父でなくマティアスの考えに賛同しているのか?」
「ええ。以前の私なら父と同意見だったかもしれません。でも私は――」
そう言って彼はリイラに目線を向ける。いつも口を一文字に結んで頑固で偏屈な彼がリイラと接することで驚くほど柔らかい表情をするようになった。
他の三名も同様だ。彼らは秀でたところがあるが「国を変えたい」という僕の決意に賛同してくれる者とは思えなかった。マイペースが過ぎていたり、弱気だったり、一匹狼だったり。
彼らが僕と共にここまできてくれたのは、リイラの影響だ。
そして、僕も。
「ふむ、わかった」
叔父は僕たちの表情を見て頷いた。
「マティアスの想像通りだ。この国は一部の貴族のためにあると言ってもいいだろう」
「平民も皆、魔力があるのですか?」
「そうだ。彼らに力があることを教えず、貴族だけの特権としている。平民だけでない。アロバシルアの入学許可が届く人間――いや、家は決まっている」
「政敵には届かないわけですね」
「そうだ。魔力は強大だ。管理せねば脅威になる」
やはりそうだった。リイラが特別だったわけではない、リイラや過去の特別生徒たちは『白の花嫁』候補として、用意されていただけだ。
「魔人をせん滅と言ったか。魔人は二十年前に滅ぼしているはずだったが。生き残りがいたか?」
「はい。国は生き残りは一人か二人だと考えています」
「なるほど」
「叔父上、魔人とは滅ぼすべき者なのでしょうか?」
「マティアスはそうは思わないんだな」
叔父は僕の質問にすぐに答えてはくれず、一つずつ僕に確認する。確かめるように。
僕はほんの少し息を吸って、大きく頷いた。
「魔人は魔物の管理をしていると叔父上から習いました。例え生き残りが少なくとも、魔物の数を考えればいくらでも復讐もできると思うのです。それを考えると、人間を魔物から、いえ、魔物を人間から守っているのではないかと思いました。」
「……その考え方は甘く希望も混じっているが、私も同じ考えではある。二十年魔物が人間を襲っていないことで、生き残りがいるとは思っていた。国は森の結界を強めたから、魔物は穏やかだと結論づけていたが」
「僕は魔物を見たことがないのですが、叔父上はありますか?」
「私は魔物の研究をしていたんだよ」
叔父上がどのような職についていたかは細かいことは知らなかった。
「魔物が比較的穏やかなのは事実だ。馬や犬、猫とそう変わらない。彼らだって牙があったり、人間より力が強かったりする。魔物もそうだ。力はあるから下手に触れれば怪我にも繋がる」
「ではそこまで危険ではないのですか?」
「何をもって危険と判断するか、だな。小型の魔物もいるし、全てを恐れる必要はないが、強大な魔力を持つものもいる。だが基本的には人間を襲ったりはしない。住処をわけているなら大きな問題はない。
ただ動物には気性が粗くなる時期がある。普通の動物よりも魔物はその衝動が大きいというわけだ」
叔父は応接間にあった本棚から分厚いファイルを取り出して、僕らに見せてくれる。「わあかわいい」と声を漏らしたのはリイラ。大型犬にしかみえないこの動物も魔物らしい。
「気性が粗くなった魔物を見たことがある。何度か襲われかけたが、そのたびに彼らは何か魔法をかけられたかのようにピタと動きが止まった。私はそれを見て魔人が制御しているという話は事実だと考えた」
「では、魔人は滅ぼすべきものではないのですか?」
「それについて正解はない」
叔父は椅子に座り直すとしっかり僕に向き合った。
「魔物を本当に国が制御しきれるのであれば、国民の不安感情を抑えるために魔人を滅ぼすことは国として間違いではないんだ。平民に魔力を与えないことだって、それも決して間違いではない。それでこの国が平和で民が暮らしやすいのであれば」
「しかし叔父上はそれを正しいと思わなかったから、今ここにいるのではないですか?」
「ははは、そうだな」
「僕は、魔人を滅ぼすことや一部の貴族のためだけの国は正しいことと思えません」
「マティアス、何を焦っている? お前は次期国王だ。今真っ向から対立せずとも、お前の代になってからゆるやかに改革していくこともできる」
僕は隣で黙って話を聞いているリイラの手を握った。
「国は魔人を滅ぼそうとしています。今回の暗黒期を最後の好機だと捉えて。その計画の手段として、ここにいるリイラとリイラの友人は処刑されます。対魔人のために平民を魔法士に育て戦わせ、彼らはその後は危険因子として処分されます。他にも対魔人のために平民を道具のように使っているのです、幼子すら」
「国のために小さな犠牲はついてまわる。お前が真っ向から対立するならば、それだって多少の死者は出る」
「はい。しかし僕は今の国を正しいとは思いません。僕も今は国を変える好機と捉えています」
「……魔人を迫害し、平民に力を与えないということは、国として制御がしやすく民も安定するともいえるぞ」
叔父はもう一度確かめた。僕は仲間と顔を見合わせて頷きあった。
「それでも、です。一部の貴族のためにあるこの国は、民の負担も税収も多く国への不満は高まっています。平民のなかでも魔力があることに気づいている人もいるようで、いつかこの不満が爆発した時に国は混乱するでしょう」
「そうだな。平民の魔法を禁じたのはまだ百年前だ。魔力があることを隠し知っている民もいるだろう」
「叔父上、力を貸していただけませんか。僕たちはまだ未熟でできることは少ないのです」
僕が頭を下げると皆も続いた。お願いします、と声を上げる。
しばらく黙って考えこんでいた叔父は「顔をあげて」と言った。
「私にもそのような情熱があった時がある。このまま地方で隠居生活もいいと思っていたが……出来る限りのことをしよう。君たちに賛同してくれる人たちも知っている」
叔父はおだやかな眼差しを僕たちに向けた。