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23 制御できない感情 ◆アルト視点

 


「僕もいきたいよ、かあさま」

「だけどアルトは熱があるのよ」


「魔人なのにお前は身体弱いんだよなあ」兄が呆れたように言った。


「まあただの儀式だから。花嫁はこれからいくらでも会えるさ」父は穏やかなまなざしを向けてくれる。


「この屋敷でも花嫁さんを迎えるパーティーをしましょう。そうだ、もし体調がよくなったら庭の花を摘んで花束を作っておいてくれる? きっと喜んでもらえるわ」


「うん、わかった!」


「じゃあゆっくり眠って。いいこにしているのよ」


 母は毛布を僕の身体にしっかりとかけ直してくれる。優しくて冷たい手が頬に触れて、母の優しい視線を感じながら僕は目を瞑った。


 ――だけど、誰も帰ってこなかった。花束は出来上がっているのに。



「置いていかないで……っ!」



 夢の中の自分の叫び声に驚いて目覚めた。また昔の夢を見てしまった。

 どうやら昨日も気を失ってしまったみたいだ。眠りたくないのに、強制的に眠ってしまう。


 最悪な朝を迎える。夜みたいに暗い朝は彼女が来る前に戻ったみたいだ。


 あの日、目覚めたときには既に何もかも無くしてしまっていて、二度と朝を迎えたくなかった。

 喪に服して暗くした世界は、朝が来ることがなくて安心する。


 この二十年間ずっと暗闇の中で、季節もなく、一日もなく、ただ生き延びた。

 いつか来る終わりをただ待って、魔物を守る準備だけ進めて。それだって必死に調べていたわけではない。この長すぎる永遠とも思える時間の中で、いつか完成させればいいだけだ。

 朝もなく、昼もなく、夜もない。ただ泥のように流れる時間に身を任せていただけだ。


 そんなときに突然彼女が現れた。俺にとって一番憎むべき相手である『白の花嫁』だと言って。


 彼女は食事を作り、俺に朝と昼と夜を教えた。

 約束の時間だと言って、毎日同じ時間に部屋を訪れた。

 花を共に植える事で、四季を想った。


 二十年間、時間が過ぎるのをじっと待っていただけの俺に『毎日』が生まれた。

 これから何百年と続く無意味で暗い人生に現れた、唯一の光だ。


「アイノ」

 聞こえるわけがないのに名前を呼んでみる。

 昨日もその名を何度も呼んだけれど、昨日は『白の花嫁』を呼んでいただけだ。

 今は確かに――彼女の名前を呼ぶことができた。


『夜』が来れば、動物としての欲に黒く塗りつぶされると思っていた。

 彼女への小さな恋心も、今まで過ごしてきた時間も、全て塗りつぶされて支配されて上書きされるのだと。


 でも朝を迎えて知ったのは、全て本心の延長に過ぎないということ。


 ……ただ、感情が増幅しすぎて制御できないだけだ。普段ならとても口に出せない言葉がぼろぼろと出てくる。

 アイノに対してこんな感情を持っていたのかと自分でも戸惑うほどに。

 しかし身体から零れ落ちた言葉たちは全て偽りなどではなかった。

 単に大げさに吐き出されただけの丸裸の感情で、アイノに対する気持ちを嫌でも自分に知らしめるだけだった。



 ・・



「私もアルト様が大すきです」


 アイノがぽつりと漏らした言葉に、身体の中をかけめぐっていた激流が止まった。霧が晴れるように、視界がはっきりとする。


 アイノは涙をうっすら浮かべて荒い息を吐いていた。強く抱きしめすぎたかもしれない。

 そっと身体を押し離し「すまない」と小さく謝罪する。


 そして俺の手を振り払って、アイノは部屋から出て行った。

 ……アイノは、傷ついた顔をしていた。いつもなんでも受け入れてくれる彼女が初めて拒否を示したかもしれない。


「……」


 アイノがいなくなってしまった部屋の灯りを消すと暗闇にまぎれて少しほっとする。


 日に日に魔力の受け渡しはうまくいっているようだ。アイノも自分で歩いて部屋に戻っていったし、俺も意識が遠くなっていく感覚がない。

 眠らなくても済みそうだ。俺は時間の経過を教えてくれなくなった窓の外をぼんやりと眺め続けた。



 ・・


 今日は俺が行動するよりも前にアイノはキッチンにいて朝食を作っていた。


「体調は大丈夫なのか」

「あ、アルト様おはようございます! 元気ですよ! アルト様はどうですか?」


 はつらつとした口調は明るく、いつもと変わらない笑顔を向けてくる。昨日の何かに傷ついた表情と振り払われた手は気の所為だったのだろうか。


「俺も問題ない」

「では朝ごはんにしましょう。今ちょうど出来上がったところですよ」


 チーズトーストと簡単なサラダを並べると、彼女も自分の席に座って食べ始めた。


「あ、そうだ。そろそろ食材がなくなりそうなので、ショコラにお願いしてもいいでしょうか? 森の監視で忙しいなら私が行きますけど」

「いや、大丈夫だ。ショコラに頼む」

「わかりました」


 食事はいつも通りに進んだ。ショコラがいない食卓は会話が弾まない。原因はどう考えても俺だ。

 たいした返事も出来ないのに、次々と話を投げかけてきては笑ってくれる。


「このあと、少し身体をはからせてもらってもいいですか?」


 食後の紅茶を注ぎながらアイノは言った。


「梅雨の夜は少し冷えるでしょう。上半身裸だと寒いと思ったんですよ」等と言い、サマーニットを編むのだと言う。

 羽が生えていても問題ないように背中にざっくりスリットを入れたものを作るらしい。


 ……魔物化した俺のことが怖くないのだろうか。

 そういえば一度も怯えた様子はなかった。鉤爪や鋭い牙を彼女の首に突き立ててれば、柔い人間の命などすぐに奪えてしまうのに。

 彼女は疑うことなく、両手を繋いでくれる。


「チクチクしないもので編むから大丈夫ですよ」

「……そうか」


 魔物化した姿用の服を編むだと……?

魔物に服を……? 思いもよらぬ発想が愛しい。大体の羽のサイズを想定しながら俺の身体のサイズを測り、ちまちまと編み棒を動かす姿が可愛くて。俺は今日一日はリビングルームで過ごすことに決めた。言い訳の魔法書を床に積み、魔法書を読むふりをしながら編み棒を動かすアイノを眺めていた。


 ・・


『夜』が来ると、濁流に飲み込まれる。

 アイノに対する感情が膨れ上がって駆け巡り、制御が難しい。元になる感情はまやかしではないけれど、自分の意思で彼女の名前を呼び抱きしめるかはわからなかった。


 完全に意識は消えないから、激流をなんとか受け流し、アイノを奪って傷つけないように耐えるので精一杯だ。


 耐えられないほどの感情を外に流すために名前を呼ぶ。抱きしめる。


「アイノ」名前を呼ぶと素直に顔を上げてくれるのが可愛くて、我慢できずに抱きしめる。鉤爪を背中に立ててしまわぬようにそっと。

 魔物化に慣れてきたのか、羽もうまく動かせるようになった。大きな羽で彼女の肩を包み込む。


「アルト様。私の声は聞こえていますか?」

 俺の頬に手を当ててアイノは聞いた。ひんやりと冷たい手が熱を和らげていく。


「聞こえている」

「良かった」そう言うアイノの瞳は不安げに揺れていて、その切なさに魅入られて頭はぐらぐらと揺れる。奪え奪え奪え。声は大きく反響して、燃え上がる。

 気付いたときにはアイノの頭を押さえつけて、自分の唇にぶつけていた。


 唇から魔力が入り込んで、一瞬で頭は冷えるけれど。


 そこには初めて怯えた表情を浮かべるアイノがいた。


「す……すまなかった!」


 完全に冷えた頭で彼女を見ると、アイノは下手くそな笑顔を作った。――こんな顔、初めて見る。


「怖かっただろう、すまない」

「い、いえ。もう大丈夫なんですよ。魔力の受け渡し本当に慣れたみたいですね!? キスでも倒れたりしないんですよ! 全然平気です!」


 アイノは首を振ると、上擦った声でそう言った。


「えっと、もう普段のアルト様に戻ってますよね?」

「あ、ああ」

「今夜の魔力の受け渡しは成功ですね! ――では私部屋に戻ります!」

「……アイノ」

「すみません。やっぱり少しは疲れちゃうみたいで、今日はもう休ませてもらいますね! お、おやすみなさい!」


 アイノは早口で一気に言い終えると、すぐに立ち上がり部屋から出ていった。


「帰ってしまったか」


 アイノがいなくなったベッドでは眠れる気もしないからロッキングチェアに移動する。


 ……キスをしてしまった。

 キスをしても大丈夫だと先日言ってくれた。でも今日の表情を見るととても大丈夫そうに見えない。


 ――やはり、キスはされたくないのだろう。

 花嫁になる、と来てくれたが、俺への気持ちはきっと「憧れ」だったり父や兄への「家族愛」だ。


 共に過ごして、魔力を分けてくれる。

 それ以上なにを求めているのだ。アイノが欲しいものはきっと「家族」と「居場所」なのだから。


「気をつけなくては……」



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