21 白の花嫁だから?
今日も朝とは思えないほど暗い朝が来て、私は一人自室にいた。
きちんとベッドに入っていて、きっとアルト様が運んでくれたんだ。
そう思うと同時に昨夜の出来事を思い出して、体調は悪くないのに身体が熱い。私は起き上がる気にはなれなくて、もう一度寝転がるとブランケットを被った。
愛しているって言った……よね?
言った。絶対に言った。アルト様が言った。
……………………。
昨日のアルト様は、ゲームで見たアルト様みたいだった。憧れていた花嫁への溺愛を感じた。
身体が欲するから強く抱いて、熱に浮かされたように甘い言葉を囁いて、愛しくて仕方ない瞳を向ける。
抱きしめられて、愛していると囁かれて、熱い瞳を注がれて。
私が求めてたゴールはずっとこれだった。ずっと白の花嫁として求められたかった。それが私に降り注いで、嬉しい……はずだった。
嬉しい、ときめく。それはそう。
だってそれは全部アルト様がくれたものだから。……でも何か、ひっかかる。
今までのアルト様とうまく重ならないから。
アルト様と季節を過ごして、一緒にご飯を食べて、土いじりをして、魔法を教えてもらって。そっけなくて冷たく見えるけれど、本当は不器用な優しさを持つアルト様が……………………。
アルト様の花嫁になりたい! そう思って自ら志願してきたのに。
目標は愛される花嫁になることだけ、だったのに。
『白の花嫁』だから、愛されるの?
『白の花嫁』だから、愛するの?
そんな問いかけが生まれてしまう。なんてワガママなんだろう。
使用人でいい。ここに置いてもらえるだけでいい。そう思ってたくせに。
名前すら呼ばれたことがなかったのに。触れられたことすらなかったのに。強く抱きしめられて、心が、うまく呼吸できていない。
暗黒期が訪れたときに本当にちゃんと花嫁になれるのか不安で考えないようにしていた、アルト様への感情がなんなのか。
それを考えなくてもいいくらい、ここでの日々は穏やかだったから。
でも、こんな風に揺さぶられてしまったら――
これが恋なのだと、気づいてしまう。
コンコン。と控えめに扉が叩かれる音に、私の心も跳ね上がってしまう。今アルト様と顔を合わせたら、なぜか泣いてしまいそうな気がして私はブランケットを鼻まで引っ張り上げた。
「アイノ、眠っているのか? 入るぞ」
ゆったりとした足音から、『夜』の姿ではないことを知る。
何やらガサゴソと音がするから薄目を開けてみれば、昨日と同様に水差しと食べ物を大量に並べるアルト様の姿が見えた。
テーブルの上には昨日と同じくサイコロ状にカットされたりんごが見えた。
――勘弁して欲しい、愛しいから。
キッチンで食べられるものを大量に見繕って、浮遊させて食べ物たちを引き連れてこの部屋まで行進してくる様子を思い浮かべると可愛くて仕方ない。
もうダメだ、降参。私は萌えなんかを通り越して、ありのままのアルト様が好きだ。
「すまなかった」
私を見下ろす視線を感じてしっかり目を閉じ直す。私の狸寝入りには気付かないのか、彼が屈んだことを空気で感じ取る。
一束、髪の毛を掬われる。……目を閉じているけど、何をされているかわかる。
アルト様は私の髪の毛にキスを落として部屋から出ていった。
……やっぱり、うまく呼吸ができない。
・・
サイコロりんごを食べて気合いを入れ直してからは普段通り過ごした。アルト様は部屋にこもっていたから、今日は少し気まずい食事を共に過ごしただけだ。
そしてまた今日も『夜』が来た。
昨日と同様にアルト様の部屋で。私たちはベッドに腰掛けてその時を静かに待ち、姿が変わってすぐに両手を繋いだけれど
「アイノ、足りない。もっとお前を感じさせてくれ」と懇願するように抱きしめられた。
長い爪が私の頬に触れて、顔の向きを変えさせられる。
目と目が合うと微笑みかけてくれる。その微笑みは、私のことが可愛くて仕方ないと言っているように見えて胸が甘く疼くけど、その心がホンモノなのかまでは推し量れない。
「アイノ……可愛いアイノ」
今夜も何度も名前を呼んでくれるけど、アルト様は『アイノ・プリンシラ』が見えているのかな? 可愛いと思うのは『白の花嫁』だから?
「アイノがもっと欲しい」
私から目をそらすことなく何度も髪にキスをするのに、髪以外には触れようとしない。求めてもおかしくないような、熱い瞳をしているのに。
「アイノ、愛している」
そう言われると嬉しい。だって私はアルト様が好きなんだから。
……どれくらい時間がたったんだろう。部屋に置いてある時計を見ると三十分経過していた。どうやら私の身体は魔力の受け渡しに慣れてきたみたいで、簡単には気を失えなくなったらしい。
それは喜ばしいことなんだけど、三十分も抱きしめて愛を囁き続けられているから、頭も身体も容量オーバーでパンクしそう……!
「私もアルト様が大すきです」
声に出さないと、気持ちが破裂しそうで吐き出してみた。素直に言えるのは、翌日には残らない気がしたから。
『夜』の間なら、素直に気持ちを吐いてしまっても大丈夫な気がした。
だけど、
「え……?」
さっきまでとろけるように熱かった瞳が、穏やかに揺蕩う青に戻っていて。私の肩を触れると、そっと身体を押し離した。
「アルト様?」
「す、すまない……」
未だに角や羽は残ったままだけど、気まずそうにさっと目線をそらすのはどう見ても『いつもの』アルト様だ。
すまない……、というのは何に対して?
そう聞きたいのに、その言葉は喉に張り付いたまま出てこなくて。
「意識が戻っているんですか?」
「ああ。身体は朝にならないと戻らないが、魔力が渡されて落ち着くと戻るらしい。昨日もそうだった」
「昨日も……」
それで朝が来る前に部屋まで運ぶことができたのか。
胸がちくんと痛む。『夜』のアルト様は離れるな、と言うけれど、いつものアルト様は私を部屋に送っていくんだ。
アルト様はなんと言っていいかわからないようで押し黙っている。
――先程までの恋人の時間を覚えているのか、聞くのが怖い。無意識なのか、何かに支配されてしまっているのか。何がどうなってるのか、それを聞いてしまったら傷つく気がした。
「えっと、落ち着いたなら良かったです。私、部屋に帰りますね」
「あ、ああ。助かった。……身体は大丈夫なのか?」
アルト様は心配そうに尋ねてくれるから、笑顔を作って返事の代わりに立ち上がって見せる。……うん。部屋まで歩くことはできそうだ。
そう思って一歩踏み出すけれど、少しよろけてしまう。
「おい、大丈夫か。送っていく」
「だ、大丈夫です!!」
自分でもこんなに大きな声を出すつもりはなかった。しまったと思って振り向くけど、アルト様の目は見開かれて、すぐに目をそらした。
「ご、ごめんなさい。ちょっと疲れてるのでもう寝ますね」
私は早口でそう言うと、すぐに部屋の扉を出た。足がもつれるけれど、どうせ私の部屋には十秒もあれば到達する。
なんとか自分の部屋までたどり着いて扉を閉めるとその場にしゃがみこんだ。魔力の受け渡しは気づかないうちに体力を消耗するみたいだ。
……私らしくない。何やってんだか。アルト様はなんにも悪くないのに大声であんな風に。あれでは拒絶だ、態度が悪すぎた、ひどかった。
感情が忙しすぎる。
初めての恋を自覚したばかりで、甘やかされて愛されて、その後に目をそらされると……どうしていいかわからない。
もう今日は寝よう。うん。また明日考えよう! 明日は自然に過ごさないと。いつも通りのポジティブで明るいアイノに戻る。
のろのろとベッドに潜り込んだ私はそのまま意識を手放した。