15 ヒロインの好感度MAXモブ
リイラ、とおじさんが呼んだ。そして返事の声。まさかとは思ったけれど。
実際目の前にリイラが現れるとどうしていいかわからず固まってしまう。おじさんとショコラは私たちを見比べて様子をうかがっている。
「アイノ! 会いたかった!」
レジから飛び出してきたリイラが私を抱きしめる。固まってしまっていた私だけどようやく我に返り、身体をよじってリイラの腕から抜け出した。
「すみません。どなたですか? 誰かと勘違いしていませんか」
迷惑だというように素っ気なく目をそらす。ここで知り合いに会うだなんて絶対にダメ。人違いでなんとか押し切るしかない。
「ううん。髪色が変わったくらいで私がアイノを間違えるはずないわ!」
私の反応をものともせずに、リイラは笑顔で自信満々に言った。キラキラの瞳に見つめられると押し切られてしまいそうだ。これがヒロインパワー……!
「それに、アイノの髪飾り。それは私がプレゼントしたものでしょう!」
しまった。髪色は変えたけど、いつものままの恰好で来てしまっていた。でも、言い訳させてほしい。だって、まさか王都でもない場所でリイラにピンポイントで会うだなんて思っていなかったわよ!
「どうして突然学園を辞めてしまったの。私、本当に心配で」
心から私を心配してくれているリイラを目の前にすると嘘をついているのが心苦しくなる。そもそも想定外すぎて咄嗟に何も言い訳が思いつかない。どうしよう、助けて! 私はショコラにSOSの合図を送る。
「リイラの知り合いだったのか。良かったら、お茶でもどうですか?」
何も知らないおじさんがニコニコと提案してくる。や、やめてください!
「お茶していらっしゃい」
ショコラは観念した表情で肩をすくめて言った。私は久々にリイラとお茶をすることになってしまったのだった。
・・
リイラは雑貨屋の二階にある小さなリビングルームに私を案内すると、紅茶を淹れてくれる。勝手知ったる様子を見るにリイラはこの家の関係者なのだろう。
「ここはリイラの家なの?」
「ええ、そうよ。ここは私の実家。さっきのはお父さん」
なんと。つまりアルト様とリイラは……えっと、アルト様のお母様の弟の……とにかく二人が親戚にあたるのは間違いなかった。
私の前にカップを並べてくれるリイラに続けて質問をする。
「でもリイラもどうしてここに? 学園は?」
「お母さんが先日ケガをしちゃって。お見舞いと手伝いに今週末だけ帰ってきたの。クリスマスに向けての仕入れも忙しかったから」
なんというバッドタイミングだ。もはや運命にすら思えるタイミングで私はここに来てしまったらしい。
「私のことはいいのよ。アイノはどうしていたの? 元気そうでよかったけど」
「……えっと、お姉様のいじめに耐えられなくなって。サンドラお姉様と同室になってしまったこと知っているでしょう。辛くなってきた時に、私の本当のお母様の親戚のもとに引き取られたの」
サンドラの罪をまた一つ増やしてしまった。ごめん! でも学園を辞める言い訳はこれくらいしか思いつかなかった。
「リイラを残していくのは本当に心苦しかったのだけど」
「そんな、私のことは気にしなくていいの。それにアイノがいなくなってから、サンドラ様は私に話しかけることがなくなったのよ」
「本当に!? それならよかった」
ああ、よかった! 最後の夜の脅しはちゃんと効いていたらしい。リイラがまだ虐められ続けていたらどうしようかと心のしこりが残っていたのだ。
「とにかく私は元気でやっているから、心配しないで」
私が笑顔を向けると、リイラは心から安堵した様子で笑顔を返してくれた。
「ああそうだ。あなたと仲良しの王子様には秘密にしてくれないかしら。実は私、お父様にも黙って出てきたのよ。プリンシラ家に居場所を知られたくないの。あなたの王子様に他意はなくとも、国王から私の父に伝わることがあるから」
「わかったわ。今日の事は心に秘める。ねえアイノは今はこの街に住んでいるの? これからも会えるのかしら」
無邪気な笑顔でリイラは尋ねた。――これからも会う? それは困る。とても困る!
ヒロインの運命力を舐めてもらったら困るのだ。この家の二階と我が家の二階は繋がっている。暗黒期即うっかりアルト様と鉢合うことになったら大変だ。白の花嫁がリイラになってしまうじゃないか!
「もうこの街では会えないの! 実は……そう、私は旅をしていてあちこちをまわっているの。今回はたまたまこの街に立ち寄っただけ」
「……そうだったのね」
「落ち着いたら私から会いに行くわ、必ず。だから心配しないで、お願い」
「わかったわ」
リイラはようやく納得した様子で、また笑顔を向けてくれた。
「アイノ、なんだかきれいになったね。今のおうちで幸せにしてるんだね」
「うん。今、幸せだよ」
久々にあった唯一の友人に嘘ばかりついてしまったけれど。これだけは紛れもなく、本当の気持ちだった。
・・
「なるほど、わかった」
夜。アルト様の好物をダイニングテーブルに並べて、私はテーブルに頭をこすりつけていた。
「本当に申し訳ありませんでした」
「アイノが悪いわけじゃないわ」
「終わったことは仕方ない。問題はない」
アルト様はいつもと変わらない表情で魚のムニエルをナイフで切り分けて口に運んだ。
「何か問題があるか?」
「ないと思うわよ、大丈夫よアイノ。私がもっと気を遣っていればよかったの。ごめんね」
珍しく落ち込んだ表情でショコラが言った。
そう、現時点での問題はそこまでない。
ショコラいわく雑貨屋の店主、つまりリイラの両親は魔族と関係があることは、誰にも言わないようにしているらしい。あの雑貨屋を継ぐもの、いつかはリイラの弟に伝えることになるらしいけれど。
「リイラは学園の友達だったんです。雑貨屋の娘ですけど、普段は王都の魔法学園に通ってて彼女の周りには貴族がたくさんいます」
「今後はリイラの帰省予定を店主に聞いておくわ。あちら側からこちらには来れないようになっているし。……それにもしてもこんな偶然あるのね」
そう、ひとまず問題はない。
でもシナリオの強制力が怖い。リイラが、アルトの縁戚だなんて設定はなかった。リイラの両親がゲームに登場した記憶もない。もしゲームに登場するのなら、彼女の両親は魔族の味方のはずなのだから。
この偶然が怖い。リイラが白の花嫁になるんじゃないか。そんな不安と、もう一つの不安が私をよぎる。
私はフォスファンの攻略対象たちと出会っていない。フォスファンのモブとして、彼らを遠くから見守る程度できちんと会話したことはない。
だけど、リイラとは出会っていて。リイラの好感度はあげてしまっているはずだ。
――魔王ルートは、ヒロインを奪還しに攻略対象たちが来る。そして誤解は解けないまま、魔王と攻略対象は戦い、誰も幸せにならない結末が訪れる。
私を奪還しにくる攻略対象はいない。でも、リイラはどうだろうか。
正義感と意思が強くて慈愛に満ちた聖母のような女性。それが乙女ゲームのヒロインだ。
まさか、そんなわけないわね。乙女ゲーム脳すぎたわ。
でも、万一そんな事態になってしまったら。すれ違いから悲劇が起きてしまったら。そうならないためにもリイラと絶対にすれ違わないよう定期的に連絡を取るのもいいかもしれない。
一方的に手紙を送って無事を知らせるでもいいわ。暗黒期までに対策を取らないといけない。
暗黒期の訪れはまだ先なのに、不安が私の心を覆った。