11 布団をかけるみたいに優しく
「ルーナ・ヴェーシ」
呪文を唱えると手の平から柔らかい水のシャワーが降り注ぐ。下に置いてあるプランターの土に水がしみこんでいく。
暇つぶしかつ丁寧な暮らしのために家庭菜園を始めてみることにした。
だけど知識は全くない。前世で料理はそれなりに好きだったみたいで料理の知識はなんとなくあったけど、食材の育て方の知識の方はまるでなかったから。
ひとまず家庭菜園の最初の一歩! プランター栽培から始めることにした。
プランター栽培といえばミニトマトのイメージがあったんだけど、季節的に今は違うみたい。ショコラが店主に一番簡単なものを聞いて種を買ってきてくれた。
それがこのラディッシュの種というわけ。一カ月くらいで収穫もできるらしく、初心者にはちょうどいいみたい。
「何をしている」
「うわっ、ビックリした」
突然後ろから声を掛けられて振り向くとアルト様が立っていた。庭でアルト様を見かけること自体珍しい。
「アルト様! どうかしましたか?」
「時間になっても来なかったからだが」
「あ! もうそんな時間でしたか、すみません!」
あれから一週間。アルト様は毎日十時に魔法を教えてくれている。めんどくさそうな顔をしながらだけど、なんだかんだ真面目な彼は丁寧でわかりやすく基本から教えてくれている。
「探しに来てくれたんですね。ありがとうございます」
私が喜ぶといつも目をそらして口をぎゅっとつむぐ。それが照れ隠しだと気づいてからはその仕草が可愛くて仕方ない。だから何度でもありがとうと言いたくなってしまうのも仕方ない。
「これは?」
「ラディッシュを育てようと思いまして」
「ラディッシュ?」
アルト様は私の隣に屈んでプランターの中身をじっと見始めた。
「まだ今種を植えたばかりなので、ただの土ですよ」
「そうか」
「良かったら種まだあるので、植えてみますか?」
「ああ」
ん? 頷いた?
絶対断られると思って提案したから、素直に頷くアルト様に正直驚いた。気が変わらないうちに、アルト様の目の前に細長い木の箱を置いた。この箱をプランター代わりに使っている。
「もう土は作っているので。土をこの箱――プランターの中に入れてもらえますか」
「わかった」
私は先ほど用意していた土の山を指さした。アルト様が土の山に手を差し出すと、土たちはサラサラと浮遊してプランターに移動していく。私がさっきスコップで何分もかけた作業がものの十秒で完了した。
アルト様は想像以上にやる気みたいで私の指示を大人しく待っている。
「次に水をかけて土を湿らせます」
アルト様の手から水のシャワーが優しくこぼれ出て土に染み込んだ。
「じゃあ、次はいよいよ種まきです。見てて下さいね」
私は人差し指を一センチほど土にうずめた。小さな溝ができ、そこから一センチ開けたところにまた同じように溝を作る。
「こうして一定の間隔をあけて種のおうちを作っていくんですよ」
「わかった」
「あ、これは魔法を使わないでやってみてください」
「なぜ」
「土にスポ、スポってする感触が楽しいからですよ」
アルト様は一瞬怪訝な顔をしたが、言われた通り黒い手袋をはめたまま土に指をうずめる。
「どうですか? 楽しいでしょ?」
「楽しくはない」
そう言いながらもアルト様はリズミカルに溝を作っていく。
「あえて手作業でやる方が楽しいこともあるんですよ。次の種まきもそうしませんか?」
種を包んでいた紙を開く。一ミリほどの小さな種がジャラッと広がっている。
「これが種なのか? 小さいんだな」
「そうなんです。これをさっき作った溝に入れていきましょう」
「わかった」
長い指が種を掬い、溝の外に零れないように慎重に入れていく。
「私ぐうたら人間なんですけど、こうしてゆっくりじっくりする作業は好きなんです。なんだか心が落ち着くんですよね」
「わかる気がする」
「やった、わかってもらえた! 次は土を軽く被せましょう」
「布団のように、か」
なんだか可愛い言葉が聞こえてきてアルト様を見ると、アルト様自身も自分で発した言葉になんだか驚いている。
「そうですね、優しくかけてあげましょう」
「……母の言葉を思い出した」
耳を赤くしたアルト様は慌てたように言った。ぶっきらぼうな言葉と裏腹に土をかける手は優しい。
「アルト様のお母様?」
「そうだ。俺の母は土いじりが好きだった」
「そうなんですね!」
それで家庭菜園に興味を持ってくれたのか。アルト様が自分自身について触れてくれたのは初めてで、少しくすぐったい気持ちになる。隣に座ることを許可してもらえた気がした。
「お前は園芸もやらされていたのか?」
「いえ、全くです。庭掃除はよくしていましたけど。
でもせっかくお庭も広いですし、挑戦してみたい気持ちがあって」
「書斎にガーデニングの本がある」
「お母様のものですか?」
「そうだ」
「読ませてもらいますね! そうだ、アルト様も一緒にやってみましょうよ!」
「俺が?」
いつものように眉間にシワを寄せてアルト様は私を見るけれど、これは拒絶の表情ではないはずだ。
「はい。ガーデニングは魔法の力もあれば便利ですしね! 一緒にやってください!」
「魔法を言い訳にするなら魔法講座の時間にするぞ」
「はい、それでもかまいません! 私も初心者なのでゆっくりやりましょうね。とりあえずラディッシュの種まきはこれで完成なので最後にお水をあげましょう」
もう一度水のシャワーを降らせる。お日様の光に反射して、小さな虹が見えた。
「よいしょ」
「どうするんだそれ」
完成したプランターを持ち上げた私にアルト様は質問する。
「発芽するまでは日陰に置いておきたいので。屋敷の影になる場所に移動させます」
「貸せ」
私の腕からプランターの重みがなくなる。アルト様の魔法だ、三つあったプランターが宙に浮き日陰に移動していく。
「ありがとうございます」
ああ我慢できない、笑みが隠せない。だってアルト様の不器用な優しさは全く隠せてないんだもの! それから私の隠しきれない喜びにアルト様が気恥ずかしそうにするまでがお決まりの流れだ。
「あ、そうだ! 今日のお昼は魚を焼きたいんですけど、アルト様のお力借りてもいいですか?」
アルト様が「部屋に戻る」と言い出す前に私は聞いた。
「魚を焼くのに魔法?」
「そうです! 今日はシンプルに塩焼きをしたいんですけど、フライパンでなく直火で焼きたくって!」
「炎の魔法を使えと?」
「その通りです。直火の方が皮がパリッとして美味しいんですよ。でも、私がやったらキッチンを燃やしそうで」
「だろうな」
「じゃあ今日の魔法講座はそれでお願いします! あ、そうだ。ついでに一緒にお昼も作りましょう」
「どんどん俺の仕事が追加されていくんだが」
そう言いながらもアルト様の足はキッチンに向かっている。今日も昨日より一緒に過ごす時間が増えた。私はまた笑みがこぼれそうになったので、アルト様を追い抜かしてキッチンに向かった。