09 ゴロゴロ多めの丁寧な暮らし
私が白の花嫁(仮)として魔の森に押しかけて、完全スローライフが始まり一週間が経った。
起床してそのままベッドでのんびりゴロゴロして、ひと手間かけた朝食を作り朝ごはん。洗濯物を干し終えたら芝生でゴロゴロ。日光浴が済んだら軽く家全体の掃除をする。
昼食と簡単なおやつを作り、食事の後はおやつを食べながらゴロゴロ。気分が向けば、書斎の本を借りてみたり、重点的に掃除したい場所をじっくりやっつけたり、ショコラとティータイムしたり。そしてまたおやつを食べてゴロゴロ。そうしているうちに夕食の準備だ。
案外一日というのはあっという間に過ぎる。
プリンシラ家で他の人間にビクビクしながら過ごす時期の何百倍も幸せなのはもちろん、魔法学園にいる時より穏やかな気持ちだ。
サンドラのいじめ問題はともかく、同年代の人間に囲まれて多少なりとも気を遣う寮生活に比べれば。なんと穏やかな時間か。
のんびりな時間が私には合っていたみたい。ダラダラと、ゴロゴロと過ごすけれど、清潔感ある環境で美味しいものを作って食べて。自分のためだけに行動する。スローライフ最高!
だけど、魔法学園に通えなくなって残念なこともある。リイラと会えないこと、それから呪文を学べないことだ。
・・
「ん、これ美味しい!」
今日も女の子の姿になっているショコラの口がハフハフと動く。毎日美味しそうに食べてくれて作りがいがある。
今夜のメニューは白身魚のワイン蒸し。野菜ときのこをたくさん入れたので一品でもボリュームたっぷりメニューだ。しっかり蒸した野菜は柔らかいし、魚の旨味が染み込んでいて美味しい。
「アルト様はどうですか」
ショコラの隣で無言で食べているアルト様を見た。日中ずっと自室に閉じこもっていて顔を合わせることはないけど、三食きちんとダイニングにやってきてくれる。
「悪くない」
皿を見ると魚はもうなくなっていて、端のほうに千切りにんじんが固まっている。好きなものは先に食べる派かも。
「人参お嫌いなんですか?」
「嫌いではない。ただ人参の必要性はわからない」
「少し甘みを足してくれるから、全体的に優しい味になるんですよ」
「アルト人参嫌いなのよ」
「嫌いではない」
ムキになったアルト様は残りの人参を全て口に入れた。ほんのすこし眉間にシワが寄せて「嫌いではない」ともう一度宣言した。
意外とアルト様は人間っぽい。
人間ぽいというのも変な話だけど、ゲームのアルト様はなんというか人間みがなかった。
どのルートでもリイラを執拗に追いかけてくるヤンデレだったし、自分のルートでも平和な時間はほとんどなく、基本リイラを命がけで守ったり熱烈に愛したり、なかなか刺激的な場面しか思い出せない。
目の前にいるスローライフアルト様とヒロイン溺愛ヤンデレアルト様は重ならない。すごく生きてる人っぽい。
「今度人参のポタージュ作ります。なめらかになるまですりつぶすので、苦手な人でも美味しく食べられるますよ」
「だから嫌いではない」
アルト様は今日も完食してくれた。それが嬉しくて、明日のご飯が楽しみになる。
「あっそうだ。そろそろ食料が尽きそうだから、買い出しをお願いしてもいいかしら」
「明日行ってくるわ、人参も買ってくるわね」
同じく完食してくれたショコラがアルト様を見てにやりと笑う。そして、扉に向かって手を伸ばすとダイニングの扉が勝手に開き、おそらくリビングルームから紙、ペン、インクがゆらゆらと飛んできた。
「前から気になっていたんだけど、ショコラもアルト様も魔法使うときに呪文を唱えないよね」
「魔人と……使い魔は魔力が高いから必要ないわね。そういえば人間は呪文を唱えないと魔法が発動しないんだったわね」
「そうなの、私は半年で学園を辞めてしまったからあまり魔法が使えなくって。基礎中の基礎の魔法しか使えないの」
イルマル王国は魔法学園アロバシルアに通わなくては魔法を取得できない。魔法発動には呪文が必要で、その全てを学園で学ぶから。イメージとしては、前世の世界で一番有名な魔法学園が近いと思う。
「学園?」
ショコラは不思議そうな顔をして質問してくる。
「そう。人間は十六歳で魔法学園に入学して、そこで初めて魔法を習うの。だから私はまだ魔法歴半年で」
「へえ。今の人間は魔法学園で学ぶのねえ」
「昔は学園がなかったの?」
「少なくとも百年前までの花嫁で魔法学園に通っていた人はいなかったと思うわ」
ショコラ、百歳以上なんだ……。
「あ、でも今までの花嫁たちは平民だったから。魔法学園に通えなかっただけかもしれないわね」
今までの花嫁が平民?
違和感を感じて、食後のお茶を淹れている手が止まる。
そういえば、私が来た時も「花嫁は平民」とアルト様が言っていた。
おかしい。ゲームの登場人物でもリイラは「イルマル王国で唯一魔力があらわれた平民」と紹介されていた。
「イルマル王国では魔力が現れるのは、貴族だけなの。だから魔法学園には貴族しかいないわ。あ、一人特例で平民の子がいたけどね。私の友達なの」
「魔力があるのは貴族だけ?」
質問したのはアルト様だった。いつも興味なさげにどこかを見つめている目が、熱く私を見つめている。
「そうです。魔法は習わないと発動しないし、許可制だから魔法学園アロバシルアに入学しなければ使用許可も降りないんです。魔法は危険でもあるから法律から学ぶんです」
「おかしいわね。さっきも言ったけど、百年より前の花嫁はずっと平民だったし、皆独学で親や魔法書から学んだと言っていたわ。この百年で教育環境か法整備が進んだのかしら」
人間にとっての百年は長い。法律だって、常識だって変わっていそうだ。平民の魔力は長い時間をかけてなくなったのかもしれない。
「魔力の有無はどこで調べる?」
アルト様は私とショコラの話にほとんど入ってこないけど、この件は気にかかるみたい。
「国の魔法省が管理しているみたいですよ。そこに星詠み師がいて入学数ヶ月前になるとお告げが来るみたいです。私たち貴族も魔力が現れるのは全員ではないですから、十六になるまでは魔力が現れるようにお祈りをしていたんです」
「ふむ」
もう先程までの興味はなくしたみたいで、アルト様は食後のお茶を飲んだ。
「あ、そうだわ。うちに魔法書いくつかあるわよ! 過去の花嫁が持ち込んだものだから相当古いかもしれないけど。アイノ、それで勉強してみたら?」
「したい!」
そういえば今まで魔法書など見たことがない。プリンシラ家には父の書物もたくさんあったし、国民が皆入れる国で一番大きな王立図書室も何度か行ったことはあるけど。魔法はアロバシルアでしか学ぶことが出来ない。百年前の花嫁に感謝!
私はもうイルマル王国ではなく魔王の花嫁(予定)なんだから、魔法を使うのに国の許可なんていらない。なんてたって魔王の花嫁(予定)ですからね!
「魔法入門書なら書斎にある」
そう言うとお茶を飲み終えたらしいアルト様は席を立った。
「ありがとうございます! あっ、アルト様、明日の食事のリクエストってあったりしますか?」
「……フレンチトースト」
「はい! 明日の朝楽しみにしててください!」
ショコラが用意してくれた紙に今週分の献立と必要な食材をメモしていく。
これからぐうたら多めの丁寧な暮らしに魔法の勉強が加わることになりそうです!




