07 スナイパーはいつも自分のうちに潜んでいる
学校終わり、いつも通り楓と一緒にスクールバスに乗って帰ってきた。
スクールバスが川越駅周辺のロータリーで停車したところで降りた。
「あ、楓」
「却下。テスト近いんだからクレープは行かないよ」
「ちげーよ。一緒にテスト勉強していかないかって聞こうとしたんだよ」
「それなら行く!」
いつもテスト前は、よく楓と一緒に勉強している。
テストがちょうど一週間後に迫ってきているので、今回もいつも通り楓を誘った。
「どこにしよっか?」
「そうだな…公民館でいいんじゃないか?広いし」
「そうだね!よし!じゃあ行こー!」
「あ、ちょっと待って。その前にちょっとコンビニ寄らね?」
「あ、そだね!」
楓は手をぶんぶんと振って歩き出す。
コンビニでお菓子や飲み物を買い揃え、およそ十分、少し歩く距離にある公民館へとやってきた。
おお、ちょっと寒いな…
扉を押し空け、中に入ると、全身がひんやりとした冷気に一気に包まれた。
ワイシャツに染みていた微量の汗が冷たく感じる。
まだ六月とはいえ、最近はだいぶ気温が上がってきていたため、外気温とのギャップが激しい。
「着いたー!」
「結構空いてるな」
「窓際の方行こっか!」
「そうだな」
入り口から奥に進んだところにある、窓を向いた横並びになっている席に、隣同士で座った。
カバンの中から勉強道具を取り出して机に広げる。
ここの席は結構気に入っている。
正面の大きな窓の外には、公民館で管理されている植物の緑がいっぱいに広がっているのが見える。
「よーしやるぞー!」
「そうだな」
「あれ、史郎数学やるんだ」
「ああ、まあな。てか数学の教材しか持ってきてない」
「いやいや何してんの。数学って確か最終日だったよね?初日の化学とかテスト範囲やばいらしいけどいいの?」
「…大丈夫だ、心配ない。うん、ばっちりだから…」
「それ絶対まだ勉強してないでしょ…前回だって赤点ギリギリだったじゃん」
「そんなこともあったなぁ…」
「またAKPなっちゃうよ」
AKPとは、赤点回避プロジェクトのことである。
毎回定期テストの時期が近づくと放課後に、前回赤点をとった生徒たちを教室に集めて、二時間ほど自習をさせられる。
その場にいると、周囲から「あ、あいつらAKPか。ぷぷぷっだっさー」と思われてしまい、かなりの屈辱を受けることになる。
この高校の赤点は三十点未満である。一年生の頃、俺は最初の定期テストで赤点を取ってしまった。
「うーん、AKPになるのだけは絶対やだなー…」
「日本史だっけ。入学して最初のテストでいきなり赤点取るあたり史郎だよねー」
「おい、それどういうことだ。まあ、あのときは思ったより難しかったからな」
「いやいや簡単だったから。史郎が勉強してなかっただけでしょ」
「いやだって入学して最初のテストだったからか知らないけどさ、一日目と二日目の科目が全部超簡単だったから、勉強しなくてもいいやって思うじゃん?そしたら三日目の日本史で見事にはめられたんだよ。ひどいよなー」
「いやいや完全自業自得だから!」
「まあ、今はもう社会科目無いからあんまり心配ないよ」
この高校では二年に進級する前に、文理選択を問われる。そこで文系か理系を決めることになる。
俺も楓も理系に進んだので、社会科目のテストが無くなったというわけだ。
俺は理系科目の方が得意ということもあるが、何より社会科目から逃げたかったので理系を選択した。
しかし、楓も理系に来たのは意外だった。
確か楓は文系科目の方が得意だったはず…。それでも理系に来たということは、大学で相当学びたい分野でもあるのかな…
まあ詳細は分からないが、クソ浅はかな理由で理系を選択した俺と比べたら立派だ。うん、すごく立派。まじリスペクト。
小一時間ほど黙々と勉強したところで一旦手を止め、机にシャープペンを置き、黙ってトイレに向かった。
少し早足になる。
もちろん走ってはいけなので、注意されない程度に気をつけながら出来る限り早く歩いて向かった。
男子トイレに着くと、唯一空いていた一番奥にある個室に入った。
うわ和式かぁー…
まあいいんだけどね。別になにも問題ないんだけどね。なんだか和式トイレって抵抗あるのよねー。なんでかしらねー。
まあ他の個室が空いてなかったからやむを得ないな。ここを使うしかないか…
個室に入り鍵を閉め、ズボンを下ろしてしゃがんだ。
いやー、間に合った。よかったー。
思い切り踏ん張ってヤツを解き放つ瞬間はいつも超サイヤ人にでもなったような気分になる。
あ、前からも出そう。
自分のジュニアに右手を添え、照準を合わせて前からも解き放った。
それと同じタイミングで、なんとカナブンが顔に飛んできた。
「うわ!なんだこいつ!しっしっ!あっちいけ!」
カナブンはなんとか追い払えたが、急な出来事に咄嗟に反応してしまったせいで、発射中の史郎ジュニアから手を離してしまった。
あっと気づいたときには遅かった。
うん、かかったよね。少しだけ。
左脚の裾から先の方がジュニアに狙撃されてしまった。
しかし不幸中の幸いか、すぐにまた手でジュニアを抑えたので、ティッシュで拭けばまあなんとかなりそうだ。…なんとかなると思いたい……
狙撃された箇所を拭き、トイレを済ませた。
靴下やくるぶし付近が濡れてるのは少し気持ち悪いのだが仕方ない。切り替えてまた勉強しよう。
手間取っていたせいで少し時間が経ってしまったので、早足で席へ向かう。
席の近くまで戻ってくると、楓は黙々と集中して勉強していた…俺のジャージの上着を着て。
「あ、おかえりー」
「おかえりじゃねーよ。なんで俺のジャージ着てんだよ。てゆーか勝手に俺のカバン漁るなよ」
「えーいいでしょー。寒いんだもん」
まあ確かにここエアコンが効きすぎてるんだよな。
楓は先ほどから時折り、寒そうに腕を摩っていた。
呆れたようなため息をつきながら席に座った。
「全く…」と言いつつ、カバンの中からジップ式のパーカーを取り出して楓に渡した。
「着るならこっちにしろよ」
「いや!こっちがいい!」
ええー…
なぜかきっぱりと断られた。
「いや、そのジャージは今日俺が着てたやつだから…」
「いいの!こっちがいい!」
なんでそんな頑なに断るんだよ…
「あれ、てか史郎、なんで左脚の裾の方濡れてるの?」
「……これはな、子供に水をかけられただけだ…。だから気にするな…」
「そ、そうなんだ。分かった…」
十九時を過ぎた頃、いつのまにか日は沈み外はすっかり暗くなっていた。
「そろそろ帰るか」
「ん、そうだね」
ぐーっと伸びをしている楓は、少し疲れた声だった。
席を立ち、勉強道具をカバンにしまう。
机に消しゴムのカスが多少残っていたので、手のひらにかき集め、出入り口へ向かうついでにすぐ近くにあったゴミ箱に捨てた。
「よし、行くか」
「うん!」
ゴミを捨てたその場から、そのまま出入り口へ向かうと、ほんの少し後ろにいた楓はぴょこぴょこと追いついてくる。
「いやー、疲れたねー」
「ああ、早くテスト終わってくんねえかな…」
お互い疲れているからか、ぐだぐだとした会話をしながら公民館を出て帰路についた。
「あ!あれ祭里ちゃんじゃない?」
「おお、ほんとだ」
住宅街の、車がギリギリすれ違えるかというぐらいの狭い道をぼけーっとしながら歩いていると、隣の楓が急に声を上げた。
楓の声にビクッと反応しつつ、少し先の方を見ると、突き当たりのT字の交差点のところに、祭里がいた。
一緒に、もう一人女の子がいた。二人は立ち止まって、仲良さそうに話している。
辺りは暗いが、二人はちょうど街灯の側の位置にいたのですぐにわかった。
こちらには気づいていないようだ。
「誰か一緒にいるね。誰だろ…」
「あれは……」
見覚えのある女の子だった。
今朝、スクールバスで隣に座っていたあの子だ。
この前の帰りのバスでも隣に座っていたし、スーパーで落とし物を拾ってくれたりもした、あの銀髪の女子生徒だ。
祭里と知り合いだったのか…
うちの子にもやっとお友達ができたのね…あらやだ、嬉しくてつい涙が…ぐすんぐすんっ
「あ、バイバイしたみたいだね、声かけようか!…って、なんで泣いてるの!?」
「だって…うちの祭里ちゃんにもやっと友達ができたから…嬉しくて…」
「祭里ちゃんこれまでだって普通に友達いたでしょ…」
お喋りにひと段落ついたらしく、二人はバイバイとお互い小さく手を振って別れた。
「おーい祭里ちゃーん!」
楓は大きく手を振りながら、一人になった祭里の方へ駆けて行く。
その後に続くように、歩いて向かった。
「え、楓さん!?お兄ちゃんも居たんだ!」
「今一緒にいた子は?」
「同級生の友達だよ!今日仲良くなったの!」
あ、そうなのか。前から知り合ってたわけではないのか。
「あ、お兄ちゃん学生証落としたでしょ。あの子が今朝のバスで拾ってくれてたよ」
「え、まじで?」
ゴソゴソとカバンの中を探してみるが、確かに学生証が見当たらない。
「あ、ほんとだ。ないわ」
「もー、何回落とし物するの」
「いやー、うっかりしてた…。拾ってくれてありがとうって伝えておいてくれ」
「もうっ!」
あの子、また落とし物を拾ってくれたのか。
なんだか申し訳ないな。
…いや待てよ、今朝は確か、あの子が先にバスを降りていったよな…。
状況がよく分からなかったが、飛び出すように去っていったよな…。
それなのに、バス内で俺の落とし物を拾ったのか…?