01 セルフ公開処刑
ぶっっっ
屁をこいた。
周囲の凍りつくような視線が一気に俺に集まる。
数学の授業中、先生の声だけが聞こえる静かな教室で、俺はまあ盛大に屁をこいたのだ。
しかし羞恥心はない。こんなのただの生理現象だ。誰にだって起こることだろう。恥ずかしくなるわけがない。
周りのクラスメイトたちのヒソヒソとした声がはっきりと聞こえてくる。
「え、今の柏山くん?」
恥ずかしくなんて、
「ちょっとかっこいいかもって思ってたのになんか残念、ないわー」
ないっ……
「ちょっとやめなよ、かわいそうだよ」
っ………
嘘だ。死ぬほど恥ずかしい。なにこの地獄。穴があったら入りたい。自分の肛門に入ろうかな。そうだ、それがいい。そうすればおならも出ないし一石二鳥!あらやだ私、頭良いわぁ。
しかしまあ、周りからのヒソヒソ声が地味にグサグサとくるな、どうすっかなこれ。
とりあえずヘラヘラとし、周りの陽キャたちのいじりに愛想笑いをしておいた。なんともまあみっともない様だ。泣きたい。
×××
柏山史郎は普通の高校生だ。いや、普通の高校生だった。たった今「屁こき野郎」というレッテルを貼られたが、それ以外は至って普通の男子高校生なのである。
×××
授業中での一件後、俺は地獄のような時間を過ごした。周囲からいじられるだけではなく、近づくと嫌な顔をされたり、ケラケラと笑われたりした。永遠にも感じられる時間を過ごし、ホームルームが終わると同時に逃げるように教室を後にし、昇降口へと向かった。
この完全アウェイな空間は耐えられない。今日のところは早く帰ろう。上履きを履き替える時間も煩わしい、急ぎすぎてローファーの踵を踏み潰したままだが、そんなことは気もせず帰路に着こうとしたその瞬間、後ろから「おーい!」と声がした。
「しろー!ちょっと…待ってよ……!」
振り返ると、慌てた様子の江ノ島楓がこちらへ向かって駆けてきていた。俺のもとへ着くと、なぜか俺の肩に手をかけ、ぜえぜえと息を切らせていた。
いや、そういうボディタッチやめてくれないかなほんとに、嬉しすぎるし勘違いしそうになるから。あ、緊張してきた。
こほんっと一息ついて冷静を装う。
「なんだ、楓か」
「なんだってなんだ!」
「今日は委員会の当番は無いのか?」
楓と俺は環境委員会に所属している。定期的に当番で、花に水やりをしたり、ゴミ出しをしたりする。
「今日はないよー…ってだから、なんだってなんだ!」
…いやそこそんなに食いつく?
「いや、ホッとしたんだよ。ほら、楓は幼馴染だからさ、お母さんと同じくらいの安心感があるんだよ」
「私がお母さん……!ちょっと…気が早すぎない?」
……何言ってんだこいつ。
「はいはい」と適当にあしらい、俺は踏み潰したローファーの踵を直し、再び歩み始める。
「あ!ちょっと!」
楓は急いだ様子で上履きを履き替え、俺に追いついてきた。
「もーなんで先に行っちゃうのさ!」
「今日はあんなことがあったからな。早く帰って泣きたいんだよ。」
「泣きたいの!?まあそっか、今日はいろいろ大変だったもんね…」
「ああ、ほんと、最悪だよ…」
楓は幼馴染である。男友達のように仲が良く、昔から楓の前でオナラをすることはよくあったので、こうして腹を割って今日の話をすることもできる。
「みんなひどいよねー。あんなに言うことないのに!」
「楓は俺のこと馬鹿にしないのか?」
「史郎がおならするなんて日常茶飯事でしょ。今更馬鹿にしたりしないよ!」
ああ、なんて良い奴なんだろう。幼馴染が天使に見える。
「にしてもあんな人前でオナラなんてよくできるね。恥ずかしくないの?私だったら恥ずか死ぬわー…転校したらどう?」
ああ、なんて酷い奴なんだろう。幼馴染が悪魔にしか見えない。
「あの、もう勘弁してください。」
「え…あ、あー!冗談だよ冗談!今の本気じゃないから!ごめんね……」
「お、おう……」
嘘である。俺が軽くダメージを負っているのに気付いて弁明してきたが、こいつは純粋で正直が故に、うっかり無自覚で俺に精神攻撃を仕掛けてくることがある。今のはきっと本音なのだろう。
「ま、まあみんなそのうち忘れるよ!きっと!」
「だと良いんだがなー……」
×××
リビングのソファーで横になり、スマホを弄っていると、「ただいまー」とお兄ちゃんが帰ってきた。
なんだろ……元気がないような…?どことなく落ち込んでいるように見える。……気になる。
「お兄ちゃんなんかあった?」
「ん?あー…別に」
「いやそれ絶対なんかあったじゃん!なになに、何があったのか妹に話してごらん」
「いや、いいって…」
「もーなんだよー!あ、もしかして失恋?失恋したのかな??」
「…」
「え、まじ?……なんかごめん」
「いや違くて……授業中にオナラしちゃったんだよ」
……心配して損した。そうだ、お兄ちゃんはそういうやつだった。
「しょーもない!そんなことで勿体ぶるなクソ兄貴!」
「祭里ちゃん、お兄ちゃんはクソまではしてないぞー。オナラだけだ」
「そういう意味で言ったんじゃないわ!」
「とまあ、そういうわけで今日お兄ちゃんは心に深い傷を負ったんだ!…ほんと、最悪だったんだよ……」
ふざけながらも、お兄ちゃんは深いため息をついた。
あ、意外と深刻そう。お兄ちゃんがここまで落ち込むなんて珍しい…
「ま、まあ、お兄ちゃんがオナラするなんて昔からよくあったじゃない!今更気にすることじゃないよ!」
「でも、あんな人前で、みんなの前でオナラするなんて恥ずかしすぎるだろ……みんなに注目されて、冷たい目で見られて、馬鹿にされて……すっごく大変だったんだぞ」
「そんなのすぐにみんな飽きるって!明日にはみんな忘れてるかもよ?」
「いやいや、さすがにそれは早すぎだろ…」
「とにかく!そのうちみんな忘れるって!」
「そうかなぁー……」