05 三回目のループ。ユナエリと学校を出る。
【毎日昼の12時と夕方の18時の2回更新します】
……確かにユナエリがいうようにオレのパンツは赤いトランクスだったよ。でもさ、今朝はいたパンツの柄なんか覚えているか、ふつう?
他の人は知らないが少なくともオレはいちいち覚えていねえぞ。
「あなたが自分で書いたんでしょ。今朝は赤いパンツをはいているって。……いつの間にか、あたしの日記帳に。汚い字だし。すごいバカ」
「……オレが? ……お前の日記帳にだと?」
意味がわからんことをいいやがった。
ユナエリがいうには以前のループのときに、オレは更に「オレは入学式とか卒業式とか、なんとか式という大事なときには、必ず新品のパンツを卸すようにしている。だから間違いないはずだ」なんてことをいったらしい。
ホントかよ?
でもさ。……やられちまったよ。
降参だよ。
それは確かにオレです。オレは勝負時のときは必ず新品パンツなんです。
……はい。
このときオレはユナエリの話を半分くらいは信じていいと思い始めた。そしてオレが書いたとかいうユナエリの日記帳を確認することになったのだ。
■
互いのパンツ騒動のあと、オレとユナエリは学校を抜け出した。
今頃は部活見学も終わってクラスメートたちは教室で終礼の最中に違いない。
そしてバス停でバスを待っているときのことだった。
「あのさ、このまま帰って先生にバレたら、ちょっとややこしくなるんじゃねえのか?」
「バカ。どうせまたループするんだから、みんないちいち憶えているわけないでしょ?」
……そうなのか?
「そうなの。さっきまでのあなたのように、みんな同じ一日がぐるぐる繰り返しているなんてことはね、それこそそこらではいずり回っているイモ虫の毛先ほどにも、気づいていないのよ」
ユナエリは得意げだった。
「あのさ、ちょっと気になったんだけど」
「なあに?」
ユナエリはオレに向き直る。
そして目をきらきらさせて、その細いフレームのメガネ越しにまっすぐにオレを見上げてきやがった。
……こいつ、目まですげーきれいなんだな。どきっとしちまったぞ。
で、オレはちょっと気がついたことを、いった方がいいのか、いわない方がいいのか、少しばかり迷っていた。
「ねえ、なにが気になるのよ? なんか時間ループで気がついたことがあるの? それともなんか大事なことでも思い出したの?」
「いや……。どうでもいいことかもしんねえから、いいや」
「な、なによ。いいなさいよ。気になるじゃない」
「いや……。ホントにどうでもいいことだぞ?」
「いいわよ。もしかしたらさ、とっても大事なことかもしれないじゃない? ねえ、それこそどんなに細かいことだっていいんだからさ」
と、いわれたのでオレはけっきょく口にした。
「ホントにどうでもいいことだと思うんだが、まあ、いい。
あのさ……、イモ虫にさ、毛があったら、それは毛虫ってんじゃねえのか?」
「……」
ユナエリの真っ白な頬にさっと赤みがさした。
まつ毛が下がり目には暗い影が生まれた。
「……いや。オレは昆虫博士ってわけじゃねえから、そこらの分類ってやつをはっきりとはわかってねえんだけどな」
「……こ、細かい男。そういうのって女の子に嫌われるわよ」
「な、なんだよ。どんな細かいことでもいえっていったのはお前だろが」
「バカ。……なによ、それ。
……そりゃあたしはどんな細かいことでもいいっていったわよ。でもさ、なんなのそれ? やっぱりあなたは、しょせん赤パン野郎なのよ」
「な、なんだよ。そんなこといったらお前だって水色パ……。……ぐえっ、痛え」
頬をつねられた。
すげー早業だ。まるでオレがこの場面で水色パンツって口にするのを事前に知っていたみたいに素早かった。
「あなた家族は?」
「ば、ばあちゃんと両親と姉貴と妹……」
……か、家族が関係あるのか?
「じゃあ家族に女が四人もいるんでしょ?
……教わらなかったの? 女に恥をかかせるやつは七代までたたられるって」
……知るかっ!
……って、それをいうなら、坊主を殺した場合じゃないのかよ?
「まあ、いいわよ。バスも着たし」
……なにが、いいんだって? くそ。
オレがひじょうに痛む頬を押さえているとバスがのろのろと丘を登ってくる姿が見えた。
そして乗り込むと車内はがらんとしていた。
まあ、考えてみれば、この路線はオレたち通学客がメインなんだから、真っ昼間のバスはどこの席でも座り放題なのは当然だろうな。
で、オレはいちばん前の座席に座ったわけなんだが、ユナエリに耳を引っ張られた。
「なんだよ」
「あっち。せっかく後ろの席が空いているんだからさ」
……この席だってせっかく空いていたんだぜ。
「横に並ばなきゃ話ができないでしょ? もう」
鼻をおっぴろげてため息をつきやがった。
「わかったわかった」
オレは先行くユナエリの背を追って最後尾の席へと向かった。そして横並びで座ったのだ。
バスが走り出した。
ユナエリは窓際の席で流れゆく景色をぼんやりと見ていた。
「あのね。四月六日が繰り返される中で、異変が現れているのは、あなたとあたしだけなの」
ああ、さっき聞いた話のことか。確かオレとユナエリだけが着るべき制服と通うべき高校が違うって話だったな。
「ああ」
返事をしてみた。
でもな、……お前はオレがすっかり信じた気になっていやがるが、オレはまだ半分ってとこなんだぞ。
「どうして、あなたとあたしなんだろ?」
「さあな」
「……」
もしもの話だが、オレはこの話が実はぜんぶうそでもいいんじゃないかと思い始めた。
もしユナエリがうそをついていたとしても、このままだまされたままでもいいんじゃないかと考えていたんだ。
そりゃあ、……性格には難があるけどさ、でも、この美人のユナエリと肩を並べてバスに乗るってのも悪い気がしないもんな。
街に出た。
平日の真っ昼間なので、さすがに制服姿の高校生ってのはオレとユナエリしかいなかったが、街はとにかく人であふれていた。
まあ、この陽気だしな。
そしてオレはもうユナエリに振り回されるのをあれこれ考えることに麻痺していた。
……もう好きにしてくれ、って感じだ。
見ると、国道は道路自体が実は駐車場なんじゃないかと勘違いするほど大渋滞していたし、駅は電車からあふれた人で混雑しているし、歩道では信号が青に変わると人々が次々と歩き出す。
だがユナエリがいうには、それも、これも、あれも、ぜんぶ、時間ループの繰り返しだというのだ。
四月六日というまったく同じ一日を、毎度毎度まったく同じ時間にみんな同じ行動を取っているというのだ。
ずーっとずーっと同じルーチンを繰り返すコンピュータプログラムのように、飽きることなくただただ繰り返しているらしい。
だが街で動いているのは人間だ。
……腹は減らねえのか? ……眠くならねえのか? っていうか、年は取らないのかよ?
「そのあたりは、どうなんだ?」
「そのあたりは、あたしにもよくわかんないのよ」
ユナエリはしばし考え顔になる。
「うん。たぶんだけどゲームと同じなんじゃないの?」
……なにが同じなんだ?
少なくともオレには魔物やモンスターなんぞ見えやしないぞ。
ま、突然現れたらそれはそれで困るんだけどな。
「違うわよ。ロール・プレイング・ゲームの世界と同じ、ってこと。
……つまりゲーム機のスイッチを入れるじゃない? そしてセーブポイントから再開して、しばらくプレイするとするじゃない?
そしてそのままセーブしないでスイッチを切るのと同じ、ってことなのよ」
「……なるほどな。
つまり、同じセーブポイントから繰り返し繰り返し再プレイをしつづけている状態って、お前はいいたいんだな?」
ユナエリはこくんとうなずいた。
つまり……、四月六日という延々と繰り返されるゲーム世界のゲームキャラに過ぎないオレたちには、物理的な時間経過は関係ないといいたいらしいのだ。
「じゃあ、その時間ループ・ゲームとやらをプレイして、気に入らないバッド・エンドになっちまうと、セーブしないでスイッチを切っちまう、そのとんでもないバカ野郎的な存在がいる、ってことになるよな? お前の話だと」
「うん。……そうなるんだと思うけど?」
「……いったい誰なんだ? その大バカ野郎は?」
オレは足を止めた。するとユナエリも数歩先で止まり振り返る。日の光を浴びた栗色の長い髪がふわっと、ひるがえった。
「わかんないに決まってるでしょ。
……わかってたら、こんなとこで学校さぼってるわけないでしょ。……でも」
オレは数秒、それに見とれた。
「でも? ……でも、なんだよ?」
「……これは、あたしの仮説なんだけどね。あなたがいう、その大バカ野郎っていうやつは、……あたしたちと、そう遠く離れた存在じゃないんじゃないかと思うのよ。……うん。きっと間違いないと思うの」
「なぜだ? なぜ、お前はそう思うんだ?」
訊いてみた。
「だって、あなたとあたしだけだからじゃない。
……ここにこんだけ大勢の人たちがいて、今日が繰り返されている、ってことに気がついたり、着ている制服と入学した高校が違うのも、あなたとあたしだけなんだし」
……なるほどな。確かにお前の仮説には同意できるところは、あるな。
そうでなけりゃ、オレとユナエリという特定の二人だけに、こういう変な展開が起こるなんてことは、そうそうありゃしないだろうしな。
……だがな、オレにはお前がいう四月六日という一日が、延々と繰り返されている、っていう記憶はぜんぜんないんだぜ。
「で、ユナエリさん的には、どういう条件になったら、この時間ループのゲームはクリアできると考えているんだ?」
「あたし? ……そうね。おそらく、たぶんなんだけど、あたしたちの着る制服と、通う高校が一致すれば、このゲームはクリアできるんじゃない? よく、わかんないんだけどね」
「……」
確かにな。
このユナエリのいうゲーム終了の条件ってやつには、オレもすなおに同意してもいいかな、と思った。
「でも変よね。……今ここでこうして、あたしたちが話していることを、きっと前回の時間ループでも、あたしたちは話していたことになるんだから」
「そ、そうなのか?」
「決まってんでしょ。着ている制服は違っても、毎回毎回、同じ日を繰り返しているんだから。
でもね……、そりゃあたしだって、以前の時間ループで起きたすべてを憶えているわけじゃないけどね。でも、……部分部分だけなんだけど、憶えてることはしっかり憶えてるんだし」
「憶えてる?
……じゃあ、この先にオレたちがなにをいって、どんな行動をしたか、ってことも記憶してる、ってことかよ?」
それじゃお前、まるで……予言者みたいじゃねえかよ。
「違うわよ。
だから、いったでしょ。……細かいところまでぜんぶきちんと憶えてるわけじゃなくて、時間とか場所とかは少し違ったりするんだけど、似たようなことを話したな、とか、あなたとこんな風景を見たな、とか、だけ」
「デジャビュってやつか?」
「うん、ま、そうともいえるんだけど」
……デジャビュっていうなら、それは、単なるお前の思い過ごしってやつじゃねえのか?
「でもね。わかっちゃうんだから、しかたないのよ。……あ、前にこれと同じ体験をした、って、その直前でピーンと、わかっちゃうんだから」
……ホントかよ?
「しょ、証拠はあるのか?」
するとユナエリはニヤアといたずらっぽく笑った。
「さっき、あなたが毛があるならイモ虫じゃない、って、いったでしょ?」
「ああ」
確かにオレはいったな。
するとお前はオレのことを細かい男だの、七代までたたられるだの、と、わけがわからんことをいいやがったはずだ。……だが、それがどうした、ってんだ?
「あのときね、あなたがね……。……。……」
……なんだ、こいつ? 突然赤くなっちまったぞ。
……それに口の中でなんだかごにょごにょいってるし。大丈夫か?
「オレが、いったいどうしたんだ? 悪いがいってくれないと、その証拠とやらも、ぜんぜんわかんねえんだけどな」
するとユナエリは決心がついたみたいで、キッと顔をオレに向けた。
……顔は赤いままだけどな。
「……パンツ」
「は?」
……今、なんていった?
「パ、パンツ。……あなたのパンツのこと。さっきあたしが勢いで、あなたのことを赤パン野郎っていったでしょ?」
「ああ。いったな」
「でしょ? そ、そしたら、あなたはあたしのことを……み、水色……ごにょごにょ、って、いおうとしたでしょ?」
ああ、思いっきりつねられたけどな。ちなみにその、ごにょごにょ、ってのはパンツのことだよな?
「あんとき、あたしはあなたがそういうって、直前になってピーンと感じたの。だからつねったのよ」
……それはさすがに違うんじゃねえか? あのときは売り言葉に買い言葉で、お前がオレを赤パン野郎っていったら、オレがお前を水色パンツっていうのは、状況的にあり得る話じゃねえかよ。
「だって早かったでしょ? あたし」
「あん?」
なにが、だよ?
「あなたが……水色……ごにょごにょ、って、いい終わる前に手が出たでしょ?」
「……っ!」
うそだろ?
……でも、確かにオレがいい終わる前にお前は手を出していたよな。
いわれてみれば、あれはオレがその瞬間に口にする言葉がわかったいた、とも考えられないこともないか。
……んなバカな。
行き着いたのはユナエリが住む新築マンションだった。
地上二十階建てで入り口を抜けると大理石のぴっかぴかの床と体育館なみに広い玄関ホールがあった。
そして石材の壁面は、すべてたいそうな彫刻されていたんだが、前衛アートすぎてオレには価値も意味もわからんものだった。
壁のすみには制作者のヒゲ面の顔写真とご立派な経歴が金属プレートになって埋め込まれていた。
で、この作品はかなり著名な芸術家の手によるものだとだけはわかったんだが、巨大で目が回りそうな渦巻きを二十や三十もランダムで描いたようなものを、どう理解したら「明日への時間」というタイトルと結びつくのかが、オレにはどうしてもわからんかった。
よろしければなのですが、評価などしてくださると嬉しいです。