第一章(後半) 訳
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本来あったであろう青空は全てを黒一色に染めあげる曇り雲に包まれ、その下の大通りは赤一色に染め上げられていた。
「今回は二十人、かなり手こずったな」
「被害もまぁまぁ出た。お互いにな」
数分前、拳怒組が経営する店舗の一つに襲撃た鉄根組の組員と戦闘状態に入り、やっとの思いで事態をおさめた春野は頭を搔き、希石はフルーレを腰に掛ける。
この交戦含めた拳怒組と鉄根組の激突はは、第八代拳怒組組長が亡くなってから始まったとのことらしく、今のところ決着の兆しは見えていない。
この街で一番の組を名乗るだけあって、戦闘用組員の数はかなり多い。
組長に聞くところ、鉄根組は戦闘用組員だけでも三百を超えているとのことだ。
「ふう〜、春野ハン。もう疲れたっすよ、ほんま勘弁してほしいですわ」
そう春野の横で弱音を上げたのは春野が若頭となってから彼の側近を名乗るようになった男ーーー亜嗣賦巳だ。
「お前、仮にも俺の弟子名乗んならもっと体力つけろよ。じゃねぇと元いた溝掃除に」
そう脅し混じりに賻巳を叱っていると。
「春野ーーッ」
商店街方面から『仲間』の声が聞こえ、二人は頭を後ろに向ける。
本部近くの経営している店舗の防衛に成功したらしい禍緒州と数人の組員が、こちらに駆けて向かってきた。
「ありがとう春野。組員をたくさん回してくれたおかげで楽に終わらせれたよ」
「二十人ぐらいなら魔法持ちでも楽勝だ、礼は言わんでいい‥‥‥それで、負傷者は?」
「さっき一人が刃物で刺されて病院に運ばれたところ」
「‥‥チッ、被害も日に日に増えてやがる。こっちから決着済ませないとな」
「それもそうだが、今は赤字続きの三番通りのスイーツ屋をどうするかだ。できるだけ早い問題の解決をしなければな」
そう、希石が言った通りだが、現在この組は経済的問題を抱えており、立ち上げた店舗の所々が破産倒産寸前なのだ。その解決と立ち直りを、入りたての春野が任せられている。
「何かいい案が出るまで、今はバイトでもなんでもいいから店員を増やして保たせるように回しといてくれ。特に女のな、ヤローばっかだと客も来ねぇからな」
「だが、店の整備も整っていない。ここで仕事をしたいとは思えないだろう」
それを聞いて春野は重々しく息を吐き、コートのポケットから愛用のサングラスと白帽子を取り出し、掛ける。
「しゃあねえ、今月黒字だった焼肉屋へミカジメに行くしかねぇ。禍緒州、希石、賦巳、行くぞ」
午後五時。
市役所近くに建てられた、春野が二代目のオーナーとしての焼肉屋につき、副担当者から金を受け取った後、もう夜時ということもあったので、ここで夕食を取ることにした。(ちなみに今回は給料日前の春野のおごり)
「いいんすか?春野ハン‥‥給料日前やのに‥‥‥」
「べ、別にいいぜ。この組に入ってから月給は前より二十倍は膨れたからな‥‥‥一、二万、ふっとばしてやる。それにお前体よわっちいからな、体に肉をつけろよ」
痛い所をつかれて苦笑を浮かべる賦巳と、無理矢理笑顔を浮かべている春野を見て、姉妹共に笑いを上げた。ふざけんなというかのように春野は禍緒州の頭部を引っ叩く。
そこで丁度、春野の注文したカルビや牛タン、牛すじが運ばれてきた。
「いやはやしかし、自分で好みの肉を焼くだなと斬新なシステムだな」
「俺がいた街(世界)じゃ普通のシステムだったんだがな」
そう返しながら、春野は別で注文した焼き鳥を金網から取り上げ、タレに漬け込んで味を染み込ませている間、先日退職したアルバイトの女性店員の誓約書に目を通す。
「チッ‥‥一ヶ月早くやめやがって」
「まったくだな。早めに店の整備を整えないと、さらに店員も客足も減るぞ」
「今は給料増々にしてるからいいけど、こっちが損するばっかりだからね」
そう言いながら、焼き上げたカルビを白米と共に流し込み、禍緒州は足元に置かれた銀製のバッグーーー二億円に目を向けた。それに釣られるように春野も足元に目を向けて、どうしようもないため息をつく。
「‥‥‥今は食事の時間だ。問題は後に回して、食事を楽しもう」
「‥‥それもそうだな」
経済的問題、人手不足、暴力団抗争、それらの問題から一度目を背け、春野はいつの間にか焦げていたカルビを目にして、トングで鉄網の上に乗っけたままこすりつけた。
「‥‥‥ずいぶんと降ってやがるな」
焼肉を食べ終えてから十分が経過した頃。
今の季節が梅雨ということもあってか、随分な量と大きさの雨粒が空から降り注いでいた。不幸なことに、四人もいる中で誰も傘を持ってきてはいなかった。
そんな雨の中を、春野らは先程まで雨に打たれるも、なんとか雑貨屋を見つけてそこで買った傘を手に、大通りを歩いていく。
向かう先は春野の実家。
実の所、春野が異世界で裏世界に戻って若頭になった日から、前若頭の実家である事務所に住んで、組の指揮を取ることになったのだ。
そこでは数人の部下が寝泊まりをしており、タダで泊まらせてやる代わりに家事などをしてもらっているのだ。
雨でぼやける街並みに目を向けてみると、頭を抱えながら走るずぶ濡れの人がよく見られた。
おそらく、彼らも春野たちのようにこの大雨を予期できなかったのだろう。
「いやー危なかったっすね。もう少し見つけるのが遅かったら俺らも完全にずぶ濡れでしたよ」
そんな面白いというわけでもない賦巳の言葉を横目に、春野と姉妹は傘もなく走る人々に目で声援ならぬ目援を送っていた。
そんな時だ。
「んーー?春野ハン。部下がなんか事務所前で群がってますよ」
「あ‥‥?」
賦巳にそう声を掛けられたので、事務所がある方向に目をこらすと、確かに数人の部下たちが小さな何かを覗き込むかのようにその周りで見ている。
何事かと春野は、自分で持っていた傘を賦巳に押し付けて、残された三人よりも早く濡れ続ける道路を踏み込み、その元へ駆け寄った。
「おい覇武、何事だ?」
「ーーー春野さん」
春野のもうひとりの側近であり補佐でもある丸刈りの男、覇武に何事かと尋ねると、ただ覇武は自分の足元にあるものを目で指した。
ーーそこには、縮こまっている少女が転がっていた。
俺と同じ銀に輝いていたはずの髪は、泥や垢で薄汚れていて、誰かが捨てたものなのだろうボロボロの雨が染み付いた布団をその汚れが見えぬ身に纏っている。
おそらく歳は十四程なのだろうが、弱りきっているその姿はさらにその少女を若く見せた。
そして、再びその姿を見て、覇武はお手上げだと言わんばかりの目を俺に向け。
「この女、いつの間にかここにいて、まったく動く気配を見せないんです」
「‥‥‥‥要は、死んでると?」
「おそらくですが。ですが、私の憶測としては生きているかと‥‥‥」
「‥‥‥‥」
そこで追いついた姉妹と賦巳が傘をさしたまま、俺の背後からその少女の姿を見て悲しげに目を伏せる。それをよそに、俺は少女の前に膝を付き、首筋に手を当てる。
だが、この雨の中だ。
体温があるのかどうかすらまったく周りの音と温度のせいでこの少女の「命」を感じない。
ーーが、事態は周囲に怒りを覚える前に動いた。
「‥‥‥‥‥っ」
少女が、パチパチと瞼を開けたのだ。勝手な考察だが、手のひらを通じて体温が届いたのかもしれない。
「生きてたか‥‥‥‥覇武、賦巳、そこらへんの店で惣菜を買ってこい。あと、パンもだ。」
「わかりました」「へ、ヘイ春野ハン!」
物静かな覇武と慌ただしい賦巳が、それぞれの方向へ雨の中を走り出した。
「‥‥‥‥‥」
もし、俺がこの少女を中へ入れようとするならば、様々な問題が発生するのだろう。
ヤクザが女を、それも少女を中へ入れ込むということはそういうことだと世間からそう思われているからだ。
ーーーだが、俺はこの少女を見捨てるなんで、無理に等しかった。
きっとこれを聞いた全員が俺のことを偽善者と非難するだろう。
だが、これには本心からの思いと行動だ。
‥‥‥訳は、長い話になるが。
ーーー表社会と裏社会は同じようなもの。
その想いを俺の中で根付かせたのは母親のせいだ。
俺の母親は率直に言えば極悪人だ。
財力がある者の金を手に入れ、国会議員になるために俺の父親と結婚したのだ。
無論。そんな関係で生まれた俺は母からロクに受けいられずにいた。
だが、父は違った。
俺の父は僅かな休日に時間を作って公園や遊園地に連れて行ってくれたり、俺が小学生になってからは夜遅くまで勉強を教えてくれたーーーーそんな心優しい父親であり、俺が憧れる人だった。
あの頃の俺は絶対に闇に墜ちず、心優しいあの父親のようになろうと、そう決めていたーーーそう。
ーーー俺が九歳の時、父親は交通事故で死んだ。
そんなことが起こったにも関わらず、母親は目にも止めず、すぐに別の男と結婚した。
ーー俺はもうやってけなかった。
この母親の行動はすぐさま世間で問題視され始め、その地位が崩れ始めた頃に、俺は家を飛び出した。
十二歳の時には酒を飲み、タバコを始め、次の年からは暴力沙汰の事件を起こした。
最初は母親の信頼を崩すのと、俺の辛さを知ってもらうためにやっていただけだったが、いつの間にか俺の存在は街の暴力団から一目置かれるものとなっており、十五の齢に、俺はヤクザの一員となった。
裏社会の住人となって様々な事件を起こし、警察の目を掻い潜る人生を送る中でも、父親が俺に残してくれた事は忘れることはなかった。
きっと、母親と違い、確かな地位を残した父親は、その心と人との付き合い方を俺に継いでくれたから、今の俺はいるのだと思う。
だから、この子のように孤独に震えるやつがいたら助けたい。いや、助けずにはいられない。そう父親に憧れたかつての俺がそう言うのだ。
だから、俺はその子の頭上に他の部下から受け取った傘をさしてやった。
「‥‥‥誰、ですが。‥‥‥あなたは?」
「ヤクザだーーーそれも、若頭系の」
「傘、くれるんですか?」
「それぐらいならくれてやるが‥‥‥‥なんでこんなところにいる」
俺が掛けた問いに少女はしばらく黙り込んだあと、絞り出すかのように呟いた。
「‥‥‥‥私は、ある方の従者だったのですが‥‥‥先日、いらないからと捨てられて、それでーーー」
ーー少女は、胃の中のものを吐き出した。
吐き出した胃液は透き通っていた。
‥‥それだけで、彼女が何日もこの生活を続けていたということは明確だった。
今、俺や姉妹、部下たち以外にもこの事務所前を通る者はいるが、何事かと見るだけで、すぐにその場を去っていく。ーーそれだけで、怒りが湧き出てくる。
「‥‥‥すいません、こんなみっともない姿を見せてしまって。‥‥それに、ここは貴方方のお家の前でしたよね」
「気にすんなーーーーお前、うちで働く気はあるか?ぜひともお前も救いたい。俺の所に来ると言うなら美味い飯も寝床も用意してやる」
‥‥‥それを、少女は疑うを込めた目で拒絶した。
「‥‥下心があるんじゃないかって目だな。‥‥わかるぜ」
「‥‥‥」
「なら、こいつだけでも受け取れ」
俺はコートから余った給料と持ち帰った焼き鳥を少女に押し付け、そのまま事務所の扉に手をかける。
が、そこで我に返った少女が叫ぶ。
「なんでですか!?私は赤の他人ですよ!」
「そうだな。俺とお前はなんの関係もねぇ、ただの他人だ」
「‥‥‥‥なんで‥‥‥」
少女は未だこちらを疑う目と声で、こちらを見る。
ーーそこで、俺は少女から興味を無くさせる。
「用はすんだろ、じゃあな」
「なっ‥‥!?おい春野っ!?」
そうして俺は姉妹を事務所の中に押し込め、少し強めに扉をしめた。
「春野!なぜ説得をしなかったのだ!あのままではいつか死んでしまうぞ!お前はそんなやつでは‥‥!」
「ーーどうせ、すぐに来るさ」
「‥‥なに‥‥?」
憤慨に言葉を突きつけてくる希石に見えるように、俺は顎で玄関に指して、そのまま踵を返す。
廊下にぶら下がるランプに火を灯し、コートを脱ごうとしたときだ。
ーーコッコッ。
「ん? 春野、誰か来たみたい」
「ーーーまさか、春野っ」
短く響いたノック音を聞いて、それぞれの反応を見せる姉妹を放っておいて、俺は再び玄関に向かった。
ドアノブに手をかけ、扉を開くとーーーあの少女が傘を差し出した。
「ーー返します、この傘」
「やるって言ったろ、さっさとーー」
「大丈夫です、ここで働きますので」
『ーー』
俺の後ろに立つ姉妹はしばらくの間、俺と少女を交互に見ていたが、やがて希石は俺の肩に掴みかかった。
「春野っこうなることを予期していたのか!?」
「‥‥まぁな」
そして、俺は少女の前でしゃがみ込み、その顔を見据えて。
「‥‥‥なら、今から風呂入ったあと、飯食ってもらうが‥‥その前に、名を聞かねぇとな。俺は川尻春野だ、お前は?」
「ーー神華鏡朔刃、です」
ステータス
戦塚希石 破壊力「B」・スピード「A」・スタミナ「A」・攻撃距離「E」・知力「A」・魔力「B」・精神力「A」・防御力「B」・耐久力「B」・体力「A」
戦塚禍緒州 破壊力「B」・スピード「B」・スタミナ「C」・攻撃距離「A」・知力「C」・魔力「B」・防御力「B」・耐久力「B」・体力「C」