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第一章 皇帝ノ封紙

           1


「いらっしゃいまーー」


「‥‥‥‥」


俺が店内に入ったと途端、同時にたまたま目の前にいたエプロン姿の店員がこちらに振り返りーーあんぐりとした顔を固めてその場所から春野の横を通り過ぎるように外に逃げ出した。


その店員と同じようにして、店に置かれた席に座っていた客の大部分も、注文した品も忘れて逃げ出していく。


それをあえて気にせず、席に腰掛けて店員が注文を聞きに来るのを待ってみるが、店内が静まりかえった今では、誰も俺のところには来なかった。


厨房の方に目を向けてみれば、五人の残った店員が必死の形相で互いを説得し合っていた。


結局のところ、一人の女性店員が向かってきてはいたが、視線を俺と望んで向けようとはせず足取りが怪しかった。


歓迎されていない、そうとしか思えなかった俺は帰ることにした。



ーーー《懐刀》暗殺未遂疑惑もあった。



『魔王軍の最大勢力ともいえる第一、第二の幹部を倒しながらも、その功績を上げることもしない!これは架空の話ではなりません。社会から忌み嫌われていた春野かれは私達のヒーローとなったのです!』


今や、そんなことを言われるようになった。


第一幹部であるゼットを『倒したという認識になった』俺は、かつて思われていた国都を消滅させようとしているのではという疑惑や《国の懐刀》であるラベスタントを殺そうとしているという疑惑、街の人々(やつら)が持っていたそれらはほとんど霧散していた。


街を歩いていると所々で買い物をしていた主婦や路地裏を溜り場にした不良少年らが俺に気づくとそれぞれの反応を見せた。


主に、驚きや憧れの視線と言葉を。


それらは一ヶ月も前から発生しており、しばらくすれば自然と消えるものだと予想していたが、逆に日に日に熱意が増している気がする。


「じ、自分ファンなんス!弟子入りさせてください!」


「春野さんっ!ちょっと頼み事をいいかしら?最近うちの息子が」


「あれあれ春野ー、ひっさしぶり~!私だよ私ー!‥‥‥あぁ、私だいぶ変わったからわっかんないかもねー」


前者の反応に加えて、それを利用した犯罪も出てくるようにしてなった。それが出てくるようにしてなってから一週間後、俺は


「やっぱり見知った奴らしかいねぇ自宅ここはいいな。贅沢だが、飯も洗濯もしてくれるからな」


「春野さんは日頃頑張っていらしゃっているのですから、それぐらいは気にせずに休んでください」


犯罪に巻き込まれないための保身、組長からの『自粛するように』という命令が重なり、事務所に籠もることになった。


「まぁ‥‥‥春野さんが私の所にいてくれるのですから、ずっとここで好きなように過ごされてほしいのですけどね」


「む、嬉しいこと言ってくれるじゃねえか」


適当に言葉を返しておくと彼女、朔刃は笑みを浮かべてからこうべを垂れて、残された家事をしに俺の部屋を出た。


『自粛しろ』という命令だが、実質的には長期間の休暇だ。しばらくは他の目から逃れて休みに浸かるとしよう。


ーーーと思ったが自分の顔の下つまり腹から鳴った情けない音に、俺は自分で顰めた。


「朔刃は掃除入っているし他の奴らは別の仕事‥‥‥出前でも頼むか」


ベッドの横に設置された丸机、その上に乗せていた黒電話。その受話器に耳を当て、ダイヤルに指を掛けた。その指を机に貼り付けていた出前屋の番号通りに回す。


「‥‥‥出前屋か?」


「あぁ、春野さん!いつもありがとうございます!今日は何にいたしますか?」


「そうだな‥‥お前らのおすすめにしてくれ」


聞き慣れた出前屋の店員の問いに俺は雑に思いついた言葉を返し、受話器を置いた。



「春野ハン、出前屋の奴が来てまっせ」


「ん」


注文をしてから三十分が経った頃、ノックの奥から現れた賦巳が僅かに汗を流した顔でそう俺に伝えてきた。


何気ないように返声をし、部屋を出た俺はどこか不自然な様子の賦巳に怪訝な視線を向けた。


それに賦巳は気づいていない様子だが、やはり不自然であった。


その様子にやがて玄関に着いた。


「ーーー」


そこで、俺は嫌な予感は現実かと確信する。


扉の奥から感じる気配。まるで嫌なものを見たかのような目をその扉に向ける賦巳。その賦巳に俺は忌々しいものを見る視線で睨みつけた。


それに賦巳は体をビクつかせ、手を合わせて大袈裟に、拝むように頭を下げてきた。それに俺は長々とため息をついて扉を開けた。


「ハァイ♪」


「‥‥‥‥‥だよな」


確かに目の前にいるのは馴染みある出前屋の店員『姿』だ。だが、その人物がその『姿』をしているのが意味が分からない。


馴染みある出前屋の制服を着たラベスタントの姿が、そこにあった。


しかも、その満面の笑みの下にある両手には、両手には、中身の入った丼が一つ置かれていた。


「どうやって俺が出前取ったことを知った?」


「ふふっ、この前春野が出前屋あそこによく注文をしていることを禍緒州が教えてくれてね、それから春野が注文してくれたならアタシが届けさせてもらうようにしてもらったのよ♪」


(次から変えるか)


そうは考えたものの、どうせこいつならすぐ情報を掴むのだろうな。どうしたものかと俺は眉間にシワを深く刻んで考えていると。


「ねぇ春野、食べないの?熱々な内に食べなさいよ」


「人のことも知らねぇで‥‥‥」


そう嫌味を込めてやった言葉を返してみるが、ラベスタントはどこから吹いた風と気にすらしていない様子。


いつものことかと割り切り、彼女から大ぶりの丼を受け取った。蓋を掴み上げてみると。


「カツ丼か。悪くねぇ」


「ふふっ、そうでしょ?実はあなたがこれを食べたがっているじゃないかとアタシがあの店にーー」


「やっぱ悪ィ判断だな」


「ちょっと春野!?」


無表情で訂正を返す俺にラベスタントは上擦った声で慌てた。


そのまま置き捨てて置くのもいいかと思ったが、それとは別に想う事がある。

 

「‥‥まぁ、届けてくれてありがとさん。悪ィ判断って言っても美味いことには変わんねぇだろうからな」


「あら、素直にお礼を言うだなんて‥‥‥ついにアタシに恋」


「中に入れねぇぞ」


青筋を立てた顔で言葉をぶつけてみるが、ラベスタントは可笑しそうに笑うだけであった。



「ふぅ‥‥やっぱり制服は嫌ねぇ。ここと軽装が一番よ」


「転がり込まれている身としてはたまったものだがな」


先程から嫌味と拒絶を宿した口調で会話を返す春野。その相手であるラベスタントは、いつの間にかあの制服から半袖のワイシャツにショートパンツという四肢丸出しにしたような格好でリビングに置かれたソファに寝転がり、雑誌に目を向けながらポリポリとビスケットを口に運んでいた。


こんな少女がこの国の経済を立てているだなんて、信じられない。


「おい居候、なんだってこんな所にいて楽しいんだよ」


裏の意味に『出ていけ』という言葉を込めた質問を春野が投げかけると、ラベスタントは『う~ん』とどこから色っぽく悩み考えて。


「純粋にここが落ち着くっていうのもあるんでしょうけど、なんだかんだ言ってあなたがここにいるからでしょうね」


「聞いた俺が馬鹿だったぜ」


悪戯そうな笑みと共に返された言葉から春野は身を背けて吐き捨てる。


そんな春野の元に、ラベスタントは何か思いついたかのような顔を浮かべて、トコトコと歩み寄る。


そのままそっぽを向く春野の耳元を唇で噛むように顔を寄せて。


「春野、いい加減照れ隠しはやめなさいよっ」


「照れてねぇ」


「なら、アタシなんかを助けてくれるハズないでしょ?」


「ーーーその人はただ知人を助けたいという想いで動いているだけです。勝手に思い上がらないでください」


勝利を確信したような笑みを露わにしたラベスタントの後ろから、呆れを含んだ低い声が掛かってきて、二人して振り返る。


そこに、風呂場の掃除を済ませたらしい朔刃の姿があった。


おそらくだが、彼女が『仲間』ではなく、『知人』と言ったのは、宿敵とも言えるラベスタントのことを『仲間』と認めたくないからなのだろう。


「それにあなたはこの人に借りを作り過ぎです。少しぐらいは返済したらどうですか?」


「返したいとは思うわよ。でもアタシのダーリン、お金も地位も欲しがらないのよ」


どこか不満気に唇を鋭くした顔でラベスタントは振り向くが、そこでは春野は二人の会話を無視して丼の中身に手をつけていた。


「まぁ‥‥春野さんは自らのまでには欲しがらない方ですからね‥‥‥それには同情してあげます」


「なんか、あんたから同情されるって変な感じね」


もっとも、春野の場合金をもらっても必要以上に使うことはないだろうし、地位を貰っても彼の事を未だ悪く思っている者といずれとなく対立することになるだろう。


「だとしても、春野はアタシに恩を貸していようが何でしょうが社会的地位に立つべき人なんでしょうけど‥‥‥」


彼が属する組、拳怒組で発揮される彼の判断力は政治の世界でも振るわれるだろうし、武術の世界となれば多大なる結果を残してくれることは間違いないだろう。


「ねぇ春野、あなたせめてでも騎士になったらどう?あそこならとやかくは言われないわよ?」


「‥‥‥‥ねぇ春野ーー」


「俺は、好きで魔王軍あいつらと殺し合いをしてるんじゃねぇからな」


しかも、騎士になったら礼儀それを重んじられるんだろ?と春野は付け足し、中身をなくした丼を流しの横に雑に置く。


「洗っといてくれ」


最後にそう言い残して。



「由々しい事態だ。ーーー国家が転覆するほどに」


王座の間。そこでそれぞれ一つの役目を持つ十人の大臣が横に揃い並ぶ中で、部屋の奥に仰々と置かれた玉座に座り込む老人ーーー王、アンジギリスはたくみに生やした髭を焦りで力にぎむ指で撫で流し、一筋の汗をこぼした。


世界を百数十年と脅かしてきた第一、第二の討伐。それは世界から見れば偉大なる実績だが、それは彼らアンジギリス王国を治める者たちからすれば恐れていた事態に拍車をかけていた。


「《神話丿鎧》の修繕、そのミスを川尻春野になすりつけることで国家に向けられる疑いからは逃れられていたが、今や我々に不信の目を向ける国民が現れ始めた」


「陛下、ここは魔王軍との関与ーーー奴らが仕組ませた事件として公表するのはどうでしょうか」


「駄目だ。一度『川尻春野が引き起こした兵器テロ』と世に断言した以上、それ以外の言葉を上げては国家の信用は下がるだけだ」


万事休す。国家の信用が消え去り、『書き変え』が世に広まったとなればそれに関与した大臣含めて、王族でさえも没落の道を辿ることになる。


没落に現実味を覚えて、玉座の間に寒気と焦りが蔓延する。


「奴にさらなる何かを擦り付けようとしても、国民の殆どは信じないのでしょうな」


『‥‥‥‥』


王令として、国に関与する者には真実を話してはならぬとしているが、中にはそれに疑問や不正義感を覚える者もいる。


数年前の裁判も、川尻春野を終身刑に処せよと裁判長に命を下したが、彼は公平の名の下に奴を無罪とした。


刑務所側も、奴自身を恐れていることは勿論だが今では奴を逮捕する理由に疑問を持つ者も現れた。


そして、最も注目すべきは《国の懐刀》であるラベスタント、《魔女》柚果霊の存在だ。


彼女らは他の関係者より情報と真実を深く知っており、その彼女らはあろうことか奴の仲間だ。


奴に話す可能性は他より幾分も高いだろう。いや、もう話しているかもしれない。


「我らも、随分影に染まりましたな‥‥‥」


『‥‥‥‥』


昔はもっと正直性を持っていたハズだった。それが証拠隠滅を行う国家になったなど、笑い話にならない。だが、事態はそれを考えさせない程に深刻なものとなった。


「陛下、事態が悪化し深刻なものとなり、後戻りができなくなる前に、ご決断を」


十の大臣、その一人であるこの場で最も年老いた男、法務大臣が切迫した声を玉座に座り込むアンジギリスに投げかけた。


その問い掛けに王はシワを寄せた眉間、その下の目を伏せ、固く閉ざしていた口を開いた。


「諸君、事態は見て見ぬふりはできぬものとなった。ーーーこの事態をどの法律、憲法にも捕らわれない《最重要機密政綱》とする」


のそりと腰掛けていた玉座から身を上げ、アンジギリスは自らに頭を垂れる十の大臣を見渡して、張り上げた。


「この政綱を、関係者以外には知らせずに終わらせるーーー《川尻春野抹殺計画》とする!」



暗殺、それに身を滅ぼされた者の情報操作は意外と簡単な事だ。


奴が関与した場所、住処の地下に一般人の死体だの隠し金だのと言ってしまえばすぐに信用は落とせる。無論、それに奴らの仲間は抗議するだろうが、国家の力でそれぐらいは封じることはできる。


ーーー最も、奴を暗殺することが難な所なのだが。


「こちらが川尻春野の戦闘データです」


一人の側近が、並べられた椅子に座る大臣、騎士団長、一部の貴族に抱き持った書類データをそれぞれに配る。


それを受け取り、それを目にした彼らの表情は劇的に変化する。


「イカれた数字だ‥‥」


「《神話丿鎧》を倒したことから元々よほどの力は持っていると思っていたが‥‥‥」


諦めと失望を混ぜたような口調と言葉を漏らし、大臣たちは気だるげに議論を始めた。


裏社会で生業を立てる暗殺者数十名に襲撃を依頼するかという案が出るが、数十人となれば一般人に見つかる可能性があり、仮に全員倒されれば吐いてしまうという事態も考えられる。


各国の魔道士を使って春野を別次元に飛ばすというのも出たが、奴が別次元に飛ばされたと《魔女》が知ればその別次元から引き出すだろう。


古代の術式を使って悪魔を召喚ーー地獄の底から呼び出すという方法が弱々しく上げられたが、その悪魔の見返りが予想も付かず、最悪の場合、一般人に害が及ぶかもしれない。もっとも、その悪魔が幹部以上の実力を持つかどうかも分からない。


ーーそれからも決定打といえるような案は数々上げられ、グダグダと会議室に置かれた黒板に書きとめる。


的確に相手の急所を狙い、命を確実に刈り取る。山の一つは消し飛ばせる光線の数々。身体能力さえも精鋭の騎士どころか幹部にも食らいつく。


圧倒的、人類の頂上ともいえる奴の実力ーー。



「兵器を作る、なんていうのはどうでしょうか?」


『ーーー』



突如、聞こえてきた声。


今、この場には二十を超える権力者、実力者が集まっている。ーーそのいずれにも、誰にも聞こえのない声。


その声に場の皆は慌てるように辺りを見渡し、その声の主を探す。


ーーー声の主は、数々の案が書き留められた黒板の前にしゃがみ込み、それらを全て、手に持つ書類に書き写していた。


驚きと警戒が波のように広がり、辺りの者がどう反応をすればいいのか分からない顔をしている中で一人、白髪を短く刈り取った優男ーーー総理が自ら手を上げてその声の主に問う。


「貴方はどちら様でしょうか?本来、この会議は関係者以外は入れぬ所ーー私含めて、誰しも覚えがないそうですが?」


「‥‥‥あぁ、そういえば申し遅れていましたね」


腰を上げ、手の内にあった書類を懐の内に入れ直して声の主は、疑いの目を向けてくる大臣らにその身を向けた。


声の主は、特筆する所がないと言えるような人物であった。安っぽいスーツ姿の中背中肉、整っているとも言えない顔つき。本当に特徴というものがない。


そして、彼は書類をしまっていた懐から一枚の名刺を総理に渡し、名乗る。  



「私はリージュ。別世界、次元を主に『科学』を極めるものです」



「この世界は他の世界と比べてあまりにも科学力が劣っている。それらを持つのは《魔女》ぐらいしかいなかった‥‥‥いや、川尻春野も幾分かのそれは持っていた。そんな中でさらなる科学力を持つ者だと?」


「はい‥‥」


王は、隣で並び歩く総理とまだ見ぬ『科学者』に疑惑の視線を向けた。


そもそも、この世界の他にも、無数の『世界』、『次元』が存在しているのを知っているのは全て関係者であり、一般国民には機密事項として隠されている。一部確かに《魔女》のような例外は存在するが、その外で『世界』と『次元』を知り、行き来をも行い、そして『科学』を極めた者がいるなんてーーー


「陛下」


王と、総理が共に会議室に入ったと同時に、騎士団長が真っ先に敬礼を行い、それに遅れてその場にいた者たち全員がアンジギリスに自らの頭を深々と下げる。


その『科学者』も、例外ではなかった。

その『科学者』ーーリージュの元に歩み寄り、アンジギリスは小さく問いを掛けた。


「君がそうかね?科学を極める者というのは」


「えぇ。まだ二十少しの若造ですがね」 


だが、その言葉とは裏腹にリージュの身から熟練さが滲み出されているのは、彼らは感じ取っていた。


腰を掛けるように、とアンジギリスはリージュに手振りで伝え、二人して共に対面となる形で椅子に身を置く。それに続くように他の大臣たちも同じようにーーリージュを囲む形で腰を下ろした。


「早速話を聞かせてもらおう。ーーー君は、何を企む?」


「企むとは、随分な言い方ですね」


だが、実際そのような言い方が最も適切だろう。誰にも気づかれずに王城に乗り込み、このようにして親しげに事を進めようとするのだがら。


「まぁ、企み自体はありますからね。ーーー川尻春野に、私達は害を受けた。その報復です」


『ーーー』


川尻春野への報復、それならば彼はどこかの組会のものであったのだろう。もっと踏み込んでみたいが、彼にはそれを言わせない威圧がある。


策略家だ、とアンジギリスは吐き捨てるように彼のことを心の中で評価した。


「先程、あなた方方奴の暗殺を狙ってる事を別次元から耳にしましてね。この波に乗らないわけにはいかない。ですから、私はあなた方に協力を求めますし、協力します」


「‥‥‥わかった。諸君、彼を《川尻春野暗殺計画》に加えるようにしてくれ」


そのアンジギリスの言葉に大臣たちはそれぞれの反応を見せる。安心、疑惑、困惑、不安ーーー


いずれにせよ、事態は大きく動くことになった。



左手だけを前に突き出し、残りの右手を背よりも後ろに引く。ーー春野が光線を放つ構えを取り、橙色の輝きの内から迸る黒雷と共に輝きを一直線に撃ち放った。


輝きが通った跡はその勢いに擦れただけで粉々に砕け散り、迸る黒雷が突き刺さった場所は刻まれた亀裂を火柱に染め上げ、その余波で辺りに被害をこうむる。


辺りに吹き荒れる暴風に、思わず白蓮は彼の横で刀を構え、それを受け切るために身を固めた。


爆発を避けるため、わざとその軌道をそらされた光線はその先にあった山、そこに生え並ぶ木々を一瞬で焼き焦がし、散り散りにして吹き飛ばした。


山の頂よりも遥かに高く、雲の上で橙の輝きは膨れ上がって周囲の雲、音、光、大気を吹き飛ばした。


無音の衝撃の後に広がった光景に、二人は言葉がなかった。  


「‥‥‥こういうわけだ」


「なるほどーーー何も修行を行わないでこの威力とは‥‥」


怪訝そうに呟き、白蓮は刀を地に突き立ててから、煙がたなびく春野の両手に視線を移した。


春野が撃ったのは破壊光線ーー戦闘職であれば誰もが学び、そして使える簡単な術式、その強化だ。


それが今、ここまでの威力を誇った。


「さっきも話したとおりだが‥‥‥この謎を解いてほしくてな。最悪、不意にそこら辺に被害をかますかもしれねぇ」


「ーー考えられるものとしては、才能の開花、もしくは《破壊神》との融合か」


才能の開花はそのまま、《破壊神》との融合とは体に宿る《破壊神》との干渉が生まれたことでかつて破壊術を用いていた《破壊神》の力を使えるようになったのでは、と白蓮は話した。


「春野、君の力はすでに国内中ーーーそれどころか世界の所々で注目される程になった。君の力を目的のために狙おうとする者も出ているハズだ。注意してくれ」


「注目しろって言われてもなぁ‥‥」


固まって頭をガリガリと音を立てて掻いた春野はかつての記憶ーーインフィンテに向けて放った《神の一撃》だ。あれからだったのかもしれない。


第二幹部を倒し、ゼットと知り合ったのは一ヶ月もない時間の後であった。その時間で春野は一つの修行も行っていない。それでいて、第二幹部よりも実力を高く持つゼットを撃破した。その訳にはそれが関与しているのかもしれない。


ーーーそして、春野の中にはもう一つの考えがあった。


己の身に纏ったコートの下部をめくり、春野は腰部に付けられたポーチーー自身の指紋に反応してロックが解除される。そこに隠すように入れられた一枚のカードーー《皇帝カイザー封紙カード》を取り出した。


「ーーー」

 自身の取り出した『己』を見据えるかのように封紙カードは自身の名を書くその文字と、瞳を怪しく濃い赤に輝きを放つ。


「‥‥‥春野?何なのだそれは」


「白蓮、自分の力を制御できる方法しゅぎょうはあるか?」


「ーー自分の力を、だと?」


封紙に向けて掛けられた問いを無視し、返しに春野が掛けた問いに白蓮は怪訝そうに眉を縮めるようにシワを寄せ、口に手を当てて考え込んだ。


「‥‥‥そもそも、力を制限するというのは、己を弱くするということ。この過酷そのものといえる世界では強くあるべきだ。いくら君があのような力を持とうが、生きるためには必要だ。‥‥‥この世界に、そのようなものはない」


「‥‥‥そうか」

 何気ないように言葉を返した春野だが、その表情に潜めたものは悲痛であった。この封紙に宿るものは彼自身のものでありながら、その片鱗チカラに彼自身が怯みそうでーー


「川尻春野さん」


「ーーあ?」


背後から声を掛けられた。それに春野は声を小さく漏らす。


彼のことを敬語で呼ぶのは朔刃と組員、一応で婢女華だけだ。聞いたことのない口調で呼ばれた春野は警戒を宿した顔で背後に振り返る。


そこにいたのは、華麗にタキシードを着こなした一人の青年。その姿にどこか思うところがあったが、そのタキシードに付けられた家紋を見て、それには嫌ながら覚えがあった。


「‥‥‥ラベスタントの部下か?」


「はい。私はラベスタントお嬢様に遣える側近の一人、ココロです。どうぞ見覚えを」


感情や想いを感じさせない顔と声で自己紹介を終えて、春野に向けて一礼をした。


それを受けて、春野は顰めた顔を作った。それを浮かべてから吐き捨てるように問いかける。


「あいつに呼んでくるように言われたのか?」


「はい。至急、来てほしいと」


何があったのか、そういう思考が脳裏を掠めたが、すぐに春野は拒絶の意を表した。


「取り引き以外のことならロクでもねぇ。帰ってくれ」


「こちらとしても、どうしても来てほしいとの命を受けていますので、どうか宮殿に」


「‥‥‥」


互いに譲らない現状に白蓮含めたこの場にいるものは全員その身を固め、どことなく剣気がたなびいていた。


「‥‥春野、どうせ君はしばらく休みを続けるのだろう?行ってやれ」


「‥‥‥‥『仲間おまえ』に言われたら、断りにくいだろうが」


「話には聞いていましたが、本当にあれだけ助けていながらお嬢様の事を良くは思っていないんですね‥‥‥」



「‥‥‥そうか、龍剛組やつらとは坏を酌み交わしたが、気をつけるのだ」


「はい、お気配りありがとうございます」


自らの自宅としている事務所から大きく離れた所に存在する和風の屋敷、その奥部の大広間にて春野、そして彼と対面する盲目の老人ーー拳怒組第八代目組長が互いに正座を組んで話を進めていた。


話している内容は無論、ラベスタントの元に向かうことであった。


「近頃、お前に向けた犯罪にを行う者だけでなく、命を狙うものですら現れているという」


「‥‥‥気をつけておきます」


そう、ラベスタントは仲間だとか恋人だとかと名乗ろうが、彼女は《国の懐刀》であり、国の関係者なのだ。それである限り、彼女を『仲間』だとは思えない。


「組長も、俺がいない内に死なないでくださいよ」


「心配するな。儂も歳食ったが昔は戦闘職の身だった。ただの鉄砲玉よりは戦える」


普段は見せない微笑みを浮かべて、組長は裾を擦らせて立ち上がった。


「では、気をつけてな」


「はい」


正座のまま、深々と頭を下げて、春野は見えぬままに大広間の奥に消えた組長の事を見送ったのだった



数時間後、スペルチールス家の紋章が掲げられた馬車に出迎えられ、それに乗り込んだ春野は何事もなく彼女の立て直した宮殿、それを囲む花畑にたどり着いた。


「は・る・の・♡」


「‥‥‥‥」


そこで黄金の少女とその投げキッスに出迎えられた春野は口元を引きつらせた。


その春野の元へ早足で歩み寄ってその両手を彼の背に回し、顔を彼の鍛えられた胸板に埋めたラベスタントは春野という愛しい存在を身体いっぱいで感じているようであった。


「なんだかんだ言って、来てくれたのね。嬉しいわっ」


そう笑みを浮かべたままウィンクを飛ばしたラベスタントに、春野は口元を曲げた顔を横に振り。


「なんだってそんなにくっつきやがる」


「貴方と一緒にいたいからに決まってるでしょっーーーしばらく、会えないから、余計に」


「あ?」


顔を俯き、ポツリと漏らした声と言葉に春野は怪訝そうな顔と声を露わにする。


「どういう事だよ」


「‥‥意外ね。アタシがしばらくいなくかったら訳も聞かずに嬉しがると思ってたのに‥‥‥まぁ、簡単な話、国都の方に来るように呼ばれたのよ」


「‥‥‥同じ『国の関係者』にか?」


「関係者っていうか、王令ね」


「‥‥‥‥」


おそらくだが、彼女の話し具合からして他の関係者も王令によって国都に集まってくるのだろう。



ーーー嫌な予感がする。



「なんで呼ばれたんだ?」


「ごめんなさい。それは冗談抜きに知らされてないの。ただ、国都に来るようにって」


「‥‥‥そうか」


頷き、春野はできる限り感情を掻き消した顔で、不安げにこちらを見上げてくるラベスタントを見据えた。


「それで、結局なんで俺を呼んだんだよ」


「あら?言ってなかったかしら?国都に行くってことは、しばらく貴方に会えないのよ?ーーだから、今日はいっぱい一緒にいたいの。いっぱい、貴方といたい」


「‥‥‥お前‥‥‥」


「だめ?」


苦笑のような、困ったような、怯えたような、そんなに笑みを浮かべてラベスタントは見上げて春野の顔を覗き込んだ。 


正直、そのまま断ってもいいかと思ったが、どうせ彼女は逃がす気はないだろう。でも、こんな表情を浮かべるのは珍しい。


ーーそれに、思う事があって。


「‥‥‥やっぱり、大丈夫よ春野。流石に、こんな困らせ方は嫌よね」


そう『言い切って』彼から身を離したラベスタントは、心では拒みながらもその背を向けた。僅かに震えるその肩、それに春野は口を閉じたまま歯噛みーー


「ラベスタント」



「ーーなら早くアタシの部屋に来なさいよっ、もう時間が惜しいのよ!」


「おいお嬢!俺は別に最大限わがままに付き合うっては言ってねぇぞ!!」


そう怒鳴りつつも、一度引き止めてしまった以上、もう止められないかと内心諦めていた。


彼女に手を引かれて、宮殿の゙中に引きずり込まれた春野は、なんとかバランスを保っているという形でラベスタントに連れて行かれる。


その春野を引きずるラベスタントは口調こそは強気だが、その顔は喜びが滲み出ていた。


ラベスタントの゙言葉通り、彼女の゙自室に連れてこられ、春野はそこらに置かれていた椅子に腰掛けて、大きくため息をついた。


「なんでここなんだよ‥‥‥別に花畑あそこでも良かっただろ」


「どうせあそこでお茶でも飲んだら帰ろうとでも思ってたんでしょ?ならアタシの監視下へやにいてもらったほうがいいじゃない」


そうクスクスと笑い返しながらラベスタントは、部屋の隅に置かれてあった棚の中をあさり始め、しばらくするとカードなりボード式のゲームを持ってきた。


床にあぐらをかいた春野は、それを細めた目で見つめて、そのままその視線をそれらを持ってきたラベスタントに向けた。


「‥‥‥やれってか?」


「当たり前じゃない。言っとくけど、男に二語はないっていうでしょ?なら、最後まで付き合いなさい」


「引き止めただけなんだが‥‥‥」


いつもの勝手な解釈、かもしくは無視したラベスタントの言い口に春野は力なく首を横に振り、ボードを床に広げてから女性らしく足をくずしたラベスタントから、舟型の駒を受け取ったのだった。



「‥‥‥ねぇ春野」


「なんだ?」


「イカサマ、してないでしょうね」


「ーーラベスタント。イカサマってのはだな、バレて初めて存在するんだぜ」


「何カッコつけて言ってんのよ‥‥‥ってことはやってるってことじゃない」


唇を尖らせてラベスタントは、悲惨な状況になった盤面を盤面を片付け始めた。卑怯イカサマやっていればおのずと『帰ってくれない?』とでも言ってくれるかと思ったが、彼女は『春野らしいと言えば春野らしいか』と納得しているようであった。


長袖のゆったりとしたネグリジェのような洋服、その裾を擦らせながらラベスタントは春野の横に丸くなるように座り込み、体を寄せるようにコートの袖を握ってきた。


理由はわかっているが、春野はラベスタントがいつもより積極的にそばにいようとすることに嫌気を差していた。


その感情に流されるように、春野は分かっている質問を投げ掛ける。


「おいラベスタント‥‥」


「ーーなんで、こんなに寄ってくるのかって聞きたいんでしょ?」


まさしく聞こうとした事を当てられ、心外そうに眉を上げた春野を見て、ラベスタントはまたクスクスと可笑しそうに笑った。ーーだが、ふと彼女はその表情を不安げなものにし、眉を下げた。


「今と昔のアタシが言えないことだけど‥‥‥‥今、この国の中では貴方を狙う人が出てきているらしいわ」


「‥‥‥嫌になるぐらいに聞かされたぞ、それ」


「アタシとは別に‥‥‥貴方を使って、国の汚職を擦り付けようととする人も、根拠もない悪事を擦り付けようとする人もーー貴方の、命を狙う人も」


徐々に頭を下げていき、彼女は疲労と悲痛を感じさせる声調でポツポツと続けた。


彼女と何ら関係もない人が聞けば、何が言いたいのかと困惑するだろう。だが春野は、『想われている』からこそそれが想い人に向けた心配である事を感じ取っていた。


ラベスタントの右肩に左手を置き、春野その体を小さく揺さぶるようにしながら、また問いを掛ける。


「ラベスタント、なんでそんなにこんな俺の事を想いやがる」


「ーーー好きだから‥‥‥って言っても、貴方は信じてくれないでしょ?」


そういつもは見せない自信ない声と言葉で春野を見据えて、ラベスタントはその体を傾けて、頭を春野の肩に当てた。声には出さなかったが、驚きを露わにした春野に、ラベスタントは己の想いを並べた。


「アタシはわがままで不器用で、どうしようもない女だってのは分かってるわよ。今まで、何人の男も盥回たらいまわしにしてきたし、周りからも勝手な命令に呆れられてたわ。ーー正直な話、従者ココロたちやお父様を除いて、アタシと関わって、一ヶ月保てばすごいってアタシは思えるわよ」


自嘲気味にそう吐き捨てて、ラベスタントは肩と声のトーンを落として続ける。


「そんな人生進んだせいでアタシにはお父様ぐらいしか親しいといえる人間はいなかったわ。‥‥‥そんな人生を十七年過ごして」


「ーー寂しかったって言いたいのか?」


「ーーー」


ポツリと漏らすように呟き掛けた春野の言葉に、ラベスタントは見開き、まるで何かのせいでずっしりと重くなったようなその長い髪を曲げて、彼の顔を焦ったかのような顔で見つめた。


「こっちだってよ、嫌になるぐらいに関わらさせられてるんだよ。そんなの受けてる内に、どうしてだのこうしてくれだのを先に考えさせられてんだ」


「‥‥‥それで、行き着いたってことね‥‥‥流石は人の心まで根絶やりに来る《根絶者イレイスジャー》」


「‥‥‥それも聞いてたんだな」


ゼットと話し合いをしている途中で割り込んできたのだから、その会話も聞いていたのだろうが、まさかそんな序盤から盗み聞きをしていたとは。


一本取られたと言いたげな春野の顔を直視して、先程までの自嘲気味な表情を浮かべていたラベスタントは、またクスクスと可愛らしく笑って、その口元に当てていた右手を膝の上に置いた。


「まぁ‥‥‥そうね、本当に寂しかったわ。わがままはどうしてもやめられないし、そのせいで人に迷惑を掛けてしまってアタシは一人ぼっち‥‥‥自分でも酷いとは思ったわーーでも」


ふっ、と微笑みを浮かべてラベスタントは再び春野に向き直り、ボフッ、と枕を乗せさせた春野の膝に自身の身体を委ねて言った。


「貴方だけは他の男とは違って、アタシを見捨てずにいてくれたんだからーー惚れるに決まってるでしょっ」


それからラベスタントはしばらくの間は何も言わず、ただふかふかの枕越しでも感じる愛人の温もりを体全体で感じ取っていた。



「ーーお嬢様、お客様、夕食の時間となりました」


「ん‥‥‥そう、分かったわ」


言い切ると同時に、ラベスタントは摘み上げていた駒を一つ前に置いて席を立ち、ずっと座ったままでいたその身体を伸ばした。


「春野、早く会場に行きましょ?記念すべき最初のアタシたちの晩餐会よ♪」


「ーーえ?俺も食うのか?」


「はい。お嬢様が今日のためにお客様のための食事を作るようにと仰せられています」


深々と頭を下げて、開かれた扉の先に立つ長身のメイドがそう答えた。


口をモゴモゴとさせて春野は鋭く細めた目をラベスタントに向けたが、彼女はどこから吹く風ーーというよりどこか心地良い風を受けたような感じだ。


そして、ラベスタントはその彼の手を握り引くことで春野の体を起こさせ、そのまま歩みを進めた。


「嫌でも無理やり食べさせるんだからっ」


「お、おいお嬢!俺は別に食欲は」


「柚果霊おばあちゃんから聞いたわよ!貴方最近まともに食物って言えるような固形物食べてないって!」


「あんのババァ!」


元々、春野はお節介だとか恩返しだとかというのは嫌いなタチであった。この人生には厚かましく礼を返せだとのしつこく言うやつもいるにはいたが、春野はかつて父親からそのような人間には教えられていた。だから。


食事に関しても、自分が好きにやっていることなので世話をかかれるのは嫌なことであり、慣れないことであった。


その全てが映ったわけではないだろうが、その一部は顔に出ていたらしく、彼女はその小さい鼻周りを赤黒く染めて怒鳴った。


「あぁ‥‥!もう、貴方っていう人がそんな人なのは見てわかったわよ!でもアタシだって、恩を返さないと気持ち悪いとすら思えてくるわよ!わかったなら来なさい!」


暴論とも思えるラベスタントの言葉に言い返しも出ずに春野は共に薄暗い廊下を早足で強制的に進まされーー十を越えるシャンデリアの明かりが照らす会場、その一つの席に座らされた。


三十を越える席の中でたった二人、春野とラベスタントは向かい合う形で腰を下ろし(一方下ろされ)、その二人のもとにまた別の複数のメイドが一つのメモ表を手にして歩み寄ってきた。


「お嬢様、本日は何をお望みでしょうか?」


「そうねぇ‥‥じゃあ鴨のローストとフレンチトースト、後は何かオススメのサラダとスープを用意しなさい」


「承知しました。‥‥‥お客様は何を?」


「ーー茶漬け」


「春野」


垂れた頭を上げて、春野は対面に座るラベスタントを見据えると、彼女は凄みの効いた見たことのない顔で春野のことを見返していた。


「おう、どうしたお嬢。おもしれぇ顔してんぞ」


「‥‥‥話、聞いてたの?お茶漬けなんて、味の付いた水のようなものじゃない。もっとマシなの食べなさいよ」


「‥‥俺はお望みの料理を言っただけなんだが」


そう言ってから春野はチラッと隣に立つメイドの顔を見てみれば、『この人がそう言ってるならそれでいいのでは』と言いたげにしていた。そんな中で、ラベスタントは悩み果てたように両手で自身の頭を抱え、どうしたものだとばかりに唸り。


「‥‥‥貴方はそれでいいかもしれないけど、アタシからすると不安だし心配だしーー何より、恩の一つも返せてない感じがするのよ」


右手を力なく横に振り、ラベスタントは別のを要求するように言い放った。それに春野は考え深そうにしているその顔を傾けて。


「‥‥‥茶ず」


「春野」


「‥‥‥‥牛のステーキと米」


それにやっとラベスタントは頷くようにしながら笑みを浮かべ、その視線の先で机につっぱした春野の頬を指先で突いたのだった。



『‥‥‥‥』


注文した厚みのあるステーキと一杯の白米、それに加えて色々ラベスタントが勝手に付け足した他の品に春野は嫌々とそれらに手をつけ始め、僅かに慣れないナイフとフォークを使ってちびちびと口の中に運んでいく。


その様子にラベスタントは眉を顰めて、春野に問い掛けた。


「ねぇねぇ春野。なんでそんなにちびちびって食べるのよ。‥‥‥そんなに嫌だったの?」


「別に、今は恩だのどうだのって話はいいんだが、元々最近飯に対する欲が起こんねぇんだよ」


できるなら何も喰いたくないが、生きるためには喰うしかない。そんな感じだ。


理由は自分自身が一番理解している。ーー命が狙われている状況下で安心して飯が食える訳がない。


もしかしたらこれが最後の食事になるのかもしれない。そうだからと味わって味わって食べたいという受けの気持ちと、こんなのが最後になってたまるかという拒絶の気持ちが不振を起こしているのだ。


「‥‥‥あ?何やってんだ、お前」


「何って‥‥‥しぇあってやつよしぇあ」


シェア。おそらくその言葉を知った元は柚果霊あいつなのだろう。それは別にどうでもいい。問題はその彼女の行動だ。


脂身以外の殆どを残した春野が嫌々注文したステーキの一部を彼女は己の手に持っていたフォークとナイフで切り離し、それを口に運んでいた。


「おい、それ食いかけだぞ」


「知ってるわよそんな事。‥‥恥ずかしいけど、こういう間接キスとかって恋人同士ってかんじゃない?」


「しばくぞ」


本音を聞いて、春野は思わず凄みを効かせた声と視線をラベスタントに向けるが、当の本人はその切り分けたステーキを嬉しげに味わっていた。


他の男ならいわゆるドキッとするヤツなのかもしれないが、彼女の素を知っているからこそこちらからすれば色気もクソもない。特に、目の前で残っていたそれらの数々を淡々と切り分けたりして朽ちに運んでいくその様を見れば。


どうしてもこのお嬢様は、上層部としてのあるべき品性を保てないのだろうかと春野はシワ深くなった眉間に手を当てたのだった。



「もう行っちゃうの?春野」


「あぁ‥‥‥こいつは嫌だのかの話よりも、朔刃たちの世話の話があるんでな」


「ちょっと待ちなさい。さっきのは『はない』でしょ、『より』って何よ」


その通り、嫌だったからという理由だったからという理由もあるからこうして玄関に建ってるんだがな。


夕食を済ませ、それからしばらく彼女のわがままに付き合った後、朔刃たちの事が不安になってきたので帰ることにした。


玄関には俺やラベスタント以外にも、彼女の従者十名が俺の見送りに来ていた。


「別に、泊まってもいいのよ?‥‥あ、アタシとした事がやらかしたわね。今日は客室の準備ができてなかったわね」


「お嬢様、準備は完了していま」


「もし泊まるならアタシの部屋に」


「今日は世話になったな、帰らせてもらうぜ」


何かロクでもねぇ事を言わせる前に、俺の方から会話を断ち切らせた。それにラベスタントは不満気に怒りながら頬を膨らませて。


「酷い人‥‥‥今日は愛し合おうって思ってたのに」


「合うってのは両者が同じ想いがあるからできんだよ。思い上がんな」


本当に自分勝手だな、と俺は顰めた顔をそらし、先程手に持たされた革製の道具袋、その中身をわざと音を鳴らして存在をアピールさせる。それにラベスタントは満足げに鼻を鳴らして。


「ちょこっとだけど、恩を返せた気分で気が楽ね」


「‥‥そこまで、気にしなくてよかったんだがな」


気まぐれと言えるようなものであったが、こっちは自分の気持ちで助けたのだから。肩をすくめてみせた。どことなく心配そうに表情を固めるラベスタントに『大丈夫だ』と手を上げて応じ、宮殿、そこから外に繋がる一本の土道どみちの先に足先を向けた。


「春野、今日は‥‥‥いいえ、いつもアタシのわがままに付き合ってくれて、ありがとね?」


「‥‥‥不安になるなら、少しは自重したらどうだ?」


あえて戯けたように助言を掛けることで彼女を怒らせて、別れの悲しみから逸らさせることに成功した。


「‥‥んじゃ、俺ぁ帰るぜ」


「ーーっ待って」


「?」


足先を向けたその先に歩を進める。その直後に俺はラベスタントに呼び止められ、コートの袖を掴まれた。


何だよ、と俺は睨み混じりに彼女に視線を移すと、ラベスタントは頭を俯かせた状態で何かを堪えておりーー、


「最後にこんなのを言うのもなんだけど‥‥‥アタシも、生き延びた人間だから、また魔王軍やつらに狙われているでしょうねーーそれに、今はこの祖国からも狙われているという話も聞いたわ」


「‥‥‥不幸な話だな」


「それは貴方に言いたいんだけどね‥‥‥流石のアタシも一人なら軍の一つで負けちゃうわーーでも、アタシはちょっとだけ嬉しく思うわよ」


「‥‥‥は?」


何を言っているのか、そんなありきたりなことしか思えないのかと言われそうだが、彼女の言ったことはそれしか思わせない程に意味と意図が分からない。


掠れた声を漏らした俺の手を取り、ラベスタントは俺の手を握る両手から無色の輝きーーマナを染み込ませてくる。、それに治療力だのはない。ただ、マナから感じる一人ひとりの特徴ーー彼女の存在を自分の身体から感じる。


「ねぇ春野、アタシの事‥‥‥どう見てる?」


「‥‥わがままでめんどい女」


「なら、そんな女をまた、助けてくれる?」


そう言ってから、垂れ下がった己の黄金の髪を指先で弄りながら、頬を酷く赤らめて小さく微笑んだ。そこで、俺は察した。


「そうか」


もう、彼女はどうしょうもなくなったのだ。ーーラベスタントは、俺に助けられることに喜びを感じるようになってしまったのだ。


ーーなら、こちらも意味深けに言い返そう。


「‥‥‥めんどくせぇことにならねぇように、危ねぇことには手を出すなよ」


彼女がどんな反応を見せたのか、それをあえて確認せずに俺は宙に身をおいて一気に高度と速さを上げて彼女らの元から姿を消した。



「‥‥‥馬鹿」


すっかり頬の内側から熱くなった赤染めの顔でポツリと漏らし、ラベスタントは頭の中で勝手に想い人に笑みを浮かばせていた。


それだけで、余計に熱が入る。あんな事を言ったあとで何だが、どれほど自分はあの男に骨抜きにされているというのか。


「ーーお嬢様、明日に向けての準備が整いました。馬車に」


「っ‥‥‥そう、分かったわ」


瞼を弾き、即座に作った笑みを側近であるココロに返す。それに彼は深々と頭を下げた。


これから、事態は大きく動くこととなる。



全ての思惑が重なることが確定した今、犠牲は生まれる事となった。








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