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第一章 全ては訪問から

            1



「先生、何故第二幹部を破った川尻春野は王国軍や『勇者』たちが結成するパーティーに入りたがらないのでしょうか?」


「うーん、そうですね‥‥‥彼には第二幹部を打ち破らないといけなかった訳があったから戦ったわけで、その訳をなくした今では望んで戦おうとは思えないのではないのでしょうか」


メディアというのは謎でいっぱいだ。


わざわざ報道する側はその人物の謎を解き明かすためにそいつを呼ぶのではなく、そいつとは関わりのないそこらへんの『先生』と呼ばれる人物を呼ぶのだから。


ーーーもっとも、俺の場合は呼ばれても行かないが。


リビングに置いたラジオから流れる『俺』を題とした話をそこで俺は聞き流し、深々とソファに腰をおろしたまま、皿の上に置かれた朝食を口に運んでいった。


今の時刻は九時。本来ならこんなことしている暇はなく、机の上で書類に筆を走らせている時間なのだが、今日は特別休暇だ。


先日、俺が第二幹部を倒したことと、そもそも働きすぎだという事を兼ねて、組長が傷の治療のためだという名目をつけて俺に一週間の休暇を与えたのだ。


傷の方はマナを回復させた希石に直してもらったし、仕事の方も別に苦ではないのだが、これは組長命令だと言うことでそのまま流される形で貰った。


「ーーーよかったです。組長さんの命令を無視してでも仕事をしていなくて」


そう背後から投げ掛けられた声に振り向くと、開けたドアから半身だけを覗かせる銀髪短髪の少女ーー朔刃の姿があった。


手招きで彼女を呼び、空になったコップに指さして朔刃にその手にあったポットに新しい紅茶を注いでもらいながら俺は。


「流石に組長オヤジの命令は聞くぜ。それぐらいの考えはある。ーーーもっとも、国の関係者こいつらの命令は聴かんがな」


そう言い掛けて目を向けた先にあったのは、国ーーーー上層部からの徴収命令が命じられた手紙だ。


第二幹部を倒し、事務所で安静にさせてもらってる中で、幾度かそれやそれと同じものが警察サツや市役所の役人から渡されていた。


無論、そんな命令はお断りし、全てあのようにビリビリに破り捨ててあるが。


意外なことに、それからは同じ意味が来ることはなかった。


おそらく、昔と同じ仕返しを恐れた上層部がそれを止めさせたか。


「‥‥‥‥それにしても不味いな。やっぱり俺に紅茶こいつは合わねぇな」


口に含んだカップの中身、飲み掛けとなった紅茶に顰めた顔を向けて俺はそのカップを机の上に置いた。


第二幹部を倒した後に行われた龍剛組との経済的同盟ーーー細かく言うとラベスタントとの仲直りだが、それからはよく彼女ラベスタントが俺を茶会に誘うようになった。そこで紅茶にがてが出されるのだ。あっちはそんなこと知る由もないだろうが。


「‥‥‥やっぱりあいつには不味いって言っとくか」


机に置いたまだ中身が入ったカップに、どことなくあの令嬢の顔を思い浮かべながら、俺は言った。



「‥‥‥‥春野さん。オヤジの命令は聞くぜ、などと言っておきながらどちらに行かれるつもりですか?」


ドアを開け、俺の部屋に入ってきた朔刃はいつもの仕事用バックーー銀製のバックに荷物を詰めていく俺にそんな呆れ混じりな言葉を掛けてきた。


その言葉を数瞬の間汲み取れずにいたが、やがてすぐにそれを理解した俺は朔刃に。


「勘違いするな。別に仕事に行くとかじゃねぇよ、ただ友人に会いに行くんだ」


「ーーーそれってもしかしなくともアタシのこと?」


朔刃と視線を合わせて話していたその時,不意をつくように俺の背後から楽しげで嬉しそうな声が掛けられた。


その声に真っ先に朔刃が驚いたような表情を合わせて浮かべ、遅れて俺はふり返ろうと。


この瞬間、俺の視界は真っ黒な柔らかいものに包まれ、背中一杯に軽い重みを味わった。


「だーれだっ?」


「‥‥‥」


朔刃たちと比べると馴染みは薄く、それでいて馴れ馴れしいこの声、その主ーーー。


「‥‥‥お嬢」


後頭部を引っ叩かれた。


そこで視界は開かれ、背に預けられていた重みは水に流されるように消えた。


掛けられた声で、今俺の背後にいる人物がだれなのかは分かったが、あえて引っ叩かれた後頭部を撫でながら振り返る。


「それで、結局の所どうなのよ?春野」


そう言ってあぐらをかいたままの俺を見下ろす少女ーーー黄金の令嬢、ラベスタントがそこにいた。


「残念だろうがお前じゃねぇ。そもそも呼ばれてもしねぇ限りお前のところに行こうだなんて思わねぇよ」


それを聞いてぷくりと頬を膨らませてラベスタントは不満げだが、それを無視して俺は荷物の詰め込みを再開した。


その中にそれなりの量の金貨が入った袋がある野を見て、朔刃は察した。


「‥‥‥もしかして、お母様のところへ?」


「そういうことだ。あんなババア、放ってたら野垂れ死ぬぜ」


「アタシももししばらく貴方に会えなかったら寂しくて死にそうよ♪」


「「お前(貴方)は知らん(知りません)」」


「ちょっと!?」


酷く驚いた、というよりは悲しんだ表情を浮かべたラベスタントの横を通り抜け、俺は自室に開けられていた小さな穴を先日、『商品』として自作した瞬間接着剤で埋めた。


「ったく‥‥‥いつも言ってるが入るなら玄関から入りやがれ。こんな傷から入ってくるんじゃねぇよ」


「玄関から入ろうとすると朔刃そいつに止めさせられるもの。だから仕方なく体を粒子にしてこんな穴から入るしかないのよ」


「朔刃、影でそんなことをしてたのか。帰ったらなんかくれてやる」


「春野!?」


「私はあなたが愛用しているものを一つ頂きたいです」


朔刃あんたまでッ!あと、アタシもなんか欲しいわ!!」


そんな感じて声を上げるラベスタントをまた無視し、俺は荷物を詰め終えたバックを片手にいつもの白帽子シルクハットを頭につけて部屋を出た。


すると、ラベスタントが俺に続くように部屋を出て、階段を下りていく俺の背に物惜しそうな視線を向けてきた。


逸れを請けて、俺は力なく首を横に振った後に振り返り。


「暇なら帰ったあと付き合ってやるから。それまでは朔刃と仲良くでもしてるか今日仕事クエストサボってる禍緒州とでも遊んどけ」


それだけ言い残し、俺は玄関の扉を開け、宙に舞った。



            2



この季節、梅雨の最中ということも相まって、今俺がいるこの森林の湿気は始めて来た時よりも蒸し暑い。


木々から飛びかかり、バックや帽子に乗っかってくる山蛭を所々で立ち止まっては払い捨て、それを繰り返す。


「‥‥‥あんのババア、この蒸し暑さと蛭にやられたんじゃねぇんだろうな‥‥‥」


帽子を指先でクイッと持ち上げ、露わになった額に流れる汗をハンカチで拭いながら前に伸びた道の先で姿を現した柚果霊の家を睨む。


虫除けとして期待して咥えていたが、たいして効果のなかった安物のタバコを踏みつぶし、苔むしたこの小屋の扉を前にした。


「‥‥ババア、生きてるか?」


いるか、ではなく生存を確認した俺はどことなく湿気を含んでいるように感じる木製のドアをノックする。


「ーーー」


瞬間。俺は素早く弾くように振り返り、右腕を力いっぱいに振るう。直後、右腕を振ったことで発生した風に干渉させ、それが背後の大地一帯を派手に吹き飛ばした。


荒れた大地から土煙が噴き上がるなか、そこで苔むしたドアが内側からは開けられた。


「あらっ‥‥‥春野ちゃん、来てくれたのね」


いつものことだが、そのいつも以上に力を感じない声を出した、そのボサボサとなった深い黄金色の長髪、シワだらけの深緑のワンピース風の服を身にまとった美人ーーー風の老婆、柚果霊が小屋からのっそりと出てきた。


声と同じくしてその出てきた顔をも力を感じない。そしてその目に目ヤニが溜まっていることから、おそらくマジに直前まで爆睡こいていたのか。


‥‥‥と、そんなことを考えているうちに、柚果霊が俺の背後に広がる爆心地あれを見つけて。


「‥‥‥‥‥‥ねぇ、春野ちゃん。もしかしてだけど、もし私が起きてて前と同じことをしてたら、あれの餌食になってたの?」


「あぁ、そうだな」


そう俺はあえて何事もないように平然と答えた。



爆心地が予想以上に効いたのか、眠気を何処かに吹き飛ばしたらしい柚果霊は、俺がバックから配給の生活費を取り出しているうちに二人分のコップに緑茶を注ぐ。


(かびてねぇよな?)


「‥‥‥なぁババア、そろそろ自立しろよ。‥‥

家事はしねぇ仕事もろくにしねぇ‥‥‥いい加減、義娘むすめを見習え」


「歳だからあまり働きたくないのよ。それに人間掃除とかしなくても食さえあれば生きていけるもの。ここ、スラムだから物価もお手頃よ?」


「お、お前‥‥‥」


机に置かれた二人分のお茶のうちの一つに手を伸ばし、柚果霊は茶を啜り始めた。それに俺は額にまた汗をにじませながらも同じように茶を啜り始めた。


このスラムは、確かに王国の中でも屈指の安価を誇っているが、その代償は酷い衛生状態だ。街で買う食品は、本来手を付けるべきものではない


(‥‥‥まぁ、せめての女の嗜みとして洗濯してるのは評価できるか‥‥‥)


「ーーそういえば春野ちゃん。あなたもう一気に有名人になったわよね、正直すごいと思うわよ。あなたがいた『世界』のらのべって本のストーリーでもここまでの飛躍さはないわよ?」


「‥‥‥それを味わねぇ奴は勝手なこと言えるよな」


「あーぁ、私も春野ちゃんぐらいに早く有名人になりたかったわぁ‥‥‥」


「俺の話、聞いてたか?」



           3



ジメジメとして、重々しい雲は先程空一面隙間なく広がり、やがて今のように大雨を地面に叩きつけている。


濃い黒に染められたくもと夕方を過ぎた17:53の空の色が混ざったせいか、いつもより外が暗く感じる。


「春野、遅いわねぇ‥‥‥どこで油を売ってるのかしら」


「もし、あの人が帰ってこない理由があなたであるのなら、私は一生懸命あなたをここに入れるつもりはないです」


「えー。朔刃、別にいいじゃん。ラベスタントって結構面白いよ」


もうすぐ夕食の時刻ということもあって先程ラベスタントが出前で頼んだピザ、その一切れを頬張りながら禍緒州が言った。


それを聞いて窓から外の様子を覗いていた朔刃は、呆れた視線と表情を二人に向けて。


「ラベスタントさん。禍緒州さんを餌づけにしないでください。そうなった場合、一番困るのはあの人なので」


「餌づけなんて、するつもりないわよ」


肩をすくめ、口にピザを運び始めたラベスタントを見て朔刃は長いため息をつき、二人に再び背を向けて窓から外の様子を見始めた。


土砂降りの大雨、そしてその雨水は外の大通りを川のように流れ、外に置いたままであったモノを掻っ払っていく。


当然、そんな大通りには徒歩で行く人はおらず、たまに駈け抜ける荷台付きの馬車が大きな水飛沫を上げている。


はっきり思えば、この大雨の中で春野が返ってくるのかも怪しい。


(今日はお母様の家に泊まられるかもしれないですね)


ーーーそう思った矢先だ。


玄関の方から、微かに掻き消えたベルの音が短く鳴り響いたのだ。


その音になる一も二もなく飛びつき、朔刃はラベスタントや禍緒州が玄関の方を振り返るよりも早く早足で玄関に向かう。


そして、扉のドアノブに手をかけ、力強く扉を開けた。


「春野さん!」


「ーーー失礼、川尻春野さんはこちらにいられますか?」


「え?」

目の前に立っていたのは、黒い傘をさした春野と同じぐらいの背丈を見たん持つ中年の男であった。


整って入るが、かなり軽装に感じるその服に隠れる肉体は、かなり程よく引き締まっているだろう。


中年、斗はさっき語ったがそれは娘の男の娘身に漂う雰囲気良くがそう思わせるからであって、その肉体や服装と同じように程よく整った買おはまだ二十代ほどのものだった。


そして、その無関係の男にあんなにコトバを掛けてしまったのかと朔刃は顔を赤くする。


「す‥‥すいません。つい、あの人が帰ってきたのかと‥‥‥」


「あ、いえいえお気になさらず‥‥‥」


その紅い顔で謝罪をする朔刃に、男は少し慌てた様子でそれを止めさせた。


ーーそこで、朔刃は脳裏に走った事を顔を上げて口にした。


「あの‥‥‥もしかして国の関係者の方でしょうか‥‥‥?」


もしかしたら、この大雨を利用して帰らせる理由をーーー


「違いますよ。私はそのような大層な身ではありません」


「‥‥そ、そうでしたか。‥‥‥‥すいません」


と、そこでこのまま相手を外で立たせて話をするのもどうかと思い朔刃はーーー。


「あ、あの‥‥」


「はい」


「あの人にようがあるのでしたら、中でお待ちになりますか?たいそうなおもてなしはできませんが‥‥‥」



男が座る革張りのソファが置かれたリビングのすぐ横に存在するキッチン、そこで朔刃はカップに紅茶をポットから注ぎながら男のよこがおを盗み味した。


男は、すでにピザを食べ終えていて暇になっていたラベスタントと禍緒州と話を楽しげに、そして品を纏わせて続けていた。


「お会いできて光栄ですよ《国の懐刀》、ラベスタント嬢」


「え、えぇ‥‥‥そうだけどおかしいわね。アタシはあまり表沙汰には出ないようにはしているから世間にはアタシの姿は知られていないはずなのだけれど‥‥‥」


「『あのお方』から貴女の事は知らされていましてね。‥‥‥それにしても、護衛もつけずにただお一人でこの街に来られるとは‥‥‥『あのお方』の言う通り、彼はすごい力を持っていられるようですね」


「ーー?」


どことなく引っかかる言い方と内容にラベスタントは目を細めるが、ソコで朔刃が紅茶を男に手渡した。


「どうぞ、銘もない紅茶ですが」


「どうも」


微笑みを浮かべて男はカップを受け取り、カップの底に左手を当ててゆっくりと紅茶を味わうように啜る。


先程からの言葉遣いからもそうなのだろうが、この男はかなり紳士的だ。


もしかしたら、身を隠した何処かの貴族なのかもしれない。


ーーーそう思った時、玄関のベルが先程と同じように掻き消えて鳴り響いてきた。


「アタシ代わりに行ってくるわ」


席を外し、玄関へ向かったラベスタントを横目に、朔刃はお盆を脇に持って男の側から離れた。


「ーー」


なぜ、そうしたのかは分からないが、朔刃はまた男の顔を盗み見た。


男は朔刃が淹れた紅茶をその表情からわかる程に嬉しげに嗜んでいる。


それを見て、朔刃は自分ではとても言い表せない感覚を味わった。


その時、リビングの置くの廊下から二つの人影が出てきた。ラベスタントと。


「ッ春野さん!」


ラベスタントが玄関から連れてきただろう春野の姿が彼女の隣にあった。


だが、よく見れば彼の表情は酷く疲れた様子で、朔刃は眉を潜めた。


その春野の元に駆け寄り、その訳を問う。


「どうかされたのですか!?」


「いや‥‥‥尾前の親に『私の行きつけの店に行かない?』ってそこに連れてかれてちょっと、な

‥‥‥」


そんな調子で項垂れていた春野は革張りのソファに座り、そこでこちらを見つめてくる男の存在に瞼を弾いた。


「‥‥‥そいつは‥‥‥?」


「春野さんに用がある、とのことです」


「‥‥‥‥」


数秒間、春野は男の姿を見つめ返し、朔刃にそっと耳打ちをする。


彼も、朔刃が最初に思った想いを持ったらしい。


「国の関係者ではないらしいのでご安心を」


そう朔刃は小さな笑み混じりに返し、彼女は春野から数歩分の距離を取った。


「「‥‥‥‥」」


向かい合い、春野がその鋭い目を細めた事を引き金に、場の空気が一気に重苦しいものとなる。


だが、男はそれにどうとでもないと思わせる友好的な笑顔と、差し出した右手を春野に向けた。


「はじめまして川尻春野。会えたことを光栄に思うよ」


「ッ‥‥‥」


本心からだと思わせるその笑み。


だが、朔刃たちには見せることのなかったその男の口調に、朔刃は歯噛みしたが春野がそれを止めさせる。


そして、春野はその右手を握り返すことはせず。


握手それができんのはお互いの素性知ってからだろ。アンタは俺の事を知ってるようだが、俺はアンタを知らねぇ」


「ーーーそれもそうですね」


一間空けて、先程までの口調に戻し変えた男はズボンのポケットから一枚の名刺を取りだし、それを春野に手渡して、己の素性を明らかにした。


「申し遅れました。私の名前はゼット。ーー魔王軍、第一幹部の銘を持つものです」



魔王軍。それも、幹部最高位。


一瞬、この男ーーーゼットの言うことがただの嘘っぱちではないかという考えが脳裏を横切った。だが、目の前の笑みと真剣な目がそうではないとひょうしているの゙を見て、春野は絶句せざるを得なかった。


沈黙と心の内で生まれた驚愕に包まれた場で、最初に声を上げたのはその顔を薄い青で染めた禍緒州であった。


「ウソでしょ‥‥‥?なんで、なんで魔王軍ヤローなんかが‥‥ここに?!」


震える問いを受けて、ゼットは言葉をその笑みのまま緩めない口で答えた。


「川尻春野、君を魔王軍ーーー主に次ぐその最高位として、ぜひとも入隊させたいと『あのお方』が心から思われている」


「‥‥入隊、という名の暗殺では?」


親の仇を見るような、嫌悪を含めた視線を向ける朔刃の考えに、ゼットは軽く両手を上げた。


「滅相もない。『あのお方』は自分自らがスカウトに行けぬ事を嘆いていられていましたよ」


『‥‥‥‥‥』


場は膠着。トップ2の実力を持つとされる者を前に、春野を除く三人は呼吸と心拍が怪しくなる。


自分では何もできない。どうしようもないーーー

そう同じ思いを持った三人は自然とその事前を自分の前に立つ春野に向けた。


ーーだが、何もせずにただ目前の敵に細めた視線を向けるだけの春野に、朔刃が悲痛な顔と声を向けた。


「春野さん‥‥‥!」


「‥‥攻撃はしねぇのかって?それなら、できねぇ」


「っどうしてーー」


「向こうから『心から』友好的にしている状況下でケンカふっかけようってなら、戦いは免れられねぇ。それなら、その友好さを受けるのが一番だ」


戦いを望まない理由とその心の内を聞いて、ただ唖然となる朔刃と他の二人。未だ動けずにいるその三人と違い、ゼットは他に何も込めないただ純粋な笑みを浮かべた。


「よかった。私といえど、会って間もなく戦うこととなれば、どうしようかと思ったよ」


「俺は、自分からあんたらのような奴らと因縁付けたくねぇんだ。ただでさえ組支えんのとこいつらの世話で手ぇ焼いてるのに。これ以上迷惑な話は御免だ」


「私も、こういう銘を持つ以上仕事が多い、話が早いのは助かるよ。ーーーもっとも、それをわかってくれるのは君だけなようだが」


初めて負の感情ーーー忌々しげなものを見るように鋭く細めた目、そこに映る世界を見て春野は弾かれるように振り返った。


ラベスタントと朔刃が突き出した両手に魔力を、禍緒州はポーチから引き抜いた拳銃をゼットの急所に向けていた。


余計な事態を避けるため、春野はそれらを突き出した手で制す。


すると、ゼットは春野から数歩分の距離を取り、廊下にその足を置いた。


「君たちの間に余計な亀裂を生まないためにも、こちらから提案しよう、川尻春野」


「提案だと?」


手で仲間の攻撃を制したまま、春野は顔だけをゼットに向けて、次の言葉を待った。


「明日の八時。この街にある市役所、そのそばに置かれているベンチで待たせてもらうよ。ーーー

そこに来るかどうかで君たちの意志を判断させてもらうとするよ。‥‥‥‥では、今日のところはこれで」


様々な見送りを受けながら、ゼットは春野らに背を向け、踵を返して玄関から何気ないように大雨の街に出た。


‥‥扉の閉まる音が、響く。


「ーーーふぅ」


膠着していた場の空気が解け、春野はその開放感のあまり、息を抜いた。


春野だけでない、朔刃やラベスタントも大いに肩の力を抜いており、禍緒州にいたってはその場にへたり込んでいた。


ーーそして、そんな時間を与えるつもりはないと残された事態は語っていた。


我に返り、思わず身を引き締めた朔刃は、未だ玄関に視線を向ける春野に声を掛けた。


「春野さん!!今すぐに王国軍を呼んで撃退の準備をーー」


「余計なことはするな。‥‥‥そう言ったはずだが?」


「春野さん‥‥っ」


朔刃は、日頃なら春野に絶対的な忠誠を誓っている。それは、未来永劫変わらないだろうと朔刃自身も思っている。


だが、今は春野の想いを受け入れるだなんて、無理な話だった。


「呼ぶにしろ呼ばないにしろ、黙ったままでは下手すれば共犯者になります!そうなったら裁判でも分が悪いです!そうならないためにも‥‥!」


「‥‥‥俺は下手には戦いはしねぇ。ーーー明日が終わったらすぐに判断する。それまでは待っててくれ」


「っ‥‥春野さんッ!!」


一歩、前に踏み寄った朔刃に春野は留具を解き脱いだロングコートを彼女に渡した。


「お前らと無駄に仲断ちはしたくねぇ‥‥‥しようとも、思わねぇよ」


何処か、諦めを宿したかのような顔を反らし、春野はキッチンの棚に閉まっていたウィスキーをグラスに注ぐこともせずに、片手で持ち上げてはそのまま注ぎ口を口につけた。


見た限りではあるが、朔刃は春野があのように行儀悪く振る舞いながら酒を飲むことは見たことはない。


仲間を気遣う事を心掛けている春野、今その心が一番疲れているのかもしれない。


「‥‥‥‥春野、アタシにできることーー」


「一人にさせてくれ。‥‥‥‥‥ここに泊まるってなら、朔刃か禍緒州に客室に連れて行ってもらえ」


一歩、前に寄ろうとしたラベスタントを向けた視線と言葉で止めさせ、それを言い終えると春野は残された三人に曲げた背を向けた。



「‥‥‥良く言えば慎重、悪く言えば餌を待つ雛鳥のような姿勢。ーー今回は、その姿勢に助けられたがね」


勢いを止めるということを知らない大雨が降り注ぐ街の中、否、事務所の玄関扉前でその扉に耳を当てて四人のやり取りを聞いていたゼットは、安心がこもった笑みを浮かべた。


朔刃あのおんなが言い出した密告を勧める言葉。もし、春野がそれを受け入れていたとしたら、即座の暗殺は免れなかった。


本当に、あの男は様々な事を視野に入れて物事を進めているなとゼットは思う。


ゼットは顔を扉に向けたままズボンのポケットの中を弄り、そこから長方形の金属製の物質ーーースマホを取り出した。


光が宿る画面似指を走らせ、ゼットはある番号に電話を掛けた。


「ーーー。ーー魔王様、交渉成功です。明日、川尻春野と親睦を深め、こちらに引き入れます。はい、必ずや」



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