第三章(後半) 魔女
1
『‥‥‥‥』
「‥‥‥‥」
俺が歩いた場は、驚くほどに静かになっていた。
宮殿襲撃から一週間が経過した頃、街の人々は俺に対してそれぞれの態度を取るようになった。
その大半はこのように避けるようになり、僅かに残った割合もどこか引き気味だ。
一応、新聞にてラベスタント自身が俺が元凶ではないと表明したそうだが、それでも周りに不安は根付いていた。
「‥‥‥‥何みとんじゃワレェ!」
「変に声を飛ばすな。なおさら気に掛けられるぞ」
こちらをヒソヒソと話しながら見ていた二人の主婦に、俺の側近の一人が怒号を飛ばすが、俺が注意を掛けるとその覇気がすぐに腐った雑草のようにしぼんだ。
「‥‥豚バラ四百グラム」
「は、八百四十円になります」
今日。他の仕事で家事ができなくなった朔刃に代わって、俺がこうして買い物をしているが、やはり注文を歩いた受ける店員もどこかオドオドとした様子だ。
「‥‥‥おいおどれぇ!何抜かしとんのじゃあ!?」
「‥‥‥‥‥すまねぇ」
「‥‥‥は、はい‥‥‥」
気まずそうに顔をそらしてから店の奥に消えた店員を見送り、俺は引っ叩いた側近を連れて事務所に戻った。
「‥‥‥帰ったぞ」
「春野さん」
帰ってきて早々、俺に声を掛けてきたのは側近の一人の覇武だ。
「なんだよ」
「朔刃さんが呼んでいます。なんとも頼み事だそうです」
「‥‥朔刃が?」
そう顔にシワを寄せた俺に覇武は頷いた。
買ってきた豚肉と野菜だけをキッチンに置いといて、外に出るときには大体被る帽子を頭に被ったまま朔刃がいるという俺の部屋に向かった。
自室に着き、自分の部屋なのに扉をノックしてから中に入る。
「朔刃」
「‥‥‥春野さん」
俺の呼びかけに、朔刃は数拍の間を置いてからそれに応えた。
それと共に向けられるその目はどこか申し訳のなさを宿していた。
そして、彼女の足元には二つのカバンに入れられた荷物がまとめられていてーーー。
「‥‥‥そうか」
「え?」
「ーーーお前も、俺に耐えられなくなったんだな」
「ーーーッ!」
俺が帰ってきた後の話になる。
街には俺のことを疑う人々が幾分かの割合を占めることになったが、それは組内でも同じであった。
組の中にも、国の関係者に喧嘩を仕掛けるのを悪く思う者はいる。
この世界では、貴族や大臣に刃を掛けようと知られただけでも重罪ーーー酷ければ処刑だ。
その疑いがある俺のもとで働くのを怖がった組員の幾人かが組を抜け出したのだ。
もっとも、その大多数は入ったばかりの新人で、組抜けの罪を知らないものだらけだ。
逃げても、組に捕まって『見世物』にされる。
そういうわけで、最近では俺を通じて『抜け』の許可を取ろうとする者が現れ始めた。
無論、それらは普通許されないものだが、かなり組の中でも位を持つようになった朔刃となれば、話は変わってくる。
「‥‥‥わかった。明日、組長と」
「ち、違います!『抜け』ではありません!」
「‥‥‥‥」
必死に泣き叫ぶような朔刃の声に場は固まり、その中で俺は同じように身を固め、首筋を掻いてから。
「‥‥‥なんだ、違うのか」
「そんなわけないでしょう!‥‥日頃愛の言葉を口にしている癖にその人から逃げ出すとかどうなんですか‥‥」
そう言い切って、どこか呆れと安堵を混じりにため息をついた朔刃に、俺は口端を強張らせ、目を細めてから。
「‥‥そう、だな」
「え?」
「まぁ確かにお前ならそうかもな。‥‥‥なら、要件は何だ?」
少し、私情が混じっていたらしい俺の言葉と口調に朔刃は何か言いたげだったが、それを押し込めた様子で俺に話した。
「二日ほど、私に休暇とお金を貸してくれませんか?」
それは、今まで朔刃の口からは聞いたことのなかった、俺にとっては驚きの物であった。
今まで、彼女に休暇を与えようとしても彼女はそれを全て断った。朔刃は毎日が楽しいからという理由で断っていた。そんな彼女が今休暇を求め、更には金を要求する想いを口にしたのだ。
「別に、休みは喜んでくれてやるが‥‥‥金はいくらだ?」
「‥‥‥三百万ほどを‥‥」
ヤクザ界ではよく聞く金額だ、と俺は内心思った。だが、それを発した人物がそれを言うのは初めてだ。
「ちなみに、何するつもりなんだ?」
「‥‥‥‥‥」
「朔刃?」
俺の問い掛けに朔刃は少し気まずそうに顔をそらし、それに俺が詰め寄ると、彼女はチラチラと顔を見てから答えた。
「母が、お金が必要だと‥‥‥」
2
国都から三日ほどかけた所に存在するこの国有数の貧民街、ニュートレード。
かつては貿易や他の国の商品の売り場として繁盛していた街だったそうだが、数年前に他の国の経済が破綻したことでその影響が大きく突き刺さり、一気に貧民街の仲間入りを果たしたとのことだ。
その街にある山奥、そこに朔刃の母親が住んでいるという。
「春野さん‥‥‥別に他人事ですし‥‥‥手伝わなくても結構ですよ?」
「どうせ街に残ってもいい目はされねぇんだ。しばらく身は隠したほうがいいし、気晴らしにもいいだろ」
控えるように伝えてきたその朔刃の言葉に春野は肩を小さく回し、共に湿気漂う山道を歩いていた。
そのついでというように先程生き残った貿易店で他国の装飾品を買ってきた戦塚姉妹が後ろからついてきていた。
最初は何度も申し訳なさそうに断っていた朔刃だったが、やがて春野の理由に押され、微笑を浮かべながら母親の実家に向かっていた。
「ねぇ朔刃ぁ‥‥‥これどんぐらい歩くのぉ‥‥」
「ざっとあと五分といった所です」
そう聞くとあと少しかと思うかもしれないがこの山道はそうは思わせないほどに色々と厳しい。
山道を囲む木々から飛び込んでくる数えるのも嫌になるほどの数の蛭を弾き飛ばし、ジメジメとした空気に汗を流し、角度五十超えの道は体勢を崩していた。
それだけのお金が必要と言うことは生活費というわけではなさそうだが、いったい何に使うつもりなのだろうか。
「お母様は日頃は人里に出ることはないので、収入というものがほとんどありませんので」
「ーーー」
考え込む春野の思考を察したのだろう。朔刃が三百万の使い道を口にした。
それを聞いて、春野はさっと目の先にあるであろう実家に目を向けて、叫んだ。
「甲斐性なしかよ!!」
「ち、違います!お母様は自分の力が周りに及ばないようにと‥‥‥!」
そうなにか朔刃が必死に叫ぶが、その前に視線の中心に苔むした小屋を発見した。
木々に円状に囲まれているバラックは、その殆どを苔むしていて、目を背けたくなる程に気持ち悪い虫がそこにへばりついている。
「‥‥‥こんな所に住んでいるとはな‥‥‥」
どこか引き気味に希石が首を横に振りながら呟いた。虫嫌いな希石にとっては直視するのも堪え難いだろう。
チラッと横を見て、朔刃の表情が汗じみたものになっているところを見るに、共に生活していた頃より酷い模様。
「‥‥‥とりあえず、開けてみるか」
嘆息し、春野はバラックをグルっと一周し、壁にそのまま貼り付けたような木製の扉を見つけ、ノックした。
「誰かいるか?」
『‥‥‥‥』
苔むした扉からは、何も帰ってこなかった。
春野は、扉から一歩分の距離を空け、朔刃に問う。
「‥‥おい朔刃。これ、お前の母親苔むして死んだんじゃねぇんだろうな」
「‥‥さ、さすがに数日前に手紙を寄越したのですからそれはないかと思いますが‥‥‥」
そう言う朔刃の顔も、かなり不安げだ。
よほど堕落した人間だと予測できる。
「‥‥‥仕方ねぇ。中に入ってみるか‥‥‥」
頭を掻き毟り、春野はコートのポケットから取り出した針金を鍵口にーーー
丈日上がるサイレンがこの森林含めた街中にやかましく響き渡った。
「ぅおお!?」
耳を引き裂くような郷音に朔刃を除く全員が思わず耳を塞いだ。
「な‥‥‥なにこれ!?」
「ーーー警戒、警報ですね」
「警報だと‥‥‥?いったいなんのなのだ?」
希石の問い掛けに朔刃は響き渡るサイレンの中に閉じこもるように影をひそめ、恨めしげに呟いた。
「ーーー魔王軍襲撃の、ですよ」
「こいつぁ‥‥‥中々の量来やがったな。ここにそんな価値があんのか?」
「ここは貧民街とは言えども他国の滅多に手に入らない品物がありますからね‥‥‥‥おそらく、その何かを狙っているかと」
スタンダードの住民とはいっても戦闘職であるがために戦場に向かった春野らは野原の奥から駆け向かってくる魔王軍の数にしかめるように目を細めた。
その数をざっと見るに、こちらがたったの二百しか存在しないのに対し、相手は一万は超えているだろう。
だが、見たところその殆どは騎士だとかの接近兵。距離を詰めていくことから遠距離攻撃を持つ者はいないと考えられる。
「先手必勝、か」
ポツリとつぶやき、春野は前に構えた両手のうちに橙色の輝きを膨らませ、一閃させた。
「破壊光線!」「普通光線!」「弾丸っ!」「フルーレスパーク!」
春野が放った橙色の輝き、朔刃の放った白銀の輝き、禍緒州の数十発の弾丸、希石の放った手に持つフルーレからの針撃の一閃が混じり合うように迫りくる魔王軍の中心に突き刺さり、それぞれの色を交えた爆発を引き起こした。
砕けた鎧が飛び散り、ジメシメとした地面に突き刺さる。
それを踏み越えて、数千と残る魔王軍の生き残りがさらに勢いを増して迫りくる。
「この距離ならもう一回ぶちかましてもその後に攻撃仕返しされるぞ」
「‥‥‥近接戦闘体勢に入るか」
嫌気に希石が問い掛け、フルーレを斜めに構える慣れた構えを取った。
「ーーー来るぞ!」
春野の叫びが戦場に立つものを刺激し、手に持つ武器を振るわせーーー。
街の兵士と接触するはずであった魔王軍の前衛の一人一人に、薄水の雷が降り注いだ。
「うぉあ?!」
目の前で魔王軍の前衛が焼き砕けたことの驚きとその爆発の衝撃に街の兵士は派手に吹き飛び、地面に転がった。
それだけで終わりではない。今度は魔王軍の中心に突き刺さるように爆炎嵐の数々が、そこに追い打ちを掛けるように渦を巻く暴風、それから生み出された風撃が暗空に吹き飛ばされる魔王軍の兵士を切り捨てた。
その他にも、春野がこの世界では今まで見たこともないような幻想的で、暴力的な魔法の至上が無数に降り注いだ。
そんな中で、ただ何もせずにいられる街の兵士側の中で、一つ思い当たったかのような顔を浮かべた希石は隣に立つ朔刃に。
「朔刃。さっき『お母様は自分の力が周りに及ばないようにと』‥‥と話していたが‥‥まさか」
「はい。‥‥‥これは、お母様の魔法です」
どこか困ったように朔刃は答え、何故か長々とめったに見せない嫌そうなため息をついたのだった。
あの後、一応は戦闘に参加していたということで街の行員から報酬を受け取り、それで今日の夜飯用の材料を買い込んできた春野らは再びあのバラック小屋に向かっていた。
「‥‥‥なぁ朔刃」
「‥‥‥はい。なんでございましょうか」
問い掛けと共に顔を朔刃に向けてみれば、彼女は小さく顔をうつむかせて、その影を暗くしていた。
「お前の母さんとは、仲が良くないのか?」
「‥‥そういうわけではありません。ーーーただ、苦手なだけです」
珍しく彼女の口から聞いた『苦手』という言葉に春野は目を細め、問いを続けた。
「どういう性格なんだよお前の母さん」
「そうですね‥‥‥。春野さんには好意的になるとは思いますよ。‥‥‥ただ、あなたは苦労するだけですけど」
朔刃の口から帰ってきた意味深けな答えに春野は顔を振りながらしかめ、再び視線に映り込んだバラックに不安げな目を向けた。
その不安を残したままバラックに到着し、春野は最初のときよりも強くノックした。
「いるかー?」
だが、扉の向こうから返事が返ってくることも扉が開けられることもなかった。
ーーー扉の向こうからは。
「私はここよ?」
ホッ、と人を安堵させるように耳元で囁かれた甘さを感じる返事。
それを耳の奥で直に感じた春野は小さく身を震わせて。
「ぅううううぉおあああぁああああ!!!」
悲鳴を上げた。
ステータス
神華鏡朔刃 破壊力『C』・スピード『B』・スタミナ『B』・攻撃距離『A』・知力『A』・魔力『A』・精神力『A』・防御力『B』・耐久力『A』・体力『C』
《能力》:自在の鏡 魔法を跳ね返せる鏡をある程度まで操ることができる。
《特性》:こらえ 一度だけ致死量のダメージを耐えきることができる。