フェニアの夜襲 1
「コマンド・ピュシス ライトアロー」
詠唱が終了した刹那、眩い光が束となり、かざした左手に燦然と輝く光の矢を生成し始めた。数刻の時間の果て、左手に生成された矢は弓で射られるよりも数倍速く、まさしく光の速さで林間を駆け抜けていった。放たれた魔法は見事にイノシシの腹部を貫き、一撃で仕留めて見せた。プギュイイイ。絶命に瀕したイノシシの断末魔の叫びが樹木がひしめく樹海に吸われていく。
「さすがの腕前だな。君を雇って正解だったよ」
「これが仕事ですから。出来て当然です。」
「はっははは。いい心構えだよ。」
雇い主の感心を横耳に挟みながら、俺たちは離れた場所で横たわるイノシシの元へと向かった。
「しっかし、樹海とは難儀なものじゃな。獣はいるが、ぶっとい木の根や植物のせいで足元が悪いったらありゃしない。老いぼれが狩りをするには向かんわな。」
「背中の斧で狩るのを止めて、銃の購入を検討してみればよろしいのでは。この環境では老い以前に、近接戦闘を行うには向いていません。何よりお一人で狩りをなさっているのですから、万が一ことがあってはなりません。銃の方が些か安全です。」
俺は雇い主のルーゼン・ダイアン氏にそう提言した。ダイアンはこの樹海近辺のフェニアという街で猟師兼酒場を生業にしている老人だ。実際の年齢については知らないが、皺くちゃな顔と白毛交じりの頭髪を見ればおおよそ60歳以上だと推測できる。60越えの老人が背中に鉄の斧を背負い、視界、足場共に劣悪なこの樹海の中で一人狩りをしようと考えているのだから、傍から見てる者としては無謀としか感じられず、死に急いでるようにしか見えない有様である。先に仕留めたイノシシもこの樹海一帯に住む固有種らしく、苔むす樹海の環境に擬態するための深緑の体毛に身を包み、獲物を一突きで屠る為の乳白色の牙、成人男性二人に相当する体長。まともにこいつの突進を受ければ、体にデカい風穴を開けられ、即死は免れないだろう。そんなイノシシを老人が斧で相手をしようなどと考えているのだ。正直、愚かしい。
「ふん、そんなこと言わなくても解ってるわい。」
「なら、どうして使わないのですか」
「お前さんも知ってるやろ。ここ最近もまた物価の上昇が激しくてな。特に弾薬なんかの価格はひでえってもんじゃねえ。あんなん使っていたら、猟師としても酒場の店主としても食ってけんわ。」
「そうでしたね」
「わしがピンピンしていた時は猟銃を使っておったがのお。今じゃ酒場の倉庫で埃と仲良く寝ているだけじゃ。まったく。」
「斧を使い始めたのは最近だったのですね」
「最近というほど最近でもないがのお。しかし、あの距離からこうも見事に心臓を貫くとは。ルイ、君は一体何者なんじゃね。わしゃが銃をバンバン打ちまくってた時ですら、そうそう一撃で仕留めるなんてできなかったんじゃからな。」
ダイアンは俺の魔法の腕前を高く買っているようであった。魔法というものは、簡単に使用できるほど軟な技術でないことぐらいは自分でも理解している。ダイアンの肩を持つつもりはないが、狙撃という観点では銃と魔法では扱いやすさに差が生じているのも事実だ。魔法の狙撃は銃に比べて反動が少なく、打ち出す魔法のサイズも弾丸と比せば、大きいのだから、多少の荒業でも十分に狙撃は可能なのである。
「ただのしがない魔法が使える一般人ですよ。心臓を射貫けたのもの単なる偶然です」
「ふつう魔法なんて誰でも扱える代物ではないはずなんじゃがな。おっと、いかんいかん。つい話に熱が入っちまった。これだから年なんて取りたくないんだわい。おら、口を動かすのはこれぐらいにしてさっさとイノシシを持ち帰る準備を手伝わんか」
「はい」
ダイアンは腰に携えていた鉈を持ち出し、丁度よさげな木の枝を切り落としてイノシシを運ぶ準備をし始めた。切り落とした枝から延びる枝をざっざっとトリミングして急ごしらえながら枝を棒としての役割を全うするのに相応しい姿に変貌をさせてみせた。一切の迷いを無しに、次から次へと仕事をするその姿は、長年この仕事に就いていたことを静かに語っている。職人業を見るのは定職に就かない身分としてやや複雑な気持ちを抱きながら、人腕サイズの枝にイノシシの両足を縄で括り付け、枝と足がずれないよう、キッチリときつく縛り付けた。
「最初よりは上手になったがまだまだじゃな。」
俺の仕事をみてダイアンは笑いながら言った。ちらりとダイアンの方に目を向ければ、そこには確かなる力量の差が存在していた。
「こやつが落ちない結び方ならなんだっていいわい。ほれ、さっさと担いで街へ帰るぞ」
「わかりました」
「いくぞお、せえーの。」
ずっしりとのしかかるイノシシの重みを肩で感じながら、ダイアンと二人だけで規格外のイノシシを持ち上げた。大変な重労働であるが、先導するダイアンの後ろ姿には今日の成果に満足していることが見て取れた。猟師という職業柄、常に自然と対峙することもあってか、命あって街へ戻れること、何より獲物を手に入れることが出来た喜びがあるのだろうか。以前に、なぜ樹海で猟を行うかをダイアンに質問した時のことが脳裏によみがえる。その時に彼はこう答えた
「オレが親父と一緒に狩りに出ていた時なんかは、ひょいと街を出れば至るところに野兎やら野鹿などがいたんじゃがな。いつしか、そやつらの姿を見る機会も減っていったな。猟師として生きていくには危険じゃとわかっていても樹海に潜るしかなかったんじゃ。」
彼は曰く、何故ウサギやシカの数が減ったかの真相は知る者はフェニアには誰一人も居なかったそうだ。
「おら、ルイ。なにぼけえっと歩いてんだ。おまえさんの目の前の木にシビレグモがいるぞ
「ほんとですね。気をつけます。」
「ふつうはもっと驚くじゃろ。度胸があるのか肝が据わっているのかどうか知らんが、くれぐれも刺されっといてくれよ。これでルイが倒れちまったら、今日の給金は出さんからな。
「はい。」
こうして自分たちは樹海を後にしていくのであった。