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激殻 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 ねえねえ、こーちゃん。この字、なんて読むか分かる? この「琴線」ってやつ。もしかして「げきりん」?


 ――はあ、「きんせん」? 心の奥にある、感動しやすいポイントのこと?


 ふーん、同じ触れるでも「げきりん」とは大きな違いだね。あっちは相手を殺さんばかりに激しく怒ることだけど。

 ふんふん、げきりんは「逆鱗」ね。これは僕でも分かるよ。龍が持つうろこのうち、あごの下あたりに生えているっていう、逆さに生えた鱗だろ? 触ったものをたちどころに殺すって、伝説では語られているね。

 触れちゃいけないものは、昔からその危うさを伝えられている。知らないゆえの怖さもあれば、知っているがために恐れるパターンも数多い。

 僕たちの地元にも、逆鱗の故事に少し似た、不思議な話が伝わっているんだ。どうだい、聞いてみないかい?

 


 むかしむかしのこと。

 とあるところに住む夫婦は、初老に差し掛かって、ようやく男の子を授かった。待ち望んだ子供ゆえか、母親はなにかと子供を構いたがる。男の子が6つを迎えても、同じ布団で添い寝してもらうことが当たり前だったという。

夏場ならば暑苦しく感じて、そっと離れることも考えた息子。でもいまは冬の足音が、あちらこちらで聞こえ始める時期。布団代わりの服やわらだけでは物足らず、人肌のぬくもりは大変ありがたいものでもあった。

 もはや乳飲みから離れて久しい息子だったが、自分の頭を抱えこむように伸ばされる、母の腕枕は、とても柔らかくて心地よい。昔よりの習慣はなかなか改められず、その晩も後頭部を母の二の腕にあずけ、うとうととまどろんでいたんだ。


 ふと、窓から入ってきた月の明かりに、息子はまぶたをひくつかせる。ほどなく夢の中から引き戻される息子の前には、いつもと変わらぬ母の寝顔があった。

 間近で母の顔を見るのは、これがはじめてのことじゃない。ただ青白い月の光に照らされる彼女の喉のあたりで、何かがきらりと光り返すのを息子は見逃さなかった。

 首飾りにしては、位置が高すぎる気がする。それに寝る時はいつも、母親はその手のものを外すのを、これまで直に確認している。

 興味しんしんで顔を近づけてみた。光の源は汗でもない、貝殻の片割れを思わせる白いかけらが、母親ののどぼとけにひっつき、輝いていたんだ。

 今晩の食事には、殻付きの貝も出ていた。食べていてうっかり張り付いてしまい、いままで気づいていなかったのかもしれない。

 息子が手を伸ばしたのは、ほんの親切心から。寝息を立てながら、わずかに上下に振れる母親の喉元。その殻に爪の先が触れた時だった。


 かっと母親が目を開くや、空いている片手が息子の首へ伸びる。

 かわす間もなくわしづかみにされた首は、こそりとも動かせなかった。にらみつけるかのように顔をこちらへ向けたままの母親だが、開いた眼の虹彩は一点に定まらない。獣が周囲を探るかのようなせわしなさで、息子は息苦しさ以上に、ぞくりと背筋が粟立つのを感じた。

 初めこそ、骨のきしむ音が聞こえてくるほど、強い力で首を絞められた。けれどその指はしきりに震え続けるとともに、力もじょじょに弱まっていく。

 機を見て拘束から逃れた息子が距離を取ると、母の腕はぱたりと落ちた。ほぼ同時に両まぶたも閉じたが、その裏の眼は更にしばらく動き続けたらしい。

 

 息子はそれから、母の添い寝を断るようになった。

 日中の母は昨晩のことを覚えていないのか、息子の申し出に心底不思議そうな表情をしてみせる。あの喉の殻も、ついていない。

 曲げて頼み込んだところ、今度から寒かったら父と一緒に寝るようにすすめてくれる。

 父と寝ることも、息子にとっては何度か経験のあることだった。ただ父の腕枕は固すぎて気持ち良くないから、もっぱら背中にひっつく形をとっていたんだ。

 その晩も、家の中にかかわらず身震いしそうな風が入り込んでくる。話し合っていた通り、父親が眠るわらの布団の中へ潜り込んだ息子。自分の背よりも5割増しはある父の背中は、息子の身体の大半を受け止めてくれた。

 狩りや戦などで鍛えられた身体はごつごつして、けれども母の腕枕に負けないほどの温みを秘めている。

 でも、息子はうとうとしながらも、完全には寝入らない。また昨日のようなことがあるのではと、離れた母の様子を見つつも、父の身体も注意深く見ていたんだ。

 

 

 結果、息子の不安は半分的中してしまう。

 息子をそばに置かない母親は、あおむけに眠っている。その首元に、昨日のような殻は浮かんでいない。けれども、殻は消えたわけじゃなかった。

 今度は横を向いて寝ている父親のうなじ。わずかに骨が浮き上がっているその表面に、あの白く濁ったカケラをのぞかせていたんだ。

 気づいて息子は、ぐっと息を呑んでしまう。そうして今度は、自分からそうっと距離を取り始めた。触れたらまた、ろくなことにならないと、身に染みているからだ。

 息子が布団から逃げ出すのと、それによってできた空間へ、父親が寝返りを打つのはほぼ同時だった。あの殻のついたうなじを、思い切り地面へ押し付けるのもね。

 

 とたん、父親もまた母親と同じように、かっと目を見開いた。

 天井を向いた眼球は、やはりその焦点を定めず、虹彩があちらこちらをさまよっている。横にいる息子をとらえた瞬間もいくつかあったが、今度は襲い掛かってこなかった。

 代わりに、がばりと起き上がった父親はわらの布団を弾き飛ばすや、正面に立つ家の大黒柱へ向けて走る。勢いのまま、柱の肌を踏みながら天井まで駆け上がると、虫のように両手両足でそこにしがみついた。

 木くずをわずかに散らしながら、先ほどまで自分が寝ていた布団の真上まで来た父親は、ついにその拳を天井へ打ちつけ出したんだ。あまりのことに、動けない息子の前で何度も天井づたいに家が揺れ、先ほど這っていったよりも、大きいくずが天井から降ってくる。

 

 母親が目を覚ました。昨晩と違い、意識がはっきりあるようで、奇行を続ける夫の姿を見るや、大声を張り上げてそれを止めさせようとしたんだ。

 夜を切り裂く大声に、周りの家に住む者たちも、ぞくぞくと集まってくる。彼らもまた夫の異常な姿を目におさめた。

 やがて父親は、拳で天井の一点を打ち破ると、ふっと糸が切れたように手を放してしまう。下に人だかりができていなければ、もろに頭を床にぶつけていただろう、危険な落ち方だった。

 頬を叩かれ、改めて目覚めた父親は、ここまでの自分の行いを覚えていなかったんだ。自らが開けたという天井の穴を見上げ、驚きを隠せない。

 そして息子は、あの殻のようなものが、父親のうなじから消えているのも確かめたんだ。

 

 その晩のうちに、一家と目撃者は村の集会場に集められた。息子の口から母親、父親の身にあったことが語られ、本人たちはうなってしまう。先ほどの父親の様子を見るに、でたらめとは思えなかったからだ。

 息子は、自分が見た殻について詳細な説明を求められる。とはいっても語れることは少なく、喉やうなじに現れる、皮膚とは違う何かとしか伝えられない。あとは手触りもまた、肌とは異質の硬さを持つというくらい。

 話し合いの結果、普段通りの生活を送りながら相互に気をつけること、見かけたらすぐさま周りのものに伝えることが呼びかけられ、いったんは解散となったんだ。

 

 翌日。人々は仕事から遊びまで、常に複数人で動くことを義務付けられ、いささか窮屈な時間を過ごしていた。

 子供たちはいつものように外遊びをしていたが、昼過ぎてからの鬼ごっこのおり。

 鬼が捕まえようとした、最後のひとり。しかも鬼が今まさに触れようとした、ひじのあたりにあの殻が浮き上がるのを、周囲の子供が見たんだ。

 止めることなどできなかった。鬼は殻を上からわしづかみにしてしまい、腕を取られた子供の方はというと、いきなり腕を振るって親を投げ飛ばす。そうして転がった鬼へ飛びかかり、馬乗りになって首を絞め始めたんだ。

 子供たちは、一部が直ちに大人たちを呼び寄せ、一部が馬乗りの子供を何とか引きはがそうと、後ろから抱きかかえにいった。力自慢のガキ大将でも、一対一では歯が立たず、身体の両側をそれぞれ数人で抑え込むことで、どうにか鬼が絞め落とされるのを防いでいた。


 やがて集まった大人たちによって、馬乗りの子は無理やり引きはがされた。

 かの子供は引きずられ、手足を封じられながら、なおも鬼の子へ殺気を飛ばす。そのひじには、話に出てきた白い殻が浮き出たままになっていて、しかもその中心からじんわりと赤い血のようなものが広がり出していたんだ。

 わずかな相談の後、大人のひとりが日夜を問わず焚いている村入り口の燭台から、火をもらってくる。燃え盛るたいまつをひじへ近づけていったところ、それを嫌がるかのように、殻は瞬く間に皮膚の中へ隠れてしまう。

 ややあって、えずくように子供が吐き出したのは、その白い殻だった。殻と呼ぶにはあまりに厚く、石か鳥の卵かと思うその塊は、ぴゅっと勢いよく飛んで、少し離れた松の木のうろへと飛び込んだんだ。


 松のねじくれた茶色い身体が、たちまち赤みを帯びていく。それが全身に回った時、洞から勢いよく飛び出したものがある。

 松やにだった。ただでさえ刺激の強いそれが、弧を描いて高く跳び、鬼の子のいる方へ返ってくる。とっさにかわせなかった者は、そのべたつきと悪臭に、大いに苦しめられた。

 そうこうしているうちに、松の身体は赤を通り越して、白くなっていく。育ち始めていた松ぼっくりさえも色が抜けていき、ついに全身が白に染まりきった時、端からボロボロと崩れていってしまったんだ。

 いくつものカケラと化して散らばったそれは、子供の口から飛び出したものにそっくりだった。人々は距離をとって、桶から油をさんざんに浴びせた上で、火をかけて完全に燃やし尽くしてしまったらしいんだ。


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