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5:あなたの目

 翌日、紅美はどうしても昨日見た笑顔の女性が忘れられなかった。

 その女性が誰なのか全く分からないが、きっと蒼太の目が捉えている映像だという事はわかっていた。


「私は笑ってなかった、でもあの女性は笑ってた」


 なぜかはわかっていない、たったそれだけの事が予想以上に紅美を苦しめていた。





 この日の午後、いつもの公園へ向った。

 紅美が公園に入るや否や、映像が頭に飛び込んでくる。


「え? 今日はもう見えるの?」


 紅美の頭に入ってきた映像は公園だった。

 さらに、公園の入り口から入ってくる女の子を見ている。

 白いワンピースに長い黒髪で、右手に杖を突いている女の子。

 それは紛れも無く紅美だった。


「おーい、紅美ちゃん」


 紅美を呼ぶ蒼太の声が聞こえた。

 やはり紅美の見ている映像は、蒼太の目が見ている物だったのだ。

 蒼太の呼び声が聞こえた紅美だったが、その場から動く事ができない。

 なぜなら、普段何も見えない状況で歩いていたのが急に頭に映像が入ってきている、しかもそれは自分から見えている景色ではない事に紅美はとても恐怖しているのだ。

 他人の見たものが見えるというのは、目が見えない以上に方向感覚を狂わせる。


「どうしたの? 大丈夫?」

「ごめん、ちょっとめまいがしただけ」

「とりあえずベンチで休もう」


 蒼太が紅美を支えながらベンチへ案内する。

 その間の紅美には蒼太の見ている物が全て見えていたのだ。


 ベンチに座った紅美が見ている映像はずっと同じだった。

 それは『紅美の横顔』蒼太がずっと見ている映像。


「恥ずかしいよ」


 紅美は思わず声に出してしまう。

 自分がずっと見られていると思うととても恥ずかしい気持ちになり、しかも自分が見ている自分の顔が赤くなっているのがわかったからだ。


「え?」


 何の事かわからない蒼太はもちろん疑問に思う。

 紅美は自分が何を見ているか蒼太には話していない、それにこの日は既に見ていることも話してはいない。


「いや、なんか蒼太君にずっと見られている気がしただけ」

「紅美ちゃん鋭いな〜ばれちゃったよ」


 蒼太の正直な答えに再び紅美は体中が熱くなるのを感じた。


「今日はまだ見えないのかな?」

「うん、見えないみたい……」


 紅美は嘘をついた。

 自分が見ている映像が蒼太の物だという事は、とても不思議な事であるし、それを言ったらいろいろ蒼太が困ると思ったからだ。


 紅美としては本当は蒼太の顔が見たかった、だけど蒼太の視線を見ている以上はそれは叶わない事でもあった。

 そんな紅美が一つのアイデアを導き出した。


「そうだ、今日も行きたい場所あるんだけど」

「いいよ、紅美ちゃんに付いていくよ」


 二人は立ち上がった、紅美には相変わらず蒼太の見ている物が見えているようだ。

 このままでは歩く事もままならない紅美は蒼太の腕に抱きつく。

 その突然の行動に蒼太の心臓の鼓動はとても速く動き出す、それは抱きついている紅美に心臓の鼓動が聞こえてしまいそうな程に。


「いい?」

「いや、むしろ嬉しかったり」


 二人は公園を後にし、紅美の言う方向へ歩き出す。


 蒼太は紅美をチラチラ見ている。

 もちろん紅美にもそれが見えている。


「蒼太君」

「なに?」

「今日の空は綺麗?」

「今日も空は綺麗だよ」


 そう言った蒼太だったが、紅美が見ていた映像はアスファルトだった。

 蒼太は下ばかり見て歩いている。

 それに時々見える空の色、紅美にとってはそれは青空ではなかった。

 本当は青空なのだが、紅美はこの間見た夕日の赤い空を青空だと思っているのだ。

 だから今日の空の色も、紅美にとっては知らない色の空に過ぎなかった。


「うそつき……」


 紅美が小声で呟いた。


「え? なんか言った?」

「いや、なんでもないよ」


 紅美に導かれるまま歩いてきた先にあったのは、紅美の家の前だった。


「あれ? ここ紅美ちゃんの家だよね?」

「うん、今日は家に来て欲しいの」

「え、でも心の準備が……」


 なぜか恥ずかしがる蒼太を面白く思った紅美は笑い出す。

 そんな姿を見られた蒼太もとても恥ずかしい気持ちになった。

 蒼太からすれば女の子の家に遊びに行くのは初めてだったから、当然の反応ではあった。


「大丈夫、両親はいまいないから気軽な気持ちでね」

「そうだったねそういえば」


 紅美が蒼太の緊張を解こうとした言葉、それは逆に蒼太を緊張させるには十分な言葉だった。

 初めて上がる女の子の家で、しかも両親がいない。

 恋をあまりした事ない蒼太だけど、この状況なら嫌でも期待してしまう自分を抑え切れなかったようだ。


「上がって」

「おじゃまします」

「誰もいないんだってば」

「そっか、ははは」


 蒼太を家にあげ、自分の部屋に連れて行く紅美。

 その間に見える映像、いつも暮らしている自分の家なのだが、実際に見るのは初めてだったのだ。蒼太が初めての家に来て、いろいろ周りを見ているのは、同時に紅美にとっても初めていろいろ見れてちょうどよかったのだ。


「広い家だね」

「そうだね、結構広いんだね」

「いや、自分の家でしょ」

「そうだよね、変な事言ってるよね」


 二人は紅美の部屋に入った。

 たぶん蒼太が思い描いていた女の子の部屋とはかなりの差があるかもしれない。

 いたってシンプルな紅美の部屋だが、それでも蒼太の緊張はさらに高まっていた。


「部屋も広いんだね」

「私にはあまり意味はないけどね。ベッドに座っていいよ」

「うん、わかった」


 ベッドに座った蒼太は紅美の部屋をじっくりと見回した。

 本来ならそんなにジロジロ見るのはいけないことかもしれないが、蒼太は紅美の目が見えないことを知っているからこその行動かもしれない。

 紅美には全て見えている、自分の部屋がどんな部屋なのかも初めて見えている。


「結構シンプルな部屋だね」

「私は可愛い部屋でも何も見えないからね」

「ごめん、そういう意味じゃないんだ」

「わかってる、ちょっとお茶入れてくるね」

「うん、ありがとう」

「ちょっと時間かかるけど、変なところ開けたりしないでよ〜」

「お、おう」


 紅美は台所へ向った。

 いまだに蒼太の見た映像が頭に入ってくるが、さすがに慣れている自分の家なので恐怖はそれほどなかった。


 紅美が台所へ向った後、蒼太は部屋の中をいろいろ見ていた。


「女の子の部屋か、緊張するな〜」


 テレビをつけてみたり、どんな音楽を聴くのかCDを見てみたりいろいろしている。

 その全てが紅美にばれているとも知らずに……。

 そして、紅美が蒼太を家に連れてきた本当の理由が明らかになる。

 蒼太が見た物、それは部屋の壁にかかっている鏡だった。

 蒼太の全身が映るほど大きなその鏡。紅美自身なんで目の見えない自分の部屋にそれがあるのかは分かってないが、子供の頃からそれはこの部屋にあった物だった。


「これが、蒼太君……」


 紅美は初めて蒼太の顔を見た。

 蒼太が見ている物は鏡に映った自分。

 紅美に見られているとは知らずに、髪をセットしたり歯を見たりちょっとかっこつけたりもしている。


「ふふふ、蒼太君なにやってるのほんと」


 お茶の用意を終え、お菓子と一緒に自分の部屋に運び始めた。

 その間もいろいろな物を見ている。


「蒼太君かっこいいかも」


 紅美が部屋にたどり着こうとしたその時、見たくない映像が飛び込んでくる。

 その映像に驚いた紅美は、思わずお茶を廊下に落としてしまった。

 その音に気付いた蒼太も急いで廊下に出てきた。


「どうしたの? 大丈夫?」

「ごめん、ちょっとね……」


 紅美が見たものは、自分の下着だった。

 紅美がいないのをいい事に、蒼太が勝手にタンスを開けて下着を発見してしまっていたのだ。

 それを見てしまった紅美が思わずお茶を落として、それを聞いた蒼太も慌てて下着を元の場所にもどし駆けつけたのだ。


「蒼太君変なとこ開けたりしてないでしょうね」

「し、してないよ」

「本当に〜」


 疑いをかける紅美の顔を見れなかった蒼太。

 それすらも全て紅美にはばれている。


 二人でこぼしたお茶を片付け、紅美はもう一度お茶を持ってきた。

 ベッドの上に二人で座り、たわいも無い話を続けた。


 紅美は本当は聞きたい事があった、それは昨日見た女性の事。

 昨日キスまでしたのだから、蒼太が他の女性と楽しそうにしているのはとても面白くなかったのだ。

 だけど蒼太はまだ秘密をしらない、だから本当の事も聞けない。

 そんな紅美が蒼太に質問をした。


「蒼太君って彼女いないんだよね?」

「うん、振られたからね」

「私と付き合ってくれる?」


 紅美の突然の告白に驚く蒼太。だけど蒼太の心は決まっていた、紅美に会ったあの日から。


「もちろんいいよ、だけど僕から言わせてよ」

「え?」

「紅美ちゃん、僕と付き合ってください」

「うん、お願いします」


 この日、二人は恋人同士になった。


「私だけを見ててくれる?」

「もちろん」

「キスして」


 そしてベッドの上で口付けをした。


 紅美は蒼太に一つ嘘をつく。


「あ、今蒼太君の顔が見えたよ」

「本当に?」

「かっこよかったよ」

「あ、ありがとう。紅美ちゃんもかわいいよ」


 お互い照れながら言い合った。

 蒼太の真面目な態度に対し、『昨日見たのはきっと友達』と紅美は心の中で答えを出した。


 紅美は立ち上がってタンスをいじり始める。


「あれ? おかしいな〜」

「いや、俺は何も触ってないよ!」

「まだ何も言ってないけど」

「そ、そうだよね」



 この日は、ここで蒼太が帰る事になった。

 紅美には忘れない日になる、初めての友達が初めての恋人になり、初めて告白され、初めていろいろな物を見た日。


 自分の家の中や相手の顔を見ただけでも紅美にとってはとても重要な出来事なのだ。





更新遅れてすみません。

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