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4:私の雨

 翌日、昨日までの晴天が嘘のように雨が降り続いていた。

 紅美は雨の日は公園には行かない。

 雨が全ての音を飲み込み、紅美にとってはとてもつまらない世界だからだ。


「蒼太君、なにしてるかな」


 自然と蒼太を意識するようになっていた。

 蒼太も雨の日に紅美が公園に行かない事は聞いているので現れる事はない。

 ただ、部屋でテレビの音を聞いている紅美。

 テレビからは天気予報の女性が今日一日雨だと伝えている。


「この人の声からは、雨だからどうとかは感じない」


 天気予報の原稿を読み上げる女性の声からは、雨だからどうしたとかそう言う感情は一切感じられなかった。

 雨が嫌いな紅美はそんな天気予報にイライラする気持ちを覚える。

 テレビのスイッチを消し、ベッドに横になる。聞こえてくるのは雨が家に当たる音、そして何の音かはわからない『ピー』っという耳鳴りのような物が永遠に聞こえるばかり。


「ただいま」


 紅美の両親が帰宅した。

 紅美はすっかり忘れていた様子で、少し驚いていた。

 ここ数日蒼太と過ごしたことで、今までと違った時間を生きていたからかもしれない。


「おかえりなさい」

「紅美、お土産かってきたぞ」


 そういって父親が紅美をリビングに呼んだ。

 リビングに入るとそこには甘い匂いが漂っている、そして母親が入れた紅茶の匂いも香っていて、紅美はその温かな空気に雨の暗い気持ちを少し忘れる事が出来たようだ。


「紅美、留守番の間なんも問題なかった?」


 母親が紅美に尋ねると、紅美は自然と笑みがこぼれていた。

 その笑顔をみて両親は察したらしい。


「おや、なにかいい事あったのかな」

「べ、別に何も無いよ。いつもと同じだよ」


 両親も笑顔になっている、紅美にそれを判断はできないが二人の声のトーンでわかっていた。

 さらに自身の顔も熱くなっているのもわかった。

 紅美の両親が買ってきたお土産はカステラだった。

 親戚の家は長崎にあるので昔からよく食べているカステラだった。


「このカステラはいつ食べてもおいしいね。親戚の家にはなんの用事だったの?」

「ああ、ちょっと叔母さんが具合が悪いらしく様子を見てきただけだよ」


 紅美はその話題が気になったと言うよりは、両親に自分の変化を察知されたくなくて話題を変えたのかもしれない。

 久々に飲む母親の入れた紅茶はとても美味しく、紅美の機嫌もよくなっていた。


「パパ、ママ。もし私が目が見えたって言ったらどうする?」

「さ〜、どうするかね〜」


 二人は軽く笑っている。

 紅美ももちろん信じてもらえるとは思っていない、ただ誰かに聞いてもらいたかったのだ。

 心では分かっている事なのに、軽くあしらわれる事がすごく嫌に感じた紅美だった。


「そうだ紅美、週末伊豆に旅行にでも行かないか?」

「いかない」


 そう言って紅美は自分の部屋へと帰っていった。


「お父さんが紅美の話を真面目に聞かないから怒ったんですよ〜」


 階段を上る間、母親が父親に言ったこともすべて紅美には聞こえていた。

 部屋に入りベッドに横になった紅美は独り言を呟く。


「ごめんね、旅行が嫌なんじゃないの。会いたいの」


 紅美の心に最初に浮かんだのは、まだ見ぬ蒼太の事だった。

 今は雨が降っていて会えないが、いつかこの雨は止み再び蒼太に会えると思ったからだ。

 それに昨日見た空や今まで見たことなどがもし奇跡なら、奇跡が終わる前にもっといろいろ見たいと思ったのだ。

 

 無情にも雨は週末まで降り続いた――。


 ようやく晴れた週末、両親を見送った後紅美は足早に公園へ出かけた。

 まだ濡れている地面をゆっくり歩き、水滴の残るベンチをハンカチで拭き、いつもの所に座った。

 それから一時間後、蒼太は姿を現した。


「久しぶり、紅美ちゃん」

「うん、久しぶり」


 紅美は自分でも無意識にとても笑顔になっていた。

 雨であえなかったこの数日、その間も忘れなかったあの空、雨のもたらす暗い気持ちなど吹き飛ばすほど嬉しかったのだ。


「あの空まだ覚えてる?」

「うん、忘れられないよあれは」

「そっか、よかった」


 それから一時間ほど、雨の間のうっぷんを晴らすかのように二人は些細な事でもいろいろ話し合った。

 その日は雨の後だけあって蒸し暑く、熱したアスファルトから独特の匂いもしている。

 雨の数日会えなかったのが、逆に二人を近づかせたのかもしれない。


「あれから何か見えた?」

「だめみたい、やっぱり蒼太君と会ってからじゃないと見えないみたい」

「そっか、なんか嬉しいな」


 蒼太は照れながら言った。

 紅美にはその言葉の意味はあまり理解できていなかった。


「そうだ、今日は蒼太君にお願いがあるんだけど」

「なに? 僕に出来る事なら何でも言ってよ」


 実は紅美には欲しい物があったのだ。

 それを事前に両親に了解をとり、この日家を出る前に全て必要な物は持ってきていた。


「雨の日会えないから、携帯電話が欲しいと思ってね」

「携帯もってなかったんだ」

「うん、話す相手もいないし。だから一緒に買いに行って欲しいの」

「もちろんいいよ」


 紅美は携帯を持っていなかった。

 今まで電話するような相手もいなかったし、メールは見えないからだ。

 両親には前から携帯の事を言われていたが、家から近いこの公園以外に出かけない紅美にとっては必要の無い物だった。

 そんな紅美にも電話したい相手ができた、それが蒼太だったのだ。

 二人は街に向かった。


 二人がいた公園の近くのバス亭から二十分ほどで街には着く。

 街には人が多いので、紅美が蒼太の腕につかまると蒼太はとても照れた様子を見せた。

 そしてどこに寄るでもなく、真っ先に目指したのは携帯ショップだった。


「どんな携帯がいいの?」

「私よく知らないから、蒼太君選んで」

「ん〜、どういうのがいいかね〜」

「電話ができればなんでもいいよ」


 紅美がそう言っても蒼太は真剣に選んだ。

 普通の女の子なら見た目も気にするところであるし、今の紅美には奇跡が起こるからだ。

 もし奇跡が常に起こるようになったら、きっと携帯の見た目に喜んでもらえるとも思った。

 蒼太はまだ知らない、紅美があの日何を見ていたかを。


「これがいいかな、折りたたみの割と新しい奴」

「うん、蒼太君がそれでいいなら」


 蒼太が選んだのは真っ赤な携帯だった。

 女の子の携帯という事で蒼太が赤を選ぶのも自然な事だった。

 さっそく契約を始めると、三十分ほど時間がかかると店員は言った。

 二人はその間どこかで食事をすることになった。


「なに食べる?」

「ハンバーガーが食べたい」


 紅美が意外にもファーストフードを所望した。

 蒼太はてっきりお金持ちの家の女の子なので、もっといい物を食べたいと言うと思っていたのだ。

 それとは逆に紅美は、普段食べない物を食べたかったのだ。


「それじゃあそこの店入るね」


 二人は注文をして、店の中の椅子に座る。

 そんな時蒼太が気付いたのは、紅美がハンバーガーの包みをなかなか開けられない様子だった。


「あんまりハンバーガーは食べないの?」

「実は、初めてなの」


 蒼太はとても驚いた、さっき自分の心の中でお金持ちの女の子と思っていたのと同時に、ハンバーガー食べた事無い人がいるとは思っていなかったのだ。

 蒼太は食べやすいように包みを剥いてあげた。


「そうなんだ、味はどう?」

「美味しい!」


 紅美が見せたこの日二度目の笑顔、蒼太はそれがとても嬉しかった。

 なんでもないただのハンバーガーを食べただけでこんなに喜んでくれる女の子、その女の子に今まで以上に心引かれる蒼太であった。

 そんな時、紅美がある事を蒼太に言った。

 それは特別意識してると言うよりは冗談半分に。


「二人でこうしてるとカップルに見えるかな?」


 言った紅美自身が顔をとても赤く染めている。

 言われた蒼太も照れを隠せない様子だ。


「見えるなら僕は嬉しいけど……」


 蒼太は恥ずかしそうに言った。


「私も……そろそろ携帯できたかも」


 紅美の体内時計はとても正確だった。

 さっきの言葉の照れ隠しと同時に三十分経った事を蒼太に伝えた。

 二人は携帯を受け取り、公園に戻る事にした。


 いつものベンチに再び戻ってきた。

 蒼太は手馴れた手つきで紅美の携帯の設定をする。


「僕の電話番号いれてもいい?」

「うん、お願い」


 紅美の生まれて初めての携帯電話、その登録の一番は蒼太の電話番号になった。

 蒼太は電話の方法を紅美に教え、充電しないと使えない事も伝えた。


「早く電話してみたいな」

「目の前にいるんだから口で言えば伝わるよ」

「そう言う意味じゃないの」


 まるでおもちゃを買ってもらった子供のように紅美ははしゃいでいた。


「今日はまだ見えないの?」

「うん」

「何か見たい物ある?」


 紅美は鞄に携帯電話を仕舞い、蒼太の方を見た。

 そして、蒼太の手を掴み目を開く。

 もちろん目を開いたから見えると言うわけではないが、確かに蒼太と紅美の目は合っていた。


「蒼太君の顔が見たい」

「えっ……」


 蒼太は一瞬目をそらしてしまった。

 紅美の目が見えない事がわかっているのに、目を合わせるのがとても恥ずかしかったのだ。

 さらに紅美がなにげなく掴む手、それがさらに蒼太の体温を上げる。


「私を見て、見えるまで見て」


 紅美の真剣な物言いに蒼太もしっかり紅美を見る事にした。

 何分たっただろうか、二人が手を取り見詰め合っているが何もおきない。

 しかしそれでも二人は見つめあい続ける、何分も何十分も……。

 張り詰めた空気を、ぬるい風がなんどもどけようとしても空気は変わらない。

 そんな中蒼太がとうとう口を開く。


「キス、したい」


 紅美は何も言わなかった。

 蒼太も紅美の返事がなくとも行動に移す。


 二人は初めてキスをした、ほんの一瞬軽い口付けを……。


「ごめん」

「なんで謝るの」


 先ほどまでとは違った空気、でも張り詰めた空気が二人を包む。

 太陽から発する熱気や、ぬるさを運ぶ風がこれほど無力だった事は過去にない。

 そして、その時紅美にまた変化が起こる。

 蒼太の顔をそらす紅美、何かを見たのだ。


「僕の顔見えた?」

「いや、恥ずかしくなっただけ」


 紅美は蒼太に嘘をつく。

 紅美が見た物、それは蒼太の顔ではなかった。

 『女の子』を見た。

 それが誰だか心の中でわかってる。そう、紅美自身の顔だという事を。

 わかっていた、目を開こうが何をしようが、見えるのは自分の視界ではなく蒼太の視界。

 しかし、それをまだ蒼太に伝えてはいない。だから嘘をつく。


「ちょっと早いけど、今日は帰るね。買い物付き合ってくれてありがとう」

「わかった」

「電話するから」


 そう言って紅美は、いつもより軽く早い速度で歩いていた。

 ファーストキス、それが今日だった事。

 さらに自分の顔を生まれて初めて見た事。

 蒼太と会ってからの数日、紅美には奇跡のような体験がいっぱい押し寄せていた。


 自分の部屋に着いた紅美は自然に笑みがこぼれる。


「キスしちゃった」


「私の顔、初めて見ちゃった」


 人生初の経験が一日に二個も起きた、それは紅美にとって大きな一日となる。


「そうだ、携帯充電しないと」


 手探りで携帯の紙袋から充電器を出し、充電を始める。

 その待ち時間ずっと紅美は浮かれていた。

 そして紅美が充電を始めてから数時間が経ち、そろそろ電話をしてみようと手に取った時だった。


「また……」


 そう、再びあの暗闇が襲ったのだ。

 以前は暗闇という事すら紅美にはわからなかったが、今の紅美にはこれが『黒』だという事が分かる。


「これは、見たくないよ……蒼太君の顔が見たい」


 そう言って携帯電話を握り閉めた時だった。

 その暗闇が晴れた。

 そして今度は何かの映像が紅美の視界に入ってきたのだ。


「これは、誰?」


 やはり見えたのは紅美の視界ではないようだ。

 そして紅美が見た物、それは女の子だった。

 しかし、公園で見た自分の顔ではないことがわかる。

 その映像は1分ほど続いたあといつもの紅美に戻った。





「笑ってた、とても笑顔で笑ってた」




 自分でもなぜだかわかってはいないが、紅美の目には涙が溢れていたのだった。


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