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3:私の青い空

 翌日、蒼太は諦めずに公園へ訪れた。

 夏の青空の下、人のいない小さな公園。いつもの赤いベンチに紅美は座っていた。

 蒼太はとてもうれしかった、毎日いるはずの紅美が昨日はいなかったからだ。もしかしたら病気なんじゃないかとか、嫌われてしまったんじゃないかとかずっと考えていたからだ。


「こんにちは、紅美ちゃん」

「こんにちは、今日も来てくれたんだ」


 紅美の隣に蒼太は座る。

 ほんと些細な事なのだが、今日の紅美はいつもと違った。

 それは本を開いていない事だった。


「昨日も来たんだけど、いないから心配したよ」

「昨日も? ごめんなさい、昨日はちょっと調子が悪かったの」

「いや〜別に待ち合わせしてたわけじゃなく、こっちが勝手に来ただけだから」


 この日、蒼太の目に映る紅美はどこか違う。気が抜けているというか、なにかぼーっとしてるような印象を受けたのだ。


「そういえば、今日は本持ってないんだね」

「うん」

「忘れたの?」

「違う、本はもういいの」

「そっか」


 蒼太は突然立ち上がった、それに紅美も反応した。


「どうしたの蒼太君?」

「この間みたいにさ、見えるかもしれないから一緒に公園の中歩いてみない?」


 紅美は俯いて返事がない。

 蒼太としては、もっと見て欲しかったから言った言葉にあまりリアクションがなく不意を突かれた気持ちだった。

 またもや微妙な空気が二人の間を流れている。


「ごめん、もういいよ見えなくて。あれは偶然だったんだよ」


 紅美の突然の心変わりに蒼太は疑問を感じた。

 つい一昨日会った時には、紅美のほうから見たいと言っていたのになにがおこったのか。まだ出会って日が浅いながらも、蒼太はなにかあったのだと感づいた。


「何かあったの?」

「うん」

「せっかく友達になったんだし、僕に話してくれない?」


 友達という言葉に反応したのかもしれない。紅美は立ち上がり、手を差し出した。


「わかった、公園を歩きながら話すね」


 蒼太が紅美の手を取り、公園をエスコートする。

 この時二人は意識していなかったからか、初めて手を繋ぐと言う行為になんのためらいも恥ずかしさも持っていなかったのだ。

 二人はまず滑り台の方へ向かって歩き出した。


「一昨日家に帰ってからね、変なのを見たの」

「変なの?」

「何か一色だけの世界になって、とても怖かった……」


 滑り台は、最近色が塗り替えられたばかりでとても綺麗な水色だった。もちろん紅美はその色の事は知らないが、業者が色を塗っていた事は知っている。

 紅美が滑り台に触れながら呟く様に言った。


「この滑り台って、何色なの?」

「水色だよ」

「それじゃ、空と同じ色なんだね」

「空も確かに青や水色なんだけど、一緒かと言われると違うかな」

「そうなんだ、同じ色でもいろいろあるんだね」


 滑り台の滑る部分に触れると、冷たさと肌触りからなんとなく鉄なんだと紅美は感じる。その鉄が何色なのかはわからないだろうが、なんとなく綺麗な色を想像した。


「一色だけの世界っていうとやっぱり黒なのかな?」

「さあ、私にはそれもわからない」

「いままでずっと見ていた色とは違ったなら、僕が想像するに白か黒のどっちかだと思うんだけど」


 蒼太の考えは正しいのかもしれない。普通に考えれば目を瞑れば黒と考える、それ以外になにか一色となるとやはり白が最有力だからだ。

 しかし、これは正解であって当たりではないのかも知れない。それは所詮目の見える蒼太の意見だ、実際にどうかは紅美の目が見えるようにならない限り分からない事なのだ。

 次に、二人はブランコに腰掛けた。


「それと、驚かないで聞いて欲しいんだけど」


 紅美は子供のように、座りながらブランコを漕ぎ出した。その時風でワンピースのスカート部分がフワリと浮き上がったのを蒼太は見てしまった。紅美は見られたかどうかはわからないが、手で押さえて漕ぐのをやめた。

 見てしまった蒼太は、バレないようにと平静を装っている。


「白だったでしょ」

「ごめん! 見えちゃっただけなんだ」

「私、まだ何も言ってないけど」


 蒼太はまんまと引っ掛かってしまった。一つ救いがあるとすれば、顔が真っ赤になっているのを紅美に見られなかったという事だけだ。


「あのね、私この間見えた時目を開けてなかったの」

「そういえば……」


 二人ともあの時のことを思い返してみたが、やはり目は開けていなかった。

 それがどういう事なのか、二人ともすぐに分かった。紅美の目が見えたわけではなく、それ以外の何かが起こったという事に。


「それじゃ、あれはなんだったんだ……」

「私が聞きたいよ……」


 二人はブランコを降りた、そして鉄棒の方へ向かった。

 紅美が手探りで鉄棒の方に歩き出したので、蒼太がそれを後ろから追う。


「え……」

「どうしたの紅美ちゃん?」


 鉄棒に近づいたその時だった、紅美は再び不思議な物を見た。

 とても、とても不思議な物を……。


「また見えたんだけど」

「目は開いてた?」

「いや、閉じてた」

「何が見えたの?」


 蒼太の問いに対し、紅美はすぐに返答するのをためらった。この時見たものが、前に見たのと比べ明らかな違いがあったからに違いない。

 そう、それはとても不思議な光景。それと同時に目の見えない紅美ですら判断できる内容。それは『女の子』だったのだ。

 では、なぜ女の子とわかったのか。まず見えたのは人の後姿だ、そこから紅美にでもそれが女の子だという事はなんとなくわかったのだ。長い髪の毛に、手で触って想像していたワンピース、そして想像の中の鉄棒と似ている物と並んで見えたおかげで身長もそこまで高くない事も。


「えっと……。あっ、鉄棒だよ鉄棒」

「おお、まさに目の前に物が見えたんだね」


 紅美はその意見には同意しかねない確かな理由があった。もし蒼太の言う光景が見えたのならば人は見えないはずだ、それならあれは誰なのか。

 さらにもう一つ分かった事は、昨日見た怖い色と同じ色を見つけたのだ。それは、女の子の髪の毛と鉄棒の一部の色が昨日のそれと同じだったのだ。


「その鉄棒の上の棒の色は、何色って言うの?」

「これは黒だよ」

「これが、黒なんだ……」


 一昨日紅美が悩まされたあの怖い色、それは黒だった。同時に、いままで自分が見ていた色はなんなのか疑問が浮かんでくるのであった。

 さらには、目も開けてない上に自分からみえる光景じゃない物が見えているという事を理解してしまったので、とても頭が混乱しているようだ。


「なんなの、なんで見えるの! 私は何を見ているの!」


 紅美は声を大きくし、動揺の色が隠せない。


「だ、大丈夫紅美ちゃん?」


 紅美は鞄から杖を取り出した。


「蒼太君は、怖くないの? 目も開けてないのに見えるんだよ?」

「そ、それは確かに不思議だけど……」


 杖を突きながら公園の出口の方へ向かおうとしている。蒼太は考える、いったい何が起こっているのかを。


「とにかく、見えたものはしょうがないよ」

「人のことだからね……」

「いや、友達じゃないか! 一緒に考えてみようよ」


 再び、友達と言う言葉に反応し足を止める紅美。

 蒼太は紅美の元へ駆け寄り、杖を持ってない方の手を掴んだ。


「そうだ、行って見たい場所があるんだ!」


 強引な蒼太の行動に、紅美はそこまで嫌な気持ちにはならなかった。それに蒼太が行って見たい場所に、自分を連れてってくれるという事が嬉しかったのもある。


「どこに行くの?」

「高台のマンションの最上階に」

「何が見えるの?」

「この時間なら、きっと綺麗な空と海が見えるよ」


 そう言って二人は高台のマンションに向かうのだった。

 二人が住む街から海までは、結構な距離がある。しかし高台にある街なので、高いところに行けば海を見渡す事も出来るのだ。それに、この時間なら……。



 二人はマンションの最上階に到着した。階段の踊り場からは絶景の光景が広がっているのだ。

 そこには夕焼けに染まった空と太陽、そしてそれを受け取ろうと待ち構えてる赤く染まった海、さらにどこまでも続く水平線だった。


「着いたよ、紅美ちゃん」

「うん、空気でなんとなく高いところだってわかるよ」

「さっきみたいに見えないかな、この光景を見て欲しいんだ」

「海か〜……、かすかに潮の匂いがするね」


 そんなマンションの踊り場、二人は同じ光景の前にいる。でも、蒼太は見えるが紅美には見えない。それが二人の距離の大きさを表しているようだった。同じ場所にいるのに同じ感情になれない、そんな大きな距離が。

 それを誰よりも悔しがっているのは蒼太かもしれない。出来る事なら見せてあげたい光景、でも今の蒼太には何にも出来る事はない。その無力さが蒼太をとても苛立たせる。


「なんで、なんで……。今こそ奇跡って起こるもんじゃないのかよー!」


 蒼太は海に、空に、風に叫んだ……。


「み、見えた……」

「え?」


 蒼太の願いが叶ったのだろうか、それとも偶然なのだろうか。今の二人にはそんな事はどっちでもよかった、見えたと言う事実があるのだから。


「見えたよ! これが空なのね、これが海なのね……」

「よかった……。か、感想は?」

「綺麗、とても綺麗。こんな綺麗な光景を今まで見れなかった私はなんて不幸なの……。それと同時に、私にしか味わえないこの美しさと言うものがあるのかもしれない。それはなんて幸福な事なの……」


 二人の目には涙が浮かんでいた。

 蒼太は、紅美にこの光景を見せる事が出来た喜びからだろうか。

 紅美は、生まれて初めての海と空を見れた感動からだろうか。

 そんな理由も凌駕するほどの感情を心に、二人は泣いたのだった。

 でも、紅美の感動はそう長くは続かなかった。


「見えなくなった」

「そっか……」

「でも嬉しい! 空が見れたの、海が見れたの!」

「僕も嬉しいよ」


 この日二人は、空が暗くなるまで踊り場で余韻を楽しんだ。


「紅美ちゃん、家まで送っていくよ」

「ありがとう」


 余韻を噛み締めながら歩く二人にとっては、紅美の家までの距離はあっという間に感じられた。

 紅美の指示に従いながら、家まで手を繋いで歩いた。


「ここが私の家」

「で、でかいね。驚いたよ」

「わからない、自分の家も見た事無いから」

「そっか、かなり大きい家だよ」

「それじゃ、またね蒼太君。今日は本当にありがとう」

「うん、それじゃまた公園に行くよ」


 紅美は手を振った。見えない蒼太の後姿を見つめながら、蒼太が見えなくなるであろう時間振り続けた。


 自分の部屋に行き、ベッドに倒れこむ。

 さっきまでの余韻が嘘のように、孤独が紅美を襲ってくるのである。

 さらには、紅美にとって無視できない問題が一つ解決していなかった。


「さっきの……、あれは私なのかな……。もしそうなら私は誰の見たものを見てたの? やっぱり蒼太君の目線なのかな……」


 まだ何が起こっているかもわからない紅美に答えを出す事はできないが、予想はできていた。さっき見た光景が蒼太の目線である事、それに見えた女の子は自分自身だという事を……。

 そして決めたのだった、この事は確かになるまで蒼太にも話さない事を。


「それにしても、あれが空か〜。そして海か〜」


 一転して笑顔になり、ベッドを転がる紅美。



「綺麗だったな〜、また見たいな〜……、青い空に、青い海」



 当然の事なのだ。

 生まれてから色を見た事がない紅美。空が赤く染まっていようが紅美にはわからない、それに空は青い物海も青い物と思っているのだから……。


 紅美が夕日の存在を知らないわけじゃない、だから蒼太がこの日説明していれば問題はなかったのかもしれない。


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