少しだけさらば青春の光に似ているかもしれない春の夕暮れ
知り合ってから手を握るまでに25年以上かかった男女。偶然にしか出会えない、ちょっと寂しい大人たちの物語です。
今思い返してみると、タバコが一本残っていたらC君とは再会しなかっただろう。
タバコはやめたことになっているので、家では吸えない。
だからいつも、仕事帰りの途中にある公園で一服して帰る。
その日の夕方、公園の駐車場に車を停めてケースを開けたら、空だった。家の近くのコンビニまで行ってから買うと、のんびり吸える場所がない。
やむを得ず、公園脇のコンビニに入った。
このコンビニはあまり好きではない。
4・5年くらい前、レジの子に「おにぎり、温めますか?」と聞かれたので「熱くしないで、人肌程度にして」と頼んだら、ものすごく嫌な顔をされた。どうやら最近の若い女の子には「人肌」の意味が通じないらしい。同年輩やそれ以上の人との付き合いは楽なものだとつくづく思う。
なんだかめんどくさい印象しかなくて、それ以来一度も利用していなかった。
午後五時過ぎたコンビニの駐車場は車でほぼ満杯。辛うじて黒いクラウンの隣に停めて車を降りようとすると、店から出て来た男性と目が合った。
というか、見つめ合った。
それがもと同業者C君との12年ぶりの再会だった。
C君は即座に言った。
「B子さん! 変わってないね! 髪の色以外、昔のままだ」
わたしよりひとまわり若く、まだまだイケメンの範疇に入る男性がそう言ってくれたのに、咄嗟に返した言葉は以下の通り。
「C君・・・相変わらずだねー」
・・・言ってしまってから、あちゃ~、と思うのはいつものことである。
だがこの時は自分なりに精一杯の気遣いだった。
わたしの記憶にあるC君は常に英国風のオーダーメイドのスーツを着こなし、冗談かなにかのようなロールスを乗りまわしていた。
それなのに、この日着ていたのはアオヤマかどこかの出来合いのスーツだったし、車はありがちなクラウンだ。
咄嗟に、なにかが芳しくない、そう思ったが、そのことに気付かぬ振りをしたかったのだ。
「少し、話そうよ」
C君が言った。
少しバツが悪いような気もしたけれど、懐かしさの方が勝った。
わたしがタバコを買うのを待って、二人で公園に移動した。
C君は再びわたしの髪色を褒めた。
わたしは髪を染めるのをやめていた。
年がら年中バドミントンで大汗をかいているうちに皮膚炎を起こして医者に注意され、行きつけの美容師さんと相談して徐々に自然な白髪になるようケアしてもらったのだ。
2年かかったが、その間に都合よく中高年のシルバーヘアーが流行し始めたお陰で、臆面なく白髪頭でいられるようになった。とまあ、だいたいそのように説明した。
C君はキザなオールバックをやめていた。
「就職したての会社で重役と間違われたせいだよ。こりゃーマズいかと思って」
「え、勤め人になったの? お店はどうしたのよ!」
「全部たたんだ。要は潰れたんだ。半年前のことだけど」
C君はセレクトショップをふたつとバーをひとつ経営していた。
遡ること20数年前、わたしは市内その他に数軒のセレクトショップを展開する会社に勤めていた。
近くの町にも似たような店があり、C君はそこのワンフロアで店長をしていた。
わたしの勤め先はどちらかと言うと保守的な商品が多く、顧客の層も安定していたが、C君の会社はもっと先鋭的な商品を扱っていた。どんな感じかと言うと、(現在はどうなっているのか知らないが)30年近く前のラフォーレ原宿の、さらに選りすぐりという雰囲気があった。
とにかく、なんとなくライバル会社みたいな感じだった。
たまに都内での展示会なんかで鉢合わせをすると、無言の火花が散った。
それでも、先方の品揃えに興味を覚えたわたしが店を訪ねるとC君は歓待してくれて、商品の説明や来歴などをよく話してくれた。
わたしはあまり話すのが得意ではないので(まことに不思議なことに接客トークになると立て板に水のごとく喋るのだが)、おとなしくC君の話を聞いたものだ。
彼はもともとホテルマンだったのを、ここの社長に引き抜かれて服飾業界に入ったのだと言っていた。
自分の仕事に誇りを持っている様子だった。
それから何年もしないうちにC君は独立して、隣町に店を構えた。
外資系の企業から転身した個性的な同僚と結婚し、彼女とふたりで明るく笑っている写真と署名付きのハガキが、そう知らせてくれた。
ほぼ義理みたいな気持ちからちゃちなアレンジフラワーを携えてお祝いに行くと、もとの店よりさらに個性的な品揃えのカッコいいお店で、若い女の子でごった返していた。
わたしの方は服飾関係の仕事に疲れて店を辞めた。
医療機器の検査をする会社に勤め、それも契約が終わると、隣町に近い国道沿いの飲食店でアルバイトをしていたのだが、いつの間にか再び、今度はもっと小規模なショップの手伝いをするようになった。
働き始めたら熱心に働いてしまうわけで、新ブランド開拓を兼ねてビッグサイトまで出向いたりする。
そこで10年ぶりかC君に再会した。
納期を守らないのが常習のメーカーさんに詰め寄っていると、その向こうにC君がニコニコして立っていた。
C君がお昼を奢ってくれると言うので、表の軽食堂までついて行った。
「今、もうひとつ店を開く準備をしているんだ」
あまり味のしないパスタかなにかをほおばりながら、C君は言った。
「それが軌道に乗ったらバーをやりたい、というか、やる予定」
わたしはただ聞き役に回るしかなかった。
・・・いいわね~・・・
とてもそんな夢や希望を語れない。
わたしの方は、当時の雇用主にかなり苛ついていた。
2・3年付き合って分かったのは、オーナーの婆さんが単なる有閑マダムに過ぎないという事実だけだった。
わたしが提示する年間の予算表も理解せず、業者からおだてられるのが嬉しいのだろう、目を離した隙に利益率が低くストーリー性のない商品をじゃんじゃん仕入れ、気前よく札びらを切った。
小さな店の利点をいくら説明しても、ありふれたデパートに置いてあるような大手のブランドを信奉していた。
季節ごとにイベントを企画すれば、はっきりマイナス方向にハイテンションになる老婆の世話を、いつまで続けられるか自信がなかった。
そうこうしているうちに、苦労して集めたメーカーさんの製品の価値を引きずり落とすかのごとく、一見の客に請われるまま、なし崩し的に値引きしたり信用貸ししたりする婆さんの態度にとうとうキレて、結局その店も辞めてしまった。
協力してくれた担当さんたちには悪いことをしたと反省したが、当時はこっちの精神状態がアブなかった。寝ている間も腹立ちのあまり歯を食いしばっていたせいで、奥歯が一本折れてしまったくらいだ。
辞めてみると、つくづくほっとしている自分がいた。
そのまま放心状態で1か月ほどブラブラして無駄に過ごした。
ある日友人に誘われてC君の新しいショップを見に行った。
ますます尖ったセレクトで、海外のブランドが大半を占めていた。
カッコよかったけれど、『アメリ』という映画に出てくるポルノショップみたいな試着室と、やけに目に留まったナチを思わせる一着のジャケットが、どうも好きになれなかった。
なんでもかんでも取り入れれば良いものでもない、というような気持ちがチラッと心をかすめた。
C君は離婚して、最初の店を元奥さんに任せていると言った。
今はもうちょっと若い人と交際していて、結婚する予定であるとも言った。
わたしには特にコメントしたい言葉がなかった。
店には若い男女の客が、ひきも切らずやって来ていた。
わたしは何度か性格に合わない転職を繰り返し、最後は安売りの量販店に落ち着いた。
ここなら数字に追いつめられることもなく、仕入れやリサーチの出張もない。
なんと言っても気楽が一番だ。
Jポップだか歌謡曲だか、なんというジャンルなのか知らないが有線放送の品のない音楽に耳をヤラれないよう注意しながら、ひたすら品出しとレジ打ちの日々が続いた。
世の中はリーマンやら災害やらで景気は悪くなる一方だが、だからこそこの業界は成長する。どんな時代でも、底辺に安物を消費させておけば企業は儲かるのだ。
その行き着く先に何があるか、そんなことはもう、わたしの責任ではない。
考えても仕方ないし、仕事は面白くないしで、余暇はスポーツ馬鹿になって過ごすようになった。
ある夜、C君のホームページを見つけた。宣言通りバーも開業して数年経っていた。
C君は20代後半に自分の店を持って、30代でふたつのセレクトショップとバーの経営者になった、というわけだ。それもかなり尖った店ばかりだった。暇があれば一杯飲みに行ってみたいと思っていたが、ついに果たせなかった。
その後、わたしは自分の生活が忙しくて、C君のことはほとんど思い出さなかった。
そして・・・
「やっぱり、大資本にはかなわないよ」
夕暮れの公園でタバコをふかしながら、C君は言った。
わたしは答えようがなく、黒っぽい池のふちに佇む灰色のサギを眺めていた。
「だけど、僕はこのままで終わらないから。きっとまた、なにかやるよ。もう幾つかプランはあるんだ」
C君はわたしの顔を見て言った。
「そのうちもうひとつ、店を始めるつもりだよ」
わたしは笑って言った。
「そしたら、わたしを雇ってよ! お婆さんになっていなきゃ、だけどね」
するとC君はわたしの手を握って言った。
「B子さんは僕にとって・・・えーとね・・・友達以上、恋人未満、な存在なんだ」
尖りに尖って生きてきたC君の口から学園ドラマかなにかに出てくるようなセリフが出たのが、少し可笑しかった。
振り返ってみれば、まさにその通りなのかもしれない。
20代や30代が同じことを言えば、なんだか言い訳めいたクサい言い回しだけれど、50歳と62歳の間柄ともなると「これもアリかな」と素直に笑える。
宵闇が迫り、わたしたちは別れた。
「また会おうね」
「うん、またね」
C君は手を振って、まだ残っているはずの希望に向かって走り去った。
ぽつりと雨が落ちて、花粉だらけのフロントガラスに点々を作った。
わたしはエンジンをかけ、それから「サヨナラ」と声に出して言ってみた。
まさか男女の物語を書くとは、自分でも思っていなかった。
恋愛ぽいものを書くのは、これが最初で最後かもしれません。