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6:吐き出して。

 問六:向き合うのに必要なのは、勇気だけですか?




 さて、身だしなみを整えて、昨日の残りを朝ごはんとして食べて。

 少しお腹を落ち着けた後、約束通りに浴場の掃除を始めて、そうしてしばらく経った頃。


「ティノはさ。探検とか冒険とか、そういうのに興味はあるか?」


 デッキブラシでシャコシャコと浴場の床を磨いていた僕は、同じく、デッキブラシで広い浴槽の中をシャコシャコ磨いていたアクセルさんから、唐突に質問をされた。……あ、いや、実際は唐突でもなんでもなくて、雑談として質問されたってだけなんだけど。それも、「もっとお互いの事を知ろーぜ」って前置きしてきて、それからアクセルさんが質問してきただけなんだけどさ。


 でも、内容が内容だったから、僕にはどうしてか唐突に感じられて。

 なんで『探検』やら『冒険』なんて言葉が出て来たのか、よくわかんなくて。


 ――いや、ホントになんでこれ聞くの?


 単に雑談をするだけなら、他の話題もあったんじゃないかなって、僕は思う。

 お互いを知るだけだったなら、もっとこう、身近なところから聞けばいいよねって、そうも思う。

 例えば……ほら、「兄弟は居るのか?」とか、そういう家族の話題とか。

 あるいは、定番の「好きな子はいるのか?」っていった、ちょっと恥ずかしい話題とかさ。


 ――なのに、なんでピンポイントで探検と冒険なんだよ。それ知って、そっからどうすんだよ?


 頭に浮かんだ疑問そのままに、戸惑った顔をしてアクセルさんを見つめてみたけれど……うん。どうやらアクセルさんには、僕の思いがちゃんと伝わらなかったらしい。


 だってアクセルさん、「オレはどっちとも大好きだぜ!」なんて明るい声で言い切った後に、「子供の頃はよく冒険ごっこしてさ」とか言って昔話を始めちゃったし。「今も遺跡を見付けると、テンションが上がってさー」とか言って、いまだに冒険が好きなんだってアピールもしてきたし。……しかもその後に、こう……すっげぇ子供っぽい……だけど、本気で僕の事を知りたいんだって分かる目をして、「ティノも冒険好きか?」ってもう一回聞いても来てるしさ。……だからきっと、僕の疑問には気付いてないんだろう、うん。


 まあ、多分、単にそういう話が好きなだけなんだって、そうも思うけどね。

 僕の友達も、初めての会話が「ゲームやろうぜ!」だったし。

 他にも、「ヒーロー好きか?」って聞いてきた奴もいたしね。

 だからきっと、そんな理由でアクセルさんは聞いてきたんだろう。


 ――だってこの人、すっごく子供っぽいしさ。


 なんて思ったから、僕は笑ってコクンと頷いて。

 それから、歯を見せて「にしし」って感じに笑ってもみせて。


「お、そっか! ティノも冒険、好きなのか!」


 僕の笑顔での返答を見たアクセルさんは、とっても嬉しそうな声をあげた。おまけに、「オレ達、仲良くできそーだな!」って言って何度も頷いてるから……多分きっと、話が合う人が見付かって、嬉しいんだろう。

 勝手なイメージだけど、リズさんはこういう話、あんまり好きそうじゃないし。だからきっと、同じ男である僕が、同じものが好きだったから喜んでいるんだ。いわゆる、女の子には分からない男の子特有のノリ、ってやつでさ。


 ――だって僕も、そうだもん。


 だからこそ、僕は『しょうがないなぁ』って感じに苦笑いを浮かべる。

 僕よりも子供っぽく見えたから、アクセルさんに気を許してもいいんだって考える。

 だって、『こっち』には『変なもの』が多いけど、アクセルさんは普通だし。

 僕によく似た顔立ちだから、こう……安心しても良いんだって思えるしさ。


 ――そう、この人は、服装以外は『普通』だもん。


 ――僕にも理解が出来る、子供っぽくて優しい人なんだもん。


 そう思ったからか、僕は自分のほっぺたが緩むのを自覚した。それに、ちょびっとだけ、もう少しだけなら、心の距離を近付けても良いかなって、そうも考える。……だって、ほら、そっちの方が色々と楽だし? 助けてくれた人には、『せーいを持ってたいおーしろ』ってお父さんも言ってたし。


 そう思うから、僕はまた、笑顔を浮かべようとして。


「えっと、じゃあさ、ティノ。『モンスター』と戦うなら、剣と弓のどっちが良いんだ?」


 けど、『だからこそ』、当たり前のように続けられた質問に、僕は思わず掃除の手を止めた。

 何を聞かれたのかがわからなくて、気付けば思考も止まっていた。

 だって、僕には……よくわかんないから。

 どうして『そう言う前提』なのか、理解が出来なかったから。


「……ティノ?」


 ――……ぁ、え、っと…………。


 少し空回って、けれどもアクセルさんに声をかけられて、僕の思考はまた正常に回り出す。

 それから、『さっきのはただの例え話か』って思い直して。

 元に戻った頭で、『なら何が良いかな?』って考える。


 ――だって……ほら、『マンガ』とか『ゲーム』で冒険って言ったら、バトルが付き物だし?


「冒険って言えば、やっぱ『モンスター』との戦闘も付き物だろ? だから、気になってさ」


 ――それにほら、アクセルさんも、こう言ってるじゃん。


 そう思えたから、僕はホッと息を吐いて。

 質問の答え『だけ』を、ぼやっと考えて。


 ゲームやマンガだったら剣を使うキャラクターが好きだけど、ごっこ遊びなら、やっぱり弓の方がいいよな。いや、僕、痛いのとか怖いのが好きくないから、剣だと怪我しそうで嫌だし。そりゃあ僕も男の子だから、友達とチャンバラとかもするけど……あれは、ほら、ヒーローの真似をしてるだけだしさ? ヒーローごっこと冒険ごっこは、色々と違うし。

 あ、でも、そういうヒーローごっこ的な冒険なら、剣もありだよね。……こう、剣をブンブン振り回して敵を倒すの、見ててすんげぇカッコいいし。僕も男の子だから、「必殺!」とか言いながら炎や雷をまとった剣で魔王を倒して、カッコいいポーズとか決めたいもん。


 ――なら、弓より剣だな。剣の方が、カッコいいよな!


 そう思う僕は、だからデッキブラシを持ち上げて。

 テレビで見たヒーローの真似をして、ブンッて一回振ってみせて。


「おいおい、元気なのは良いけど、急に振り回したら危ないだろ? 今はオレ達以外に人は居ねーけど、物を壊したり、壁や床に当たったら跳ね返って危ねーし。バランス崩して、転ぶかもれねーしな」


 ――ぅ、ごめんなさい……。


「でも、そっか。ティノも剣の方が好きなのか。……うん、やっぱオレ達、気が合うみてーだな! オレもティノと一緒で剣が好きなんだよ、カッコいいからな!」


 少し真面目に怒られてしまったけど、うん。……アクセルさんは軽く怒った後に、すぐ、楽しげな笑顔を浮かべてくれた。

 だから僕も申し訳ないって顔をしたけど、すぐにまた笑顔を浮かべる。……だって、多分そうするのが、正しいと思うし。いいや、なんで笑うのか、僕にはわかんないけど。でも、とにかく笑わなきゃ、ダメになるって思うから。


 だから僕は、楽しそうに笑ってみせるんだ。

 『こっち』のことを、深く考えないようにしながら。

 『あっち』のことを、強く、強く、強く……心に思いながら。


 ――だって僕は……僕、は……。


 ――ホントは、『あっち』に…………。


「……っ」


「……ティノ? どうした?」


 ――……ううん、なんでもない。


 不思議そうに聞いてきたアクセルさんは、多分、少しぼうっとしてしまった僕を心配してくれているんだろう。

 だって、この人がお節介で子供っぽいのは、このすんごく短い付き合いでもよくわかったし。

 だから、お人好しなアクセルさんなら、心配しないわけがないんだって僕にも分かるし。


 それに……そもそも僕、昨日は丸二日も気絶してたわけだし。

 アクセルさんじゃなくたって、普通は体調を心配する筈だし。


 ――そう、そうだよ。これは、『普通』の事なんだ。


 アクセルさんが僕を心配するのは、普通の事なんだ。

 『あっち』も『こっち』も関係なく、当たり前のことなんだ。

 たとえ僕が、『得たいのしれない子供』でも。

 たとえ『こっち』が、僕の『普通』と違う世界でも。

 どう考えても、普通じゃない『こっち』でも。


 そうだ、僕を心配するのは……普通の事なんだ。

 『こっち』に住んでるこの人が、僕を……『こっち』を知らない、僕、を…………。


「……っ、……」


「おいっ、大丈夫か!?」


 そう言われて、僕は「はっ」と我に返り。

 変な事を考えた頭を、左右にブンブンと振って。


 ――……いや、ホント、僕は何を思ってるんだっつーのっ!


 ズキリとして思わず頭を押さえたせいで、心配したアクセルさんが駆け寄って来てしまったけど、うん……僕は直ぐに笑顔を浮かべて、また頭を左右に振った。それから、『大丈夫だ』ってアピールするために、デッキブラシでシャコシャコと床の掃除を始める。何事も無かったかのように、笑顔のまんまで床磨きをするんだ。


 だって、ほら……早く掃除、しなきゃだし。

 だって、ほら……お昼から、街に行く約束だし。


 ――……うん、そうだよ。今日はこれから、街へ行くんだ。


 得たいのしれないモノに溢れた、『こっち』の街へ。

 本当は怖くて仕方がない、『こっち』の事を知るために。


 ――そうだ、『変なもの』がたくさんある、『こっち』の街へ……行かなきゃダメ、なんだ……っ!!


 そう思う僕は、シャコシャコ床を磨いていた手が、だんだんと止まっていくのを理解する。

 自分が、笑顔のまま泣き出していることも、理解した。

 そうしていろんな事を、理解して。

 理解して、理解して、全部……ホントは、全部理解して、理解、しちゃってて……。


「……ティノ」


 ふと、気付けばすぐそばまで寄ってきていたアクセルさんが、悲しそうに呟いているのを理解する。

 『僕』に向かって、『僕』じゃあない名前を呼んでいるのを理解する。

 『こっち』に来てから呼ばれ始めた、僕の名を。

 勝手に付けられてしまった、『僕』の名を。


 ……そりゃ、そうだよね。

 ……しかた、ないんだよね。


 だって、僕、何でなのか……声が出ないしさ。

 文字も違うから、名前を伝える手段も……ないしさぁ。

 だから、仮の名前で呼ぶのも……多分普通なんだ。

 愛称ってヤツみたいに、普通に普通の事なんだ。


 だから、大丈夫だ。

 気付かないフリをしてれば。

 気付かなければ、だいじょうぶ……。


 ――…………そんなわけ、ないじゃん。


 ――そんなわけ、あるわけないだろ。


「……、……っ、……っ……!」


 声もなく、自分でもわかるくらいに顔を歪めてすすり泣く僕の手から、デッキブラシが滑り落ちて、床に当たってカランと音を立てる。同時に、僕は近くに居たアクセルさんの方へ走りだし、勢いそのままにアクセルさんへとしがみつく。……すがり付くように、引き留めるように。助けてほしいって、助けて欲しいから、必死で掴んで握りしめる。


 だってホントは、何もかもが怖いんだ。

 『こっち』の全部が、怖いんだ。


 ――だって、僕はっ、僕はっ!!


「ティノ……」


 だから僕は、声をかけられビクッとした。

 けど、『だから』僕は、更にアクセルさんにしがみつく。

 だって、一人は怖いから。

 だって、助けて欲しいから。

 だから僕は、しがみつくんだ。

 お父さんによく似てる、アクセルさんに。

 お父さんだって思い込みたいから、必死でアクセルさんに、しがみつくんだ。


 本当は、違う人だってわかってるのに。

 似てるだけだって、理解してるのに。


 ――でも、だって、僕は……っ!!


「……ごめんな。お前にばっかり我慢させて、ごめんな」


 急に泣き出し、いきなりしがみつかれて迷惑だろうに、アクセルさんは優しくそう声をかけてくれる。そうして、恐る恐る……でも優しく頭に手をおいてもくれて。それからゆっくり……とっても温かい手で、とても優しく、撫でてもくれる。……僕のお父さんが、泣いてぐずる僕へ、いつもそうしてくれてたように。怖がりな僕の為に、いつも一緒に居てくれてたみたいに。


 だから、また胸がきゅっとなる。

 会いたくなるから、苦しくなる。

 アクセルさんによく似た、お父さんに。

 僕の大切な、大好きな、お父さんに。


 ――……お父さんっ、おどうざんっ!!


 ――……なんでっ、なんで僕のそばにっ、居てくれないんだよぉ……!!


「……っ、…………!!」


 だからこそ、僕は、ただただ思いっきり泣いて。

 お父さんによく似たアクセルさんに、声も無く感情をぶつけて。


 ――だって、無理だもんっ!! 僕、もう、耐えられないんだ……っ!!


 目が覚めて半日くらいしか経ってないのに、『こっち』には、頭が痛くなるくらいに『へんなもの』が溢れていた。それこそ、食べ物は勿論……お湯の出し方も、部屋の照明も、空に輝くお月様も。……僕が『あっち』で当たり前に見ていたものは、全部全部、『変なもの』に置き換わってしまっていたんだ。


 だから、僕は気付かないフリをしようとして。

 夢だと思って、気にしないようにして。


 でも、そんなの、無理に決まってるじゃん。

 『変なもの』だらけなのに、無視できるわけないだろ。

 だって、部屋の外に出れば、変な生き物が挨拶してくるんだぞ?

 窓の外には、変なものがたくさんあるんだぞ?

 部屋の中だって、変なものがたくさんあるし。

 食べ物を食べる時も、変なものを見なきゃならない。

 どころか……口に入れなきゃダメなんだ。

 得体の知れないモノを、食べないとダメなんだ。


 ――そんな事を、お父さん達と会うまで続けるとか無理だよ。


 ――いつ会えるかもわかんないのに、なのに、こんなの続けられるわけ……ないじゃんかっ!!


 だって、ホントはっ、死ぬほど怖いんだっ!!

 一人は……、ひとりぼっちで居るのはっ、怖いんだよぉ……っ!!


「……ひとりぼっちは、怖いよな。知らない場所に連れてこられて、怖くないわけ、ねーもんな」


 声も無く泣きじゃくる僕の頭を撫でながら、アクセルさんは優しい言葉をかけてくれる。僕のお父さんがそうだったように、僕の心を、僕の本当の気持ちを、僕の代わりに話してくれる。……声が出せなくなった、僕の代わりに。吐き出したくて仕方なかった、僕の中にある感情を。


「お前は、なんにも悪くねーんだ。お前が怖いって思うのは、普通の事なんだよ。

 無理に堪える必要なんてねーし、平気なフリしてオレ達に合わせる必要なんて、どこにもねーんだ。……無理して、自分に嘘なんて、吐かなくていーんだ。

 だからさ、今はちゃんと、思う存分しっかり泣いとけ。泣けるときに、思いっきり泣けばいいんだよ。……そうすりゃ、少しは楽になっからさ……な?」


「……っ、っ、……っ!!」


「……そうだよな、怖かったよな。ホント……よく一人で頑張ったよ。すげぇ偉いぞ?」


 最初に泣いた時と同じように、アクセルさんは優しく僕の背中を叩きながら、優しい言葉をかけてくれる。

 得体の知れない僕の事を、普通の子供のように扱ってくれる。

 『こっち』の事を何にも知らない、どう考えても怪しい僕なんかの為に。

 裏も何もない、心の底から僕を心配しているってわかる、そんな声をかけてくれるんだ。


 だから僕は、恐る恐る、顔を上げてみて。

 そうしたら、やっぱり優しい顔で、アクセルさんは笑ってくれていて。


 笑顔で僕の頭を撫でてくれるアクセルさんは、やっぱり、お父さんにそっくりだった。

 オロオロしたりするくせに、最後の最後はちゃんと決める、お父さんとおんなじだった。

 でも、お父さんは力強く頭を撫でてくれるのに、アクセルさんは、優しく撫でてくれるだけで。

 優しく撫でてくれるから、お父さんとは違う安心感があるような気がして。


 ……こう、気持ちが温かくなる、そんな何かが。

 ……気を抜いてもいいって、思える何かが。


「お、おい……っ」


 だから、僕はその場でへたり込む。

 泣いて、でも、気持ちを落ち着けながら、目を閉じる。

 そうして、ぐちゃぐちゃになってた思いを、一つ一つ(ほぐ)していって。

 一番始めに、『受け止めきれない』って気持ちを受け止めて。


 そうして、僕は笑うんだ。

 自分の為に、笑うんだ。


 ――僕が、ちゃんと前を向くために。


 とは言っても、まだまだ受け入れられないことはたくさんある。

 『こっち』の事を知るのは怖いし、『あっち』に帰れない……かもしれないのは、恐ろしいし。

 けれど、僕は、ちょっとだけ受け入れたから。

 ちゃんと泣いたからかどうなのかは分からないけど、ほんのちょびっとだけ、受け入れることはできたから。

 いや、うん……まだまだ全てを信じることは出来ないけれど。

 ホントはまだ、信じたくないって思ってるけど。


 でも、信じられなくても、受け入れるよ。

 怖いけど、目を逸らすのは……止めるよ。


『ここは、僕の居た世界じゃないって。此処は、異世界なんだって』


 ――気付かないフリをしたって、なにも変わらない事くらい……僕にもわかるから。


 だから僕は、目を開けちゃんと笑ってアクセルさんを見て。

 けど、急に恥ずかしくなったから、サッと立ってそっぽを向いて。


「……ははっ、ホント、ティノは泣いたり笑ったりが忙しいのな」


 ――ぐぅ……ぅ、うるさいなっ!!


 自分でも、よく考えなくても『じょーちょふあんてー』なのは理解できている。泣いたり笑ったりまた泣いたり、バカみたいに落ち着きがないのも理解はできてるんだ。……けどさぁ、仕方ないじゃんっ! だって、僕、ワケわかんない目に遭ってるんだよっ!? 気付いたら、ワケわかんない世界に居たんだぞっ!?


 そりゃ、混乱だってするよね!!

 もう、どうしたらいいのかわかんなくなるよね!!


 ――だから、そう。僕の行動は、逃げでもなんでもなく正しいことなんだっ!


 なんて思う僕は、自分の顔が真っ赤になっているんだろうって、そう思う。そして、そう思うからそっぽを向いて、とにかく何も考えないようにしながら床磨きを再開する。……いや、だって、早く掃除を終わらせなきゃだし。早く掃除を終わらせないと、宿屋のおばちゃんも困っちゃうだろうし。僕自身、もう、これ以上誰かに迷惑とか、かけたくないしさ。


 なんて必死に言い訳しつつ、僕は一心不乱に床を磨く。

 恥ずかしさを堪えるために、とにかく必死に床を磨く。

 ただひたすらに、シャコシャコと。

 一所懸命に、シャコシャコと。


「……なあ、ティノ」


 けど、掃除をしていた僕は、急に声をかけられて。

 チラリと視線を向けると……真剣な顔をして、アクセルさんが僕を見ていて。


「…………ごめん。なんでもねぇ」


 ――……?


 何かを言おうとして、でも、アクセルさんは頭を左右に振って誤魔化した。そうして、一度息を吐いてから僕に近寄ってきて、笑顔を作って僕の頭を撫で始めたわけだけど、うん。……僕には、勿論その意味はわかんない。いや、ホントは何を言おうとしたのか聞きたいけど、僕には声が出せないし。だから僕には、黙って頭を撫でられるしか、出来ないしさあ。


 だからこそ、ちょびっとだけ嫌だなって思って。

 でも、僕の事を考えてくれてるって事は、なんとなくわかってもいて。


 ――だから、うん。今は、気にしないでおこう。


 そうして勝手に思考を打ち切った僕は、『だからこそ』気付けなかった。

 自分の事に精一杯で、何にも気付けていなかった。

 僕達のこのやり取りが、僕の今後を大きく変えちゃうなんて。

 『僕』という人間が、どんな『立場』であるのかなんて。



 ――――このときの僕は、何にも気が付けていなかった。

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