5:拒絶。
問五:嘘も方便、じゃないですか?
ご飯を食べて、歯を磨いて。
言われるままに、ベッドへ入ってしばらく過ぎて。
――うん……美味しかったぁ……。
なんてひとりごち、目を閉じて思い返すのは、リズさんが作ってくれた料理の数々。中でも真っ先に思い出すのは、やっぱり柔らかいご飯かな。だって僕、お米大好きだし。家に居た時も、何回もおかわりしてたくらいだし。
んで、次に美味しかったのは……ふわっふわだったお魚『みたいなもの』の煮付けで、その次は、温かい野菜『みたいなもの』のスープで。他にも……『見たことない食材』で作られた、『ヘンテコ』な料理が並んでたことを僕は思い出していく。ううん、見たことあるものに『似てる』けど、全然違う料理がいっぱいだったのを、思い出すんだ。
それこそ、ただ炊いただけのお米も。
全部全部、『味』や『形』が違ってた、そんな……『ヘンテコ』な料理の数々を。
――そう、ヘンテコで、得たいのしれない……。
「……っ、……」
――……えっと……そういや、あの果物は……何て言うのかな。
『涙』を堪えてた僕の頭に浮かんだのは、いまだに声が出ないからこそ聞くことが出来なかった、不思議な果物のことだった。いいや、その、料理は勿論『色んな意味で』最高だったんだけどさ。僕にはどうしても、あの果物を見たときのインパクトを忘れることができないでいたんだ。
だって、その果物は見た目が小さいメロンで……なのに中は青空みたいな青色だったし。
見た目がメロンのくせに、ピンポン玉くらいの大きさで味は激甘なリンゴだったし。
だから、あんなの初めて見たから、だから気になったんだよね。
――でも、聞きそびれちゃった……。
多分だけど、僕が不思議そうな顔をすれば、アクセルさんは名前を教えてくれたと思う。それに、詳しい話をリズさんがしてくれたんだろうって、そうも思ってはいる。けど、うん。……僕、ご飯を食べるのに夢中になっちゃって、つい聞きそびれちゃって。つーか、こう、久しぶりにご飯を食べれたのが嬉しすぎて、また泣いちゃってさ。
だって、二日ぶりのご飯だったんだよ?
そりゃ、お腹も減ってたし、涙も思わず出ちゃうよね!
だから僕は、『残念なことに』果物の名前を聞きそびれちゃったんだ。本当は『知りたかった』のに、『つい』、知るタイミングを逃しちゃったんだよ。……ホント、残念だよね。うん、残念だよな、うん!
なんて思う僕は、だから照れたような笑顔を浮かべて。
一人で何をやってるんだろうって、ちょっぴり恥ずかしくもなって。
「……ティノ、眠れないのか?」
そう言われて、だけども僕は、あえて寝たフリをした。
耳だけそばだてて、隣のベッドにいるアクセルさんに集中もする。
だって僕は、今の僕は、誰かに話しかけられることが嫌で。
とにかく今は、適当な事を考えてなくちゃ……頭がどうにかなりそうで。
「…………ごめんな」
――……いや、なんでアクセルさんが、謝るんだよ。
思わず心の中でツッコミをいれてしまったけど……うん。僕には、アクセルさんが『何を』謝りたいのかが理解できなかった。
だってほら、アクセルさんは誘拐犯かもしれないけど、逆に、僕を助けてくれた恩人なのかもしれないし。お風呂とか服とか、それに料理……を作ったのはリズさんだけど、こうしてゆっくりおやすみ出来るベッドまで用意してくれたし。今だって、僕のことを心配してくれてるんじゃないかって、そうも思うしさ。
つーか、そもそもアクセルさんは、確か僕を背負って山を下りてくれたんだろ?
なら、僕には感謝こそすれ、責めるなんて出来ないよ……誘拐したんなら、別だけどさ。
――だから、謝らないでよ。どうせ、お父さん達に会うまでの、短い付き合いなんだし。
なんて考える僕は、目をうっすらと開けて、隣のベッドの上に座ってたアクセルさんへ笑って見せて。
逆に、僕をじっと見ていたアクセルさんは……とても悲しそうな顔をしていて。
『赤』『青』『紫』の月の光に照らされてるから……とても、怖い雰囲気に思えて。
「ティノ、ごめんな」
――……だから、なんで謝るの?
そう思う僕は、だから不思議そうな顔でアクセルさんを見る。
するとアクセルさんは、さっき以上に泣きそうな顔になる。
と言うか、既に泣いていた。
小さく鼻をすすって、泣いていた。
でも、僕にはその意味が、わからなくて。
どうして泣いてるのか、わかりたくなくて。
「オレ、絶対に見付けるから。必ず、『お前が居るべき場所』に帰すから。……だから、ごめんな。無理させちまって、ごめんな」
そう言うアクセルさんは、とても悔しそうな顔をしていた。
悲しんでて、でも堪えようとして。
泣いてるけど、だけど歯を食いしばって。
静かに涙を流しながら、僕の目を真剣に見ていた。
拳を震えるくらいに握りしめて、『何故か』、悔しそうな顔をしてたんだ。
僕には、その意味がわからないけれど。
僕にも、本当はわかっているけれど。
――……でも、大丈夫。僕はまだ、『何にも気付いていない』から。
そう思えるから、僕はまた、アクセルさんへにこっと笑って。
『もう寝ようよ』って思いながら、口パクで『ありがとう』って伝えて。
ベッドの配置的に、僕の背中側から月の光が入ってきてるから……きっと、僕の表情は見えていないのだろう。いや、うん、だから僕には、アクセルさんの表情がハッキリわかるけど。でも、逆光とか言うののお陰で、僕の表情はほとんど見えてないはずだ。
だから、多分大丈夫。
僕の言葉は、見えてない。
――……そうだよ。誰も気付かなければ……無いのと一緒だ。
――気付いてないフリをしていれば、きっと……いつか全部、夢になる。
だからこそ僕は、寝返りを打ちアクセルさんへ背中を見せて。
アクセルさんにバレないように、息を殺して静かに泣いて。
本当は理解しはじめてる事実を、胸の中に閉じ込めて。
――だから、大丈夫。僕はまだ、大丈夫……。
そう唱えて、僕の夜は更けていく。
僕の視界は、真っ暗闇に沈んでいく。
けれども、まあ。
どんな場所でも、明けない夜は無いわけで。
例え眠れなくたって、朝は必ずやって来るわけで。
――……ヤバい。どうしよう、ぜんっぜん眠れてないっ!!
よくよく考えてみれば、僕は山で気絶してからの丸二日、寝こけていたわけだ。で、そんな僕が起きたのは、昨日の日が沈んでから……つまりは夜だったというわけで。
うん、そんな状況で、直ぐに眠れるわけないよね。
二日も寝こけたその日の夜に、いつも通りに眠れるわけがないよね。
――あぁ、もう、最悪だぁ!! 今さら眠気が出てきちゃったじゃんかぁ!!
ベッドに入って何時間経ったのかわかんないが、窓の外は、既に結構明るくなってきている。だから外に広がる山やら何やらが目に入るし、つーか、ニワトリっぽいなにかが「ほげーっ!!」って鳴いてるのも聞こえるし……もう、これ、起きなきゃダメなヤツだよね? ここで寝ようと思っても、直ぐに起こされちゃうパターンだよね?
なんて思ったからか、僕の背後でガサゴソと音が聞こえてきて。
僕が窓の方を向いてるってことは、背後にはアクセルさんの寝ているベッドがあるわけで。
「くぁっ……ぁぁああぁぁ……。んー……ティノ、起きてるのか?」
――ほらぁ……やっぱりアクセルさん、起きちゃったじゃんかぁ……。
『噂をすればかげがさす』とかなんとか言うことわざをお父さんが言ってたけど、こういう時、嫌な予想ばっかりが当たるから本当に最悪だ。いや、何が最悪って、眠れてない事もそうだけどさ……多分アクセルさん、僕が寝れてない事に気が付いてるよね。絶対、僕が眠れなかったんだって、そう思ってるよね。
だって小声で、「やっぱりな」とか言ってるし。
困った感じに、「もうちょい寝かしてやりてーけど……」とか言ってるし。
――……こうなると、起きなきゃダメじゃんかぁ。
――この人おせっかいだから、起きて平気なフリしなきゃダメじゃんかぁ。
なんて思うから、僕はモゾモゾと身体を動かして。
こういう言葉に甘えた時の面倒さを知ってるから、平気なフリをして身体を起こして。
いや、だってさ……優しさに甘えるのって、罪悪感凄いんだよ?
一度優しさに甘えちゃうと、ずぅっと負い目を感じるんだよ?
ただでさえ、僕、昨日のあれやこれやで罪悪感がすごいのに。
アクセルさん達に迷惑かけちゃったから、謝んなきゃって思ってんのに。
なのに、これ以上甘えるとか、ホントに無理。
だだっ子みたいに甘え続けるとか、ホントに無理だから。
だから僕は、アクセルさんへニコッと笑ってみせて。
でも、アクセルさんは……僕の頭を見てポカンとしてて。
「……ぷっ、ティノ、お前……ねぐせ、すげーのな!」
――……え、は? ぁ、うわぁあああああっ!?
笑いはじめたアクセルさんにつられて髪を触ってみれば……そこはものすごい事になっていた。いや、何がすごいって、寝返りとか全然してないからかなんなのか、こう、モヒカンみたいになってて。もともと髪が中途半端に長いのもあるからか、こう、もう、完全なモヒカン状態になっちゃってて。
つーか、そうだよ。
すっかり忘れてたけど、そうだった。
僕の髪の毛は、なんでかわからないけど寝癖がすごくつきやすい。いや、ドライヤーでしっかり乾かして、それからお母さんに色々と『おていれ』をしてもらうと大丈夫なんだけど、ただ乾かすだけじゃ、もう、寝癖がすごいんだよ。今みたいに、すんげぇ事になっちゃうんだよ。……水に濡らさないと、なんでかぜんっぜん直んないし! 手櫛とかじゃ、気休めにもなんないし!
だから、すごく恥ずかしくって。
顔まで真っ赤なのが、自分でも理解出来て。
「と、取り敢えずさ! 顔、洗いに行こーぜ? そこでそのまま、髪型も直そう。……ま、それはそれで、面白いけどな!」
――ぐぬぬっ……それ、絶対褒めてないよねっ!? 笑いながら言うことじゃ無いよねっ!!
「ごめんごめん、冗談だからそんな怒んなって! ……大丈夫、全部オレがなんとかすっから。だから、一緒に行こーぜ?」
何て言うアクセルさんは、顔こそ笑っていたけど……やっぱり、目だけは笑っていなかった。ううん、なんかこう……無理やり笑ってるって言うか、僕のために笑顔を作ってるって言うかさ。とにかく、見ていて安心できるような雰囲気が全く感じられなかったんだ。……理由は、よくわかんないけど。でも、重たいって言う感じでさ。
だからこそ、僕はアクセルさんに困ったような顔を見せて。
ちょっとだけ躊躇いながら、アクセルさんの方へと近寄って。
それから二人で、宿屋の共有の洗面所へ行く準備を整えて。
あ、因みに言っておくけど、リズさんは別の部屋に泊まっているそうだ。……一緒に旅をしてるけど、そういう関係じゃあ無いんだってさ。
――まあ、うん……それはそれとして。
――昨日も思ったけど、やっぱり、変な建物だよなぁ。
無言で洗面所へと行くのも気まずいからと、部屋を出てから廊下をキョロキョロ見渡してみたものの……うーん。相変わらず宙に浮いてる照明もそうだけど、どっからどう見ても、日本っぽさが感じられないよね、うん。
いや、だってさ、この建物……半分がでっかい木にめり込んでるんだよ?
しかも、歩いてたらふわっふわの綿毛みたいなのが挨拶してくるんだよ?
今だって、僕に「おはようございます!」とか言ってきてるんだよ?
ホントに謎過ぎるよね!
それにさ、昨日は夜遅かったから気が付けなかったんだけどさ。よく見たら、廊下の窓の外に犬耳とかウサミミ着けた……生えた? 人が歩いてるのが見えるし。って言うか、窓の向こう側……ちょっとだけ遠くの方にさ、こう、何て言ったら良いのかわかんないけど。よくファンタジーなアニメで見るような、ヨーロッパ風の街が見えるんだ。
それこそ、ベージュの壁と黄色の屋根の、いろんな色の光に包まれた少し背の高い建物が。
そんな綺麗な建物が、たっくさん並んでるんだよ!!
だから僕は、窓の方へと駆け寄って。
綺麗な街を、じぃっと見つめてみて。
「街の方が、気になるのか?」
そう言われた僕は、アクセルさんを見て何度か頷いて。
それからまた、窓の外へと視線を向けて。
「……なら、昼から広場の方に行ってみっか? リズも街中に行く用があるみたいだし、『勉強』がてら色々と見て回れば、いい気分転換にもなるだろ。
……あ、そうだ! ついでにさ、昨日行き損ねた店で飯食おーぜ! すっげぇ美味しい麺があるんだ!」
――え、ホントっ!?
アクセルさんの提案がとっても魅力的に聞こえた僕は、思わず満面の笑みで振り返ってしまう。
『だから』かアクセルさんも嬉しそうな顔をして、でも、僕の前で人差し指を立て、ちょっとお兄さんっぽい感じの雰囲気を作ってきて。
「よっし、それじゃあティノ! 昼からどうすっかが決まったところで、念のため、今日の『任務』を改めて確認しとくぞ?
まず今からするのは、しっかり身だしなみ整えること! 顔洗って、歯ぁ磨いて、今日一日を乗り越える準備をするんだ。腹ごしらえもしっかりな!
んで、準備が終わったら、おばちゃんとの約束通りに風呂場の掃除をすること! 昨日はおばちゃんに、結構な無理も言ったからな。恩を仇で返すようなことはダメだって、ティノもわかるよな?」
そう言われて、僕も『それはそうだ』って思って。
だからしっかりと、アクセルさんに頷いてみせて。
昔お父さんに聞いたけど、人間、『いっしゅくいっぱんのおん』ってのを忘れたらダメらしい。何がダメなのかって言ったら、なんでも、「人に助けてもらう事を『当たり前』って思い始めたら、相手へ酷いことをしても気が付けなくなるから」ってことらしい。……僕には難しくてよくわかんなかったけど、お父さんが『ごーまん』になるとか、『じこちゅー』になるとか言ってたのは、僕もハッキリ覚えてる。確か二つとも、嫌な人の『だいめーし』とか言うのもね。
――もちろん僕は、そんな大人にはなりたくない。
――難しいのはわかんないけど、僕も嫌な大人にはなりたくないからね。
そう思うから、僕はちょっとだけはりきって。
とにかく今は、前向きに頑張ろうって自分へ言い聞かせて。
「よっし、気合いは充分だな? ……それじゃあ、今日も頑張っでぇっ!?」
そう大声で言っていたアクセルさんは、突然、頭を押さえてうずくまり。
いきなりで何がなんだかわかんない僕は、だから目を点にするしか出来なくて。
――ってか、いや、ぇ…………え?
「二人とも、朝から騒がないのっ! 他の人の迷惑でしょ、もうっ」
そう言うのは、いつの間に現れたのか……少し顔を赤くしているリズさんで。
ふと気が付くと、宿屋に泊まってたらしい人が数人、クスクス笑いながら隣を横切って。
だからか、こう……ものすごく…………恥ずかしくなってきて。
――……うぅ、他の人のこと、すっかり忘れてたぁ……っ!!
一晩中起きてたからか、妙にテンションが高くなってすっかり忘れちゃってたけど、うん。ここって、宿屋なんだった! つーか、そうだよ! 昨日のあれこれも全部、外に聞こえてたかもしんないじゃん!
うわぁ……僕は声が出ないからあれだけど、でもこれ、僕のせいでアクセルさん達に迷惑かけちゃったって事だよね? 僕が暴れたりなんだりしたから、夜中に騒がしくしちゃったって事だよね!? ぐっはぁ……やっちゃったよこれ!! 僕、最悪じゃんっ!!
なんて思うから、僕は情けなくオロオロして。
頭を抱えて、涙目でリズさんを見て。
「っ、もう、そんな顔しないの! やっちゃったものはどうしようもならないんだから、泣くくらいなら今はしっかり反省して、次に同じような事をしないようにしなさい。ね? ……まあ、うるさかったのはアクセルだけだから、ティノくんが反省しても意味ないんだけど」
なんて言うリズさんは、今も頭を抱えてうずくまるアクセルさんへ、ジト目を向けて。
軽くため息を吐いた後、僕の方を再び見て……少しずつ、僕の頭……髪へと視線をずらしていき。
「え、っと、取り敢えずさ。髪の毛、直そっか。……今のままだと、皆に笑われちゃうよ?」
そう言われて、僕は自分の髪がねぐせですんげぇ事になってたのを思い出し。
この髪型で外を見たりなんだりしてたって気付いて、さらに恥ずかしさが込み上げてきて。
――ぅう……もうやだ、恥ずかし過ぎるよぅっ!!
この頭のまま外を眺めてたとか、なにそれどんだけだよ!
ねぐせモヒカンで涙目とか、もうこれ情けないし恥ずかし過ぎるよ!
僕だってカッコよくなりたいのに!
僕だって男らしくなりたいのに!
――なのに、こんな、こんな……っ!!
なんて思って、僕は恥ずかしいのを堪えながら、逃げるように洗面所へと走り出し。
リズさん達をほっぽって、とにかく誰も居ない方へと駆けていき。
そうして、二人に見えない曲がり角まで来てから……身体の力を抜いていく。
怖くて仕方なかった心を、『表っかわ』に連れてくる。
そう……無理やり押し込めてた、僕の本音を。
見て見ぬふりをしてた……感情を。
――……だって、仕方ない……じゃん。受け入れられるわけ、無いだろ、こんなの。
そう思う僕は、震える自分の手を、自分の手でぎゅっと掴んで。
どうでもいいことで誤魔化してた恐怖を、ただ静かに吐き出して。
――だって、怖いんだもん。本当は、何もかもが、怖いもん……!!
そう、僕は本当は、怖いんだ。
『こっち』の全てが、怖いんだ。
昨日、夜ご飯にお米モドキが出てきた時は、まだ受け入れられる気がしていた。だって、お米モドキはお米が真ん丸なだけで、味は普通だったし。真ん丸だから噛んだ感じが違ったけど、『そういうもの』って思えたし。……だから、これならいけるって、そう思ったよ。このくらいなら、ちゃんと受け止めていけるって、そう思えたんだ。
でもさ、魚を見たときに……ついていけなくなった。
手羽先みたいなモノを『魚』って言ってる事が、理解出来なかった。
僕にとって、魚は水の中を泳ぐ生き物だ。空を自由に飛べないし、そもそも、羽なんて生えてない。当たり前だ、それが『あっち』の常識なんだから。
でも、『こっち』の魚には……羽が生えている。魚のヒレとは別に、立派な羽が生えているらしい。……「魚は好きか?」って聞かれて頷いた僕へ、アクセルさん、「羽とかうまいもんな!」って言ってたし。「魚、もっと食って良いぞ」って言って手羽先をお皿にのせてくれたから、だから、間違いないんだろう。
そして、だからこそ、怖かった。
『当たり前』が『当たり前』じゃなくなった事が、ただ怖かった。
――だって、そうだろ?
食べ物でここまで違うのなら、他のものだって変わっているかもしれない。
文字が通用しないのは既にわかってるし、多分、他にもたくさん通用しないものがあるんだろう。
今着てる服だって、肌触りとか違和感しかないし。
お風呂や建物だって、僕の『当たり前』は通用しなかったし。
だから、わかるんだ。
だから、怖いんだ。
ここは多分、僕の知ってる日本じゃない。
日本どころか、きっと、世界自体が違うんだ。
僕だって、バカじゃないから。
そんなことくらい、とっくに気付いてる。
アクセルさんと話してた時には、なんとなくわかってたんだ。
……ううん、あの、空に落ちる滝を見たときから。
あんなものを見てしまったから……なんとなく、わかってたんだよ。
ここは、僕の知ってる世界じゃないんだって。
――……でも、嫌だった。認めたくなんか、ないよ。
僕は、お父さんに会いたい。
お母さんに、会いたい。
友達にも会いたいし、おじいちゃんやおばあちゃんにも、会いたい。
当たり前だ、だって僕は、皆が好きだもん。
もっともっと、皆と楽しく過ごしたいんだもん。
でも、そう思っても……会えないんだ。
認めたら、本当に会えなくなっちゃうんだ。
だから、気が付かないフリをするんだ。
皆に会いたいから、僕はここを『夢』だって思うんだ。
だって、夢はいつか覚めるものだし。
夢から覚めれば、いつもの毎日が始まるし。
そう、だから僕は、蓋をする。
自分の心に、蓋をする。
そうすれば、大丈夫だから。
バカみたいな事を考えてれば、大丈夫だから。
――……僕は、大丈夫。まだ、大丈夫……なんだ。
そう思う僕は、だから両目をごしごしとこすって。
それでも止まらない涙を、無理やり流すために洗面所へ向かった。




