家出娘の旅・はちー
鼻腔をくすぐる甘いニオイで目が覚めた。
「知らない天井だ」
起き抜けではあるものの、とりあえずお約束だと思ったシンジュが天井を見上げながら呟いた。
しかし、その声は掠れ、傍にいた者の耳にはハッキリなんと言ったのかは聞き取れなかった。
「起きたか」
何と言ったかは聞き取れなかったものの、シンジュの意識が覚醒した事に気が付いたのか、横になるシンジュの顔を覗き込む様にして割って入る影がひとつがあった。
「……精霊さん?」
見知ったその顔に、シンジュが尋ねる様に声を掛けた。
途端に、ズキリと頭に小さな痛みが走る。
「ふむ、とりあえずは大丈夫そうだな」
向けられた視線を返しながらチェリージャンは小さく頷くと、スッと顔を引っ込めた。
シンジュの目に移る視界に、また知らない天井の割合が増える。
天井を眺めてボッーとしていたら、チェリージャンが離れて行く気配を感じた。
それでシンジュが横になったままそちらに顔を向けると、丁度チェリージャンが年季の入った木製の扉を開いたところだった。立て付けの悪そうなギィギィと木の擦れる音がした。
――ここ、何処だっけ?
チェリージャンの方を向いたままシンジュがそんな事を思っていると、
「おい! 娘! 娘居ないのか!? 娘!」
開けた扉から上半身だけを向こう側に出したチェリージャンが大きめの声でそう言って、誰かを呼びつけた。
すぐにガタガタと音がして、そこから間を空けず、聞き知った声がシンジュの耳に届く。
「だーかーらー、ちゃんと名前で呼んでって言ってるじゃない!」
「お前の名前は発音しにくい」
「たった二文字なんですけど?」
開け放たれた扉の向こう。
自分の事を娘娘と呼ぶチェリージャンを、下から睨みつける様に見上げている少女の姿をみつけ、
「リナ」
と、シンジュが少女の名を口にした。
やはり掠れた声であったが、たった二文字なので聞き取れないという事は無かった。
「え? ――あっ! シンジュ、気が付いたんだ」
チェリージャンに向けて眉をつり上げていた顔を、一瞬だけハッとさせ、すぐにシンジュが目覚めた事に気が付いたリナ。
シンジュの顔を見た途端、その顔が明るくなる。
リナは入り口にいたチェリージャンを体全体で押し退けると、そのまま部屋の中へと足を進めた。
「良かった~。――チェリージャン、気が付いたなら気が付いたって言いなさいよね!」
明るくなったリナの顔は、チェリージャンに向けられた途端にまたキツくなる。
「だから呼んだではないか」
反論しつつパタンと扉を閉めた後、納得しかねるとばかりに僅かに拗ねた様な顔を作ったチェリージャンがリナの後に続いた。
二人が自分の傍に歩み寄って来る事を認めたシンジュは、気だるさを感じる体を少し無理矢理に起こした。
「良いわよ、寝てて。キツいでしょ?」
リナに尋ねられ、「うん、ちょっと」と苦笑いでシンジュが返す。
リナのいうキツいでしょ?という言葉通り、シンジュは引いた風邪をちょっとだけこじらせた時の様な倦怠感を感じていた。
「3日も寝ていたしな」
「2日と半日よ」
腕を組んでシンジュに目を向けていたチェリージャンが言うと、ベッドの隣にあったテーブルの上の水差しから、コップに水を注いでいたリナがすぐさま訂正を入れた。
「何故そうやって揚げ足を取る?」
「細かい奴ね~。そんな事どうでも良いでしょ」
チェリージャンに悪態をつきながら、リナが水の入ったコップをシンジュへと差し出す。
「その台詞。そっくりそのまま返してやる」
負けじとチェリージャンも悪態に悪態で返す。
そんな二人のコントのようなやり取りを、手渡されたコップを両手に持ったまま見つめていたシンジュ。
シンジュが「ははっ」と声に出して笑う。
しかし、すぐに喉がつっかえる感じがして咳込みそうになり、慌ててコップに口をつけた。
中の水を一気に飲み干す。
ふーと息をついた後、シンジュは二人の方に顔を戻して、確認するように尋ねる。
「私、そんなに寝てたの?」
まだ少し喉の奥に違和感を覚えつつも、さっきまでよりは随分と滑らかになった声であった。
「そうよ。散々暴れまくって、突然ポテンと寝たわ」
リナは何か可笑しな話でもするかの様に、フッと口の端から笑いを溢す。
シンジュが小さく頭を傾げる。
「暴れたの? ――ううん、それよりも私素っ裸になったりしなかった!?」
怪訝そうな顔から一転。
何かに気付いたように、突然慌てた様子を見せたシンジュがリナに詰め寄る
「は?」
返って来た予期せぬ言葉にリナが思わず顔をしかめる。
そんなリナに構わず、「そこ! 大事な事なの!」と、ちょっと興奮気味にシンジュが質問の答えを急かした。
「裸にはなってない」
首を傾げていたリナの代わりに、相変わらず腕を組んだままのチェリージャンが無愛想気味に答えた。
「ほんとにほんとね!?」
「ほんとにほんとだ」
繰り返し尋ねるシンジュに、鬱陶しそうにしながらもきちんと答えたチェリージャン。
返って来た答えにシンジュがホッと胸を撫で下ろす。
――危ない。油断していた。
久し振りの夢遊病だったが事なきを得たようだ。
と、まずはそこの心配をしてから――
思い出した。
意識を失う直前の出来事を。
無意識に足を覆う毛布を堅く握りしめていた。
裸になってないかと危機迫る表情とは一変。
今度はえらく深刻そうになったシンジュの表情にリナとチェリージャンの二人が顔を見合せる。
「シンジュ、大丈夫?」
リナが恐る恐るといった様子で問う。
後ろのチェリージャンもやや警戒する様な素振りを見せた。
3日前にもこうして深刻そうな愕然とした表情をシンジュは浮かべた。
その直後、シンジュはドス黒い魔力を巻き散らしながら三人のいた洞窟をあっという間に崩壊させた。
そういう事があった為、リナとチェリージャンは「また暴れるのではないか?」と、深刻そうにするシンジュの様子に不安を抱いたのである。
「うん、大丈夫だよ」
微笑みを作ったシンジュがそう返した事で、二人もホッとする。その安堵は、シンジュの事を心配する気持ちよりも、暴れなくて良かったという気持ちの方が大きかった。
何しろ、精霊にすら破壊出来なかったあの堅い結界を、いとも容易く破壊せしめ、そのまま媒体となる魔石をも破壊し、媒体を破壊した事で魔法としての体を失った洞窟が縮み、崩壊し始めたが、シンジュはそれすらも滾らせた魔力と強引な力業によって内側から爆散させた。
その時のシンジュの姿を思い出すだけで、リナの背中がゾクリと粟立つ。
ドス黒い魔力を纏い、目は瞳だけでなく白目部分までも真っ黒に染まっていた。
そのくせ、顔には表情というものがなく無表情。
かと思えば、唐突に口を三日月型に形作りケタケタと笑う。
その様子はまさに狂人そのものであった。
目にしたリナもチェリージャンも、シンジュがおおよそ正気とは思えなかった。
それは時間にして一、二分の出来事。
しかし、リナとチェリージャンには恐ろしく長く感じた一、二分の出来事であった。
洞窟の全てを破壊し、シンジュが気を失った後、思わずチェリージャンが「何が人間だ!? やっぱり化け物じゃないか!?」とリナに向けて叫んだくらいである。
閉じ込められ、力を抑えつけられた洞窟内ならばいざ知らず、精霊の――しかも明確な人格を持った高位の精霊であるチェリージャンは、普段なら上級の悪魔とすら互角に渡りあえる。
そんなチェリージャンをもってして、化け物だと言わせしめる程、その時のシンジュは異常な魔力を内包していた。
「あれはなんだったんだ?」
険しい顔をしたチェリージャンが、責めるように問う。
「ちょっと! 起きたばかりなんだから後で良いでしょ!」
「黙れ!」
チェリージャンがキツい口調で吐き捨てる。
強気のリナも流石にビクリと体を強張らせた。
チェリージャンは気持ちを落ち着けるように一度息を吐いた。
「あの時のお前の力は常軌を逸していた。普通じゃない。あの時は洞窟だけで済んだが、あのままお前が暴れ続けていたら、この周辺一帯は全て消し飛んでいた。それだけ危険な力だ。にも関わらず、お前は全く覚えているような様子じゃない。つまり全くコントロール出来ていないわけだ。違うか?」
畳み掛ける様に言ったチェリージャンの言葉に、シンジュは俯いてしまう。
俯いたまま「はい」と小さな声で答えた。
続け、
「最初は自分でも良く分かってなかったんだけど、少し前に……その、教えて貰って……。これが――『狂』っていうスキルなんだけど。なんか、その人が言うには呪いらしくって」
「呪い?」
不吉な事を口にするような口調でチェリージャンが言う。
「うん――話を聞いて、どうにかしなきゃって思って、でもどうしたら良いか分からなくって……」
シンジュは一度そこで言葉を止める。
そうして少し間を空けてから、小さく微笑む。
「良かった……。ランドールに居なくて。――正解だった」
その言葉で、リナは何故冒険者でもないただのギルド職員であるシンジュが、森をほっつき歩いていたのかを悟った。
シンジュは分かっていたのだ。
いつかこうやって暴れてしまうのを。
だから、豊かで不自由の無いランドールを離れたのだと。
「ランドール出身なのか?」
チェリージャンが尋ねる。
シンジュは下を向いていた顔を上げ、チェリージャンへと向ける。
「出身っていうか……。――う~ん、何て言えば良いのかなぁ? ランドールで生まれた訳じゃなくて、数ヶ月前に越して来たって言うか」
まさか別の世界から転移して来たと馬鹿正直にも言えず、どう誤魔化したものかと説明しあぐねる。
「別に詳しく聞こうとは思わん。ランドールに居たのかと、そう聞きたかっただけだ」
「……うん。ランドールに住んでた。数ヶ月だけだけど」
「呪われた地ランドールに居たせいで、そんな呪いを受けたという事だな?」
一瞬キョトンとした後で、シンジュが「違う違う!」と慌てて首を振る。
「ランドールは関係ないよ! これは私がずっと昔――11歳の頃から持ってるものだから」
「昔から持っているのか?」
「うん。――最近までは何とも無かったんだけど……。洞窟でね、魔石を殴った直後にスキルのレベルが上がっちゃった。1からひとつ上がって2になった」
チェリージャンはそれを聞き、――ああ、と納得する。
――だからあの時、愕然とした表情をしていたのか。
今まで変化の無かった物が突然また動き出した。それゆえの驚き――か。
「では、ランドールとは?」
「全然関係ないよ! ランドールは良い街だよ!」
力強くランドールと呪いの関係を否定するシンジュに、「ねぇ」と、今まで黙って二人のやり取りを見ていたリナが声が届く。
「その呪いは解けないの?」
シンジュは少し考えて、
「どうかな? そういうの私は良く分からなくて」
シンジュがそう答えると、リナはシンジュに向けていた顔を、体ごとチェリージャンに向け直した。
「……俺には無理だ」
リナに期待の目を向けられたチェリージャンだったが、お手上げのポーズを作って答えた。
「役に立たない精霊ね」
「お前なぁ……。誰が荒れたこの一帯の森林の治癒力を高めたと思ってる」
「元々管理してる森でしょ? 荒れるまで放置しといて良く言うわ」
「それは、悪魔に閉じ込められたからであってだな」
「うるさいわねぇ。あんたの言い訳を聞きたいわけじゃないのよ。どうやったら呪いが解けるのか。私はそれが知りたいの」
チェリージャンはグッと苦虫を潰した様な顔をした後、「そりゃあ、呪いの類いなら、それ専門の魔法使いに解いてもらう他ないだろ」と、リナにややそっぽを向けたまま告げた。
「なーんだ。そんな事で良いの?」
「気楽に言うがな。こいつの呪いはそんじょそこらの呪いとは訳が違う。そもそも本当に呪いなのかも怪しい。いや、勿論、あれを自分の目で見たからとんでもない代物だってのは分かるんだが、魔力を通して見た感じだと、呪いって感じじゃないんだよな。――それ」
チェリージャンはクイッと顎でシンジュを示し、「呪いというより、本人が形容した様にただのスキルだ」と続けた。
「なにそれ? 呪いじゃないならどうやって治すのよ」
「知らんよ。でもまあ……。そうだな……。何処か大きな街に行けば、そういうのに詳しい魔法使いの1人や2人はいるんじゃないか?」
「――だって?」
と、リナはシンジュに顔を向ける。
「うん。――私も詳しそうな人が居そうなところに行こうかなぁ、とは思ってたんだけど――」
そこでシンジュが気恥ずかしそうに頭を掻く。
「なにぶん、ランドールの外の事は全然分かんなくて。とりあえず、一番近くの街……ルイロット?にでも行ってみようかな~なんて思ってた次第で」
「ルイロットはそんなに大きな街じゃない。まあ大きくないからといって詳しい奴が居ないって話ではないが、いつ暴れるのか自分で分からないのに街に近付くのは、俺はオススメしないな」
忠告するようにチェリージャンが言うと、顔色を伺う様にしたシンジュが申し訳なさそうな顔で小さく挙手した。
「例えば、中央なんてどうでしょうか?」
おずおずと尋ねたシンジュ。
ふむ、とチェリージャンが思案顔を作る。
「そうだな……。中央程大きな都市ならば、力のある魔法使いやそういった事に詳しい者も多くいるだろう。それに、英雄クラスの実力者もいる。今は特にだろう。そうであるなら、仮にお前が暴走しても……。いや、しかしなぁ」
チェリージャンはそこから少しの間、目を瞑って思考に耽り、「やはり、あまりオススメはしないなぁ」と溢した。
「ああ、もう! あれも駄目これも駄目って! 細かいのよチェリージャンは!」
「大事な事だろう?」
「そんなのいちいち気にしてたら、火事になるからって火のひとつだって起こせやしないわよ」
言ってリナは腕を大きく振る。
振ったその腕の指先からボッと火が出た。
まるで男でも手玉に取る様な仕草をしたリナの指先から出た火は、動かす指の軌跡を描く様に空中を走り、丸い輪になった。
自身の顔の前でゆらゆらと走るその火の輪に、チェリージャンは片眉を上げて少し見つめた後でフッと息を吹き掛けた。
宙で揺れていた火が消える。
火が無くなった事を認めたチェリージャンが鼻を鳴らす。
「まあ、俺には関係ない事だ。行きたければ勝手に行けばいい。一応、忠告はしたしな」
そう言って、チェリージャンはまたフンと興味無さげに鼻を鳴らした。
そんな態度の悪いチェリージャンに、返すようにリナもフンと鼻を鳴らし、シンジュへと向き直る。
「中央に行くにしてもまずは腹拵えが先よ。まだ起きたばっかりなんだし」
そう言ってリナはクルリと反対を向いて、部屋の扉の前まで駆け寄る。
扉の傍でまたクルリと反転する。
「少し待ってて。今何か持ってくるから。チェリージャンの力が森に戻ったおかげで実りも戻ってきてるの」と言い残し、部屋を出て行った。
相変わらず立て付けの悪そうな扉がギィギィバタンと完全に閉まった。
リナが居なくなった後、特に表情を作らぬまま、しかし、おもむろにチェリージャンがその口を開く。
「行くなら早めに行った方が良い。いつまた呪いが暴走するか分からないというのもあるが……。最近、妙に外が騒がしいようだからな」
内緒話でもする様に告げられた言葉に、シンジュはただ黙って静かに頷いた。




