家出娘の旅・スリー
時間をヒロとシスネが出会う少し前に遡る。
魔王の穴を抜け、ランドール領の外にあるギアナ森林。
その森林にて、絶賛家出中のシンジュは、ひょんな事から出会った少女リナに連れられ、彼女の村へと足を伸ばしていた。
「なにこれ?」
村へと辿り着いたシンジュの第一声がそれであった。
「あとで説明してあげるわ。―――こっちよ」
それだけ言って、勝手知ったる自身の村の中を進んでいくリナ。
閑散と荒れ果てた村の家々を眺めながら、シンジュはリナの後に続いた。
村はひどく荒れていた。
もともとが小さな村というのもあるのだろうが、それにしたって寂れ過ぎだとシンジュは思った。
まるでひと気の無い廃村。
村の中にある木々や草花のほとんどが枯れ、歩く地面も所々がひび割れている。
一度周囲を見回した後、シンジュは出会った少女リナの背中に目を向けた。
リナの薄く汚れた服。
ところどころがほつれ、破れ、穴が空いた衣服。
薄い布をどうにかこうにか服の形にしただけの装い。
出会った時、シンジュはその汚れた服は村人ゆえの格好なのだと思った。
シンジュにとっての異世界の生活水準はランドールが基準である。ランドールしか知らないシンジュにしてみればそれは当たり前の事なのだが、王国の中で他の領地と比肩した場合、シンジュのいたランドールは、小さな街だが豊かさだけは群を抜いている。
街並みはもとより、人々の清潔さ、生活様式などの衣食住が隅々にまで行き届いている。
ゆえに、シンジュは異世界の『街』というのは、そういうものだと思っていた。そういうのが普通なのだと。
『街』がそうなら、『村』はそれより少し劣る程度だろう。そんな風に思っていた。
だからシンジュは、リナの服を見た時には、『まあ子供だし、しかも結構やんちゃそうな子だし、そんなものかな?』という感想を持つに留めた。
村の大人はリナより小綺麗にしているだろうと。
しかし、この村を肌で感じ、自身のその考えが誤りであった事に気付いた。
村はどう見たって、廃村寸前。
木造平屋の家はボロボロ。
ちらほら見える村人の着ている服もボロボロだし、妙に細く、誰もが疲れた様な顔をしている。なんなら、村では一番汚いだろうと思っていたリナの服が一番綺麗でまともに見える。
「ここが私んち」
一件の朽ち果てた家の前で止まったリナが告げた。
リナはギィギィと音を鳴らす立て付けの悪い扉を開くと、「まあ入って」とシンジュを促し、そうして今にも崩れそうな家の中へと入っていった。
「お邪魔します」と小さく告げて、シンジュも中へと入る。
「ただいまー。帰ったよー」
リナが言うと、すぐに家の奥にあった扉が開き、一人の女性が顔を出した。衣服こそ薄汚れたものを着ているが、整った顔立ちの綺麗な人だった。
「リナ、あなたまた森に行ってたの?」
女性は少し怒った顔をしてリナに言った。
「まぁねー。食べ物取って来たよ。あとお客さん」
悪びれた様子もなく言ったリナが、村に戻る途中の道程で、見つける度に採っては袋に詰めていたいくつかの草や果実を、袋に入れたままテーブルに転がした。
「こんにちは」
はぁと小さくため息をついてから、テーブルの袋から視線を外してシンジュを見た女性が言った。
「こんにちは。すいません。お邪魔してます」
「シンジュって言うんだって。こっちは私のお母さん」
「ジルよ。宜しくねシンジュさん」
「こ、こちらこそよろしくお願いします」
疲れた様に椅子にドカッと座ったリナが、女性をそう紹介して、ジルも続いた。
椅子に座ったリナが体を動かす度に、ミシミシと年季の入ってそうな椅子が鳴る。家同様、今にも崩れそうだった。
「ごめんなさいね。まともにお客さんに出せる物も無くて」
「い、いえ! 私こそ急にお邪魔してすいません。どうぞお構い無く」
「どうぞゆっくりしていってください。今、何か切って来ますから」
リナの母親はそう言うと、テーブルの袋を掴んでまた部屋の奥へと入っていった。
その背中に、なんだか申し訳ない気持ちがふつふつと沸き上がってくる。
「まあ、見ての通り何も無いとこだけど、とりあえず椅子はあるわよ?」
リナは少しいたずらそうに笑いながら、自身の隣にある空いた椅子をズズッと動かして、座るようにシンジュを促した。
申し訳なさで既に帰りたくなってきていたシンジュだが、のこのこ来ておいてこのまますぐに帰る方が失礼だと思い、促されるまま席に着いた。椅子がギシッと大きく軋んだ。
「この村ヤバいだろ?」
そう言ったリナは、全然ヤバいと思っていなさそうな、ちょっと笑った顔をしていた。
「……うん。私、自分のいた街以外に行った事ないけど、それでもこの村が大変そうだってのは分かった」
「シンジュが居たのってランドール?」
「え? うん、そうだよ」
「そっか……。―――それ、あんまり言わない方が良いわよ? 私は気にしないけど」
「…………あ、そっか。ランドールってあまり良く思われてないんだっけ?」
「あまりどころか全然よ。村の中には、村のこの異常をランドールのせいって言ってる大人もいるもの。たがら絶対言わない方が良いわよ」
「うん。気を付ける」
シンジュが素直に受け入れると、リナは満足そうにウンと小さく頷いた。
「この村もね。3ヶ月くらい前まではこんなに酷くなかったんだ。小さいけど、それなりに活気はあった」
「なんでこんな風になっちゃったの?」
「井戸が枯れたのよ。村の近くの湖ごとね」
「井戸が……。それは死活問題、だよね?」
「まぁね。枯れたのがたまたま雨季だったから、何とか雨水を貯めて凌いで来たけど、もう限界じゃないかしら? あと一月も持たないんじゃない?」
「リナちゃんが言うと、あんまり深刻そうに聞こえないなぁ」
「ふふっ、諦めの境地ってやつよ」
リナがおかしそうに笑う。
「他に移らないの?」
「他って、他の街や村にって事?」
「え? うん。だって生活が成り立ってないんでしょ?」
「そうだけど、移るなんて出来ないわよ」
「どうして?」
「この村の近くにあるのはランドール以外だとルイロットって街だけなんだけど、ルイロットが私達を受け入れるなんてしないわよ」
「余所者に厳しい街なの?」
「違うわ。ルイロットに私達を受け入れる余裕なんてないの。今はね、飢饉や何やらで王国はどこも余裕が無いらしいわ。ルイロットに嘆願しに行った村長がそう言われて追い返されたんだって」
「飢饉……。今ってそんな事になってるんだ……」
「そ。多分だけど、この村の井戸や湖が枯れた様に、他も何かしらの異常が起きてるのよ」
「ランドールは全然そんな感じじゃなかったけど……。ランドールに移る―――じゃあ駄目なんだよね、きっと」
シンジュがそう言うと、リナは一度家の奥に視線をやって、それからさっきよりも少しだけ抑えた声で口を開く。
「馬車で3日もかかるのよ? 流石に遠すぎるわ。―――まあ、私と母さんはね、他の人の様にランドールが悪い街だとは思ってないから、行けさえすれば移り住むのは構わないんだけど……。―――ああ、勿論、ランドールが受け入れてくれるなら、だけど」
「リナちゃん達は、……その、ランドールに偏見とかって無いの?」
「……うちはね。―――あんまり大きな声じゃ言えないけど、死んだお父さんがランドール出身だったんだ」
「え、そうなんだ」
「うん。―――あ、これ内緒ね。シンジュはランドールの人だから話したけど、村の人は知らないはずだから。何言われるか分かったもんじゃないし」
「う、うん」
シンジュが恐々と頷くと、リナはハハッと小さく笑った。
「母さんはさぁ、元々中央の生まれらしいんだ」
「へー。たしかに、村の人達と比べてちょっと垢抜けた感じがする人だとは思ったけど……」
さっき見たばかりの女性の顔を頭に浮かべながらシンジュが言うと、「でしょ!?」とリナが少しだけ誇らしそうな顔付きをした。
「中央に居た時にね、たまたま冒険者をしていたお父さんと知り合って、それでいつからか互いに惹かれ合って恋に落ちて……。―――でも、母さんの親が凄く反対したんだって。お父さんがランドールの出身だから。結婚なんて絶対許さないって」
父親の事を話すリナは何処となく寂しげに見えた。
しかし、それも一瞬だけで、リナはパッと顔を上げて「でね、」と続けた。
「母さんとお父さんの取った行動は、駆け落ち!」
「わっ。そういうのちょっと素敵」
「でしょでしょ!? それで、二人は最初、お父さんの出身であるランドールに逃げたらしいんだけど、ランドールの領主に住む許可を貰えなかったんだって」
「どうして?」
「母さんが中央の出身だからよ」
「あー……」
「ランドール出身だから反対されて、中央出身だから反対されて……。ほんと、どっちに転んでも反対される二人なのよね。―――それで結局、この村に落ち着いたってわけ」
「そう……」
「あーあ、それにしたって、なんでこんなへんぴな村に住もうと思ったんだろう……。おかげで今大ピンチだし」
やや憮然とした態度のリナ。
そんなリナに向けて、シンジュは少し考えてから応えた。
「……きっと、一緒なら何処でも良かったんだよ。好きな人と一緒なら、何処だって天国だよ」
「おっとなー」
口笛でも吹きそうな顔を作ってリナが笑う。
丁度そこに切り分けた果物を皿に乗せたジルが戻ってきた。
「どうぞ。遠慮なく召し上がってくださいね」
柔らかい微笑みと共に、皿がテーブルにコトリと置かれた。
「あ、じゃあ遠慮なく」
皿の上の果物に手を伸ばし、ひと切れ掴むと、シンジュは二口サイズ程のそれに半分かじりついた。
シャクシャクとリンゴの様な歯ごたえの果物だった。
ただ―――
「あんまり美味くないっしょ?」
自らも果物を口に放り込みつつリナ。
流石に出された物に対して美味しくないと言えないが、
「ちょっとパサパサ―――かな?」
「水分が足りてないのよ」
「あー……」
言われてみれば確かに水分が足りていない様な気がするとシンジュは思った。
噛んでいると、果物なのに妙に口の中が渇くような感覚がある。
「なんで枯れちゃったんだろうね、湖」
残りの半分を口にして、シンジュが疑問も口にする。
「村長達の話じゃ、精霊の力が弱くなったせいじゃないかって」
「精霊? ―――もしかして、森の精霊的な?」
「さあ? 良く知らないわ」
あっけらかんとした態度でリナは言うと、チラリと自身の左隣に座るジルへと目を向けた。
「森の精霊と言うのかは分からないけど、この辺りの水を綺麗に浄化してくれている精霊がいて、その精霊の力が弱くなってるから、水が枯れた。私が聞いた話だとそういう事だそうよ」
「なるほど。―――来ましたね、テンプレ」
「テンプレ?」
「なにそれ?」
二人が怪訝な顔をして顔を見合せる。
そんな二人に、気にしないでください、と笑ってシンジュは誤魔化した。
「原因が分かってるなら、何とかなるんじゃない?」
「何ともならないから困ってるのよ」
「どうして? 精霊さえ元気になれば解決するんじゃないの?」
「あのねぇ。簡単に言うけど、精霊よ? 精霊の居場所なんて誰も知らないし、仮に分かったとしても人前になんか姿を見せないわよ」
「そういうもんなの?」
「そういうもんなの」
リナの言葉に「んー」と小さくシンジュが喉を鳴らす。
―――まあ、小説の中の精霊も人前には姿を見せないとか、そもそも体の無い概念的な物だったりするから、そういうものなのかな?
―――でも、せっかくのテンプレ展開をみすみす逃したくないし……。
異世界でのテンプレ的冒険を渇望して止まないシンジュは、この期を逃すまいと、目をつぶって思考を重ねる。
冒険者ギルドでのテンプレ展開などそもそも無く、モンスター襲撃ではスライム相手に気絶して、対悪魔戦は不発に終わったシンジュにとって、またとないチャンスといえた。
相変わらず英雄願望だけは人一倍強いシンジュであった。
正直、どうやって精霊を元気にしたら良いのかは、考えたって分からなかったシンジュだが、楽観的なのはいつもの事。
精霊に会う事さえ出来ればなんとかなるんじゃないか? そんな事を思う。
後は野となれ山となれ。
そう思い、とりあえず場所だけでも分からないかと、頭の中でマップを開き、次にマップと神眼をリンクさせる。
そして―――
「あ、いた」
つぶっていた目をパチッと開けて、シンジュがボソッと呟いた。不思議なモノでも見る様な表情をしたリナとジルの視線がシンジュに集中する。
シンジュは、まずは一番居そうな湖を、とマップを湖に合わせたところ、精霊はすぐに見つかったのだった。
「いたって何が?」
「精霊」
「は?」
シンジュから飛び出した言葉に、リナがあからさまに疑問符を顔に浮かべて、眉間にシワを寄せた。
「見つけたよ精霊」
「ほんとに言ってんの?」
「うん。湖の―――たぶん地下かな? 重なってて正確には良く分からないけど」
「……冗談でしょ?」
「ほんとだってば」
「……なんなのあなた」
また半信半疑なのか、複雑そうな顔をしたリナが苦笑いを浮かべてそう溢した。




