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ヒロとシスネ

 日が落ち、浮かぶ月もうつらうつらと微睡み始めた深夜の事。


 既に寝入っていたシスネの頬を叩く影があった。

 触れる少しひんやりとしたその感触と頬を叩く感触に、シスネは普段よりも早く眠りから意識を覚醒させた。


 暗闇の中で目を開けたシスネの視界に収まったのは、顔の前、文字通り目と鼻の先に鎮座する小さな影。


「どうかしましたか?」


 上半身を起こしながら、シスネは小さな影に尋ねた。

 その影――拳ほどのスライムに、言葉が通じるとも思っていなかったが、少なくとも個として意思の様な物を持っているとは思っていたので、一応尋ねてみたくらいの認識。


 スライムは、シスネが完全に眠りから覚めた事を認めると、ぼよんとベッドから飛び降りた。


 訝しげながらもシスネはベッドの上で立ち上り、スライムを目で追った。

 薄い布を羽織っただけの寝巻のまま、ベッドから降りると、スライムが部屋の窓を背にして、或いは窓を向いて――顔が無いのでどちらか判断がつかなかったが――とにかく、窓の少し手前でシスネを待っていた。


 シスネがもう一度声を掛けようとした丁度その時、カタンと音を鳴らして、部屋の窓が開いた。


 背中を月明かりに照らされた『誰か』がそこにいた。


「ッ! クローリ!」


 驚き、珍しく慌てた様子のシスネが、部屋のすぐ外にいるであろう従者の名を呼んだ。


「あ~、悪い。たぶん聞こえない。そういうの得意だから」


 あまり悪いとは思っていなさそうな声色で、『誰か』が言った。夜の帳と月明かりの陰影が作る真っ黒な姿とは違い、少し明るい色をした口調であった。


 いまだ部屋へと飛び込んで来ないクローリ。

 本当に聞こえていないのか――とシスネが僅かに動揺する。

 動揺しつつも、先程見せた狼狽など無かったような、いつもの無表情を作ったシスネが、窓へと目を向けたままゆっくりと距離を取る。


「別に何もしない。ちょっと話を、――その前に入っていいか?」


 シスネは何も答えず、更にゆっくり距離を取った。


 そんなシスネの様子に、『誰か』は小さくため息をついて、「邪魔するぞ」と、一言だけ告げて部屋の中へと足を踏み入れた。さっきのお伺いの意味はあったのかと訊きたくなる。


 パタンと小さな音を立てて窓が閉まる。

 それで月明かりの逆光が消えて、ようやく、輪郭だけしか分からなかった『誰か』の姿を先程までよりも確認出来た。

 部屋自体に明かりが無いため色まではハッキリと分からないが、鍔の広いとんがり帽子のシルエットはそのまま、黒か、或いは紺のローブを身に纏った男であった。


 ――おそらくまだ若い。自分と同じか、少し下。


 シスネは『誰か』の外見と、先程聞いた声でそう判断した。


「そんな警戒しなくてもいい。ちょっと話があるだけだ」


「……こんな時間にこそこそと侵入して来る者を警戒するなという方が難しいと思います」


 淡々と、しかし、どう切り抜けるべきかと思考を巡らせながらシスネが返す。

 ――格好からして、おそらくは魔法使い。それも城に侵入せしめる程の手練。

 自分の勝ち目は薄い――


「私に何か用でしょうか? それとも金目の物が目当てですか?」


 話しで気を逸らせたなら僥倖だろうと、シスネは『誰か』に話し掛けながらも、冷静に、酷くゆっくり、ジリジリと部屋の扉へと近付いていく。


「いや……。交渉に来た」


 シスネに――ではなく、シスネと『誰か』の間、床に居座る小さなスライムに目を向けながら『誰か』は言った。


「交渉?」


 シスネが聞き返すと、スライムに向けていた顔をシスネへと移した『誰か』。


「ああ、俺がここに来たのは――分かってるよ、いま言うとこだったんだ」


 途中からまるで誰かと小声で会話しているような妙な言葉になった『誰か』に、シスネが小さく困惑する。


「先に自己紹介だ。俺はヒロだ。宜しくランドールの姫様」


「ヒロ……?」


 何処かで聞いた名だとは思ったシスネだが、起き抜けに加えて状況に少し戸惑っているせいか上手く頭が回らず、何処で聞いたかを思い出せなかった。


「まあ名前はどうでもいい。それより交渉、取引だシスネ・ランドール」


 言って、ヒロがシスネに指を差した。

 そのヒロの動きに、シスネの体がビクリと強張った。あろう事か、不審者を前に思わず目を瞑って身構えた。


 そんなシスネの様子に、ヒロは内心で「しまった」と慌てた。



 この世界において、魔法とは儀式によって会得する奇跡の力である。

 その奇跡の力――魔法を使うのに、長ったらしい呪文や道具は必要とせず、念じて、意識するだけで発動する。

 それゆえ、銃の引き金を引くのと同じ、向けて頭の中で引き金を引くだけで、弾が飛び出し、相手を殺す事が出来る。

 力のある魔法使い同士ならば、まるで西部のガンマンの様に、早く引き金を引いた方が勝つのがこの世界の魔法による戦い方である。


 勿論、それを意識した上で、ミキサンの様に常に護りを固める事を前提とした防御魔法を行使しておけば、不意討ちとて問題にはならない。

 同じ魔法であっても、個人の持つ魔力、込められた魔力、儀式の重複具合、などによって強固さは変わる。

 つまりは、それを破れるか否かで実力が分かれる。


 魔王が圧倒的破壊者と比喩される理由はここにある。

 魔王に破れぬ壁はない。


 防御さえ怠らなけば、問題としないそれらだが、しかしそれは、使()()()()の話でしかない。

 シスネにそこまでの魔法の才はない。

 シスネの持つ理想郷(ユートピア)は、大きな魔力を必要とする魔法ではあるが、あれはランドール住民の魔力をかき集めて使用が可能な代物であって、シスネ個人が単独で使える訳ではない。


 ヒロに手を向けられたシスネが、その動きに過剰に反応したのはその為である。


 もっとも、ヒロにシスネを殺そうなどという気は全くない。手から弾は出ない。

 それでも、仮に出ないと分かっていても初対面の、しかも夜中に押し入って来る様な者に手を向けられると心臓によろしくない。


 そんな心臓によろしくない仕草だが、一般庶民や親しい者ならばともかく、基本的に貴族間のマナーとして、『相手に手を向けるのは非常に失礼な事』としてこの世界に認知されている。

 とある貴族に手の平を向けた農夫がその場で処刑された、という逸話がある程に、貴族にとっては無礼な事なのである。

 ただの農夫にその貴族を害する気など無かっただろう。虫を払っていたとか、逆光が眩しかったとか、そんな程度の仕草。

 しかし、手から弾が飛び出さないとも限らないのだ。過剰に反応し、そういうマナーが貴族の間に生まれても不思議ではない。

 人に指を差すな、の進化版といえるだろう。


 とはいえ、魔法は千差万別。何も手を向けずとも扱える魔法も多く、それゆえ、必ずしも手を向けられていないから安全という訳ではないのだが……。

 ミキサンの絶対魔王主義(サタンルール)など、その最たる例だろう。


「わ、悪い」


 ヒロはばつが悪そうに頬を掻いて、自分がいま行った非礼を詫びた。


「……いえ」


 無表情に戻ったシスネがぼそりと返すと、場に妙な沈黙が流れた。

 しかし、そこはいつだって生真面目で慎ましく、抜かりないシスネが物事を筒がなく進行する。

 それは相手が初対面の、しかも無作法な侵入者であっても変わらない。

 自己主張こそ明確にしないが、自信と余裕を崩さずに主導権を握りにいくのがシスネという女性である。


「交渉とやらの中身を聞きましょう」


「あ、ああ」


 やらかした失態と、年上の女性が一人で(しかも寝巻で)自分の前にいるという現実がぼちぼち意識に追い付き始め、自分から来ておいてなんだが、ヒロはもう帰りたくなってきた。また日を改めて、と逃げ出したい衝動にかられた。


 そんなヒロの心中を察してか、被るとんがり帽子に身を隠すハロが、コツンとヒロの頭を叩いて檄を飛ばす。

 それでいくらかマシになった。

 ヒロはフゥーと息を吐いてから、


「俺が欲しいのは、あんたが持ってる鳳凰石ランドールだ」


「鳳凰石を?」


「ああ。そいつさえ手に入れば別に他はどうでもいい」


「……そうですか。――取引と言いましたね? この()()()の代わりにあなたは何を差し出してくれるのです?」


「俺はあんたを助けてやれる」


「助ける? 私はそこまで困っていません。しいてあげるなら、素性の良く分からない不審者が目の前にいるくらいでしょうか」


「俺は鳳凰石さえ渡してもらえたらすぐに帰るよ」


 嘆息を混じえてヒロがそう言うと、シスネは首から下げていたペンダントの内ひとつを赴ろに外した。


「どうぞ。差し上げます」


 なんの執着も見せずにペンダントを差し出してきたシスネに、罠か?とヒロが警戒し、険しい顔を作る。

 察したシスネは、静かにペンダントをその場の床へと置いた。


「置いておきます。勝手に持っていってください」


 ヒロにそう促し、シスネはその場をまたゆっくりした動作で離れ、ベッドの端に腰掛けた。

 シスネに続くように、ヒロの前にポツンと転がっていた小さなスライムが、シスネの隣――ベッドの端にポヨンと飛び乗る。

 シスネは不思議そうにスライムを一瞥したが、特に何をするでもなくその場で時が過ぎるのを待っていた。


 しばらくの間、シスネも、そしてヒロも動かなかった。


 時間にしてそう長くは無かったが、暗闇と無言が続く部屋に流れる時間は妙に長く感じられた。


 そんな沈黙を破ったのはシスネの方からだった。


「いらないのですか?」


「……そういうわけじゃない」


「別にあなたを嵌めようなどと思っていませんよ。私は明日もやる事があるので早く寝たいのです。あなたがいると困るのですが」


 シスネが言うと、ヒロはずかずかとペンダントへと近付き、拾い上げる。

 そして、それを手に持ったまま、ベッドの腰掛けるシスネの前へと歩み寄った。


 シスネの正面で、ジャラッとヒロがペンダントを手からぶら下げる。


「馬鹿にするな。俺は強盗じゃない」


 怒の字を額に貼り付けたヒロが言うと、あからさまに面倒くさそうにシスネが嘆息をつく。


「おかしな人です。欲しいというから差し上げたのに、突っ返してくるとは」


「俺は取引だと言った」


「……私は帰って欲しいと言いました。取引成立ですね」


「ふざけんな。そんな取引があるか」


 憮然としたヒロが、シスネが受け取らずにヒロの手から宙ぶらりんになっていたペンダントを、座るシスネの膝に落とした。じゃらじゃらと金属の擦り合う音が小さく響く。


「先程も言いましたが、私はこれと言って困っていません。あなたに頼める事はありません」


 少しだけ間が空く。


「俺があんたを中央から逃がしてやる」


「……逃げたいと言った覚えはありません」


「いーや、嘘だな。ここ数日の間あんたを見てきたが、あんたはここに居たくないんだろ? だったら俺が出してやる。余裕だ」


 自信ありげに言うヒロに、シスネはまた嘆息した。


「逃げてどうします? 見ていたならば知っているはずです。私がここにいる理由を」


「あんたの故郷を守る為だろ」


 シスネは肯定も否定もせず、


「私はここを離れるわけにはいかないのです。逃げた先に未来があるのではなく、ここにあるんです」


「故郷の未来だろ、それは……。あんたのじゃない」


 沈黙。

 シスネにしては珍しく言葉に詰まった。


「あんたは俺なんかよりずっと頭が良い。でも賢くはない。自分の為に生きてない」


「私とあなたでは立場が違います」


「そんな事は言われなくたって分かってる。俺にはあんたみたいに、人の為とか、街の為とか、背負うもんもない。好き勝手やってる馬鹿だが、少なくとも自分の為には生きてる」


「私もそうです。ランドールの為と高尚な理由を持ち出す気はありません。私が好きでやっている事です。これが私の生き方です」


「だったらもっと楽しそうにしろよ」


 打算計算なくストレートに思った事を口にするヒロ。

 そんなヒロに――或いは別の何かに、シスネは居心地の悪さを覚えた。

 シスネにとって、安い挑発も、欺瞞的なやり取りも、日常会話とたいした違いはない。そんなモノでは自分を律して生きる彼女の心に波風ひとつ立てる事は出来ない。

 しかし、彼女はヒロの様に感情でのみ作られた言葉に酷く弱い。特に、シスネ自身の事を見透かされた様な言葉に。

 シスネは自分というのが分からない。

 自分で分からないのに、何故他人が自分の事を知った風に語るのかも理解出来ない。

 だから、シスネは結局、周囲に認知され、自分でも自覚のある外見的な反論に留めた。


「表情に乏しいのは昔からです」


 シスネはちょっと馬鹿みたいな反論だと思ったが、事実は事実である。

 楽しそうに見えないのは表情が乏しいせいだろう。


「そうかな? 無表情には違いないが。あんたの部下の三人。あの三人といる時のあんたは楽しそうだ」


「それは……。気心が知れているからでしょう。時間さえ経てば、ここでもそれなりに楽しくやれると思います」


 シスネが言うと、意外そうな顔をしたヒロが僅かに首を傾げた。


「それも嘘だろ? 流石に今のは俺でも分かったぞ?」


 シスネは何か言いかけて、口を閉じ、ただヒロを凝視した。能面のように無表情で。


「あんた、自分は中央(ここ)じゃ楽しくやれないと思ってるだろ? 俺もそう思う。あんたはここでは幸せになんかなれない。あんたも多分、心のどっかではそう思ってるんだろ?」


「そんな事はありません。上手く抱き込めさえすれば、中央はもとより周辺領地とも」


 そのシスネの言葉をヒロが遮る。


「あんたは嘘つきだな」


 沈黙。

 シスネは目をつむって考えた。自分が嘘つきかどうか。

 確かに、自分は中央を抱き込むのは難しいとは思っている。

 が、それで幸せか、楽しいかと問われると考えた事もなかった。

 その先の事。

 王妃となり、上手く中央に取り入ったとして、それでランドールが平穏を得たとして、自分が望んだ展開に到達し得たとして、しかし、それで自分が幸せかと問われると、分からない。

 しかし――


「ランドールが戦渦を免れたなら、私は幸せだと思います」


 瞑っていた目を開け、シスネがそう答えると、ヒロが一際大きくため息をついた。

 自身の答えに納得しなかったらしいヒロの様子に、シスネは怪訝な気持ちになった。

 ヒロは大きく息を吸い、少し怒った顔をして言った。


「そりゃあ、大好きな生まれ故郷が戦争を回避出来たなら万々歳。あんたは幸せなんだろうよ。けど、やっぱりあんたが嘘つきなのは変わらない。あんたの大好きな街の人は、あんたがここで幸せになれると信じてる。だから自分達の覚悟を折って、妥協して、あんたを行かせたんだ。

 半信半疑だったかもしれないけど、あんたが、みんなに幸せになると言ったから。だから笑顔であんたを見送った。なのに、あんたは結局街の事ばかり。

 私は幸せ?

 そりゃああんたの自己満足だ。街を守れてあんたは幸せでも、あんたを犠牲にした街の人達は心の底から笑えない。あんたの事を思い出す度に、罪悪感でいっぱいになる。それで本当に街の人達は幸せか? 俺はそうは思わない」


 ヒロはまくし立てる様に言って、一旦言葉を止め、更に付け足す様に「あんたは嘘つきだ。街の人達の気持ちを裏切る裏切り者だ」と呟いた。


 ヒロの言葉を黙って聞いていたシスネだが、知らず知らずに、首に下げ胸元に仕舞ったままのもうひとつのペンダントを服の上から握り締めている自分に気が付いた。


 気付いた後、ペンダントからそっと手を放し、正面に立つヒロへと顔を向けた。


 何故か困った様にそっぽを向くヒロの横顔があった。


 ヒロ的にベッドに座るシスネの正面に立っていたのが不味かった。

 シスネが服を掴んだせいか、それで少しだけ服が引っ張られて、薄い寝巻だけを着ていたシスネの胸元が少しだけ広がった。生憎と部屋が灯りひとつ無い暗闇の為、ヒロもよくは見えなかったのだが、それでもヒロは慌てて見ない様に視線を外した。

 男子的にラッキーなはずだが、まじまじと見つめる程にヒロの神経は太くない。むしろ他より細い。

 魔導の申し子と異名を持ち、その才気をもって好き勝手生きるヒロだが、そういうところはヒロだった。


 帽子に隠れるハロが、カッコ良かったのに全部台無しね、とヒロの頭を小突きながら小さく嘆息した。


 何故そうなったのか理由までは分からなかったが、無用心にもシスネにたいしてそっぽを向き続けるヒロの横顔を、シスネは少しの間、不思議そうに眺めた。

 眺めながらシスネは考える。

 ヒロはヒロで、そんなシスネの様子を非難の目だと思い、そっぽを向いたまま顔を赤らめていた。

 やや間を置いて、


「私は、自分は裏方で良いと思っています」


 そっぽを向いたまま、広い帽子の鍔を引っ張りいつもより深めに被ったヒロが「裏方?」と尋ねた。

 

「物心ついた時から、私はランドールの為に生きてきました。誰かに誉められたくてそうしているわけではありません。なるべく表には出ず、常にランドールという舞台を裏から支える役。それで良いと自分で思っていますし、これからも変えようとは思っていません」


 ヒロは何も言わず、シスネの言葉に耳を傾ける。


「あなたは私を嘘つきと呼びます。あなたの言い分であれば、たしかに私は嘘つきかもしれません。あなたが言うように、きっと、私は中央(ここ)では幸せになれないのでしょう。理不尽にも、世界はそういう風に出来上がってしまっている。悪魔は所詮何をしても悪でしかないのですから」


「……俺は別にあんたを悪だとは思ってない。嘘つきだとは思ってるけど……」


 帽子を深く被ったまま、ヒロはシスネの方を見て言った。

 鍔の作る影でヒロの表情は見えない。


「嘘というのは、真実があって初めて嘘になるんです」


 ゆっくりと落ち着いた口調でシスネが紡ぐ。


「私はたしかに大切なランドールの人々に嘘をつきました。ですが、それは私が嘘だと見抜かれなければ決して嘘にはならない。人々にとって、『シスネ・ランドールは中央で幸せにやっている』――これが真実です。今の私を知っているあなたは、それを見せ掛けだ誤魔化しだと非難するでしょう。――しかし、ランドールの人々は今の私を知らない。知る由もない。私が永遠に騙し続ければ、それは嘘ではなく、真実として世界に在り続けます。舞台を美しく成り立たせ輝かせる裏方として、私は最善を尽くします」


「……そんなの屁理屈だ。俺はそれが嘘だって知ってる」


「では、言いますか? お前らの姫は、中央で幸せになっていない、私が幸せというのは嘘だと告げて、ランドールの人々の幸せをあなたの一言で全て壊しておじゃんにしてしまいますか?」


「……言えるわけないだろ」


 言えない。言えるわけがない。

 苦虫を噛み潰した様にヒロが吐き捨てる。


「ならば、それが真実です。あなたさえ黙っていれば、それで全て丸く収まるのです。ランドールは幸せになって、私も幸せです」


「……あんたは間違ってる」


「…………そうですね。ですが、例え間違っていても、時間は待ってはくれません。提示されるいくつかの道の中から、有限な時間の中で最善の道を選び、私は前に進まなければならない」


「あんたはほんとにそれで良いのか?」


「みんな幸せで万々歳。私はそれを諦めたわけではありません。ただ……今、あなたと逃げるのは違います。それは全てを諦めただけの行為。私とランドールの人々の立場が変わっただけです。逃げて、逃げた先で、私はきっと心の底から笑えない――それに、」


 暗闇の中でシスネは、今度は自分の意思で、胸元のペンダントに服の上からそっと触れた。

 街の子供から贈られたお世辞にも綺麗とは言えない、拾ったただ綺麗なだけの石コロで作った手作りのペンダント。

 シスネにとっては、この部屋を埋め尽くす贈り物よりも、鳳凰石なんかよりも価値のある宝物。


 シスネは、慌てて横を向くヒロに構わず、


「それに私は幸せです。みなが私の事を大切にしてくれている事を知りましたから」


 表情はそのまま、けれど少し目に優しげな空気を湛えて、シスネは告げた。


 ヒロは横目でその顔を見て、小さくため息をついた。

 それから小さく舌打ちをして、「今日は帰る」と告げた。


「ペンダントはいらないのですか?」


 来た時と同じ窓から出ていこうとするヒロの背中にシスネが尋ね、引き留めた。

 ヒロはシスネに背を向けたまま、


「…………俺は強盗じゃない」


「悪名高き大犯罪者のセリフとは思えませんね」


 シスネのその言葉にヒロが驚いた様子で振り返った。


「気付いてたのか?」


「……途中から。――数ヶ月程前、王国に突如現れて国中を騒がせた大犯罪者。魔導の申し子という二つ名もありましたね?」


「呼び方に興味はないな。俺はヒロだ。それ以外は他の奴らが勝手に言ってるだけだ」


 そう言ってヒロは踵を返し――かけて、「あ、そうだ」と何かを思い出したかの様に呟いた。

 暗闇の中でヒロが手を広げて小さく掲げる。

 ゲコッという鳴き声と共に手の平に現れたのは一匹のカエルだった。

 ヒロは反対の手でカエルを無造作に掴み、「これ、返しておく」と告げた。

 告げたと同時、その小さなカエルの口から飛び出したとは思えないサイズのテーブルが出て来た。


「……犯人はあなたでしたか」


「勘違いすんなよ。別に欲しくて盗んだ訳じゃない。前にこの部屋に入った時に、トラップが仕掛けられてるこのテーブルに気付いて、危ないから預かっておいたんだ。解除は勝手にしておいた」


「……それは――いえ、ありがとう。どうしてわざわざ?」


「別に礼はいらんぞ。勝手に部屋に入った件はこれでチャラだ」


 ヒロは質問には答えず、無愛想にそう言って、カエルから箒を取り出すとまた来た時と同じように窓から出ていった。

 カチャンと窓の閉まる音。



「おかしな人です」


 再び1人になった部屋で、誰に言うでもなくポツリとシスネが溢した。

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ミキサン
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素晴らしい考察が書かれた超ファンタジー(頭が)
考える我が輩
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