争いの形
「あら? 今日はまた随分と物が多いわね」
シスネの部屋に入るなり、クローリはそう言って部屋の中を見回した。
「全部賄賂です」
パッセルがあっけらかんとした態度で答えた。
そんなパッセルに、クローリは小さく肩をすくめて返しただけだった。
シンジュが足場の悪い森の中で正座をして過ごしているのと同じ頃。
シスネは城であてがわれた私室にて、大量の貢ぎ物に囲まれて過ごしていた。
白い真新しいテーブルの上。床。棚の上。
大きい物は人の背丈ほど、小さい物は拳ほど、と大小様々なこの貢ぎ物は、その全てがシスネに贈られた物である。
シスネが城に来てから1週間は、御披露目会以外にこれといった動きなどはなかった。
しかし、そのまま何も無い―――というわけでも無かったらしく、今日という日の昼を境に、次々と来客が相次いだ。
悪魔の末裔という看板が邪魔でもしていたのか、今までは様子見であったのだろう。
まず最初に、中央の貴族達がやって来て、それから間髪入れず、地方の領主や貴族、更には商人組合まで、あちらこちらの様々なところ、様々な人がシスネに会いにやって来た。
その大半は政治的な話を少しだけして、高価な品、珍しい品、地方の特産品などをシスネに献上するのが目的。ようするに顔と名前を覚えてもらう為の貢ぎ物である。
「ランドールじゃ、ほとんど見られない光景よね」
貢ぎ物のひとつを手に持ちながらクローリが言った。
「そうですね。私は滅多に受け取りませんから」
自分で「滅多に」と口にした様に、シスネは貢ぎ物という物をほぼ受け取らない。
貢ぎ物というのは、口にしないだけで暗に見返りを求めてするもの。受け取ったならば、受け取ったなりのお返しをしなければならない。
その為、ランドールにいた頃のシスネは、そのほとんどを門前払いでやり過ごした。
「滅多に」というのは、「全く」という意味では当然ない。
シスネとて受け取らねばならない時もある。
その受け取った大半の物は、ランドールに籍を置く商人組合や鍛冶、工業職人達で組織する集まりなど、麾下の組織から贈られた物である。
この贈り物については、パッセルの言った「賄賂」という側面よりも、儀礼的な意味合いが強い。
ようは、お歳暮や暑中見舞いみたいなもので、こういった品というのは、受け取らねば上と下との関係が薄まり、ひいては仲間意識の希薄さに繋がる。
普段は裏方に徹し表に出ないシスネゆえ、例え儀礼的、事務的であろうと、こういったところで適度に馴れ合っておく必要がある。
厄介なのは、上からの贈り物。国王の名を付与した中央からの品々である。
独立自治区となっているランドールとはいえ、中央が上という立ち場には違いない。ゆえに、これは断る事自体が出来ない。受け取り拒否拒否。無理に断れば当然角がたつ。
上からの贈り物というのは、受け取った物の倍以上のお返しが必要になって来る。高額で価値のある物ではなく、過敏な働きこそを求められる。
どんな形で返すかはその時々で違うが、中央とのやり取りは、いつもシスネの頭を悩ます頭痛の種であった。
「高級生地にアクセサリー。これは……、紅茶かしら? 嗜好品に――」
次々と手に取っては、中身を確認したクローリが告げていく。
どれもこれも高価な品々。ここにある物の総額だけで、庶民が数年は遊んで暮らせるだけの額になる。
「これって馬鹿にしてるんですかね?」
クローリの隣。肌触りの良さそうな光沢のある絹の生地を腕に抱えたミナがそんな事を言った。
言葉のニュアンスとは違い、ミナのそれは何かを小馬鹿にする様なものではなく、純粋な疑問からの問い掛け。
「ランドールとの繋がりがある――そうアピールしたいのでしょう」
ミナの持つ生地に目を向けながら、淡々とした態度でシスネがその質問に答えた。
ミナが持つ生地はドレスを仕立てる為の高級な物。
実はそのシルク生地の元となる糸は、ランドールでのみ採れる特殊な糸を使用している。ランドールの特産品。
ランドールでは、この糸となる原材料を、とあるモンスターから採取。それを製糸し、商会を通してランドールの外へと卸している。
原材料、及び製糸方法はランドール家によって秘匿され、その為ランドールでしか生み出せない。
この糸から作り出した布地は、シルク特有の光沢と肌触り。吸湿、保湿、放湿に優れるのは勿論、丈夫で軽く、耐火性、耐魔法性も他のシルクより拡大に高い。
中でも、着ているだけで毒を中和する、という他に類を見ない効能が、特に貴族達に好まれているようだ。
シスネが普段着ている物や、カラスの黒服の裏地、ハトのメイド服なども同素材を用いた生地で作られている。
品質は極上。
しかも、ランドールでしか扱っていないという希少価値から、値段も高額。
それでも常に需要があるのだから、ランドール商会としては笑いが止まらない事だろう。
ランドールでは製糸のみで、生地にまでは加工しない。というより、出来ない。
別に糸から布地を作る技術が無いというワケではなく、一万弱と、領地に比べて人口の少ないランドールでは、原材料の確保、及び製糸までが手一杯。人手が足らないのである。
「でも、これだけいっぱい貢ぎ物をくれるって事は、思っている程にランドールというのは嫌われてもないんですよね?」
「どうかしら?」
ミナが尋ねると、クローリが頬に手を当てて首を傾げた。
「必ずしもそうとは限りません。ここは中央で、仮にも私は王妃候補ですから、露骨に敵に回るより、融和的な意思を見せておいた方が得策との判断でしょう。相手が構えれば、こちらも構えざるを得ませんから、そうなればあちらも引っ込みがつかなくなります。ようは、彼らはどう転んでも利がある様に物事を運びたいのです」
「なるほど」
と、ミナが納得顔を作って相槌を打つ横で、「ほんとに分かってる?」と、パッセルの呆れにも似た問い掛けが入った。
「あ、争う気はないってとこだけ分かったし……。――ですよね? シスネ様」
「まあ……、そうですね。無い事は無いでしょうが、自分達からは事を起こさない様に努めている分には、今のところ心配もいらないでしょう」
服を洗濯しようかな。朝は雨だが、昼からは晴れそうだし大丈夫だろう――程度の軽い口調でシスネが言った。
「無くは無い……ですか……」
「少なくとも、これらを寄越した者達が、私を今すぐ害する事はありませんよ。それを見極めている最中と言ったところでしょう。私は、事を有利に運ぶ為の人質であると同時に抑止力でもあります。王国の公式の声明もありますから、よほどが無い限り、そこまで心配は入りませんよ」
王国は、シスネを中央へと呼びつけるに際し、公式声明を出した。
その声明では、領主シスネが不在のランドールに対して、如何なる商業的侵略、領土的侵略も禁止するというもの。
同じ王国内で侵略を禁ずるとわざわざ触れを出すのも可笑しな話ではあるのだが、当主不在を良いことに、自主独立を旨とするランドールを排除せんとした動きが出ないとも限らない。それを牽制する為の声明。
「公式のものである以上、これを破れば只ではすみません。破った領主が王国に後送されるならまだ良い方で、下手をすればランドールと戦争になりかねません。しかも、ランドールに大義を与えた上でです」
「やられたからやり返す、ですね!」
我が意を得たりとでも言いたげに、ミナが胸を張る。
シスネは小さく頷いた後、「もっとも、」と続けた。
「ただの喧嘩ならば先手必勝で構わないでしょうが、戦争というのは長期的に見た場合、先に手を出した方が加害者。殴られた方は被害者です。それは被害者側の大義名分となり、先手必勝と動いたはずの相手は結果的に不利になります」
「必ずしも先手必勝では無いのですか?」
「物量差や兵力差に極端な開きがなければ違います」
「でも、王国の力はランドールを遥かに越えています」
「この場合は、王国と戦争をするのではありません。被害者側に大義がある内は王国も手が出せず、戦争の形態としては加害者対被害者の一騎討ちです。中央の後ろ楯が無いのであれば、ランドールだけで十分勝つ事は出来るでしょう。ランドールには一騎当千の猛者が70人も控えていますから」
「戦争っていうのはね、如何に正当防衛に持ち込むかが肝心なのよ」
シスネの言葉を補足する様にクローリが続く。
「戦争ってズルいんですね」
「そうですね。戦争はズルい方が勝つんです。誤魔化しが上手い方が勝ちます」
「誤魔化しで勝てるんですか?」
「誤魔化しで勝てるんです。そもそも大概の戦争とは、誤魔化しで始まり、誤魔化しで勝つものです。先程言った正当防衛は、誤魔化しのない場合の戦争ですが、その正当防衛が絶対に真実である必要は無いんです」
そのシスネの言葉に、ミナは少し考え、首を傾げる。
「正当防衛なのにですか?」
「正当防衛なのにです。――例えば、ランドールの場合であれば、簡単に収拾がつかなくなる様にする事は容易です。悪魔領ランドールが不穏な動きを見せた――そんな、真実っぽい何かを大義名分に掲げるだけで、先に手を出した加害者が被害者に立場を変えます」
「立場が変わるなんて事があるんですか?」
「勿論です。そうなってしまうと、先に手を出したのがどちらかなどというのはどうでも良くなります。大義以上の尊い何かを楯に、世の中の特別扱いの枠に収まる。そうする事で、戦争に意味と説得力を生み、罪悪感を排します」
シスネの言葉をミナは小さく首を傾げながら聞いていた。まるで言葉を一字一句覚えようとでもしているようだった。
「戦争の形は様々ありますが、どんな形であれ、それをどう取り繕っても結局のところ、自分の利益を優先した結果の行動です。そこに、『敵は悪い奴で、自分達は良い者なんだ。だから戦争をしてるんだ』という純真無垢な子供の価値観を持ち出すのです。悪魔は無条件で悪で、神は無条件で正義なのだと――人はそれを聖戦と呼びます」
「聖戦……」
一瞬、シスネの言葉を把握しかねたのかミナが呟く。
「そうです。絶対悪に対して、神の名の下に鉄槌をくだす。戦争をそういう形に誤魔化してしまえば、被害者たるランドールの正当防衛はいとも簡単に効力を失います。ランドールとは、そういう薄皮一枚のギリギリの立場で成り立っているのです」
「言ってる事は分かりますけど……。でも、それって、ランドールは戦争に絶対勝てないって事じゃ……」
「勝てませんよ。ランドールは。悪魔というレッテルを貼られている限り勝てません。ランドールがいくら大義を掲げても、それは悪人が美学を語るに等しい行為という認識が、王国には蔓延していますから」
「そんな……」
シスネの口から戦争に勝てないと言われ、ミナが顔いっぱいに不安を貼り付ける。
そんなミナに向かって、シスネは言う。
「戦争に勝てないというだけの事です。戦争に勝つ事と、生存競争に勝つ事は違います。生存競争とは、生き残れば勝ちです。疲弊か、逃走か、融和か……。形はどうあれ、相手に諦めさせる事が出来た時点で勝ち、或いは引き分け。だから、ランドールは守る事に重きを置くのです」
「守る事が勝ち……。とにかく守れば良いんですね!」
シスネの淡々とした口調、表情は、得たいの知れない不安がじわじわと押し寄せていたミナの胸中を洗い流すには、十分過ぎる程に柔らかい態度にミナには見えた。
シスネ様が言うのだからそうなんだろう、何も心配いらないのだろうと、納得させるだけの含みがあった。
「はい。まあ戦争をしないのが一番――」そう口にしたシスネの言葉を、大きな声で「分かりました!」と叫んだミナが遮った。
ミナは先程までの不安そうな表情は何処へやら。意欲を前面に押し出した様な態度で、
「守ります! シスネ様は私が命にかえても必ずお守りしてみせます!」
「いえ……、そういう意味の――」
「うおぉぉぉ! 私はやる! 私はやってやるぞぉ!」
気合いと共に、やってやる!と叫ぶミナに、シスネが嘆息をつき、クローリが苦笑いを浮かべて肩をすくめ、パッセルが「バーカ」と呆れた顔をして溢した。




