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ニーナ

 きっかけは些細な事だった。


 鉄の姫君ことシスネが、ランドールを離れ、王国の中央へとやって来たのが1週間前。

 1週間経っているとはいえ、城の者達の態度は相変わらず代わり映えしなかった。

 周囲から向けられる不審の目や、わざと聞こえる様に届けられる悪口。

 しかし、そんな事では眉ひとつ動かさないのが鉄の姫君である。


 中央に来て以来、シスネが城の中でやる事といえば、王国について学ぶ事―――もう少し正確にいえば、王国の王家についてである。

 早い話、ようはマナー的な事も含め、嫁に来るなら家のしきたりを覚えろ、という事だ。


 昔から城に仕えているとおぼしき老いた一人の女性。

 それがここに来て以降、シスネのもっぱらの話し相手である。

 話し相手と言っても楽しくお喋りに興じている訳ではなく、シスネの教育係として老いた女性はあてがわれているに過ぎない。楽しいお喋りなどあるはずもない。


 老いた女性―――ニーナは、顔に刻んだ深いシワとやや吊り上がったキツそうな目が特徴的な人物で、言葉遣いこそ丁寧だが、その口調は目元以上にキツイものがあった。


 また、教育係という立場のせいか、或いは年を取った事でそうなったのか、固執した考え方を持つ女性でもあった。「これはこう」と、自身の確固たる意見を頑なに信じ、曲げようとしない。

 勿論、そう本人が言ったわけでもないが、言葉の節々に見えるここ数日のやり取りから、彼女はそういう人物なのだとシスネは考えるに至った。


 そんなニーナだからか、彼女はシスネの前に立つと露骨に嫌そうな、イライラした顔を見せる。

 長年刷り込まれた先入観、自分が正しいという曲がらぬ確信。それゆえ、彼女はシスネの事を悪魔の末裔どころか、悪魔そのものだとでも思っている様子であった。


 自身の態度にも問題があるのだろう―――と、シスネは考える。

 氷の姫君の異名を持つシスネは、どんな時でもポーカーフェイス。

 それはニーナの教えを受けている時も変わらず、―――変わるわけもなく、そんなシスネの態度が、彼女のイライラの原因にもなっているらしく、彼女は話の合間に度々「聞いているのですか?」と強い口調でシスネに尋ねてくる。

 表情も変えず淡々と自身の話を聞くシスネが、やる気がないように彼女には見えるらしかった。


 流石にこう頻繁に言われると、集中力を妨げられる。

 授業の邪魔になっていると感じたシスネが、

「はい、聞いています。ミセスニーナ。こう見えて()()()()()()()

 と、冗談ともつかない言葉でちゃんと聞いていると諭すように示したが、彼女はそれに気を悪くしたのか、その日はここ数日以上に口調がキツくなった。


 シスネは難儀な事だと思いつつも、キツくはなったが、聞いているかと口にしなくなったので効果はあったようだと思った。

 ただ、だからといってお喋りを交えた楽しいお勉強というわけでもないが、これに関していえば、別にニーナだけが悪いという事でもない。

 例えばこれが、ニーナではなくカナリアであったとしても、ただ淡々と学問用語が飛び交うつまらない場になっていたであろう。


 何故なら、生徒として模範生であっても、こと人とのコミュニケーションという点において、氷の姫君シスネは及第点以下である。

 

 そんな訳で、ジョークのひとつも飛び出す事もないまま、物事は筒がなく進行していく。

 少なくとも表面上は―――。



 シスネが集中して学べる場を手に入れた一方で、ニーナはひどく焦っていた。


 それは、自分の話を一字一句聞き逃す事なく吸収していくこの目の前の女性が、優秀と一言で片付けてしまうにはあまりに異質過ぎたからである。


 元々、基礎的な知識は十分に備わっていたのだろう。

 一から教えるよりかは俄然に教え易い。


 それは良いが、そもそもニーナは本気でシスネに何かを教えようなどとは思っていなかった。

 血のように真っ赤な瞳。

 いびつに尖った長い耳。

 シスネを見ているだけでニーナの中に嫌悪感が沸き上がってくる。


 初めて城に仕えたのがもう30年以上前の事。

 嫁いだばかりだった王妃を初め、二人の姫君に、時にはメイド達への教育と、ニーナはこの城の教育係として長く人生を歩んで来た。

 そういう立場であるから、今回の結婚に辺り、王妃として持っていて然るべき知識、教養をシスネに叩き込んでやれと命じられた。それは当然の流れであり、断れるはずもない。


 しかし、前述の通り、

 ニーナはこの悪魔に王家の女がなんたるかを教える事が嫌で仕方がない。

 何故悪魔などに教育してやらねばならないのか―――大体何故悪魔が嫁ぐなどという話になるのか。ニーナは酷く頭の痛い思いであった。


 そんなニーナであるから、役目を拒否出来ないのであればそれを有効活用してやろうと考えた。


 その結果が、嫁イビりである。

 嫁イビりといえば、馬鹿な男などは「なんだそんな事か。仲良くやれよ」と軽くたしなめる程度で事を終わらせようとする。

 だが、イビりを甘く見てはいけない。

 本音では男も理解しているのだろう。――関わりたくない、と。


 毎日の様に、ネチネチチマチマと繰り返される陰湿なそれは、相手を精神的に深く追い込む。

 崩れた精神は、連鎖反応の様にやがて肉体すらも蝕んでいく。

 それこそがニーナの狙いであり、そうやってニーナは、この悪魔を城から追い出してやろうと画策したのだ。


(城の中での、自分の信頼は厚い)


 それを知っているニーナは、わざと手を抜いて仕事に勤め、「こんな簡単な事も覚えられないの」「王家の嫁にふさわしくない」という落第点を、シスネに突きつけるつもりであった。

 加えて、普段の自分なら絶対にしない様な、『駄目な教育者』を演じる事で、立場を利用し精神的にも追い込み、悪魔が音を上げて自分から出て行こうと考えるよう、二段構えの策を持って勝負に挑んだ。


 ――そう、勝負だ。

 これは、普段は兵達の様に表立って悪と戦うなんて事はしない自分が、初めて王国を守る為に、ペンを剣に見立てて戦う事の出来る戦場である。ニーナはそう考える。

 王国を守る自分と、王国を中から食い荒らそうとする悪魔との命を賭した真剣勝負なのだ。


(生い先短い私が、王国の為に出来る最初で最後の大勝負。必ず追い出してみせる! 私はこの悪魔に勝ち、見事に命の徒花を咲かせてみせよう!)


 そんな確固たる決意を胸に、ニーナは悪魔と対峙したのである。

 


 いざ、対決の始まった当初は良かった。

 些細な事にも難癖をつけてイビるイビる。自分だったならば3日も耐えられない様なイビり。

 客観的に、やっている自分が少し―――かなり馬鹿みたいに見えるが、王国を守る為、悪魔を倒す為ならば、自分の教育者としてのポリシー、プライドなどいくらでも捨ててやる。


 ところがである。

 そんなニーナの悪辣なイビりなど、微風に揺れる枝葉の如く、この悪魔は全く意に反さない。

 涼しい顔をして、淡々と、粛々と、それでいて的確かつ素早くニーナの要求に答えていく。


 しっかり覚えているかと反復の意味を込め、様々な質問を投げ掛けてもスラスラと答え、イビりがてら質問した明らかに自分が教えていない事までをも淀みなく答える。

 辺境とはいえ、この若さで領主にまで登りつめたのだ、素頭は良いのだろう。

 教育者としてこれまで何人もの生徒を育てて来た。その誰もがみな優秀ではあったが、そんな長い自分の教育者人生の中でもこの女性は特に優秀な部類に属するだろう。


 教育者としての性なのか、優秀の者にはより良い教育を、更なる高みをと、ついつい芽を出しそうになる欲をニーナはグッと堪える。


 ―――勘違いしてはいけない。

 (たぶらか)かされてはいけない。

 これは悪魔なのだ。

 誘惑する者。堕落させる者。貶める者。


 ならばと、作法についてかなり厳しい―――例えば、お辞儀ひとつにしても、「(かなりシビアに)角度が悪い」「(かなりシビアに)腰が浅い」「王妃がそこまでへりくだるな(ほぼイチャモン)」などなど―――数え出したらキリがない様な指摘も、この目の前の悪魔は、二度目からは完璧にこなす。

 当たり前だとも言いたげに、涼しい顔をして。


 自分が何をしても表情ひとつ見せない悪魔。

 たが、そんな表情とは裏腹に、その瞳は強い意志を宿し、どこまでも深く、輝いている様に見えた。


 どんな無理難題も、ここまで淡々とこなされると、だんだんニーナも意地になる。もはやイビりを通り越した精神的私刑(リンチ)

 ニーナの要求は止まるところを知らず、どんどんエスカレートしていった。


 しまいには逆転の発想とばかりに、「愛嬌が無い」と、この悪魔が最も苦手そうな事を指摘してみた。


 正直言えば、失敗であった。

 この悪魔―――目の前の女性は、王国のどんな女性よりも美しい。王妃や王女達ですら、彼女の前では霞んで見える。愛嬌など無くてもそうなのだから、そんな彼女が表情を持ったら―――


 失敗した。


 ニーナは、愛嬌が無いと指摘されたシスネが、全てを包み込む様に優しく微笑みを浮かべたのを見て、そう思った。


 王家や貴族など、上級の容姿を散々見て来た自分が、思わず見惚れるくらい、その微笑みは美しく、神々しかった。


「ミセスニーナ?」


 固まってしまったニーナを訝しんだシスネが声を掛ける。

 その声で、ハッと正気を取り戻すニーナ。


 シスネが微笑んだ時間は短い。1秒、長くて2秒程度の一瞬の出来事。

 しかし、その一瞬の微笑みが、ニーナにはとても長い時間の様に思えた。


 ニーナは思う。


 これはもはや凶器だ―――。

 男だったならば、簡単に心を射抜かれてしまってもおかしくはない。

 それほどに、強力で、凶悪な武器。


 ニーナの背筋がゾクリと粟立つ。


 恐ろしい。

 ただの微笑みを、表情を、こんなに恐ろしいと思った事は生まれて初めてだ。

 ああ―――そして、この恐ろしい凶器は、名手の放つ矢のごとく、確実に、的確に、私の心臓のど真ん中を貫いた。


 もはやその傷を治す事は叶わないだろう。

 何故なら、心臓を射抜かれた時点で、生き物はみな例外なく死んでしまうからだ。


 自分は死んだ。

 ニーナという人間は、今日、ここで、心臓を貫かれ、悪魔に敗れて死んだのだ。


 あの一瞬で、永遠とも思える時間の中で、

 私は思ってしまった。

 思い描いてしまった。

 ―――彼女が王妃になった王国の姿を。

 そんな世界を描いてしまった。


 亡き王よ、お許しください。

 私はこの悪魔に―――自分の半分の年齢にも満たないこの少女に敗れてしまった。

 王に忠誠を誓ったニーナは、いま死んだのです。

 私はこの、聡明で、力強く、凛とした空気を持つ美しい少女の作る未来を見てみたいと願ってしまった。彼女が王の隣に立ち、頂きで輝く、そんな未来を―――。



「何か?」


 一言も言葉を発する事なく真っ直ぐ自分を見つめてくるニーナを不思議に思ったのか、シスネが尋ねた。相変わらずの無表情。

 しかし、今や場違いの様に強い意志の宿る瞳を湛えたその無表情すらも、ニーナは愛おしく思えてしまう。


 ああ、なんと恐ろしい悪魔の誘惑。

 心の底から溢れ出して来る踊るような興奮と甘美な幸福に身を委ねたくなる。


「いえ……何も。―――授業を再開しましょう」


 ニーナはそう言って微笑んだ。



 ニーナの微笑みの理由を図りかねたシスネだったが、深くは気にせず、再開されたニーナの授業に没頭していった。


 シスネは没頭しながらも、

 ―――何か心境の変化でもあったのだろうか……。

 と、先程までとは打って変わって、妙に優しくなったニーナの授業を受けながら、そんな事を思った。

 

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ミキサン
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素晴らしい考察が書かれた超ファンタジー(頭が)
考える我が輩
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