家出娘の旅・ワーン
霧が立ち込め始めた森の中。
ブラッド率いる冒険者パーティー『オリオン』は、大きな荷物を積んだ馬車の護衛として、その場で武器を取っていた。
オリオンの三人が今いる場所は、ランドールの街の外にある広大な東の森の端。更にその先にあるランドール領地を囲む山脈の麓である。
二台の馬車に前面。
体勢低く牙を剥き出しにして唸り声をあげる犬の様なモンスター。ウッドウルフ。
ウッドウルフは、大型の犬ほどの体躯を持ち、鋭く尖った歯と素早い動きが特徴のモンスターで、危険度はCランク程。
ただし、それは単独として危険度であり、リーダーを中心に5~6匹の群れで行動している時の危険度はBランクに相当する。
しかしながら、オリオン三人の活躍により、その群れも今や群れのリーダーを残すのみで、既に群れとして体をなしていない。
ただの一匹となったリーダーは、口惜しそうに馬車を睨み付けると踵を返し、『逃げ』の体勢へと移った。
「逃がすなよ! 面倒だぞ!」
後退しようとしたウッドウルフを認めたブラッドがそう指示を飛ばす。
「ファイアウォール!」
ブラッドの指示のあと、すぐにイーリーが魔法を行使。逃げようとするウッドウルフの逃げ道を炎で遮った。
突然、自身の行く先に現れた炎に、ウッドウルフは一瞬怯んだものの、軽い身のこなしを武器に跳躍。
器用にも近くの木の幹を足場にして、イーリーの作り出した壁を難なく乗り越えた。
ただの狼ではなく、森狼と呼ばれ、良く森を知っている慣れた動きであった。
の、だが―――
「チェストー!」
そんな雄叫びを上げながら、壁を乗り越えたウッドウルフの頭上から舞い降りる影。
影は、炎を飛び越え空中にいたウッドウルフに狙いを定めると、雄叫びをあげたままウッドウルフをボレーシュートの様に蹴り飛ばした。
蹴り返しされる様な形となったウッドウルフは、そのまま飛び越えたばかりの炎へと逆戻り。
壁の中腹を突き抜け、何度か固い地面にバウンドしたのち、首をおかしな方向に曲げたまま横たわり、二度と起き上がる事はなかった。
そんな残虐ともいえる光景を作り出した少女は、相手がモンスターという前提あってから、特に気にした様子もなく「わーい」と無邪気に笑ってみせた。
少女―――シンジュは、既にプスプスと煙だけを地面に残すのみとなった炎を、軽快にぴょんと飛び越えると、馬車の近くで待つ三人の元へと駆けた。
「ご苦労さん」
シンジュが傍まで駆けてくると、ブラッドが片手を軽くあげて労う。
「だいぶこなれて来た感じね」
「はい。おかげさまで」
イーリーからのお褒めの言葉に笑顔で返すと、シンジュは馬車の荷台へと乗り込んでいった。
「それじゃ、出発しよう」
ブラッドの合図を受けて、二台の馬車は再び森を進み始めた。
☆
「さっき言ってた穴ってアレですか?」
走る馬車の荷台から前方を眺めていた私。
そんな私達の進む先。山と山の間にポッカリと空いた穴があり、それを目にした私が荷台仲間のイーリーさんに尋ねた。
「ええ、そうよ」
「アレを抜けたら、ランドール領の外だぞ」
イーリーさんが答え、それにトエルさんが続く。
「いよいよランドールの外ですね。ちょっとワクワクします」
本当にちょっとワクワクしている。
街の外には何度もミキサンと出た事があるけど、ランドール領の外にまで足を伸ばすのは初めてだ。海外にでも行く様な気分。
「期待する様な珍しい物があるわけじゃないんだけどね」
「まあ、そうかもしれないですけど……、こう―――気持ちの問題?」
言うと、同乗する二人に何故か笑われた。
一昨日の昼前。
冒険者オリオンが専属で護衛をしているという商人ロンベルさんの定期便とやらに便乗させてもらった。
ロンベルさんというのはランドールの商人さんで、何故だか私を異様に可愛がってくれる人。
お菓子とかお菓子とか、あとお菓子とか私を街で見掛ける度に色々とくれる素敵なおじ様。
ランドール領外の地図を買いに行ったら、普段は店先には出ないロンベルさんと偶々店で出くわした。
私の背負うパンパンに膨らんだリュックと、日持ちする食料購入の理由を聞かれ、ちょっと焦った。
まさか家出とも言えず、「ランドールの為に見聞を広めたい」と適当に思い付いた事を言ったら、ロンベルさんはいたく感動したらしく食料をタダで譲ってくれた。しめしめ。
オマケが定期便への便乗である。
ロンベルさんは商人さんらしく、ランドールの外と商売を通じて交流のある人で、近くの街に(と言っても3日かかるらしい)定期的に商品を卸しているそうだ。
その定期便におんぶに抱っこという形だ。
ちなみにロンベルさんは来ていない。代わりにロンベルさんの部下さん二人が、護衛の冒険者パーティーオリオンと共に馬車に揺られている。
私が便乗する事に、最初ブラッドさんは難色を示していたけれど、懇願につぐ懇願でなんとか許可を頂いた。
私も色々と必死である。
シスネさんとの約束で、行き先はちゃんと伝える事になってるけど、肝心のシスネさんがランドールに居ないので、これ幸いと家出である。
なら、フォルテちゃんとかランドール家の誰かに伝えろって話なんだろうけど、私は急いでいるのです。
―――この言い訳で通じないだろうか?
通じないだろうな……。
でも、馬鹿正直に行き先を告げたらミキサンにバレちゃうし……。それに、別に行き先なんてものは特に決まってない。ランドールの外であればどこでも良いのだ。
そんなこんなで始まった私の旅。
本当ならミキサンと一緒にしたかったけど……。
ミキサンといえば、ランドールの街スタート直後に危うくミキサンに見付かりそうになった。
用事で街の外にいるのは知っていたけど、まさかあんなに早く私の家出に気付くとは思わなかった。
なにやら人を集めて私を探していたようだけど、馬車の上で布を被り隠密スキルで何とか切り抜けた。
ミキサンの事だからその程度の工作ではすぐ見付けられるかと思ったけど、意外とバレないもんである。
ミキサンは居ないけど、ブラッドさん達がいるので寂しい一人旅というわけでもない。
道中には馬車を狙ってやって来るモンスターもいるので中々退屈もしない。
と言っても、まだ2日目。2日目だけどランドールの外まではもう少しのところまで来ている。
イーリーさんが言うには、ランドール領から外に行くには大きく分けて3つのルートがあるそうだ。
例えば、領地をグルリと囲む山脈を越えて出る方法。
一番単純だけど、何故か一番難しいらしい。理由は「色々と過酷だから」だそうで、細かくは言っていなかった。
私達はこの過酷らしい山脈越えではなく、山脈の脇を通って行く事になる。
この山脈には一ヶ所だけ大きく穴の開いた山があって、その穴の中を通って外に出る。
まさに今がその穴の中。
「穴と言っても天井は無いんですね」
周囲を見渡しながら、そんな感想を述べる。
穴というからトンネルや洞窟みたいなものを想像していたけど、それとはちょっと違う。
ふたつ並んだ山のちょうど真ん中にでっかい棒でも突っ込んで開けたような穴。周囲はちょっと楕円を描いてそびえ立つ崖になっていて、穴というより、凄く深くて長い溝に近い。
私達はその溝の真ん中を馬車で進んでいる。小人が排水溝に落ちたらきっとこんな感じなんだろうなと思った。
「まあそうかもね。一応、魔王の穴って呼ばれてるわ」
「知らない間にミキサンが……。恐ろしい子」
私が言うと、イーリーさんはちょっとだけキョトンとした後で可笑しそうに笑った。
「違うわよ。ずっと昔にいた魔王の事よ。えっと……、真紅の悪夢だっけ?」
イーリーさんは、んーと小さく唸りながら隣のトエルさんに尋ねた。
トエルさんは少しだけ眉を寄せて、「……そういうのを俺に聞くな」とだけ返した。
「はいはい。―――とにかく、その魔王がずっと昔に空けた穴らしくて。それで、魔王の穴、なんて呼ばれてるの」
「へー」
イーリーさんに向けていた顔を、また穴の側面に移し、崖を見る。
こういう事を出来る魔王というのはさぞかし強かったんだろうな……。
流石のミキサンも、山にここまで巨大な穴を空けれそうにはない。魔王といっても必ず同じくらい強いわけではないのかな?
そんな事を思う。
「強力な魔法で空けた穴らしいけど、拳ひとつで空けたとか、気合いだけで空けたとか、なんか色々あるみたい」
「流石に拳や気合いはどうかと思いますけどね」
私が笑って応えると、「ここまでかはともかく、シンジュなら良い線いくんじゃないか?」と、トエルさんが煽ってくる。
「思っきりやっても流石にここまでは」
無茶ぶりするトエルさんに半分呆れつつ、ちょっとだけ試してみようかなとそんな事を思う。
試すだけならタダかと、走る馬車からぴょんと飛び降りて、「ちょっと本気~」と笑うイーリーさんの声を背中に聞きながら構える。
まあ、構えると言ってもポーズだけ。
よく達人同士が「す、隙が無い」とかやってるけど、アレって本当だろうかと常々疑問に思っている。よそ見とかなら分かるけど、隙ってなんだろう……。まばたき?
踏み込んだ足を思いっきり蹴って、崖に体ごとぶつかるつもりで右手を振り抜く。
ドン!
と、地響きと共に地面の底から揺るれるような振動があった。
パラパラと小石が上から降ってくる。
「全然じゃん」
殴りつけた箇所を中心に少し亀裂が走っているものの、穴のひとつも空いてない。
派手な音がしたし、ビリビリと地響きも轟いたけど、小石が頭に当たって、ちょっと埃を被った。ただそれだけ。
意外な結果にちょっと不満を覚えつつも、急いで馬車を追いかけて、飛び乗った。
「全然でした」
馬車の上から私の様子を観察していた二人に報告。
もう少しくらい壊せると思っていただけに、報告するのがちょっと照れ臭かった。
「すんごい地響きだったんだけどね」
「ああ、俺ももう少しやれると思ったけど」
「えへへ、殴ってから気付いたんですけど。何か思ってたより堅かったみたいで。普通の岩より、ちょっと詰まってるような感じでした」
「そうなの……」
「でも、その堅い山にこんだけデカイ穴空けちゃうんだから、やっぱ魔王ってのは恐ろしいな」
「ほんとですよね」
そんなやり取りを交わしている内にも、馬車は進む。
私が初めてランドールの外に出たのは、遠くの方から群れをなした鳥が、騒がしく飛んで来たすぐ後の事だった。




