あの子どこの子
森の上空。
ミキサンは、視界に収まりきらない眼下に拡がる深緑の森を眺めていた。遠くに見える白く霞がかった山脈の麓まで拡がるこれら全てがランドール家の領土である。
人口およそ一万弱のランドールが、安定した形でその人口や街の大きさとは不釣り合いとも思える広大な版図を維持出来ているのはそれなりの理由が存在する。
それを為せるのは、失われた女神の加護のお陰と言ってしまえばそれまでであるが、それだけが理由という訳でもない。
そのひとつは、同じ絶対君主制でもランドールが王国とは独立した形の自治区を有する君主制領地である事。
通常、絶対君主制とは王が大きな権力を持ち、物事の全てを取り決める。
地方の領地を治める領主は、王から権限を得て、治世を代行された存在である。王単独では目の行き届かない地方の税を余すことなく搾取する為の番人だ。
したがって、基本的には領主の取り決めは王の判断に基づき行われる。領主に出来るのは、精々その土地土地の特色を考慮した上でアドリブを利かせてやるくらいだ。
だが、王国に組み込まれながらも一個の独立国家のような顔を持つランドール、そしてそれを治めるランドール家は、領主という立場ながら、全ての物事を王に従う事なく自分達で取り決め、行う。属国以上、同盟未満。
その為、本来ならば搾取されてしかるべき税をランドールは外へと流出させる事なく、その全てを自分達へと還元させる事が出来る。
働いた分の見返りの大きさは生きる活力に直結する。
ただ搾取されるだけの労働と違い、働けば働いた程、それに見合う見返りは、生活面と街の発展という形となって現れる。
住む者としては、それが明日を生きる安心と、未来の展望に胸躍らせる源にもなろう。
この小さな王政国家の中で、君主制には付きものともいえる、暴動、革命が一度も起きなかったのは、そういう幸せ=満足度という形を理解し、私腹を肥やすでもなく粛々と描く理想へと邁進したランドール家の努力の賜物といえる。
内政の充実は、外交的な優位性をも育む。
人ならざるモノが跋扈する手付かずの土地を開拓するのは容易ではない。
金も時間も、人も多く浪費する。
ランドール領土を囲む壁の様な山脈と高原が、それらを更に難しくしている。
地政学的な要因を含め、領土拡大を模索する周辺領地との係争、それに伴う政治摩擦を巧みな舵取りで乗り越えて来た事も、この広大な領土を持ち長らえた要因であろう。
「とは言え、広すぎるというのは探し物をする上ではデメリットしかありませんわね」
森の上空。
深緑の森を肴にして、空中で器用にも椅子に座る様な体勢を作ったミキサンが呟き、紅茶の入ったカップを傾けた。
「ノロシで分かるってああいう……」
「やる気無いだろ、あれ」
「言うな。悲しくなる」
上空を見上げ、冒険者達がやるせない気持ちで、優雅に紅茶を飲むミキサンを眺めた。
冒険者達をスライム特殊個体の捜索に加わらせたのが今から四時間程前。
当初は四人だけであった協力者も、いまや膨れ上がり、冒険者だけでなく、たまたま居合わせた商人、木こり、大工、農家、果ては門番やカラス、騒ぎを聞き付けた暇な住民までをも巻き込んで、総勢500名もの大捜索隊へと変貌を遂げていた。
スライム以外のモンスターも当然出没する森であるが冒険者やカラスが中心になって、勝手に上手く編成して、捜索に当たっているらしかった。
500人で広範囲をカバーする様な陣形を作り、緩やかながらも確実に森の中を進行していく。
「これだけの人数で探しても見つからないものですわね」
やはり広すぎるのが問題であろう。
進行する前線の冒険者やカラスの取り零しだろうか―――時折、眼下から届く「ウッドウルフだ!」「助けてくれー!」などという叫び声を楽しみながら、悪魔の指令官はただひたすら上空にてその時を待った。
丁度、農家に襲いかかろうとする大型の猫のようなモンスターを、ミキサンが魔法で作り出した底無しの土に沈めた直後であった。
やや離れた位置。森の中から上空に向けて、魔法の光が大きな音を伴い放たれた。
それに気付くと、ミキサンはすぐさま光の放たれた場所へと移動を開始した。
「いましたの?」
上空から森の中へと舞い降りたミキサンが、知らせを上げた一行へと尋ねる。
一行の1人が、スライムという訳では無いのだが、と前置きした後、
「子供を見掛けた。十二、三歳くらいの子供だ。あっという間に何処かに行っちまったがな」
「子供? この森で?」
「ああ。こんなところに子供がいるのは妙だと思ってな。この森に来るにはひとつしかない大門を抜けなきゃいけないし、門番が通すわけがないからな。少なくとも、ランドールの子供じゃないと思う」
―――子供?
探しているのはスライムですが、必ずしもスライムの形をしているとは限らないですわね……。
自分が体験しているから良くわかる。
我が君の能力は、人ならざるモノを配下とするだけでなく、その恩恵をもって配下の能力を限界まで高める力がある。
ただの下級悪魔として生を受けた自分が、魔王にまで昇格したのはその恩恵があったからだ。
言うなれば上位種への進化。その行き着く先。
進化は、能力向上に留まらず、その姿をも変化させる。
トテトテ同様、悪魔らしい悪魔の姿をしていた自分がいまのこの姿へと変貌した様に……。
「ここらで見たのかしら?」
「ああ、そうだ。―――どうするミキ嬢? スライム探しもいいが、本当に子供だったら放ってはおけない」
「……良いですわ。子供を探すとしましょう」
「流石ミキ嬢だ」
「捜索対象をスライムから子供に変更―――ですが、その前に」
意味深にそう言うと、ミキサンは再び真上―――森の上空へと上昇した。
一定の高さまで上昇したのち、ミキサンは止まる。
それから眼下に広がる森を睨み付け、大きく息を吸った。
―――流石に森全域にまで届けるのは難しいが、ある程度範囲が絞れていれば問題ない。
魔力を声に乗せ、叫ぶ。
『『宣告する! この森に許可無く居座る不届き者! 貴様は既に我が檻の中に追い込まれた袋のネズミ! 十秒待つ! 潔く姿を現すならばよし! 拒否するならば! 我が主への敵性行為とみなし! 貴様ごと一帯の森を焦土と化してくれよう!』』
森の巨木がビリビリと震える程の大声量で放たれたのは、ミキサンからの投降勧告であった。
勧告と同時に始まるカウント。
『『十!』』
「なんつぅデカイ声!」
「おそらくただの子供相手じゃないと分かった上でなんだろうが、トンでもない事言ってんな」
『『九!』』
「こえー」
「ってか一帯を焦土って」
『『八!』』
「俺達ごとか?」
「まさか」
『『七!』』
「流石に死んじまうよ」
「違いない!」
『『六!』』
はっはっはっ、と捜索隊が笑い合う。
捜索隊がそんなとりとめのない話をしている間にも、ミキサンのカウントは続く。
『『五!』』
カウントの終わりが見え始めた直後、
彼らは思い出した。
あれは本気でそれをやりかねない無慈悲な悪魔なのだという事を―――
「うわあぁぁぁあ!」
「ミキ嬢ー! 早まるなぁぁ!」
『『四!』』
絶叫した捜索隊が大慌てでランドール方面に向け、一目『『三!』』に逃げ出した。
ようやく逃げ出し始めた捜索隊を視界に収め、ミキサンが微笑む。
悪魔そのものの邪悪な笑みで―――
血の様に真っ赤であったミキサンの瞳は、魔力の高まりに応じる様にゆっくりと金色に変わっていく。
金色の髪に、金色の眼。
金色を纏った魔王がそこにいた。
『『二、一、ゼロ!』』
「きたねぇ!」
突然早くなったカウントに誰かが叫んだが、その叫び声は広大に広がる森の一帯を包み込んだ爆音によって、無惨にも掻き消された。
ミキサンの手の平から放たれた最上位爆裂系魔法『再生』は、森の一角に突き刺さると、半径500メートルにある周囲の巨木を薙ぎ倒し、或いは木端微塵に吹き飛ばした。
木々を失い、剥き出しになった大地は抉れ、弾け飛んだ大小様々な岩石が宙を舞った。
轟いた爆音は山脈を震わせ、突き抜けた爆風は雲すらも霧散させる。
そんな生ある者の鼓動を一瞬にして無へと返した絶望的光景の広がる中。ミキサンは、もうもうと立ち込める煙などお構い無しに、まばたきひとつせずその金色の瞳を見開き、爆発の中心を見据え続けていた。
上空のミキサンを起点に、前と後ろで世界の風景が一変している。
ミキサンの正面。
爆発によってもはや森など最初から無かったかの様な地獄が広がっている。それでもまだ森のごく一部が消失しただけに留まるのだから、この森の広大さが伺い知れる。
ミキサンの後方。
まるで見えない壁でもあるかの如く、不自然なまでに無傷な森が広がっている。
捜索隊は全員そちら側に退避していたとはいえ、至近距離での大爆発の中にあって誰1人として大怪我を負った者はいなかった。
若干名、慌てて逃げた為に足がもつれ、すっ転び、膝を擦りむいた者はいたが……。
生きとし生けるものなどいないはずの爆発の残骸を見つめるミキサンの視界の隅で何か動いた。
それはまばたきすらも許さない一瞬の動きだったが、魔王の瞳はそれを見逃す事などない。
「いましたわね」
歪に嗤ったミキサンは、すぐに動く影の後を追い始めた。
―――速いですわね。
しかし、追い付けない程ではない。
爆発の中心から離れ、木々の繁る森の中でもいささかもその速度を落とす事なく逃げる何か。
我が君の恩恵を賜る者があの程度の爆発で死ぬ程ヤワではないと睨んだ通り、ピンピンしているらしい。
しばらく追い続け―――
―――いた。
あの後ろ姿。確かに子供だった。
しかし、眼前のそれは、木々の隙間をすり抜け、子供とは思えない速度で逃げ続ける。
「観念なさい! この臆病者!」
逃げる背中に向かって挑発してみせるが、一向に止まる気配はない。
―――面倒な。
舌打ちを打ちつつ、ミキサンは更に速度を上げて背中を追う。
そうして、あと10メートル程にまで迫った時、突然、その背中がミキサンの視界から消失した。
否。
子供だったそれが、突然スライムへと姿を変えたのである。
変化を解いた?―――違う!
拡げっぱなしにしていた魔力感知に、先程まで追っていた気配が引っ掛かった。
ここから100メートル程離れた場所。
―――転移では無いですわね。魔力を感じなかった。
それに先程のスライム……。
振り切ったと思って油断していたのか、立ち止まっていた子供にあっという間に追い付いた。
「ひぇっ!」
何かが初めて声らしい声を上げた。
声も見た目も、どう考えても子供ですが―――
暴視を展開し、子供を見る。
スライムと同じ波長、しかし最弱のスライムとは一線を画す程大きな魔力。間違いない。―――コイツですわ。
ミキサンは速度を緩める事なく、子供―――特殊個体のスライムに向けて突貫を敢行する。
―――この距離。速度。逃げ切れるものではない。
「捕まえました―――わ?」
最高速度のまま羽交い締めにしようとしたミキサンの腕が空を切った。
「また……ッ!」
ギリギリと歯軋りを鳴らしてミキサンが憤る。
特殊個体は先程同様、スライムを残して忽然と姿を消し、再び離れた位置で魔力感知の網にかかった。
―――スライムの身体を自由に行き来出来る能力、といったところか。面倒な……。
わたくしの再生も同様の方法で回避したのでしょう。
仮にそうだとしたら、真っ当な方法で捕まえる事は出来ない。すぐに別の身体と入れ替えられる。この森にスライムなど無数に存在するのだ。
距離こそ短いがゆえ見失う事は無いが、このまま追いかけっこをしていてもラチがあかない。
再び身体を入れ替えた特殊個体に迫りつつも、一定の距離を保ちながら追いかけるミキサン。
追いかけながら、どうやって捕らえるかを模索する。
しばらく、ミキサンと特殊個体の付かず離れずの不毛な追いかけっこが森の中で行われた。
両者はともかく、自身の体の中で暴れられる森からすればたまったものではない。
一部は完全に更地の丸ハゲにされ、両者が凄まじい速度で駆け抜ける度に、草花は大地ごと踏み砕かれ、木々の腕は折れて葉が舞い散った。
「追いかけて来ないでよ!」
不毛な逃走劇にしびれを切らしたのか、泣きの入った声で特殊個体が振り返る事なく叫んだ。
「逃げるから追いかけるのですわ。話があるから止まりなさい」
「そういって僕を苛めるつもりなんでしょ!? あの魔法、絶対、僕を殺す気だったよ!」
「10秒で出てこいと言ったでしょう。素直に応じないあなたが悪いのですわ」
「だって、ミキサン怖いんだもん!」
「あら? わたくしの名前を知っていますのね?」
「そりゃ知ってるよ! ずっと見てたもん!」
「見ていたならばもっと早く挨拶に来なさいな。挨拶ひとつ満足に出来ぬ無能に盗み見られるなど不愉快でしかありませんわ」
「だって……」
「だって?」
「だって恥ずかしいもん!」
「……」
ミキサンは呆れた。
まさか姿を現さない理由が人見知りなどという馬鹿げた理由なのだとは思ってもいなかった。
追いかけながら、ため息をつく。
それからミキサンは少し考えてから言葉を投げ掛けた。
「人見知りも結構ですが、我が君がお前の力を借りたいと仰せになっていらっしゃいますわ」
ミキサンがそう告げると、ピタリと特殊個体が逃げるのを止め、立ち止まった。
それに合わせてミキサンも緩やかに失速し、少し手前―――刺激しない程度の距離を保って立ち止まる。
「……嘘?」
泣きそうな―――いや。凄まじい速度で走っていて流れてしまっただけで泣いていたらしい特殊個体が、クルリと振り返って尋ねてきた。
冒険者の証言通り、十二、三の子供。青みがかったスライム色の頭髪と瞳。
幼さと中性的な顔立ちのせいで性別は判断しかねたが、「僕」と言っていたので男の子―――もといオスだろうとミキサンは推測した。スライムに性別があるとも思っていなかったが。
「嘘ではありませんわ。我が君はあなたに会いたがっていましたわ」
「本当に? 嘘じゃない?」
「本当に、ですわ。それともあなたは我が君に会いたくないのかしら?」
特殊個体がブンブンと首を何度も大きく振って否定した。
「会いたい。会って色々とお話ししてみたい。ミキサンやトテトテさんみたいに仲良くしたい」
「ではそうすれば良いではありませんか。なぜ会いに来ないのです?」
ミキサンが尋ねた途端、オドオドとしていた表情が更に曇り、ついには俯いてしまった。
俯いたままポツリポツリと言葉を紡いでいく。
「……だって、僕、嫌われてるから」
その答えに、ん? とミキサンが首を傾げる。
「少なくともわたくしはそんな話を聞いた覚えはありませんわよ? あなたの勘違いではありませんこと?」
また大きく首を振って否定した。
「僕が近付くと怖がるし、触ろうとすると僕を避けるんだ。―――あのね、昔、初めて会った時にね、僕が酷い事をしたから、それできっと、僕の事を嫌ってるんだと思う……。ミキサンが来たのは仕返しの為なんでしょ?」
「わたくしは別に……。―――その酷い事とは?」
特殊個体は少し言いづらそうにしていたが、急かす事もせず静かに答えを待っていたミキサンに折れたのか、ポツリと言った。
「あのね………………殴った」
「殴―――あぁ?」
「ごめんなさい! ごめんなさい!」
思わず怒気が表情と口調に出てしまったミキサンの様子が恐ろしかったのか、特殊個体が何度も謝りながら頭を抱えてうずくまってしまった。
ミキサンは内に沸いた怒りを一緒に吐き出す様に、深く長い息を吐く。
それから、冷静になった頭で考える。
自分で言うのだから殴ったのは事実だろうが、シンジュからそんな話を聞いた覚えがない。
そもそも四六時中常に一緒にいる自分がそんな暴挙を許すはずもない。
「一体いつの話ですの?」
「え? え~っと……、ずっと前。ミキサンがランドールに来るより前」
わたくしが来るよりも前? ―――まさか……。
そこでようやくミキサンは理解する事が出来た。
―――コレが言っている酷い事とは、いつか自宅でシスネやフォルテとに話して聞かせていた『初めてのモンスターにボロ負けした』という、あの話の事だったのか……。
シンジュ曰く、
まだ弱かった自分は、初めて遭遇したモンスターに対し、スライムだと侮り、殴られ、のたうち回ったらしい。
シンジュの強さを知っている側としては、それはシンジュの冗談だとばかり思っていた。
まさか事実であったとは夢にも思わなかった。
我が君からも同じ様な話をされたが、こちらは『負けた』とは口にしていなかった。ただ、戦ったと……。
その一件以来、シンジュはスライムが苦手な存在になってしまったそうだ。
いまは多少慣れたとはいえ、以前は触られただけで雄叫びを上げて逃げ回っていた程だ。てっきりそのシンジュのスライム嫌いは生理的な嫌悪感から来る様なものだとばかり思っていた。
しかし……、なるほど。だから嫌われている、なのか……。
「あなた名前は?」
「……無い。僕は嫌われてるから、ミキサンみたいに付けて貰えなかった」
「あなたが嫌われているワケではありませんわ」
「でも……」
「そんなに嫌われるのがイヤならば、さっさと謝ってしまいなさいな」
「……許してくれるかな?」
不安そうに自身を見つめる特殊個体に、ミキサンが得意げに告げる。
「良い事も嫌な事も、ちゃんと話せば、ちょっとずつでも溝が埋まって、距離が縮まって、必ず分かりあえると思うんだ」
突然口調の変わったミキサンに特殊個体が怪訝な顔をする。
魔王らしからぬ優しげな口調でミキサンの言葉が続く。
「シンジュ本人の言葉ですわ。―――ちゃんと話せば分かってくれますわ。一人で不安だと言うならば仕方ありません。わたくしが付き添って差し上げてもよろしくてよ?」
そう言った途端、ひまわりの様な笑顔がパッと花開いた。




