テーブルの下の相談所
長く垂れた白く真新しいテーブルクロスの掛けられたテーブルがある。
立食用のやや背の高いテーブルの上には、無駄な工程を省かず調理された、味だけでなく見た目にも美しく楽しい趣向の凝らされた料理の数々が並んでいる。
つい先程始まった御披露目会。
蝶ネクタイをつけた恰幅の良い進行者らしき男性の挨拶から始まり、今はアルガンが壇上に立ち参加者相手に熱弁を繰り広げていた。
そんな主催者の話など知った事かと言わんばかりに料理を貪る手が伸びる。
布に隠れたテーブルの下からヌゥと突き出た腕は、テーブルの上を何度か手でまさぐった後、お目当てである料理の乗った皿に当たりをつけ皿を掴む。
腕はそのままテーブルの下へと皿ごと消えていった。
「上手いなこれ」
テーブルの下。
まんまと料理を盗み出し、口いっぱいに食べ物を頬ぼったまま青年が告げた。
「流石は宮廷料理ってとこね。ヒロの野性味溢れる料理とは格が違うわ」
青年の隣には、ふんわりと宙に浮いた小さな生き物。
料理の皿よりも小さい体をした妖精が、こちらも頬を膨らませたまま青年―――ヒロに言葉を返した。
「あれが男の料理だ」
何を馬鹿な事をと言わんばかりに、食材を切って鍋にぶちこんだだけの料理を得意とするヒロが妖精の言葉に反論した。
「宮廷シェフも大体男だけどね」
「……」
元々口数の少ないヒロが、お喋り大好きな妖精ハロに口で勝てるはすもなく、あえなく撃沈。
最強の魔法使いとの呼び声高い魔導の申し子ヒロの魔力をもってしても、こればかりはどうしようもなかった。
ヒロとハロの二人は、何も宮廷料理を食す為にわざわざ警備の目を掻い潜りこんな所で隠れている訳ではない。
二人の目的は現在開かれている御披露目会の主役シスネ・ランドールの持つ『鳳凰石ランドール』という魔石を手に入れる為。
ランドールにて同じ異世界からの来訪者シンジュとの出会いや、魔王ミキサンとのバトルを経たヒロは、たまたま立ち寄ったランドールの武具店にて、もうひとつの目的であった『虹色冠羽』、その切れっ端を手に入れる事が出来た。
いかんせん量が極僅かの為、何に使えるという訳でもなかったが、ヒロがこなす大儀式【異界渡り】の条件である『虹色冠羽を手に入れる』というのは切れっ端でも問題ないようであった。
そのあまりの条件の緩さに「雑だなぁ」と溢したヒロだったが、条件のクリアには違いないと思い直し、むしろ儀式の寛容さを称える事にした。
虹色冠羽を手に入れたまでは良かったが、問題は鳳凰石をどう手に入れるかであった。
ランドールの秘宝とまで言われる鳳凰石を、所有者であるランドール家当主シスネ・ランドールからどうやって譲って貰おうかとヒロは悩んだ。
ランドールで数日過ごし、探りを入れてヒロは分かったのだが、当主というのは若い女性で、しかも超のつく大金持ちときている。
まさか力ずくという訳にもいかず、かと言って物々交換、或いは金銭的なやり取りで手に入れるのも難しい。
ヒロはほとほと困り果てた。
しかもである。
悩んでいたヒロに、泣きっ面に蜂と言わんばかりに、シスネ・ランドールが故郷を離れ王国に行くという話まで持ち上がって来てしまう。
結局、何の解決案も思い浮かばぬまま、シスネの後を追って王国の首都であるここハイヒッツまでやってきて、現在に至る。
「楽しそうねぇ」
クロスの隙間から外の様子を伺っていたハロが言った。
部屋の中では着飾った紳士淑女が楽しげに談笑している姿が見てとれる。
「まっ、婚約発表パーティーみたいなもんだしな」
「そうよね……。―――でもさ」
ハロが、僅かに開いていたクロスを閉じて振り返った。その表情は少し悲しげなものだった。
「あのお姫様、全然嬉しくなさそう」
ハロがポツリと溢す。
ヒロは何も返さず、ハロがしていた様にクロスを少し開け、お姫様―――シスネを覗き見た。
背筋を真っ直ぐ伸ばし、王子アルガンの隣に座るシスネがヒロの視界におさまった。
周囲の喧騒の中、まるでそこだけ別の世界が広がっているかの様な空気が、シスネを包み込んでいた。
容姿こそ、そこらの淑女などとは比べものにならない位に美しく輝いて見えるシスネだが、その顔には表情と呼べるものなど全く見られず、シスネは無表情のままどこか他人事の様に周囲で騒ぐ人々を静かに見つめていた。
シスネが自身の結婚について悲しんでいる―――かどうかは勿論ヒロ達の大きな勘違いである。
シスネが無表情なのはいつもの事。普段通り。
ランドール住民ならば誰でも知っているその事を、ヒロ達が知らなかったのは仕方ない事であったのかもしれない。
悲しげに見えたのはいつもの鉄面皮と、周囲とのギャップでそう見えるのだろう。
シスネには異性を好きになる、という感覚がどういうものか分からない。恋をした覚えもない。
結婚相手が誰だろうとさして興味もなかった。
幼き頃よりただ一心にランドールの為に生きてきた彼女にとって、自分というものは二の次三の次。とことん自分を律して生きてきたのがシスネ・ランドールという女性である。
そもそもシスネは自分の事が好きではない。
自分が好きではないからこそ、他人が自分を好きだとも思っていない。
いや、いなかった。
満月の夜にその考え自体は改めたのだが、それで自分を好きになれたという訳ではない。
シスネが自分を好きになれない理由。
それは人間として自分は何処かが欠けていると思い込んでいるからである。
ようするに自信がないのだ。
シスネは自分の物の考え方や、ランドールの舵を取る為の知恵、当主としての心構え、といった実用的な事への大きな自信はある。
しかしその一方で、愛嬌のなさや人付き合いといった人間的魅力から来る自信を、彼女は持ち合せていなかった。
シスネとて感情が無いわけではない。ただ、希薄過ぎるゆえ、そんな自分に自信が持てないのだ。
喜怒哀楽の変化の激しい妹フォルテを傍で見てきたせいで、余計にそう思ってしまっていた。
シスネの様子を確認し終えたヒロが、ソッとクロスを閉じた。
それを認めてから、ハロが話を再開させる。
「政略結婚って言うんだっけ? 結婚って言ってもさぁ、何かどろどろした政治的なものみたいだし。やっぱり嬉しくないのかな?」
「さあな」
「私に人間の政治の事なんて分かんないけど、一生を伴にするんだから、やっぱり好きな人と一緒になりたいって誰だって思うよね?」
「さあな」
「……もぅ」
素っ気ないヒロの態度に、ハロが腰に手を当て―――ほんと、女心を分かっちゃいないんだから―――と小さく憤慨する。
ヒロは一度小さく息を吐いてから、
「本人が決めた事だ。俺達がどうこう言ったって仕方ないだろ」
「……そうかもしれないけど。……なーんか釈然としないなぁ」
そう言うとハロは、憂さ晴らしでもする様に、テーブルからがめた料理をバクバクと食べ始めてしまった。
そんなハロの様子に、やれやれとヒロが口には出さず嘆息した。
不機嫌そうに料理を一心不乱に食べるハロを眺めながらヒロは逡巡する。
そうしてしばらく考えてから、食べ続けていたハロの背中向けて話し掛ける。
「なら、いっそ助けてやろうか?」
ヒロの言葉で食べるのをやめて、ハロが振り返る。
口の中の物を咀嚼し、完全に呑み込んでからハロは問い質した。
「……助けるって。お姫様を?」
「おぅ」
「……でも、色々と複雑なんでしょ? 助けに行ったからって素直に応じてくれるとは思えないけど……」
「それはそうだが、もしかしたらやっぱり後から後悔してるって可能性もあるだろ?」
「う~ん、―――まぁ心変わりは誰だってあるから……」
「だろ? とりあえずさぁ、どうするか本人に聞いてみてから判断しても良いんじゃないかと思うんだ」
「……そうだね」
少し渋る様なハロだったが、やや逡巡ののち、「うん!」と大きく頷いた。
「でさぁ」
「まだあるの?」
「むしろこっからが本題だ」
ヒロはコホンと小さく喉を整えてから口を開く。
「俺は別に白馬に乗った王子を気取ってシスネ・ランドールを助けるわけじゃない。―――当然見返りという下心あってだ」
「下心? ……お姫様と結婚したいの?」
「なんでだよ……」
呆れた様にヒロが言う。
「俺達の望む見返りったらひとつしかないだろ?」
「あっ、そっか。鳳凰石!」
「そういう事だ。上手くいけば俺達は鳳凰石が手に入れるし、シスネ・ランドールも不本意な結婚をしなくてすむ」
「うんうん、いーじゃんいーじゃん」
ハロがコクコクと小刻みに首を縦に振ってヒロの案を肯定する。
「だろ? とりあえずアイツが持ってるのは確認出来たんだ。あとは別の儀式こなしながらじっくり機会を待とうぜ」
「オッケー!」
ニヒヒと笑って了承したハロは、憂いが取れたスッキリした顔でまた料理をバクバク食べ始めた。
☆
「お身体を冷やしますよ?」
会に招かれた貴族達からの挨拶を一通り終え、バルコニーで庭を眺めていたシスネの隣に来たのはハイヒッツ王国第二王子シュナイティスであった。
シスネは声の主がシュナイティスだと気付くと、目配せだけで側に控えていたパッセルとミナを下がらせた。
ハトの二人が居なくなり、周囲から人の気配が消えた事を認めたシュナイティスは、やや肩を竦めてから口を開いた。
「すいません、急に。本意で無いのは承知していますし、憂鬱なのも理解出来ますが、あなたがあまりにつまらなそうに見えたので」
微笑みを浮かべたシュナイティスがシスネを気遣う言葉を口にした。
「……御言葉ですがシュナイティス殿下。私は別に不機嫌だからこんな顔なのではありません……。苦手なだけです」
「苦手ですか……。まあ、僕もあんまりこういう集まりは好きじゃないので、気持ちは分かります。逆に、兄は―――アルガン殿下は何かあるとすぐにこの様な場を設けたがります」
そう言ったシュナイティスの表情は、やや憂いを帯びていた。
シュナイティスが持っていたグラスを傾け、中の物を一息に飲み干す。
それから小さく息を吐くと、微笑みから一転、真面目な顔つきをする。
「ここは中央ですから、あまりピンとは来ないかもしれませんが、いま、王国は困窮しています。地方では今こうしている間にも多くの民が飢えや病に苦しんでいる。―――馬鹿騒ぎなどしている場合ではないというのに」
庭の先、遠くを見るように険しい表情を作ったシュナイティス。
短い沈黙が流れた後、
「あっ、すいません! 別に馬鹿騒ぎの原因はあなたが来たせいだとか、そういう意味では無いのですよ!」
「……お気遣い感謝致しますシュナイティス殿下。なれど、私に気を遣う必要はありません。敬語もいりません」
「いや、敬語は普段からこんな感じなので、癖というか、ついというか」
シュナイティスはそう弁解して、気恥ずかしそうに頭を掻いた。
シスネはそんなシュナイティスを前にしても、相変わらず仏頂面を維持し続けていた。
そんな自分に辟易する。
シュナイティスは、兄であるアルガンと嫌々結婚する自分を、そして退屈そうに馬鹿騒ぎの主役として居座る自分を気遣って、わざわざ声を掛けてくれている。
ただの辺境爵である自分を、王国の王子がである。
大丈夫だと、笑顔のひとつでも自然に作れたならば良かっただろうに……。笑顔すら、意識しないと作れない。
「ランドール卿?」
考え耽ってしまっていたシスネに、怪訝そうなシュナイティスの声が届く。
「……シュナイティス殿下は、アルガン殿下とは随分性格が違うのですね」
「良く言われます。僕と兄とは、性格も、考え方もまるで違います。そのせいで跡目争いなんていう不毛な争いが起きているのは、ランドール卿もご存知でしょう?」
シスネは小さく頷いた。
「兄は僕と違って優秀ですよ。学問も、剣術も―――僕が兄に勝るところなんて何ひとつだってない。―――ただ、兄はとても傲慢だ。民を道具の様に扱う事に少しの疑問も持っていない。兄が―――アルガン殿下が王になれば、この国はめちゃくちゃになってしまう」
「……殿下は、私とアルガン殿下の結婚には反対なのですね」
シスネが問うと、シュナイティスはハッとした表情で顔を上げシスネを見た。しかし、上げたと思った顔をすぐに俯かせてしまう。
また沈黙。
しばらくシスネとシュナイティスは、背後の閉められた窓の向こうからバルコニーに届く華やかな音楽や喧騒を、別世界の出来事のように静かに聞いた。
しばらくして、「分からないんです」と、呟く様にシュナイティスが溢す。
「あなたと兄が結婚すれば、おそらく国は豊かになる。ランドールの豊富な資源は必ずこの国を困窮から救ってくれるでしょう。気を悪くされるかもしれませんが、それが兄の狙いです」
「承知しております」
シスネが応えると、シュナイティスは小さく苦笑いを浮かべた。
「一方で、それはその場しのぎでしかないとも思っています。……いや、もしかしたらその場しのぎですら無いかもしれない。傲慢な兄が、ランドールという宝を手に入れて、素直にそれを民に分け与えるものなのか……」
そこまで言葉にし、シュナイティスは口を閉ざした。
それから少し逡巡したシュナイティスは、意を決した様にまた口を開く。
「ランドール卿。もしも兄との結婚が嫌になったら―――」
シュナイティスがそれを言い終わる前に、背後の窓が大きな音を立てて開け放たれた。
「おう、シュナイティス。こんなところで何をしている?」
「ああ、兄さん―――アルガン殿下、少し飲み過ぎたので酔い覚ましをと」
「俺の花嫁と一緒にか?」
「……たまたまだよ」
「忠告しておくが、俺の物を横取りするする様な真似をしたらただでは済まさんぞ?」
ギロリとシュナイティスを睨んだアルガン。
苦手意識でもあるのか、睨まれたシュナイティスはすぐにアルガンから顔を逸らした。
「私のような悪魔と結婚しようなどという物好きは、殿下くらいのものです」
間髪入れずにシスネがそう言うと、アルガンは呆けた様にシスネへと顔を向けた。
アルガンが呆けたのは一瞬で、その後アルガンは一変して破顔して見せた。
「ハッハッハッ! その通りだ! 醜い化け物の相手など、このアルガンでなくば務まらん!」
アルガンが愉快そうに笑う。
ひとしきり笑った後、「おい! シスネ・ランドール!」と、不必要な大声でアルガンが呼び掛けた。
「はい、殿下」
「挨拶したいという者がいる。着いてこい」
アルガンはそう吐き捨てると、従う事が当たり前とでも思っているのか、シスネの返事も待たずに鼻息荒く踵を返して戻っていった。
慌てるでもなく、ゆっくりとシスネもその後を追う。
何かを言いたげに、しかし何も言えずにシュナイティスはシスネの背中を見つめたまま動かなかった。
そんな中で、バルコニーを抜けたシスネは一度そこで立ち止まった。
それからシスネはゆっくり振り返り、無表情のままシュナイティスに告げた。
「シュナイティス殿下。良い夜を」
そうして、シュナイティスが身動ぎひとつ出来ずに見守る中、パタンと扉が閉まった。




