サイタサイタ
「なんだありゃ……」
誰かが言った。
その呟きは、頭上に広がる雲ひとつない青空に静かに溶けていった。
ハイヒッツ王国首都にある正門が開かれた時、大通りを埋め尽くしていた人々がおおいに沸いた。
待ちに待った辺境領ランドールの姫君がようやく到着したのだ。
前を王国の馬車が先導し、その後ろをきらびやかな装飾で着飾った馬車が進む。
その馬車が近付くにつれ、人々の期待は高まっていく。
お待ちかねの馬車が徐々に近付いて来て―――人々は絶句した。
大きく上がっていた歓声が、まるで音という物を忘れたかの様にぷつりと静まりかえった。
人々の視線の先にはランドールの姫君―――ではなく。
その手前。
きらびやかな馬車の手綱を引いて誘導する様に歩く怪物に釘付けとなっていた。
「出迎えご苦労様! あ・た・し・よ!」
静まりかえる人々に向けて、怪物はウインク混じりにそう告げた。
「なんだあの化け物は……!?」
「聞いてないぞあんな化け物!?」
「なんであんな体で……、ミニスカートなんだよ!?」
「無駄に露出が高いのは何故なんだ!?」
人々の好奇心は一転して、阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。
化け物―――クローリに人々は恐怖に怯えた、―――或いは吐き気を催す不快な視線と声が集中する。
そんなクローリの現在の装いは、分厚い胸板がパッカリ開いた薄いドレス。ある意味豊満な太股を覆うドレスのスカートは非常に短く、クローリが歩く度に下着(女性物)が見え隠れしている。
サガなのか、ついスカートの下を見てしまった者達から悲鳴が上がる。
背中には、その大きな身の丈に負けずも劣らない無骨で大きな剣が担がれていた。
「帰れ化け物!」
「何しに来やがった!」
あちこちからそんな声が上がっているが、当のクローリは涼しい顔で―――むしろ嬉しそうに、そんな者達にウインク、或いは投げキッスで応じていた。
「クローリ、あなたが目立ってどうします」
人々の怨嗟の声を浴びながら、それでも威風堂々と練り歩くクローリを馬車の中からシスネが諌めた。
「そうは言いますけどね~ぇ、シスネ様」
反論しようとしたクローリの言葉を遮りシスネが紡ぐ。
「あなたが私を心配してくれるのは嬉しいのですが、どうせここで過ごすのです。私の姿は嫌でも人々の目に触れます。隠す意味などありません―――止めてください」
シスネの言葉に、しぶしぶといった表情をしたクローリが仕方なしに応じる。
馬車が止まった事を認めると、相乗りしていたハトの二人が馬車から静かに降りた。
その馬車の様子に、人々から上がっていたブーイングが緩やかに治まり始める。
そうして、人々が完全に静まりかえった頃、固唾を飲んで人々が見守る中でハトの二人によって馬車の天窓がゆっくりと開かれた。
ぃま自分達の視界に映る化け物以上の化け物が出て来るのではないか―――そんな不安を人々が抱く。
そして、天窓が完全に開け放たれた。
だが、それを見ていた人々からは、歓声も、ブーイングも、どんな色の声も上がらなかった。
誰一人として声を発す事のない静かな時間。人々は天窓から出て来た女性に目を奪われていた。
人々はまず、その悪魔の末裔の証拠だと言わんばかりの長い耳に目を奪われた。
ついで人々は、陽光の中で美しく輝き、そよ風に小さくなびく薄水色の髪に目を奪われた。
最後に人々は、愛嬌も愛想もない無表情で真っ直ぐ前を向く、女神かと見紛う程に神々しく、凛とした美しい容姿に心を奪われた。
誰かがゴクリと唾を飲む音すらも聞こえてきそうな静寂の中、「出してください」と、シスネが静かに告げた。
クローリが小さく頷くと、馬車はシスネの姿を周囲に見せつけながら、再びゆっくりと進み始めた。
途端に、割れんばかりの喝采と歓声が、ハイヒッツ王国首都の大通りに巻き起こったのである。
☆
ランドールを揺るがせた『シスネの結婚宣言』の2日後。
ランドール家当主シスネ・ランドールは、街道に集まったランドール住民に見守られて街を後にした。
ランドール家の屋敷がある丘の麓。そこから玄関口である大門までの通りを、ランドール家の紋章である二対の白い翼を描いた旗を手にした住民達が、思い思いの形でシスネを見送った。
想いの形は様々なれど、少なくとも悲壮感の漂う空気では無かった。
笑顔で見送って欲しいとシスネが望んだ通り、住民達はみな笑顔で見送ったのだ。
政略結婚だという事は誰もが理解していた。それで果たして幸せになれるのか―――笑顔でシスネを見送る住民達の胸中は複雑であった。
しかし、当のシスネが時折、以前では考えられない幸せそうな微笑みを湛える事があり、―――それが、本当に心からの喜びから滲み出る微笑みなのか、それとも住民達を心配させまいとする無理からくる微笑みなのか―――誰もその事についてシスネを問い詰める真似など出来ない。
結婚、という事自体はめでたい事である。
例え政略結婚であるにせよ、それで不幸になると決まった訳ではない。
ましてあのシスネである。
彼女程の才覚と美貌、加えて希薄だったはずの表情というモノを獲得した彼女ならば、愛の無かった結婚生活を愛のある結婚生活に変えられるかもしれない。
ランドールの為に犠牲をしいる薄幸の姫君であったとしても、自らの幸福を信じる幸せな姫君だっとしても―――どちらの答えであったにせよ、それを尋ねる事は姫君の歩く道に水を指す行為。
真意が分からぬまま、結局、あっという間にその日を迎え、どちらが正しいのか本人以外にそれを理解出来た者はいなかった。
シスネを良く知るカナリアなどの一部は、そんなちゃちな誤魔化しなどに納得するはずがなく、当然異論を噴出させたが、この流れを止めるのは至難の技といえた。
シスネが中央に行く理由として、『幸せになりにいく』という前提がある。
これを止めると言うのはつまり『幸せになるな』と言っている事に等しい。
無論、その大前提がシスネの演技によって作られたものだと十中八九分かっていたとしても、カナリア達にそれを確かめるすべなどない。シスネが馬鹿正直に答えるはずもない。シスネが口を閉ざし続ける限り『幸せになりにいく』という壁が打ち崩せない。
如何にしてカナリアがそれを崩してやろうかと画策していたところに、シスネからの言伝で遠方に出ていたクローリが街へと戻って来た。ランドール出発の前日の夜であった。
シスネの結婚話を耳にしたクローリが、非常に驚いた様子を見せたのは言うまでもない。
惚れた晴れたの浮いた話などにはこれっぽっちも興味を示さなかったシスネからそんな話が出てくるとは思っておらず、クローリからすれば寝耳に水。
しかし、それを茶化すでも祝うでもない空気なのは、それ以上に中央に行くという話が大き過ぎた。
満月の夜。
微笑む主君の表情、言葉によってカナリア以下の使用人達の戦意はほぼ折れていた。反対する声をどこに向けたら良いのか分からなくなってしまった。
そうやって使用人だけでなく住民達の反対の声をも謀殺したシスネだが、そんな中でクローリだけがあの満月の夜を体験していない唯一の使用人であり、まだ心の折れていない最後の牙城として立ちはだかった。
図らずもシスネの中央行き阻止として期待されたクローリだが、カナリア達の期待とは裏腹にクローリの口から飛び出したのは反対でも、まして賛成でもない『便乗』であった。
話を聞くな否やクローリは、「じゃあアタシも幸せになりにいくわ」と宣言した。中央で良い男を見つけてやると豪語したのだ。
呆気に取られつつもシスネは当然駄目だと拒否したが、「アタシが幸せになっちゃ駄目なの?」とあっけらかんと返したクローリに何も言えなくなってしまった。
幸せになる権利は誰にでも平等にある。
個人よりも集団を是とする軍隊ほどにランドール家は規律を重んじてはいない。
それは単に、使用人達への幼き頃からの教育過程もあり、そこまでの規律を求める必要もなかった為に、シスネがあえてそうしているというのもある。
使用人はあくまで使用人であり、カラスも軍隊ではない。言うなれば自警団の様なものがカラスという部隊の形である。
これは下手に軍隊のような規律ある集団を作って王国から睨まれるのを避ける意図があった。
シスネの中央行きが止められないならば、誰かがシスネの供として中央に行くのが当然だと考えていた使用人達だが、それすらもカナリア達はシスネに拒否されてしまっていた。
クローリがまだ到着していなかった昼。
使用人達を一同に集めたシスネは、フォルテの為に残って欲しいと、使用人達に頭を下げた。
当主が頭を下げたのだ。
もはや、やれるだけの手は何でもやる姫君。ましてシスネに代わり新しい当主となるフォルテの為とあらば、使用人達にそれを拒否するだけの権利などない。
そんな中で、シスネの同行者として名乗りを上げたのがクローリである。
クローリは、同行を拒否するシスネに対し、シスネが『幸せになりにいく』という壁で阻むのならば、自分もその壁をおっ立ててしまえば良いと考え、そうして中央行きの理由を作った。
シスネに同行するのは、中央で良い男を捕まえるついでであると詭弁をろうした。
当然ながら、ついでなのは良い男を捕まえる方であり、シスネの身を第一に行動するのが主目的なのだが、それはクローリが口を閉ざし続けてしまえば誰にも明言など出来はしない。
クローリは、シスネと全く同じ事をすることで、シスネの壁を打ち崩した。
フォルテの為に残って欲しいという使用人達に行われた『主君の懇願』も、クローリは「アタシは居なかったから聞いてない」とつっぱねた。
詭弁には詭弁を。屁理屈には屁理屈を。
シスネは深く嘆息した。
使用人達はランドール家に忠誠を尽くし、従順である。そこを疑ってはいない。
しかしながら、どうも肝心な時に言う事を聞かない。
忠誠を超えた何かと、従順を忘れた何処かで、使用人達は自分を律し切れないでいる。
―――育て方を間違えた。
理想と夢を持って幼少の頃よりシスネが育て上げたカラスとハト達。シスネ自慢の部下達。
モンスターの大襲撃に魔王との決戦。
鍛え上げられた彼女達は、動揺の色もなく粛々と自分達の為すべき事をこなした。
魔王との戦いにおいては、魔法理想郷で、生き返るという前提があったとはいえ、死ぬ事すら彼女達は恐れなかった。一片の乱れもなく整列し、磨きのかかった武具と綻びひとつなく統一された黒服は、誰が見ても精鋭中の精鋭だと、自信を持って言える―――組織としては。
問題なのは―――彼女達があまりに実用化のみを視野に入れて育てられた事。
彼女達は人間として、何処か、何かが足りていない。
―――育て方を間違えた。
しかし、それは彼女達のせいではない。
自分がそう育てたのだ。自分のミスである。
シスネはふか~い溜息をついた。
そんなやり取りやシスネの反省を経て、クローリはフォルテの許しでハトの二人も付けた上で、まんまとシスネの目付役として中央にやって来たのだ。
城まで真っ直ぐ伸びた通りを進み、城を囲む壁がようやくくっきりと見えはじめた。
頑丈そうな大きな鉄の門が開くと同時に広がったのは、全面を芝生に覆われた広い庭。
門を潜り抜け、シスネ達を乗せた馬車は庭に敷かれた石畳を進んでいく。
「わっ、御覧くださいシスネ様。変わった形の花ですね」
馬車の上から庭を見ていたミナが、見慣れぬ花を見つけて言った。
あいにくと花を愛でる趣味を持ち合せないシスネだったが、ミナに促されるまま花へと目を向けた。
石畳の左右を彩る様に、白に赤、黄色の花々が咲いている。
ミナが変わった形と言ったその花は、中央に大きな花弁があり、その花弁から生える様に5枚の花弁が広がっている。子供が描いた太陽のような―――そんな花だった。
ランドール周辺では見られない初めて目にする花にミナはいたく関心を持ったらしく、楽しそうにまじまじと花を眺めていたが、そんなミナとは違いシスネとクローリの表情は険しかった。
白に赤、黄色。そして一本だけ場違いの様に咲いた黒い花を通りすぎ、馬車は城へと向けてゆっくりと石畳を進む。




