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満月の夜に咲く華の名は

 広場へと歩みを進めたシスネは、広場から教会へと向かう為に登らねばならない三段だけの小さな階段の前で足を止めた。

 

 小さいとはいえ段差は段差。自然と、シスネが周囲の人々よりも高いところに位置し、シスネからも広場からの全景が、ところ狭しと広場に集まる住民達からもシスネの顔がなんとか見える―――そんな位置。


 シスネの姿を認めた住民達のシスネの名を呼ぶ声が、広場の四方から上がる。既に夜の帳が降りた広場の後ろの方は、点々と松明が広がるものの、その数を暗闇が隠して、広場にどれだけの人がいるのか分からなくしていた。数百では利かない。千人は越えているだろうか……。



 シスネはその場所から一度広場の全体を眺めて、口を開こうとして―――


「あらあらあらぁ、住民の皆さんお揃いで。こんな時間にどうしましたぁ?」


 緊張感を伴わない間延びした声が、開きかけたシスネの口の動きを邪魔する様に横から割って入って来た。

 カラスやハト達を後ろに引き連れたカナリアであった。


 そのなんともわざとらしい口振りのカナリアに無表情のシスネが顔を向ける。

 カナリアは微笑むと、「あんまり遅いのでお迎えに上がろうかと」と、なに食わぬ顔でシスネへと()()()した。

 どうせ一枚噛んでいるのだろうとシスネは思いつつも、シスネは決して嫌な顔など見せず、「そうですか」と静かに返した。


「それで皆さんはぁ、どうして広場にぃ?」


 立てた指を頬に当て頭を傾げる芝居がかったカナリアの仕草。


「雑ですわね」


 ミキサンが誰の耳にも届かない様な小さな声で、吐き捨てる様に感想を述べた。



「シスネ様」


 広場に居た住民達の先頭に立っていた初老の男性―――ランドールの商人達をまとめる役を担っている男である―――が、恐る恐るといった様子で、目の前で佇むシスネに声を掛けた。


「……ロンベル、今日はもう遅い。話ならば明日聞きましょう」


 シスネがそう返す。


 いつものランドール住民達ならばそれで簡単に引き下がった。

 ランドールにおいて、シスネの言葉は絶対である。

 それこそ、満月を見上げたシスネが「今日は新月だ」と言えば、ランドール住民は声を揃えて今日は新月であると答えるだろう。白い物も黒くなるのが当主であるシスネと住民達の関係性であった。


 しかし、今日だけは住民達も引き下がらなかった。

 商人ロンベルが首を振り、他の住民達も広場から動こうとはしなかった。


「中央に行ってしまうというのは本当でしょうか?」


 不吉な事でも口にするかの様な口調でロンベルが尋ねた。


 誰から聞いた?―――などとシスネは口にはしない。意味が無い事だ。

 シスネがいま考えるべきは情報の出所でも、ましてカナリアの命令違反をどう処罰すべきかでもない。

 どうやって住民達を説得し、自身の中央行きを納得させるかである。シスネは頭の隅っこでそのどうやってを思考しながらロンベルに応えた。


「はい、本当です」


 シスネの肯定と共に広場が大きくざわつく。


「シスネ様は、私共をお見捨てになるのですか!?」


「まさか……。いえ、そんな。ありえません」


 シスネが小さく首を振って否定する。


「では何故!?」


 感情の高ぶりを隠そうともしないロンベルの声に、後ろの住民達からも様々な声が援護射撃の様に飛んで来る。

 疑問の声、不安の声、或いは悲しみの嗚咽。


 シスネは何も答えなかった。

 どう説得すべきか、その答えと紡ぐべき言葉を考えあぐねていた。


 シスネが中央に行くのは簡単に言えばランドールの為である。女神の加護を失ったランドールが、ランドールであり続ける為に行くのだ。

 しかし、それを言って住民達が納得する訳がない。

 ランドールの為、というその独り善がりにも似た傲慢な答えは、シスネが、その考え方は好きではないと言った自己犠牲の精神以外の何物でもない。

 主君1人を犠牲にして、その他大勢を助ける。

 例え主君でなくとも、人であれば良心の痛むであろうその合理的で非人道的な『仲間を売って自分達は助かる』という真似は、この仲良し孤児院の中では到底許容出来る事ではなかった。


 シスネは自身が死ぬつもりなど無い。

 しかし、絶対に無いかと問われるとはっきり肯定は出来ない。

 シスネは死ぬ為に中央に行くのでは決してない。

 勝つ為に行くのだ。

 ランドールがランドールである為に。


 しかし、どんなにそこを根気良く説明しようとも、住民達は納得しないだろう。

 シスネはおおいに悩んだ。


 シスネがどう説得すべきかと悩んでいる事で会話が止まってしまう。

 満月のお陰でいつもより明るいとはいえ、夜は夜。

 夜の暗闇はただその中にいるだけで人の不安を煽り、流れる沈黙はただそこにあるだけで人の焦燥を掻き立てる。


「シスネ様、どうか中央に行くのを考え直してくれませんか?」


 ロンベルが険しい顔をして告げると、そうだ、その通り、そうすべきだと、次々に同調する声が暗闇と沈黙を吹き飛ばす様に広がり始めた。


「シスネ様が決断出来ずにいるのは私共の身を案じての事でしょうか?」


「それは……」


 シスネはやはりまともに返す事が出来なかった。

 当然である。その通りなのだから。子供でも分かっただろう。

 シスネが中央に行かなければ、王国は必ず力ずくでランドールを取りに来る。否が応にもランドールは戦火に巻き込まれる。

 シスネが中央に行く事で、絶対にそれが無いと言い切れる物ではないが、行かなければ十中八九それが現実となるだろう。

 そんな事態にさせるなどあってはならない。


「シスネ様、私共はシスネ様を中央に行かせるくらいならば、戦う事を選びます」


 真剣な表情のロンベルが、堅い決意表明とも言える様な台詞を口にした。


「それだけはなりません」


「シスネ様を縛ってでも、私共はシスネ様を中央に行かせません。私達には覚悟がある。中央と事を構える覚悟が」


「馬鹿な事を」


 互いに強い口調。

 表情こそ起伏が無いものの、本当に馬鹿でも見る様な目をシスネは食い下がるロンベル達に向けた。


「馬鹿でも愚者でも構いません。ただ私共の覚悟を知って欲しいのです」


「覚悟だけで勝てる訳が無い」


「そんな事は理解しています。ここはランドールです。そしてあなたこそがランドールだ。あなたが死ぬというのなら私共も共に死ぬのがランドールというもの」


「愚かな……。ロンベル、とても王国と渡り合って来た大商人とは思えない物の考え方です。―――あなたはもっと賢いと思っていました」


 ため息と一緒にシスネが吐き出した。

 しかし、ロンベルは引かない。


「私が大商人と呼ばれる程に努力し、研鑽して来れたのはランドールを想えばこそです。私は、商人としてよりも人間として生きていたい。ここで。ランドールで。私達の故郷で」


 真っ直ぐに自分の目を見てそう言い切ったロンベルに、シスネは返す言葉が出て来なかった。

 ここまで言われずとも、ロンベルを含めた住民達が本気なのは分かっていた。

 彼らは本気で、中央と戦い、そして不退の徹底抗戦の末、ランドールと共に滅びるだろう。


「シスネ様、どうか中央行きをお取りやめください」


 ロンベルが深く頭を下げた。それに住民達も倣う。


 シスネは松明の作る明かりの中でその光景を眺めながら―――最初に否定して置けば良かったと後悔しはじめていた。


 否定するのは中央行きという事をではない。

 そこを否定しても仕方ない。それは嘘をついても意味のない揺ぐ事も隠す事も出来ない事実だ。


 シスネが否定するのは自身の心。

 ランドールを見捨ていくのかというロンベルの問い掛けに、ただ一言「そうだ」と言うだけで良かった。


 人の感情を計算に入れないと失敗する。ミキサンに言った忠告がそのまま自分に返ってきた事に、シスネは心の中で苦笑した。


 シスネにとっての失敗は、自分がこれ程までにランドールの人々から慕われ、大切にされていたと気付かなかった事にある。

 シスネの認識では、シスネという人物はランドールが上手く回っていく為、今後も繁栄していく為に必要であり、だから住民達が引き留めるのだ、程度の認識であった。

 しかし、蓋を開けてみれば、ランドールが滅びても構わない、と考える程にシスネを大切に想っている住民達の姿があった。


 徹底抗戦などに何の意味もない。

 結局それはランドール家を含めたランドールそのものが死んでしまうだけの行為。

 シスネ1人が死ぬか、ランドールを道連れにして死ぬかである。

 後者を選ぶのは馬鹿がする事だ。愚か者の選択だ。


 それを選択するだけの価値が自分にあったという事に、シスネは嬉しい気持ち以上に、後悔したのだ。


 最初に否定しておけば良かった。

 そうだと自分に嘘をついて、一言否定するだけで良かった。

 シスネ・ランドールはランドールを見捨てて中央に行くのだと。

 こんな辺境という鳥かごに、いつまでも燻るのは飽き飽きしたと。

 シスネ・ランドールはランドールを裏切った、そう思わせるだけで住民達はこんな愚かな選択をしなかったはずだ。


 しかし、もう過ぎた事である。

 今更それを悔やんでも状況は何も変わらない。変わるはずが―――


「シスネ・ランドール」


 深く思考に没頭していたシスネの耳に、自身の名を呼ぶ声が届いた。


 シスネはそちらを向く事なく、「なんです?」と声の主へと応じた。


 その声の主―――ミキサンは気にした様子もなく続きを口にする。

 悪魔が囁く。


「そろそろ本音で語ってはどうかしら?」


 そう言って、クスクスと魔王が笑った。


 それを耳にし、シスネは考える。

 ―――本音?

 いや、これは―――


「それとも、恥だとか罪だとかいう毛ほどの良心が邪魔でもしていますの?」


 小馬鹿にした様に、ミキサンは口元に笑みを浮かべたまま言葉を紡いでいく。


「あなたが―――」


「魔王、そこでもう結構です」


 続くミキサンの言葉を遮り―――ありがとう―――心の中だけでシスネはミキサンに礼を述べた。


 そんなシスネに住民達が不安そうな、或いは怪訝な顔を覗かせる。

 シスネは決意でも改める様にそっと目を閉じた。


 ―――裏切り者の様に。

 という、昼間ミキサンから言われた言葉が頭の中でぐるぐる巡る。


 なるほど……。―――これが運命ですか。

 ―――恐ろしい。決して狙った獲物を逃がさない獣のようだ……。

 (運命)は、自分に裏切り者という(烙印)を突き立て、癒える事のない傷を刻みたくて仕方がないらしい。


 ミキサンに与えられたのは、やり直す為のきっかけ。

 シスネが嘘をつく為の前座。

 まさに悪魔の囁きであった。

 自分の為に命を投げ捨てても構わないと覚悟する者達に向けて、それを嘲笑う様に紡ぐ嘘。なんと罰当たりな事だろう。なんと傲慢なのだろう。


 シスネは閉じていた目をゆっくり開けると、住民達に吐き捨てるべき言葉を頭の中で吟味する。

 出来るだけ非道に見えるような表情で。

 出来るだけ冷酷に聴こえるような口調で。

 出来るだけ絆を断ち切るような言葉で。


 そうして、シスネは一度上を見上げて満月を見た。まあるい、とても見事な満月であった。

 少しだけ満月を眺め、シスネは正面―――住民達へと顔を向け直し―――。


「……………あ」


 小さくそう溢して固まってしまった。

 住民達の不思議そうな目がシスネに集まる。

 シスネは何も言えず、何か言葉を吐き出そうと口を開いたまま、それでも言葉が出て来ず、固まってしまったのだ。


 ただ一言、私はあなた方を見捨てて中央に行くと、ただその一言がシスネの口から出て来なかった。


 満月と松明に映し出される住民達の優しい顔を見てしまったから。

 例え嘘でもシスネはそれを言う事が出来なくなってしまったのだ。



「姉さん?」


 妹ですら見た事もないような、なんだか泣きそうな表情を浮かべるシスネを心配し、フォルテが声を掛けた。


 シスネは、それでようやく落ち着きを取り戻したのか、一度ゆっくり深呼吸して―――


 微笑んだ。


 シスネは知っている。

 自分の表情が武器になる事を。

 その微笑みが、見た者の思考を全て吹き飛ばす程の印象を相手に与えるという事を。


 満月の下、美しく凛と咲いたランドールの華は、微笑んだまま言葉を紡ぐ。

 その言葉と想いは、思考が真っ白になった者達の頭の奥深くにこびりつく。それはまるでトラウマ、或いは呪いのように、刻んだ者の中にいつまでも残り続ける。


「内緒にしようと思っていましたが―――実はこの度、私、シスネ・ランドールは結婚する事になりました」

 

 誰ひとりとして予想していなかったシスネの言葉に、誰ひとりとして声を出せた者はいなかった。

 反対も、賛成も。全ての声を消し飛ばした。

 住民達はもとより、シンジュやフォルテ、カナリア達使用人。広場に集まった全員がただただ呆気に取られ、夢でも見ている様な気分だった。

 慈愛の笑みを浮かべたままのシスネの言葉が続く。


「相手は王家の長男で……玉の輿ですよ? だから……だからどうか祝福してください。―――どうか笑って、笑顔で、私を中央へと見送ってください」


 シスネは悪戯そうに、そう笑った。

 氷の姫君は、満月を背負って幸せそうに笑顔を作り続けた。



 そんな、時が止まった様な夢の中。

 ただ悪魔だけが、それがあなたの選択かと可笑しそうにクックッと笑った。

ここで三章・前編は終わりです。

続きは書き溜まり次第、順次投稿予定です。

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ミキサン
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素晴らしい考察が書かれた超ファンタジー(頭が)
考える我が輩
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