ランドールの教会
兼ねてからレンフィールドに嘆願を受けていた検閲軽減の問題が解決の兆しを見せた。
加えて、冒険者が冒険者らしい活動をすると口頭ながら確約し、しかもギルドの仕事まで手伝う事まで決まった。
そして何より、シスネが一番心配していたフォルテの事も、心配要らなそうだ、とシスネは内心で安堵した。
心苦しくはあったものの、ランドール家としての自覚も植え付ける事が出来たはずである。急に変わる事は出来ずとも、志、或いはそういう意識さえ持っていれば人は変われる。成長出来る。
フォルテが何も持っていないなんて事はない。
あんなものはただ発破をかける為の挑発に過ぎない。
――みなに慕われる。
自分には逆立ちしても出来そうにない武器を手にしたフォルテならば、きっと大丈夫だろう。
怒ってくれる友人、手伝いを買って出てくれる絆。
きっと、この先のフォルテにとって何物にも勝る大きな武器になるだろう。
立つ鳥は跡を濁さず、ただ静かに飛んで行くだけ――。
「もう陽が落ちて随分経ちます。散歩も、今日はここらでおしまいにしましょう」
そう言って立ち上がるシスネに、「あっ、待って姉さん」とフォルテが少し慌てて声を掛けた。
「どうしました?」
「屋敷に戻るついでに、最後にもう一ヶ所だけ寄りたいところがあるんだ」
「構いませんが、あまり長居をするつもりはありませんよ?」
「はい。すぐに終わると思います」
「そうですか。――では、そろそろ」
そう言って椅子から立ち上がり、しずしずと外へと出て行くシスネの様子には別れを惜しむといった様な空気は微塵も含まれていなかった。
シスネは出入口の前で足を止め振り返ると、特定の誰に向けるでもなく「今宵は綺麗な満月です。皆さん、良い夜を」と告げて、ギルドを後にした。
シスネに続いて、それぞれ思い思いの『またね』『バイバイ』を口にしてシンジュやフォルテもギルドを出た。
「さて、お前ら、そろそろここも閉めるぞ」
シスネ達が居なくなった後、手を打ち鳴らしたレンフィールドが冒険者達に向けて言った。
それを合図にぞろぞろと動き始める冒険者達。
「アイ、明日から忙しくなるぞ」
やや口角を上げたレンフィールドがそう言った。
「そうですね。なんせシスネ様に『しっかり働くぞ!』と宣言してましたしね」
こちらも愉快そうに笑ってアイ。
そんな二人のやり取りに冒険者達の体がビクリと僅かに震える。
そんな冒険者達に向け、レンフィールドはいつもより大きな声を意識して言う。
「そうですかとこちらに折れてくれて、ありがとうと礼まで言われ、更には頼りにしていると期待までされた。まさかそんなシスネ様との約束ごとを無下にする不届きな奴はいないだろうしな」
声を張り上げるレンフィールドにジト目を向けつつ、建物を出ていく冒険者達。
勝利宣言にも似たギルド長と職員の会話を背中に聞きながら、冒険者達の音量を落としたボヤキが聞こえて来る。
「恐るべしランドールの姫君」
「ああ……、俺は自分の身に一体何が起こったのかさえすぐには理解出来なかったぜ」
「どうするよ?」
「どうするって……。働かなきゃマズイだろ……。言質取られちまったし……」
そんなこんなで冒険者達の夜は更けていった。
この夜以降、その時その場にいた冒険者15名――ランドールギルド所属の中でも特に働かない連中(働かないからこそ陽も落ちた遅くまであそこにいたわけで)は、シスネとの約束通りに普通のごく一般的な冒険者として活動し始めた。
他者から見れば、身を粉にして、という程ではないが、彼らにしてみれば『冒険者として真面目に働いている』というだけで『自分達は頑張ってるなぁ』と感慨深く思う程に頑張っているつもりなのだ。
今はそれでいい。
継続こそが力であり、それはいずれ本当の意味で当たり前になって、ランドール冒険者の意識の中に浸透していく事になる。
今夜、ランドールギルドは生まれ変わったのである。
「ところで――」
と、冒険者達が居なくなった頃にアイが静かになったギルドの中で口を開いた
「ミキサンは行かないの?」
いまだ壁とにらめっこを続けるミキサンに向けて告げられた。
名前を呼ばれたミキサンが訝しげな顔を背後に向け、――ハッとした。
「シンジュ! シンジュは!?」
「もうみんな行っちゃったけど……」
「なぜもっと早く言わないのです!?」
「もうみんな行っちゃったけど」
「早口で言えとは言ってませんわ! 馬鹿ですのあなた!」
眉を吊り上げたミキサンはヒステリック気味に悪態をつくと、慌てた様子でギルドを出ていった。
そんなミキサンの背中を見送って、アイは小さくため息をつくと、テーブルの上のカップを片付け始めた。
☆
既に陽は完全に落ち、辺りを夜の暗闇が包み込んでいた。
それでも歩くのに不自由する程の暗さではないのは、今宵が満月であり、満月から照らされた光が街をぼんやりと明るく映し出していたからである。
シスネ達はギルドを出た後、屋敷のある方に向けて歩みを進めていた。
目指しているのは屋敷だが、意識が向けられているのは屋敷ではない。
街の中央にある大通りの一番西側。大通りの終着点にある教会へと向けてシスネ達は歩いていた。
歩きながら聞いた『フォルテの寄りたいところ』というのが教会であったからだ。
石畳の広場に入り、そこを更に奥へと200メートルほど進んだところに立つのがランドール唯一つの教会。
かなり古い物であるらしく、何度も修繕され初期の木造造りから石造りへと変化しているが、然程に大きいという訳でもない。大きさだけならばギルドの方が一回りは大きい。
装飾こそなされているが、荘厳という程でもなく、ランドールの街と比肩すれば少々物足りなささえ感じる。
広場の正面奥には教会が、そして広場の右、東側にはランドール家の屋敷へと続く、長く緩やかな上へと勾配のついた道がある。
そのランドールの外周をぐるりと囲む様に北東へと伸びた道がランドール家の屋敷のある丘まで続く道である。
地図でいう左上に位置するランドール家の屋敷に向かうには、この道を登っていくルートか、街の北側にある北西に伸びる坂道を登っていくルートかの二つがあった。
少しサビた音のする両開きの扉の片方だけを開いて、教会の中へと足を踏み入れる。
中は外よりも更に暗い。
「明かりを」
入り口から入ってすぐの場所で、シスネがそう言うと、途端に入り口から奥にかけて、炎が走り抜ける様なボゥっという小さな音と共に、建物の壁を走る様にして点々と備え付けられていたロウソクに火が灯った。
周囲が明るくなった事を認めた後、シスネが教会の奥へと歩みを再開させる。後ろの二人も続く。
「すごぉ…」
周囲をキョロキョロと見渡しながらシンジュが感嘆の声を溢す。
「シンジュは来るの初めてだったか?」
フォルテが隣を歩くシンジュに尋ねた。
「うん。教会って何か近寄り難いイメージがあって……。――勝手に入って良かったんですか?」
フォルテに言葉を返した後、シンジュは前を歩くシスネに向けて問い掛けた。
「この教会には管理する者はいません。ランドール住民なら誰でも自由に出入り出来ます。その為、錠を施す様な事もしません」
「壊されて困る物はあっても、取られて困る様な価値のある物を置いてる訳じゃないからな」
シスネに続き、フォルテが説明する。
そもそもランドールに盗っ人はいない。ほとんど働く事がない冒険者でさえ生活出来てしまうほどに豊かな街であるからだ。
仮にランドールに盗っ人が居たとすれば、それはランドールの外からやって来た者だが、その外からランドールの中に入るにも厳しい検問を抜けねばならない。
そういう事もあり、ランドールの治安は驚く程に良い。住民の中には鍵を掛ける習慣自体が無い横着者もいるくらいである。
「そうなんだ……」
シンジュの言葉と共にシスネが足を止める。二人も止まる。
そうして、上を見上げる二人につられてシンジュも正面を向いたまま上を見上げる。
「あ、女神様」
シンジュの見上げた先、視界の中には、大きな翼を広げ、祈る様に両手を胸の前で組んだ女神の像があった。
「女神様は知ってるんだな」
フォルテが尋ねる様にシンジュに言葉を向けた。
「ええ……まあ」
シンジュは女神を知っている。
勿論、いま目の前にある石像を見るのは初めてだし、街で女神を模した何かを見た事など一度もないが、それでもシンジュは女神の顔を知っている。
なんせ一度、実際に会った事があるのだから。
この世界に放り出された後の森の中で、人でも獣でもなく、シンジュが一番最初に会ったのが女神であった。
その時に、祝福という名の加護を受けたり、チートを貰ったりしたのだが、どういう話をしたかはぼんやりとしか覚えていない。
その時のシンジュは、異世界に飛ばされたという興奮と、女神の放つ神々しい雰囲気、そして見惚れる様なその美しさにばかり気を取られ、最も肝心な話の内容が頭にほとんど入って来なかったのだ。
話の内容は覚えていなくとも、見惚れ、まじまじと見つめたその顔だけはハッキリと覚えている。
ランドールどころか、日本の神社への参拝作法すら知らないシンジュは、女神の像を前にしてどうすれば良いのか見当もつかず、チラリとフォルテを横目で盗み見る。
見ると、フォルテが女神と同じように両手を組んで、目を瞑り、何かを熱心に祈っていた。
真似してシンジュも腕を組み、目を瞑って、祈りを捧げる。
ふりをする。
ポーズだけは一丁前でも、何を祈れば良いのか咄嗟には浮かばなかったのだ。
目を瞑り、腕を組んで祈るフォルテに対して、シスネは特に何をするでもなく女神を眺め続けていた。
ランドールの中で、女神に対して決められた祈り方がある訳ではなかった。
各々が好きなスタイルで、好きに女神に話し掛ける――というのがランドールでの在り方である。
ランドールでは女神を、王国では神を信仰するのがこの世界の形であった。ただし、同じ神でも両者は似て非なる者。
ランドールにおいて、女神とは崇拝すべき対象であるのは間違いないが、それが宗教的な意味合いを持つかと言われると少し違う。
ランドールの宗教観は自然崇拝に似ている。
特定の何かを深く崇拝するのでなく、自分達の周囲にある全てが祈り、感謝を捧げる対象で、その形ある代表者としての位置に女神がある。
ランドールがこういう形になったのは、ランドールにとって宗教とは『一族を苦しめた元凶』として認識されている為だ。
行き過ぎた信仰は、その輪の外を認めず排除しようとする。
暗い過去を持ち、宗教を嫌うランドールには宗教という概念こそ無いものの、余所者を排除しようするその姿勢、考え方が根強くあり、それは結局、ランドール家、或いは女神を頂きにおいた『仲良し孤児院』としてのランドール独自の宗教のようなもの。
それが、外では教会を軸とした宗教という王国規模の形になっただけの話。
どちらも正義と言い張るが為に争う。それが今日まで続く両者のシコリとして横たわり続けている。
「行きましょうか」
時間にしてそう長くはないが、祈り終えたシスネが二人を促した。
「はい」
組んでいた手を解き、返事を返したフォルテが隣のシンジュを見て怪訝な顔をする。
シンジュは女神の像を見つめたまま、まばたきすらも忘れたのか身動ぎひとつせずに立ち尽くしていた。
「シンジュ?」
不審に思ったフォルテが声を掛けるが、シンジュからは何の反応もない。ただじっと女神を見つめ続ける。
「おい! 大丈夫か!?」
先程よりも少し強めにフォルテが声を掛け、肩を揺する。
そこでようやくシンジュの瞳に色が戻った。
「……大丈夫か?」
「あ……。はい……大丈夫です」
まだ少し呆けた様な顔でシンジュはフォルテに顔を向け、返事をした。
「まさか寝てたんじゃないだろうな?」
そんなシンジュをからかう様にフォルテが笑う。
「……そうかも」
シンジュも笑う。
「まあ今日は昼から歩き回ったしな。流石に私も少し疲れたよ」
カラカラと笑って、「じゃあ、帰りましょうか姉さん」とフォルテが告げる。
無表情のままシンジュを見ていたシスネが、フォルテへと顔を向け直す。
「……ええ。そうしましょう」
そうして、三人で教会を出る。
「あっ、ミキサン」
教会を出てすぐ、扉の前で待っていたミキサンの姿を見つけたシンジュが言った。
満月の作る薄明かりの中、ミキサンが小さく会釈する。
「ミキサンは祈らなくていいの?」
「ご冗談を。わたくしは神には祈りませんわ――それより、散歩はこれでおしまいですわね?」
「うん」
「では帰りましょう。面倒ならばわたくしが担いで自宅までお送りしますが?」
「ん~。折角だし満月見ながら歩いて帰るよ」
「構いませんが――」
言って、ミキサンが踵を返して広場を見る。
「あれらの相手をするのは面倒かと」
「あれら?」と、シンジュが小頚を傾げて暗闇が広がる広場へと顔を向ける。
広場の方へと顔を向けたシンジュの視線の先に、点々と小さな明かりが無数に見えた。
「なんだ?」
同じ様に広場へと顔を向けたフォルテが薄明かりの中で小さく眉を潜めた。
「松明ですね」
すぐにシスネがその答えを口にした。
「松明? 人ですか?」
フォルテが問うと、ミキサンが答えた。
「ええ、ランドール住民達が広場に集まっておりますわ。鬱陶しい程に……」
本当に鬱陶しそうにミキサンが言った途端、シンジュとフォルテが顔を見合わせた。やったと言わんばかりに笑顔を作った。
――そういう事ですか。
二人の笑顔に、ようやくこの散歩の意図を理解したシスネが、小さく息を吐いた。
ここからランドール家の屋敷に帰るには、広場から丘へと続く道を進まねばならない。
当然そうであるならば集まった人々を素通りする訳にもいかず――出来る訳もなく、シスネは億劫な気持ちを抱いたままゆっくりと足を進めた。
ランドール住民達で埋め尽くされた広場へ向けて。




