ギルド初の来訪者
シスネがギルドの中に入って来た事を認めると、アイは小走り気味に建物の奥に向かい、小走りついでに「ギルド長! ギルド長ー!」と大声でレンフィールドを呼びつけた。
何度か声を張り上げた後、アイはすぐに奥から戻って来る。
その腕には、ギルドの建物の中でおそらく一番小綺麗であろう椅子がしっかりと抱えられていた。
「ど、どうぞ」
アイは緊張した様子で抱えていた椅子を床に置いて、シスネに座るようにと促した。
「ありがとう」
軽く会釈した後、シスネが静かに椅子へと腰をおろす。
そうすると今度は、冒険者達がたむろするテーブルへとアイは近付き、「邪魔邪魔」と手で強引にたむろする冒険者達をどかせ、三人掛けのテーブルをガタガタと鳴らし、座るシスネの前面へと運んで来た。
そのあまりのダイナミックさにシスネが呆れるのも構わず、アイは忙しそうにパタパタと足音を立てて、また奥へと引っ込んでいった。
それから、再び奥から戻って来たアイは、手にした布でテーブルを丹念に拭いて、その上に一体何処から持って来たのか真っ白なテーブルクロスを敷き、それをまた丹念に布で拭いた。
そうしてまたまた奥へと引っ込んでいく。
シスネだけでなく、シンジュやフォルテ、冒険者達もそんなアイをやや呆然と眺めて見守っていた。
「忙しい方です」
誰に言うでもなく、奥へと入っていくアイの背中を眺めながらシスネがポツリと溢した。
「アイちゃんですから」
シンジュが笑う。
「アイちゃんだしなぁ」
同調する様にフォルテも笑った。
その間にも、建物の奥から「ギルド長ー!」と何度も声を張り上げるアイの様子が耳に届く。
レンフィールドが中々私室から出て来ない事にややイラ立ちを覚えている様な声であった。
「よっと」
アイを待っている間に、シスネの隣に何処からか自分で椅子を用意したフォルテが座り、それにシンジュも続いた。
何故だかシンジュは少し嬉しそうにしている。
「なんでちょっとニヤけてるんだ?」
フォルテが問うと、シンジュは「アイちゃん、私のサボりの件を完全に忘れてるなと思って」とほくそ笑んだ。
「そうだな」
悪戯そうにフォルテが笑う。
そんな悪巧みでもするかの様な二人にシスネが少し呆れた様に諌めに入る。
「仕事をほったらかしにしてまで散歩に付き合う必要はなかったのですよ?」
「良いんですよ。あんまりやる事もないギルドですから―――ね? 皆さん?」
冒険者達の普段の仕事ぶりを非難する様に、ジト目をしたシンジュが周囲で様子を伺っている冒険者の輪に顔を向けた。
「な、なにを言ってるのかなこの子は」
「全くだ。俺達は毎日汗水垂らして日夜頑張っているぜ?」
「そうそう。いや~、今日も一日疲れたなぁ」
冷や汗をカキカキ、冒険者達からそんな言い訳が飛んで来る。
「嘘つけ」
フォルテが一蹴し、ついでシスネへと顔を寄せ「姉さん、あいつら」
「ちょっとちょっと! フォルテちゃん!? いや、フォルテ様! 何を口にしようとしてるのかなぁ?」
「俺達はフォルテちゃんがたまたま居ない時に働いてるの。だよな?」
「その通り!」
冒険者の輪の中で浅はかな誤魔化しが飛び交う。
実に女々しい連中であった。
ああでもないこうでもないと言い合うシンジュ達と冒険者達。
そんな両者の喧騒を、シスネはただぼんやりと眺めて過ごした。
実のところ、シスネは冒険者達の普段の働きぶりなど特に興味も無かった。
いくら王国管轄とはいえ、ランドールの中での事でシスネが知らない事はない。冒険者の薄っぺらい嘘などはとうの昔にシスネにバレていた。
今のシスネにとっては、そんな嘘を糾弾する事よりも、慣れない長時間の運動で限界まで酷使した自身の脚の痛み、疲れをようやく落ち着いて癒せる事の方が重要であったのだ。
流石に人目があったので脚を労る様な素振りは見せられなかったシスネだが、座れただけでも助かったという思いであった。道中、シスネはただの散歩で倒れるかと何度も思った。どれだけ自分は運動不足なのかと。もはや気力だけでここまで来たと言っていい。
当然ながら、シスネがそんな極限状態にあったなど誰も知らない。汗ひとつかかず、息も乱す事なく、シスネは誰が見ても疲れなど微塵も感じさせない涼しい顔をしていた。
それは自身の立場を考慮しての判断。
それが鉄の女シスネという損な生き方しか出来ない女性であった。
それにしても―――シスネは脚を労りつつ、ぼんやりと喧騒を眺めて思う。
フォルテは随分と馴染んでいる様に見える。
これなら心配ない。
自分が居なくなっても、フォルテならきっと上手くやっていける。
自身が中央に行った後の妹の今後について、シスネの抱いていた不安が少し解消された頃、ティーポットとカップを積んだ盆を手にしたアイがテーブルへと戻って来た。
アイは、いまだ言い合いを続ける者達を「うるさい」と一喝し黙らせた後、シーンと静まりかえった部屋の中に、カチャリと陶器のカップが鳴らした小さな音が響く。
「こんな物しか用意出来ませんが」
そう言いつつ、アイがカップに中身を注いでいく。
途端に、辺りに甘い香りがひろがった。
ランドールの住民は何かと紅茶を好む。自分で飲むのは勿論、客人にも当然の様に紅茶を振る舞う。
アイが用意したのは、今ギルドの中で用意出来る紅茶の中で一番良い物であった。
「お口に合うかわかりませんが、よろしければお召し上がりください」
湯気の立つカップをシスネに差し出しアイが言う。
「ありがとう。では、遠慮なく」
シスネは背筋を伸ばしたまま、ゆっくりとした動作で皿ごとカップを持ち上げる。
それからやはりゆっくりとカップを口元まで運び紅茶に口をつけた。
その流れる様な美しい仕草に、周囲で見ていた男共の口から思わず溜息が漏れる。
普段は荒い冒険者ばかりのギルドの中で、凛とした白鳥が優雅にお茶を楽しんでいるのだ。男共が思わず見惚れるのも仕方のない事。
注目を浴びる事に慣れたシスネは、その視線を特に気にもしなかったのだが、惚ける男共をアイが怖い顔をして睨み付けた事で、シスネに向けられていた視線は明後日の方向へと消えていった。
「美味しい紅茶ですね。きちんと基本の出来た良い紅茶です」
シスネが紅茶の感想を述べると、アイが心底ホッとした表情を浮かべた。
世辞ではなく、シスネは本当にそう感じた。
渋味は少なく、なめらかさで上品な甘さがある。おそらく幾つかの葉を混ぜてあるそれは、味も然ることながら、特にシスネを関心させたのはその効能である。
茶葉の他に、何らかの薬草を混ぜてあるであろうそれを飲んだ途端に、散々酷使したシスネの脚の痛みと疲れがスッと消えた。
しかし、薬草特有の苦味は全くしない。
―――良く出来た方です。
紅茶ひとつではあるものの、シスネはアイにそういう評価をつけた。
紅茶自体もそうだが、何よりもあえて今これを出して来たのがシスネには有難い事であった。
正直、休んだとはいえこれ以上フォルテの散歩に付き合いきれるか自信が無かった。最悪、もう遅いからと理由を付けて帰ろうかとも思っていたが、屋敷に帰れるかさえ不安であった。
それほどにシスネは疲れていたのだが、この紅茶のお陰で何とかなりそうだと、そこが大きく評価を上げたポイントである。
シスネが疲れていると分かった上で出したのか、それとも偶々出したのがこれだったのかは判断は出来なかったが、助かったのは事実である。
どちらなのかと言及するのも野暮な話。
ある程度気心が知れているとはいえ、女だてらにやんちゃの多い冒険者達を一喝し、睨み付ける度量も気にいった。
ギルド職員を辞めて、うちの『ハト』として働くのも悪くないんじゃないかとさえ思った。
「アイちゃん、私の分は?」
頬杖をつきながら、急かす様な口調でフォルテが言った。
「自分で淹れなさい」
アイがこともなげにピシャリと言ってのける。
「……私もランドールなんだけど……」
「そうだったかな?」
「そうだよ!」
強目に肯定したフォルテの様子に冒険者達から笑い声があがる。
「フォルテちゃんは姫君って感じじゃないんだよなぁ」
「おてんばつーか……」
「男勝り!」
「違いない!」
勝手な事を言って盛り上がる冒険者達に、眉を吊り上げたフォルテが噛み付く。
「お前らだってまともに仕事もしないで呑んだくれてばっかりじゃねーか!」
「俺達は良いんだよ」
「良くねーよ! ランドールの為に働けよ! 姉さんの前で良く言えたなお前ら!」
「そんなにカリカリするなってフォルテちゃん。そんなんじゃ恋人の1人も出来ないぞ?」
「余計なお世話だ!」
「シスネ様っていう最高のお手配が近くにいるんだから、もっと女を磨かないとなぁ。シンジュに負けちまうぞ?」
「そうそう」
うんうんと頷く冒険者達にぐぬぬとフォルテが唸る。
雁首揃えて独身ばかりのくせに、自分達の事は棚上げてのお説教にも似た冒険者達の言葉。
「そういやあ、シンジュよぉ」
ふと何かを思い出したかの様に冒険者の1人がシンジュに話掛けた。
「はい、何ですか?」
「昼間の兄ちゃんとはどうなったんだ?」
「おお、そうだそうだ。結局あの後、一緒に飯でも食ったのか?」
興味津々といった顔を向けてくる冒険者。
話題が突然に、フォルテから自身へと向いた事にシンジュがややたじろいだ。
「……待て。何の話だ?」
眉を潜めたフォルテが問い質す。
すると、冒険者は出歯亀は愉快だとばかりに口元をニヤニヤさせて、
「いやなぁ、こいつ昼間に若い男からデートに誘われてたんだよ」
「な、なにぃ!?」
ひどくショックを受けた様にフォルテが半歩体を仰け反らせた。
シンジュが慌てて反論する。
「デ、デートでは無いですよ!? ただちょっと……話がしたいと……」
「似た様なもんだろ?」
「ち、違いますよ! 全然!」
「でも、ついつい時間を忘れちゃうくらい楽しかったんだろ? ギルドの仕事をほっぽり出すくらい」
「そ、それは色々と事情が……」
言い訳しようと思ったシンジュだが、咄嗟に適当な誤魔化しが出て来なかった。
ヒロに二人で話したいと言われたのは事実だが、それは同じ異世界からの来訪者という事での意見交換の様なものであって、冒険者達が思うようなデートではなかった。
ただ、「実は私は異世界から来ました」などと馬鹿正直に説明するワケにもいかない。
それだけならばまだ良かったのだが、その後にカナリアにも話があると誘われた。
大事な話のようだったのでシンジュはそれを断れず、結局自宅でカナリアの話を聞いて、でもそれも終わりかけたと思う間もなく、今度はフォルテの自宅来訪である。しかもランドールで最も重要人物である姉のシスネを引き連れて。
フォルテだけならば「仕事が」と言って断る事も出来たかもしれないが、シスネを追い返せる程にシンジュの肝は据わっていない。
結局、カナリアと入れ替わる形でランドール家姉妹を家に招いて、散歩に出て、現在に至るのである。
しかし、その説明もまともに言い訳として使えそうにはない。
カナリアには「私とは今日はあっていません」という聴き手次第では脅しとも取れる様な言葉を投げつけられている。
そのカナリアの言葉をもう少し具体的に言うと、「私と会った事をシスネにバラすな」という事である。
その件のシスネは現在、自分と同じテーブルについて静かに紅茶を飲んでいる。
カナリアと話していたと口に出来るはずもない。
シンジュがまともに言い返せない事にゲスな勘繰りを加速させた冒険者達の質問が飛んで来る。
「シンジュもとうとう大人の階段を登っちゃったのかな、ってさ」
「話を飛躍させすぎです!」
「シンジュ……そうなのか?」
「フォルテちゃん! 真に受けないで!」
「俺達はともかく、アイちゃんがずっと心配してたんだぞ? 万が一があったらって」
「そうだぞ。お前がここに来るのがもう少し遅かったら俺達が探しに行かされるとこだった」
「そりゃ野暮だって言ったんだけどな……」
そこまで話を聞いて、シンジュがアイへと顔を向ける。
「……あなたにはまだ早い。悪ノリして煽った私にも責任あるし……」
アイは複雑な心境を抱えている様に、難しい顔で息を吐いた。
それから、尋ねた。
「ほんとに何も無かった?」
「ありません!」
「キスくらいは―――」
「今日会ったばかりの人ですよ!? どんなビッチですか!?」
「それはそれで女としてどうかとも思うし」
「私をどうしたいんですかアイさんは!?」
顔を赤らめて、何も無かったと言い張るシンジュ。
それをからかう冒険者達に、複雑そうに―――けれどどこか楽しげな様子のアイ。
何だかちょっとだけ落ち込むフォルテに、我関せずと涼しい顔で紅茶を飲むシスネ。
そんな大きなお世話が展開される空間。
そんな中。
ふと顔を横に向けた冒険者の1人が、「ひぃ」と小さく悲鳴をあげた。
その場違いな小さな悲鳴に、その輪の中に居た全員の視線が集中する。
自身に視線が集まった冒険者は、やや顔を強張らせながら、恐る恐るといった様子で、ギルドの奥をゆっくりした動作で指差した。
全員が指された指の先に顔を向ける。
ギルドの端っこ。隅っこ。
そこには、ドス黒い殺気を含んだ魔力を身体中から溢れさせる魔王の後ろ姿があった。
先程の騒ぎが嘘だったかのように、あっという間に静かになったギルドの中に、誰かがゴクリと唾を飲み込む音がした。
誰も動けない。
時間ごと硬直してしまったような状況が長く続いた。
ここ数ヵ月。
魔王ミキサンが、その暴力的なまでの魔力をひけらかす事は度々あったが、今見ているそれは、今まで見た姿が可愛く思える程の圧倒的な殺意を内包していた。
長い静寂のあと、
「こ、紅茶のおかわりは如何ですか?」
アイがひきつった顔のまま、重く、黒い空気を払拭する様に出来る限りの明るい口調でシスネに尋ねた。
場の空気が僅かに弛緩した様な気がした。
「……いただきます」
シスネはチラリとミキサンの背中を一瞥してからアイに応じた。
いつもと変わらぬ人形の様な表情で。
鉄面皮シスネがいつも変わらぬ表情で、冒険者達がひきつった顔で―――それでも何とか必死に明るく振る舞おうと奮闘する、その一方で―――
シンジュや冒険者達に背を向けて、ギルドの壁に顔を向けるミキサンは、全身から冷や汗を流して、泣きそうな顔をしていた。
背後の者達には届かぬ位の小さなミキサンの声が壁に向かって紡がれる。
否―――
それは壁ではなく、ミキサンが腕に抱く一体のスライムに向けられたものだった。
魔王すらも凌駕する圧倒的な魔力、触れるだけで気が触れてしまいそうな殺気、天変地異かくやとばかりの怒気に世界の全てを覆い尽くさんばかりの憎悪。
およそ最弱種族であるスライムが放っているとはにわかには信じがたいドス黒いそれらを全身から放つスライムに、ミキサンの身体が小さく震えていた。
魔王の心が恐怖に埋め尽くされていた。
「も、申し訳ありません。別に、隠していた訳ではなく、わたくし……わたくしも全てを把握している訳では無かったので、ご、ごご、ご報告するのは時期尚早かと、思いまして」
青褪め、震える唇でどうにかこうにか言葉を紡いでいくミキサン。
「は、はい。相手の顔は知っておりますので、か、必ずその様に」
小さな魔王の体がいつも以上に小さく見えた。




