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散歩

「姉さん、少し散歩に行きませんか?」


 庭から戻ってきたフォルテが、微笑みながらシスネにそう提案した。


「散歩、ですか?」


 怪訝そうに尋ね返したシスネに、「行きましょう! みんなで!」とシンジュがにこやかに笑い、フォルテの提案を後押しした。


「構いませんが……」


「よし! じゃあ行きましょう!」


 シスネが了承した事に、どこかホッとした表情を浮かべた後、フォルテは急かす様にシスネの手を引き、シスネをソファーから立たせた。


「ミキサンも!」


「はいはい」


 はしゃぐシンジュに僅かに苦笑しつつ、ミキサンも立ち上がる。

 ミキサンの両腕には大事そうに一匹のスライムが抱えられたままであった。


「トテトテさんも行きませんか?」


 シンジュが、リビングの隅っこで静かにしていたトテトテへと顔を向ける。


 トテトテは小さく首を振り、「あっしは家の留守番をしておきやす。どうぞ、お気遣いなく」


「そう……」


 ちょっぴり残念そうにシンジュ。


 こうして、四人と一匹は「いってらっしゃいやせ」というトテトテの声を背後に屋敷を出た。

 時刻は昼をとうに越え、昼と夕暮れの中間。

 少しだけ、とは言葉ばかりのランドールを巡る広大な散歩の始まりであった。






 一行がまず最初に訪れたのは街の東側。ランドールの街と広がる森とを隔てる街の中央門であった。


「こんにちはー!」


 快活そうなシンジュの声が、門にいた数人の門衛達の耳に届いた。


「おー、シンジュかー」


「外にお出掛けか?」


「いえ、外には行きません。街をお散歩中です」


 続けざまに届く門衛達の声に軽い会釈で返し、シンジュが散歩である事を告げる。


「散歩するのに門に来ても―――」


 そのまま、シンジュとの会話を続けようとした門衛の言葉がピタリと止まる。

 門衛達の視線は、シンジュの背後。街の代表者であるランドール家当主・シスネ・ランドールに向けられていた。


 シスネの姿を認識した途端、へらへらと緩んでいた門衛達の顔付きがガラリと変わり、門衛達は慌てて整列。のち、ピタッと額に手を当ててシスネに向けて敬礼してみせた。

 シンジュはポカンとしてその様子を眺め、フォルテは必死に笑いを堪えていた。


「ご苦労様です」


 ひきつった顔で汗をかき戦々恐々とする門衛達に、シスネの涼やかな声が届けられる。


「はっ! 本日はどういった用件でありましょうか!?」


 一番歳のいった門衛の隊長が敬礼を崩す事なく尋ねた。


「……散歩です」


 なんの含みもないシスネの声。

 しかし、表情が無いせいか門衛達にはそれが酷く冷たいものの様に聞こえた。


 しばらく、整列したままの門衛達とシスネが向き合う様な形のまま沈黙が流れる。


「あー……。えっと、じゃあ私達行きますんで」


 見かねたシンジュがそういうと、隊長さんは「お気をつけて!」と、何故かシンジュにまで敬語で返した。


 そうして、シンジュ達一行は門を離れ、散歩を再開させた。


 シンジュ達が門を離れた後、気力を使い果たした様に門衛達は深い脱力感と安堵、そして大きなため息を溢し、「なんでこんなところにシスネ様が」とポツリと溢しあった。



 門から真っ直ぐ伸びる中央の大通りを練り歩く一行。

 いつもよりも人が多いその通りの周囲では、何事かと四人と一匹に視線を向けるランドール住民達の顔が見てとれる。

 そんな住民達に気さくに手を挙げて声を掛けるフォルテ。その隣ではシンジュが楽しそうに並んで歩いていた。

 小さな子供達などは、そんなフォルテの元に駆け寄って来ては、なにやら楽しげに姫君に話し掛けている。

 フォルテも笑顔で、時折悪戯っぽく応じ、その度に子供から明るい笑い声を含んだ「きゃ~」という声が上がった。

 離れては近付き、また離れては近付く。何が面白いのか、それを何度もキャアキャアと繰り返す。


 子供達と戯れながら前を歩く二人の背中に目を向けながら、少し離れた位置をミキサンとシスネが歩いていた。


 やや離れているせいか、前の二人の周囲から聞こえる喧騒が、何処か遠くにある様に感じられた。


「あれが、あなたの言っていたカリスマとやらかしら?」


 特に馬鹿にした感じでもなく、ミキサンは前を向いたまま淡々と隣を歩くシスネに声を掛けた。


「……まあ、あれも含めてです」


「ただ遊んでいるだけにしか見えませんわね」


 返すミキサンの言葉は、先ほどよりも若干呆れを含んだ言葉だった。


「そうですね。ですが、私には真似出来ません。例え私があの子らと同い年の子供であったとしても、私には出来ない事です」


 ミキサンは何も返さず、ただ楽しげに歩くフォルテ達を眺めた。


「冷めた子供だったのです。私は」


 シスネがひとり言の様に呟いた。


「今も昔も無愛想で、ニコリともしない―――そんな可愛いげの無い子供でした」


 昔を思い出すかの様に、シスネはゆっくりと話した。

 記憶の中の自分と、カナリアが保管していた記録玉に映る自分。それらを擦り合わせる様にして思い出す『幼き頃の自分』は、今と変わらない鉄仮面を被った、ただ身体が小さいだけのシスネの姿があった。


「やっていた遊びも、今と大差ありません。架空の街を使ったままごとが、本物になっただけです」


「将来設計たくましいお子様で」


 シスネに顔を向けて吐き出したミキサンの言葉に、シスネが首を振る。 


「そういう訳ではありません。私の祖母は大変厳しい人でした。加えて、母はフォルテを産んだ頃から床に伏せりがちになってしまい、その為、母は当主としてあまり期待されていないという状況の中にありました。―――それもあって、私は物心ついた時から『子供』ではなく、『ランドール家の次期当主』として育てられました。遊びもその一環に過ぎません」


「話の腰を折るようで申し訳ないのだけど、ひとつ訊いてもよろしくて?」


「なんです?」


「あなた方の―――ランドール家の周囲は女ばかりなのが気になっていましたの。祖父や父親などの影が、ランドール家からは感じられませんわ」


 ミキサンは、正面のシンジュ達に顔を向け直し尋ねた。


「父も祖父も今は亡き人達です。詳しく、父親の事は知りません。祖父の事も」


「何故ですの?」


「母は呪いだと言いました」


「呪い?」


「そうです。ランドール家の赤子は必ず女としてこの世に生を受けます。この数百年、ただの一度も男が生まれた記録はありません」


「偶然―――では無いのですわね?」


「有り得ません。男か女かは二択ですが、数百年間一度も、となると流石に考えられません」


「ゆえに呪い、と? 原因はなんですの?」


「……分かりません。―――母は『女神様が嫉妬しているからだ』と笑っていました。原因はともかくとして、女しか生まれない以上、ランドール家を絶やさぬ為にランドール家の女は婿を取る必要がありますが―――何故か相手の男、つまり伴侶は、子が出来ると死んでしまいます」


「それはそれは、恐ろしい呪いですこと」


 口元に手を当て、ミキサンが小さく笑う。


「私の父親も、母が身籠った直後に病に倒れ、そのまま亡くなったそうです」


「……では、あの小娘は」


「フォルテと私は父親が違います。姉妹がいる、というのはランドール家では珍しい事です。基本的にランドール家の者は子を一人しか残しません。一人で十分だからです。女神の加護という絶対の安心があるゆえ、ランドール家の者が病気や事故で死ぬ事は無い。―――その点でいえば、母は少し異質だったのかもしれません」


 シスネは淡々とそう告げた。

 兄弟姉妹がいる、というのは別に珍しくもなんともない。世界のどこにでも転がっている事柄。

 しかし、長く続いたランドール家のこの呪いの中にあって、姉妹がいるという状況は大きな転換点ともいうべき出来事であった。


 何故なら、ランドール家の後継ぎとなりうる姉と妹がいるという状況は、駒に例えるならば『キングが2つある』という状況である。

 二人の姉妹がキングの座を奪い合うではなく、二人でキングとなれるのが辺境の地で、特殊に、独自に繁栄したランドール家の強味であった。


 守る事に重きを置くランドールにとって、2つのキングの持つ意味は大きく、そのルール無視も甚だしい駒の配置は、盤上に新しい一手を生み出すトリガーとなる可能性を秘めていた。

 当然だ。

 ()()()()()()()()のだから。


 その未だ誰も見た事がない掟破りの2つのキング。

 やれる事はいくらでもある。


 守る対象が2つ、という状況はキング以外の駒からすれば単純に負担が二倍になる事にもなりかねないのだが、女神の加護という最大の盾がその負担をほぼ一手に引き受け続けた。

 この加護の盾のおかげで、全ての駒達は特に大きな負担を担ぐ事なく、研鑽し、自身を高める事が出来た。


 着実に力を蓄えた駒と2つのキング。

 それらを使ってどんなアプローチをするか、あとは駒を動かす者の采配次第。

 駒の数は多ければ多い程、その分だけ戦略の幅が広がる。

 守る事に特化したランドールは2つ目のキングを得た事で、()()()()()()()()()()()()()()状況となった。

 自身が取られる事を恐れず盤上を自由に動くキングを、相手は無視出来るはずもなく、必ず盤上を激変させるきっかけとなる。

 

 この『お前ルール知ってるのか?』と訊きたくなる程に、定石も常識も無視した駒の配置を生み出したのは1人の女性。シスネとフォルテの実母。

 その執念ともいうべき愛が為した結果であるが、誰もその事には気付いていない。

 その執念こそが、ランドールを変えるかもしれない可能性を作りあげたという事に。



「ランドールに男が居ない理由は分かりましたわ。使用人共を女ばかりで固めてあるのも同様の理由ですわね?」


「……違うといえば違うし、そうだといえばそうです」


「ハッキリしませんわね。―――ですが、あなたが中央で企む計略が少し見えた気がしますわ」


 言って、ミキサンがクックッと笑った。

 それから、ミキサンはさも愉快だとばかりに目元を細めたまま言う。


「聞いた時はそう上手くいくものだろうかと思いましたが、世継ぎが出来た途端にワケの分からないそら恐ろしい呪いで王が死ぬのならば、―――まあやり方次第では案外王国を丸ごと取れるかもしれませんわね」


 そう言って、ミキサンはその時を想像して楽しむ様に、またクックッと笑った。


「そこまで先の事など分かりません。それに、言った様に中央は今ふたつに割れています。伴侶となる嫡男が跡目争いに敗れればそれもご破算となるでしょう」


「つまり、あなたが中央に行く理由としては、未来の夫を勝たせる為、というのも含まれているわけですわね」


「王家に肩入れするのも不本意ではありますが、そういう事になります」


「勝算は?」


「勝たせます」


 前を見据えたまま、色の無い表情で、されど力強くシスネが言い切った。


「随分な自信ですわね。果たしてあなたは、勝利の女神か、はたまた破滅の悪魔か……と、言ったところかしら?」


「皮肉ですか?」


「ただのジョークですわ」


 ミキサンとシスネがそんなやり取りをしていた丁度そこに、「シスネ様」と声を掛ける者がいた。

 立ち止まり、シスネが声の方、―――自身の少し斜め後ろに顔を向き合うると、少し緊張した様子でシスネの顔を見上げる10歳前後の少女がいた。


「なんです?」


 淡々としたシスネの問い掛け。

 無表情なシスネから吐き出された言葉に、少女の身体から僅かに震え、小さくなった。


 表情にこそ出さないが、内心で「失敗した」とシスネが反省した。

 自分の愛想の無さは自覚しているが、その愛想の無さに加えて、当主という立場が、余計に相手に威圧感を与えてしまう。


 シスネは、少女に真っ直ぐ身体を向けると、身を屈め、少女と同じ目線になった。


「なんですか?」


 出来るだけ柔らかい口調を意識して、もう一度少女に尋ね返した。

 口調こそ先程より和らいだものの、相も変わらず笑顔の下手な鉄仮面の姫君であった。


 少女は恥ずかしそうに小さく身をよじった後、歳相応の可愛らしい声で「これ」と、シスネに両手を差し出した。

 差し出された少女の手のひらには、うっすらと赤みがかった石に小綺麗な紐が付けられた、手作りとおぼしきペンダントが乗っていた。


「私に? くれるのですか?」


 シスネが尋ねると、少女はコクリと頷いた。


 シスネが差し出したままの少女の手のひらから、ゆっくりとした動作でそれを取った。


「ありがとう」


 シスネが礼を言うと、少女が満面の笑みを浮かべた。

 屈託の無い少女の笑顔に、シスネは胸の内から温かな気持ちになるのだが、それを表現するだけの表情を彼女は持ち合わせていなかった。つくづくそんな自分の愛想の無さにうんざりする。


 シスネは屈んだまま、手作りのペンダントを手に持って眺める。

 おそらくは何処かで拾ったであろう綺麗なだけの石。

 うっすらと赤を滲ませるその色合いからして、ランドールの採掘場などから取れる魔石ランドールをごく少量含んでいると察する事が出来た。


 冷めた子供だったと自覚のあるシスネに覚えはないが、幼き頃のフォルテなどもこうやって何処かで拾った綺麗な『宝物』を集めては、シスネに嬉しそうに見せていた。

 そんな子供の習性とも言える行動に、ランドール家だとかそういった垣根は存在しないらしかった。


 ペンダントを眺めた後、シスネは赴ろにペンダントの紐を摘まむと、そのまま首の後ろに手を回し、紐の両端を結んだ。

 無くさぬ様に、固く、しっかりと。


「似合いますか?」


 シスネが尋ねると、少女は首がもげるのではないかとシスネが心配になるくらい、ブンブンと頷いた。とても嬉しそうに。


 そうして、シスネに手作りのペンダントを渡した少女は、満足そうに笑顔を浮かべると、パタパタと足音を鳴らしてシスネから離れていった。


 駆けていく少女の背中を見送った後、シスネは屈んだままであった身体を起こした。


 それから、ふと顔を横に向けると、シスネと少女のやり取りを少し離れた位置から見ていたらしいミキサンと目があった。


「……あげませんよ?」


 シスネが言うと、ミキサンはうんざりした表情で「いりませんわ」とため息混じりに吐き出し、踵を返すと止めていた歩みを再開させた。

 シスネに背を向けたまま歩く魔王は、なぜ今日に限ってこんなに人が多いんですの? ―――と、やけに大きな声で愚痴っていた。


 ―――てっきり、小さく、歪で、綺麗なだけの石に、安っぽい紐のついた素人感溢れるペンダントを欲しがっているのかと……。

 シスネは、自分に背中を向けて歩いていく先程の少女よりも更に幼い魔王の背中を眺めながら、そんな事を思った。


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ミキサン
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素晴らしい考察が書かれた超ファンタジー(頭が)
考える我が輩
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