当主の決意
◇
「中央に行くらしいですわね」
ミキサンは、庭に向けていた視線を戻してそう口にした。
「……耳の早い事で」
同様に、庭の二人に向けていた顔を正面に座るミキサンへと戻したシスネ。その顔は頑なに無表情。
「わたくしの耳はあなた方とは出来が違いますもの」
さも当然とばかりにミキサンが言う。
実際はついさっきまでこの場にいたカナリアに聞いたのだが、こうも自信満々に言われると、話を聞く前から知っていたんじゃないかという気になってくる。
シスネは特に疑った様子もなく、そうですか、と紅茶を飲んだ。
シスネもシスネで、ポーカーフェイスゆえ感情が読みづらい。ミキサンの言葉を信じているのか、それとも信じていないのか良く分からない。
まるで腹の探りあいをする様な居心地の悪さと、面倒臭さを覚える。
「中央に行けば、二度とランドールには戻れないかもしれませんわよ」
「そうかもしれませんね」
小さな沈黙が流れた後、口を開いたのはミキサンだった。
「何故、今になって中央に行く気になったのかしら? 確かにランドールは加護という最大の盾を失った。それが中央に知れた以上は、いずれランドールが戦渦に巻き込まれるのも時間の問題でしょう」
「私はランドールでその、いずれ、を悠長に待つつもりはありません」
「盾を失いはしましたが、代わりにあなたは矛を手に入れた。わたくしという強大な矛ですわ」
「自信家ですね」
「そう望まれて魔王という存在は生まれたのです。で、ある以上、それは覆らない事実ですわ。――普通は」
「どういう意味です?」
ミキサンは、膝の上のスライムを撫でて少しの間を作った。
「今、世界にはいくつかの不具合が生じていますわ」
「不具合?」
「そう、不具合。イレギュラーな存在が神々の駒遊びに横やりを入れ始めた。――実に愉快ですわ」
クックッとミキサンが本当に楽しそうに笑う。
「そのイレギュラーというのは」
「勿論、我が君ですわ」
「神々の駒遊びとは、なんの比喩です?」
「神は我が儘だ、という話ですわ。自分の思う通りに事が運ばなければ気が済まないのでしょう」
シスネはミキサンの言葉の意味を理解しようとしているのか少し逡巡する。
「輪を乱す――そういう話でしょうか?」
「まさに」
ミキサンが不敵に笑う。
「確かに彼女の力には目を見張るものがあります。その実力はもとより、魔王を手懐けるという有り得ない事までやってのけた。ですが、私には彼女があなたのいう様な世界を変えてしまう様な存在には見えません。あなたのそれは、従者としての主観が多分に含まれ過ぎている気がします」
「かもしれませんわね。ただ、わたくしと我が君がその気になれば中央など簡単に落とせますわよ?」
シスネは表情を変えずにミキサンの目を真っ直ぐ見た。
「全面攻勢にでも出ろと?」
「そうは言ってませんわ。わたくしはただ、あなたが行かずともわたくしと我が君がいればランドールは守れる、と言っているのです」
シスネが小さく息を吐いた。
「かつてランドールの始祖がそうした様に、ですか?」
「ええ。おそらくは、あなたが中央に行くのが神の望みでしょう。――それこそ、かつての裏切り者の様に」
守られる者が、守る者を失った後でやって来るであろう事を想像し恐怖する先への不安。
依存先を無くした者は、かくも容易く不安に押し潰され、誤った選択によって行動する。用意された楽な逃げ道を選び、そうしていつしか愚者と成り果てる。
「私はランドールを見限るつもりはありません」
「あなたがそうでなくとも、行けば必ずそういう流れになりますわ。予定調和、というヤツですわね」
「運命だと言いたいのですか?」
「そう、運命。そうなる様に神は駒を動かしますわ。だから、わたくしはそれを邪魔するのです」
「神がお嫌いな様で」
「あなた程ではありませんわ」
先程と同じやり取り。
まるで物事がループしているよう。
「あなたが中央に行くというのは、それは神の手駒を増やす行為。だからこそ、あなたはここに残るべきですわ。あなたが女神の駒で在りたいのならば」
ミキサンの言葉にシスネは目を瞑った。
長い思考の時間。
のち。
「もしも、この世界があなたの言うように神々の駒遊びの盤上で、私達が駒だとしましょう」
「もしもではなく、そうなのですわ」
話の腰でも折るように言ったミキサンに構わず、シスネが続ける。
「――だとして……。そうであるならば、やはり私は中央へと赴きます」
「……阿呆だと言っておきますわ。駒で例えるならば、あなたはキング。自らノコノコ相手の陣中に赴き、あなたが取られれば、そこで勝負は終わりますのよ?」
「そうでしょうか? 私はそうは思いません。私は既にキングとしての役目を終えました。加護を失った時点で、おそらく終わったのです……。私が取られてもランドールは落ちません」
「冠を無くして自暴自棄になっている様にしか聞こえませんわね」
「自暴自棄になっているつもりなどありません。私はただ、それが運命だと言うならば、――試してみたくなったのです」
「試す?」
と、ミキサンが怪訝な顔をする。
「あなたが自分で言ったではありませんか。魔法の始祖がそうであった様に、覆せない運命など無いと」
シスネの言葉にミキサンがポカンとした表情を浮かべた。
その後、ミキサンは愉快そうにクックッと笑った。
「なるほどなるほど。檻の中の鳥がようやく逃げる気になったようで」
そう言って、ミキサンはまた笑う。
「私は神が嫌いです」
「知っていましたわ」
「これは、――ランドール側と王国側。両者を駒とした神と女神の戦い――あなたが言いたいのはそういう事ですね?」
「そういう事になりますわね」
「では、私は女神の駒として精々役に立つとしましょう。キングではなく、何か別の駒として」
比喩的な冗談とも本気の決意とも取れかねる言葉を、どちらともつかない表情のままシスネが吐き出した。
「簡単ではありませんわ。真実や真相はともかくとして、そもそもランドール以外はあなたを憎んでいる。あなたが死ねば喜ぶ人間の方が圧倒的に多いのですから――ねえ? 悪魔の姫君?」
静かに自身を見つめるシスネにミキサンは言う。
「この間、あなたが自分で提示した、運命とは抗うモノ、というスタンスとは真逆に聞こえる稚拙な脅しですね」
「あの時はあの時ですわ」
おどけた様にミキサンが笑う。
「あなたの意見は、結局のところ主人への利益を前提としているのです」
シスネの言葉にミキサンは一瞬だけ呆けた顔をして、それからまたおかしそうに笑った。
「当然ですわ。従者が主人の損得を優先させるのは当たり前。それの行き着く先は、もはやただの自己満足の域ですわね。あなたが勝手にランドールに奉仕活動するだけで、誰もそれを誉めてはくれませんわよ?」
「私は誉められたい訳ではありません」
「どれだけ自分が危険なところに足を踏み入れようとしているか、あなたは分かっているのかしら?」
「さあ……ランドールより外には行った事がありませんので」
表情こそ変わず鉄の仮面を被り続けていたが、シスネなりの冗談らしい、シスネらしからぬ台詞がミキサンに返ってきた。
シスネ程では無いが、人の冗談に愛想笑いすら浮かべない魔王はややしらけた目をシスネに向ける。
「中央に行ったあなたが、どういうやり方で中央に仕掛けようとしているかまでは分かりませんが、相手の懐に入るというのは、それだけで多大なリスクを背負う事になる」
「そうでしょうね。しかし、それは同時にリターンも大きいという事です。近い程、突き出したナイフは深く刺さる」
「自己犠牲甚だしい」
「私の心配をしてくれるのですか?」
「断じて違いますわ。我が君の損得を勘定に入れたまで」
「そうですか。――私も自己犠牲を美徳とする感性は好きではありません。あくまでそれがランドールに有益だと思うからこそ動くのです」
あまりに感情の伺えない、淡々としたシスネの声。ミキサンが稚拙と吐かれながらも揺さぶりをかけて、しかし、それでも彼女のその心中を全く察する事は出来なかった。
ミキサンは溜息にも似た息を吐く。酷く面倒だと言わんばかり。
「カナリアですね?」
唐突にカナリアの名を出して来たシスネに、ミキサンが僅かに反応した。
それは一瞬だけ。
すぐ表情を正したミキサンは、口をつぐんだまま小さく鼻で笑った。
そんなミキサンを一瞥してシスネが口を開く。
「あなた同様、彼女は私とフォルテに並々ならぬ忠義を立てています」
「唐突になんですの?」
「あなたは人の感情に疎い。いくら知識があろうと、人の持つ感情というものを計算に入れないと失敗しますよ」
「それをあなたに言われるとは思いませんでしたわね」
まるで人形のように感情を見せないシスネに向けて、ミキサンが皮肉じみて笑う。
「同じ私だからこそ、教えられる事はあります。カナリアが何を言ったか知りませんが、彼女は私達姉妹の損得をなにより優先させます。彼女は、その他はどうでもいいと思っている節がある。――いえ、実際そう思っている。あなたが主人を思うのであればカナリアの策には乗らない事です」
「……ご忠告どうも」
また沈黙。
しばらく静寂が流れた後、シスネが小さく息を吸って、――微笑んだ。
普段、感情の無い鉄仮面を被るシスネが微笑む。
それは見た相手に強烈なインパクトを与える、という事をシスネは理解していた。意図的にそうする事で、シスネにとっては微笑みすらも武器となり得る。
シスネのその武器に、ミキサンが呆けた様に魅入っていると、また鉄仮面を被り直したシスネが言う。
「カナリアにも言っていませんが――実は結婚の話が来ています」
すぐに言葉の意味が理解出来なかったのか、ミキサンが呆けたまま眉を寄せた。
尋ね返す。
「――いま、なんと?」
「結婚する、と言ったのです」
自身の結婚話すらも淡白な感情で吐き出すシスネにミキサンはやや気後れしてしまう。
僅かに頭を巡らせてからミキサンは言う。
「相手は中央の誰か――という訳ですわね」
まるで全身から力が抜けたかの様に、長い溜息と共にミキサンは座るソファーに深くもたれ掛かった。
「ええ。嫁ぎ先の相手は王家の嫡男です」
シスネの言葉でミキサンが再び溜息をつく。
「なるほど……次期国王という訳ですわね。――どうりであなたが中央行きにこだわる訳です」
「正妻の座を空けて待つと。――これはまたとないチャンスです」
「でしょうね。そうなれば、あなたはゆくゆくは王国の妃。その発言力をもってすればランドールの立場は大きく改善される。――ある意味最高の一手かしら?」
「ところが、そう簡単に行かないのが今の王国の現状です」
「何故ですの?」
「今、中央は二つに割れています。簡単に言えば、王家の長男と次男の跡目争いの真っ只中なのです」
「次期国王に一体どこで見初められたのかと思いましたが――つまり、跡目争いを有利に運ぶ為の手段としての政略結婚という事かしら?」
「そうなります。悪魔の末裔を伴侶とする事に反発もあるでしょう。しかし」
「それ以上に、ランドール家の持つ経済的見返りは大きい――ですわね?」
「そうです。王国ではここ数年、資源の枯渇化が問題視されています。不作も相まってランドール以外の辺境では餓死者も出始める程に。民の不満は膨れ上がる一方です」
「それは是が非でもランドールの資源が欲しいところでしょうね……。 ――ですが、それを理由に外の連中が悪魔の血を受け入れますでしょうか?」
「そこであなたです」
「……わたくし?」
「いがみ合うもの同士が、漠然とした憎しみを忘れ、互いの利益の為に手を握る瞬間があります。それはどんな時だと思いますか?」
「……共通の敵を作る。――なるほど、魔王はうってつけですわね?」
「そうですね」
「あなたもわたくしに悪役を希望されますの?」
愉快そうにミキサンが笑う。
「あなたも、という事は、やはりカナリアも同じ様な事をするつもりだったという事ですね?」
シスネのその言葉に、笑顔をやめてミキサンが失言だったと小さく舌打ちする。
「言っておきますが、私はあなたに悪役になってもらうつもりはありません。今のはちょっと確認してみただけです。カナリアには控える様に言ってありますが、彼女は言って大人しく静観する犬ではありませんから」
「……別に構いませんわよ? 悪役でも。わたくしは、我が君以外の評価などどうでもいいですわ」
言ってミキサンは、顔はシスネに向けたまま膝の上のスライムをまた撫でた。
「悪役を演じる必要はありません。魔王とは、ただ居るだけでそれは大きな脅威です。存在をほのめかすだけで事足ります」
「わたくしが構わないと言っているのです。――それともわたくしの心配かしら?」
「私は彼女――あなたの主人と約束しました。魔王を受け入れると。で、あるならば、あなたもランドールの一員です。私にとっては守るべき対象なのです」
「……大きなお世話ですわ」
ここぞとばかりにブラックなユーモアと皮肉を利かせたつもりであったミキサンの言葉は、ミキサンの期待とは裏腹に、思いがけない言葉となってシスネの口から紡がれ、返ってきた。
うんざりとばかりに顔をしかめたミキサンに、シスネが淡白に告げる。
「私が好きにやっている事です」
「ああ、そうですの。ならお好きになさい」
ミキサンはつっぱねる様に言葉を吐いた。
「そうします」
また沈黙が流れた。
沈黙の中で、シスネはミキサンから視線を外し、庭先の――シンジュと何やら話し込む妹フォルテを静かに眺めていた。
感慨に耽るように、長くそうしているシスネに向けてミキサンが尋ねた。
「結婚の話は誰に?」
シスネは庭に顔を向けたまま答えた。
「……誰にも。フォルテにも話していません」
「何故、わたくしに話しましたの?」
シスネはゆっくりとミキサンへと顔を戻して言う。
「……分かりません。――ですが……そうですね。あえて理由を作るならば、あなたには――いえ、あなた方には今後もフォルテを支えて欲しいのです。私は結婚と同時にランドール家当主の座を放棄します」
「アレに家督を継がせるつもりですの?」
フォルテへと顔を向けたミキサンが、やや呆れ気味に言った。
「フォルテはまだ経験が浅いというだけです。カナリア達の支えもあります。フォルテならば、きっと私より上手くランドールを回してくれるでしょう」
「あの過保護なまでに箱入りで育った小娘が、あなたより上手く手綱を握れるとは到底思えませんわね」
「身内の贔屓目を鑑みても、私はフォルテならば大丈夫だと思っていますよ。妹には、私には無い物が沢山あります。――少なくとも、私には人を惹き付けるだけのカリスマはありません。今後のランドールには、知恵でも力でもない、必ずそういった武器が必要になって来ます。今までのランドール家にはそれが足りなかった。だから、いつまで経ってもランドールは変われないのです」
「……まあ好きになさいな。あなたが家督を降りるも譲るも、打算的な結婚をするもしないも、わたくしには関係の無い事ですわ」
ミキサンは庭から戻ってくるシンジュとフォルテに顔を向けながらそう言って、話を終わらせた。




