自宅訪問
スライムに憑依した俺をカナリアが両手で抱え、グニグニと頬でも弄ぶかの様に触る。
何が面白いのか、カナリアはしばらくそうしてスライムの体をいじくり倒した後、「ふむ」と何か納得する事でもあったのか一言呟いて、それからようやく俺を床へと解放した。
俺が遊ばれてる間中、ミキサンは何故か口を屁の字に曲げてムッとした表情でカナリアを睨み続け、シンジュの方は警戒する様なやや苦い顔をしてこちらを見ていた。
ミキサンが不機嫌な理由は分からないが、シンジュが苦い顔をしている理由は分かる。
娘はスライムが苦手なのだ。
痛みと恐怖のトラウマというものはいつまでも消える事なくその身と心にこびりつく。頑固な水垢よりもタチが悪い。
ランドールの至るところで遭遇するスライムに、流石に見慣れたのか3ヶ月前程には怯えなくなったが、それでも触れるところにまでは到達し得ていない。子供の頃に、犬に噛まれたり大層吠えられた者が、大人になっても微妙に犬と距離を置く。そんな風。
別に俺が嫌われた訳でもないので、その事自体は構わないのだが、スライムの体とはいえ、ようやく娘とのスキンシップが取れると昨夜などは月を見ながらホクホクしていたが、シンジュがスライムに触れないのではそれもご破算であろう。
無理にこちらから近付いてトラウマを加速させても具合が悪い。潔く自重しておく。
おそらくだが、俺以外のスライム達ももしかしたら同じ理由で屋敷の中にまでは入って来ないのかもしれない。別に確証なんてないが、なんとなくそう思った。
最弱と呼び声高いスライムに怯えるのに、ロック鳥とかいう怪獣みたいな鳥の群れには嬉々として飛び込んでいく。もう何が怖くて怖くないのか、パパはちょっと分からなくなりそう。
「悪魔やスライムが日常の中に溶け込む光景というのも中々に新鮮ですわねぇ」
娘の怖い物ランキングを考えていると、カナリアがそんな事を言った。
そちらを見ると、新鮮という言葉の響きとは裏腹に、俺を見るカナリアの目はやや冷たく見えた。
まさかスライムの体から生えた生首が見えている訳ではないだろうが、何故に俺が女性にそんな目を向けられねばならないのかちょっと落ち込む。
「お話し中すいやせん」
俺がスライムに憑依するのはもう止めようかな思った時、トテトテの声が上から降って来た。
「なんですか?」
自身に向けられたその言葉にシンジュが尋ねる。
「お客様がお見えです」
「誰ですか?」
「あの小僧ならば追い返しませんとね」
シンジュとミキサンがほぼ同時に口を開いた。
小僧?
誰だろうか?
「小僧、では無いでやんす。ランドールの姫君が来てらっしゃいやす」
「フォルテちゃんが?」
「へい。今日は御当主さんも同伴みてぇでやんす」
トテトテがそう告げた瞬間、真面目な顔をしたままカナリアが椅子からスクリと立ち上った。
「皆様ぁ、今日、カナリアめは皆様とは会っていないし、勿論ここにも来ていない―――と、だけ言い残してカナリアは颯爽と去っていきますぅ」
そうであれ、と言わんばかりの台詞を吐いた後、口元に手を当てたカナリアがクスクスと小さく笑い、そのまま正面扉とは反対側―――屋敷の奥へと小走り気味にそそくさと消えていった。
当主シスネに「邪魔するな」と命令されている立場上、ここに居ては具合が悪いのだろう。借金取りに追われる債務者のような逃げ方だった。
☆
「やっ!」
リビングにやって来るなり片手を上げ、人懐こそうな顔をして挨拶したのは赤毛の姫君フォルテ・ランドール。
「こんちは、フォルテちゃん」
ニコニコとシンジュが返す。
この二人、何故かウマがあったらしく、3ヶ月前の出来事以来急に仲良くなった。
そもそものきっかけは、ランドールでの魔王討伐の件の三日後の事。
朝の早い時間。
突然、フォルテが「リベンジだ!」と言ってシンジュの働くランドールギルドに乗り込んで来た事から始まった。
突如現れたフォルテに名指しで宣戦布告されたシンジュは、まさに寝耳に水といった様子でポカンとしていた。
シンジュは最初それが自分に向けられているのか半信半疑のようだった。一瞬チラリとミキサンを見て、それから困惑した様に辺りを二、三度見回したが、名指しで、しかも指までさされているので間違いなく自分に言っているのだと理解した。
「あの……リベンジって?」
「ふざけんな! 時計塔でのリベンジに決まってるだろ!」
鼻息荒く意気込むフォルテ。
シンジュはますます意味が分からないとばかりに困惑した顔になる。
それはそうだろう。
あの時はシンジュの意識は夢の中。実際に何かしたのは憑依した俺である。シンジュが覚えている訳がない。
結果。
「仕事があるので……」
と、まるで社畜の様な台詞を吐いて、シンジュはその場を治めにかかった。
「んぬぬ」
フォルテが険しい顔をして唸る。
世の奥様方なら頭のてっぺんから反論の言葉の3つ4つは出て来そうな言い訳に、この世間ずれしたランドールの姫君は反論する材料を持っていない様子であった。
おそらく彼女の周囲にいる手本となる大人が、自身が尊敬し敬愛する姉と、ランドール家の為、従順に盲目的に働く使用人達だけしかいないという環境のせいだろう。
ランドール家の者ならばかくあれ。
と、それらの働きぶりを見ているフォルテにとって「働く」という事は、献身的に、そして真面目に取り組むべき事であり、それを邪魔する事は「してはいけない事」に分類されるようだ。
小さな子供が、親に言われた「お仕事の邪魔をしてはいけません」という言葉を真面目に守っているかの如く。
もしもフォルテが怠慢、ぐうたら、やる気なし、を顕現させた様なランドールギルドの冒険者の仕事ぶりを知っていたならば、また違う答えが出たのかもしれないが、ランドール家はギルドを敬遠しがちである。
当然フォルテもそのご多分に漏れず、少なくとも俺が知る限りでは、これまでにギルドと何らかの関わりを持っている様な素振りは見えなかった。
結局フォルテはしばらく唸った後、反論する事を諦めたのか「また来る!」と高らかな宣言(捨て台詞)を残して帰っていった。
その日はそれで終わった。
「リベンジだ!」
ランドールギルドにフォルテが現れたのは次の日の昼前だった。時間をズラして来ている辺りに、彼女の思考した跡が見て取れる。昼休みを狙ったのだろう。
「……また来た」
フォルテの顔を見るなり、受付で冒険者の対応をしていたシンジュが露骨に嫌な顔をした。
「お、お前、私に向けてそんな顔して良いと思ってるのか!?」
驚くべきモノを見たとでも言いたげな顔をしてワナワナと肩を震わせたフォルテが噛み付く。
「……仕事の邪魔なんですけど」
「グゥ!? わ、私はランドールだぞ!」
「知ってます」
眉を吊り上げて凄むフォルテに、涼しい顔をしてシンジュが言い返す。
「なら!」
「知ってますか? ここは王国管轄のギルドです」
「うっ! いや、でも」
「邪魔です」
シンジュはピシャリと言ってのけた。
相手がランドール家の姫君ゆえか、周りで見ていた冒険者達がシンジュを止めようか……、といった素振りを見せているが、その決断をするには少し遅かった。
「………………うぅ。―――うぅ~ッ!」
ハッキリ面と向かって邪魔と言われたフォルテが、酷くショックを受けたらしく、悔しそうに唸って―――
泣いた。
叫んだりはしなかったが、口をへの字に曲げ、目の端でみるみる涙の粒が膨らんでいく。
「ええ……?」
シンジュでは無いが、俺も正直「えぇ?」と困惑した。
何故泣く?
自分の家とかじゃないぞ? ギルドで、人前でだぜ?
箱入りの姫ゆえ邪険な扱いをされる事に慣れていないのだろうか?
それにしたってメンタルが弱すぎやしないか?
シンジュはもとより、成行きを見守っていた周囲の冒険者達もぽかんと見ている事しか出来なかった。
「あ、あの……言い過ぎました。ごめんね?」
下唇を噛んで泣くまいと耐えるフォルテに、シンジュが年下を相手にするかの様な口調を作って宥めた。
フォルテはシンジュよりも年上のはず。燃える様に揺れる真っ赤な髪にスラリと長い脚を持つ容姿に至っては、シンジュよりも随分大人びている。
しかし、シンジュに慰められる今のフォルテは年下に見えて仕方ない。
「ごめんね? 邪魔って言うのは……アレかな……言葉の綾? みたいな?」
「……ならいい」
フォルテは腕でごしごしと涙を拭い、最後に涙の残滓を指でクイッとすくい上げた。
ホッと胸を撫で下ろす一同。
なんだこれ?
「えっと……」
と、シンジュが呟いた丁度その時、ランドールの鐘が鳴った。お昼を告げる音である。
「あっ、お昼ですね」
「よし、なら」
泣いたカラスがもう笑う。
フォルテはニヤリと微笑んだ。
「昼ですわ。今日は何処で食べますの?」
そんなフォルテなど眼中に無いとばかりに、我関せずとフォルテの登場にも微動だにせず本を読んでいたミキサンが横から割って入った。
突然の魔王の乱入にフォルテがギョッとする。
「今日はオソラさんのとこのお店なんてどうかな?」
こちらもフォルテを意識から外し、シンジュが答える。
オソラさんというのは、ギルドから少し離れた場所にある定食屋のおかみさんである。
「よござんす」
いつも通りの言葉。
行き先を訊くだけ訊くが、それにミキサンが反対しているところを見た事がない。悪い状況に陥る事でも無い限り、ミキサンは基本的にシンジュの提案には全肯定で返す。興味が無いので丸投げしている節さえある。
そうして、ミキサンはスタスタとギルドの外に向け、冒険者の海を割って歩いていく。
やや遅れ、カウンターにいたシンジュが受付を閉め、ミキサンの後を追いギルドの外に向かい始めた。
「おい!? ちょっと!? 待て!」
そのまま出て行こうとするシンジュの背中に、魔王の乱入で気圧され気味だった気持ちを慌てて立て直したフォルテが、叫び声に近い大きな声で待ったをかけた。
背後から届いた声にシンジュが小さく舌打ちしたのを傍でふよふよ漂っていた俺は聞き逃さなかった。
どさくさに紛れてやり過ごそうという腹づもりであったらしい。
「今からお昼なんですけど、良かったら一緒にどうですか?」
後ろのフォルテにくるりとやや芝居じみた様子で身体ごと振り返ったシンジュが、フォルテを食事に誘った。
舌打ちしていた時の『面倒くさい奴に捕まった』と言わんばかりの表情とは打って変わって、フォルテに向けたシンジュの顔はニコニコと笑顔を振り撒いていた。
正直言えば、何か見てはいけない物でも見た気分になった。
まあいつまでも純真無垢な子供では無いのだし、そういう世渡りの顔のひとつくらいは覚えるのが普通であろう。しかし、パパとしては複雑だ。
「い、今のは私に言ったのか?」
おや?
笑顔を向けられているはずのフォルテが何故か動揺している。
「えっ? そうですけど?」
「そ、そうか!?」
フォルテの表情がパッと花開いた。
しかしそれは一瞬で、次の瞬間にはまるで見間違いだったのかと思う程に、フォルテは眉をキッと上げた。
「何故私がお前と昼食を取らないといけないんだ!?」
弁明するかの様な目つきと口調でフォルテが言う。
「……別に嫌なら良いんですけど」
「いや、違っ……! ―――私は別に嫌とは言っていない」
シンジュから微妙に視線を逸らしていくフォルテ。うつむき始めた視線と音量が直結しているみたいに、後半はえらく尻すぼみになって、ほぼ斜め下の床に向けた呟きに近かった。
燃え上がる様な真っ赤な毛髪が頬に色移りでもした様にほっぺたを少し赤らめたまま俯くフォルテを、シンジュがじっと見つめる。
よく見るとランドール家特有の長い耳も赤に染まっている。
視線はギルドの床にやや泳ぎ気味に向けられているものの、見られているのが分かっているのか、気恥ずかしそうに小さく揺れるフォルテを、シンジュはしばらく眺めた後、クスリと小さく笑った。
「フォルテさん?」
「あ、ああ、なんだ!?」
顔を伏せ、表情を隠したままだったフォルテが、名前を呼ばれた途端にパッと勢い良く顔を上げる。
顔につられたフォルテの赤毛が、風に吹かれた炎の様に彼女の背後でぶわりと広がった。
絶妙な光沢のせいか本当に炎の様に見えるから驚きである。思わず髪が燃えてますよ、と言ってしまいそうだ。
「一緒にご飯食べに行きませんか?」
シンジュが微笑む。
先程見せたやや後ろ暗い気持ちを含んだ笑顔より、ずっと良い笑顔だった。
―――とまあ、シンジュとフォルテが仲良くなったキッカケはこんな感じである。
ランドール家の次女として生まれ育ったフォルテには友人らしい友人が居なかったらしく、シンジュという同じ年頃の人生始めてともいえる友人が出来た事をとても喜んでいる様だった。
最初にリベンジだと言ってギルドに乗り込んで来たのはどうも照れ隠しであったらしい。と、後からカナリアがシンジュにコソッと告げ口をしていた。
友達というモノを持たず、作り方も分からず、それでも何とか不器用ながらも仲良くなろうと、恥ずかしさをかなぐり捨てギルドにやって来たフォルテ。
仲良くなろうとやって来て「邪魔」と言われたら、そりゃまあ泣きたくもなるだろう。リベンジだと言ったのも悪いと思うが。
シンジュはシンジュで、カナリアからそのフォルテの「友達作り」の話を聞いて以降、フォルテが可愛くて仕方ない様子であった。
フォルテは少し世間知らずなところがあり、シンジュと二人、どちらが年上か分からないやり取りをしている事がままある。シンジュにしてみれば、フォルテのそんなところも可愛いのだろう。
それからというもの、フォルテは良くギルドに遊びにやって来る。
と言っても、シンジュはギルドで仕事をしに来ているわけで、二人はもっぱら合間合間にお喋りに興じている。
そんな二人の様子が、最近のギルドに新しく加わった日常であろうか。
相手が相手ゆえか、特に誰からも苦情らしい苦情も出ていない。元々ランドールギルドがさほどに忙しくないというのも理由にあると思う。
本来は物怖じしないフォルテの性格もあって、今では冒険者達とも楽しそうに話すフォルテの姿をギルドでは見る事が出来る。
フォルテはまあいい。
彼女がシンジュの屋敷に来るのは初めてではないどころか、今では勝手知ったる我が家とばかりに屋敷の中に詳しい。
中の構造なんかは知っていたらしく、元々がランドール家の所有物であった事を考えれば納得がいった。
フォルテがここに来るのは、まあいつもの事と言えばいつもの事だ。
いつもと違うのは、フォルテの後ろ。
鉄のごとき表情筋を顔いっぱいに張り付けたフォルテの保護者、ランドール家当主シスネ・ランドールが、今日は同伴だという事である。
動かざる事山の如し。
表情と同じくらいに堅いフットワークを持つシスネがわざわざここにやって来たのだ。
正直あまり良い予感はしなかった。




