英雄へのお誘い
「と言う訳で、今からちょっと行って中央を破壊してきてくださいな」
どういう訳で?
自宅の無駄に広いリビングにあるテーブルを囲んだシンジュ達。その対面。奇抜な服を来たカナリアがニコニコと微笑んでそう告げた。
「わかりましたわ」
了承するな。
こちらも良い笑顔を作ってミキサン。少しは考えろ。ごく自然に、さも正しい事を為すかの様に滑らかに了承するんじゃない。
二人に白い目を向けつつ、俺は思い返す。
話があると、海岸にてカナリアに告げられ自宅まで戻って来た一行は、そこでランドール家当主ことシスネ・ランドールの中央行きの話を耳にした。
外の人々とランドールの『水と油』のような関係は、以前にランドール家の屋敷にてシスネから説明を受けて知っている。どちらが水で、どちらが油かはこの際どっちでも良い。
水と油の両者は、相容れぬ仲にあっても同じ世界に住む者である以上、『関わらない』という選択肢はないらしい。
その為、隣合う表面上だけは手を結ぶ。
それは決して仲良しこよしで手を繋いでいる訳じゃなく、くっつけた手の平で、相手に笑顔を向けたまま互いに押し合って牽制しあっている上っ面だけの友好関係。
ところがである。
長年、そんな押し合いを続けていた両者に大きな変化が訪れた。
その原因のひとつとされるのが、ランドールが女神の加護を失った事。
これによりランドールは、均衡を保ち中央と押し合っていたその背中を支えていた柱を失った。
当初はランドール家によって隠されていた柱の倒壊だったが、どうやら王国の中央に露見してしまったらしい。
支えを無くしたランドールと中央。
人口一万少しの街と、数百万を有する王国とでは、本来そんな力関係など成り立たず、象と蟻の力比べにも等しいのだが、両者の均衡は加護ありきの均衡であった為、柱を失うという事はそのまま、圧倒的質量差でランドールが中央に飲まれるという事を意味する。
勿論、いま現在、ランドールはそんな事態には陥っていない。
何故か?
その理由についてカナリアは特に言及もしなかったが、「中央はランドールの何か」を恐れて、もう一歩を踏み出せないのだろう。
そうやってその場で地団駄を踏む中央が取った次の一手は、ミス・ランドールことシスネ・ランドールの中央への招喚である。
これはランドール家始まって以来、初の事であるらしい。
中央に対して融和的であった先代当主―――つまりは、シスネの祖母にあたる人物でさえ、流石に中央にまで赴いた事は無いそうた。
まあそうだろう。ランドール家は外を嫌っている為、ランドールの街から出ない。シスネもフォルテも、一度だって街の外には出た事が無いと言っていた。フォルテが何故か自慢げに。
まあ「この街大好き」を地でいく二人はともかくとして、そんなシスネが中央に行くというのは前代未聞。
今、ランドール家は大混乱であるとカナリアは語った。
大混乱の割にここでのんびりお茶を飲んでいるカナリアを見ていると、大混乱の度合いがえらく低い物の様に感じる。
カナリア曰く、シスネの意志は堅く、自分を含めた下女達のどんな言葉にも意志を曲げない。どころか、シスネは全ての使用人を前に、「命令」したらしい。
自身の中央行きの邪魔をするな、と。
話だけ聞くと、主人が配下に命令するのは普通の事の様に思うのだが、カナリア的にはそうではないそうで、
曰く、
シスネは「お願い」をする事はあっても「命令」をする事はない、とカナリアは言った。
基本的にランドール家というのは、絶対的な忠誠と従順によって塗り固められた使用人達の「善意」によって成り立っているらしい。
善意によって主に尽くし、善意によって主を守る。
ナイス詭弁だと思う。
そんな物は本人達がそう思い込んでるだけで、端からみればそんな訳あるかと疑問を呈さずにはいられない。
詭弁は詭弁と聞き流すとして、自分はシスネに「命令」されてしまったので動けないと語るカナリア。
そこでカナリアはシンジュ達に「お願い」に来たのである。
誰かに頼むのも「邪魔をするな」というシスネの命令に反している気がするが、この詭弁という名の屁理屈を弄するメイドは、「直接邪魔をした訳では無い」とか何とか、子供より子供な屁理屈を吐き出すに違いない。
正直良くクビにならないなと聞きたくなる。
「それで、具体的に私は何をすれば良いんですか?」
よせばいいのに、シンジュが小首を傾げてカナリアへと問うた。
説明を受けた時点で、大事に巻き込まれる予感しかしないのだから、「お断りします」とさっさと追い返してしまうのが、平穏無事な生活を維持する為に必要だと思うよ?
「中央を潰すという話では?」と、ミキサン。
悪意を微塵も感じさせず言葉じりこそ柔らかいものの、言ってる事は幼女にあるまじき暴挙の提案である。
「いや……、流石にそれはちょっと……」
苦い顔をしたシンジュがミキサンの無茶ぶりに待ったを掛けた。
それはそうだろう。
どこの世界に「会社や学校に行くのに反対なので、出先を潰しちゃいましょう」という提案を呑む奴がある。
「中央を潰すのが一番手っ取り早いのですがぁ、それではその場凌ぎにしかなりませんのでぇ。やるなら外の人間を1人残らず駆逐する位でないと」
のほほんとした空気をしてカナリアが返した。
微笑みながら言う台詞ではない。
「シスネさんの中央行きをやめさせるとか?」
「それも難しいかと。私共使用人の説得はおろか、フォルテ様の『泣き落し』でさえ軽くあしらわれてしまいましたから。―――ああ……、あの時のフォルテ様のお姿―――そして、それを慈しみを持って慰めるシスネ様。お二人のあの絵画の様な美しい光景を思い返すだけでもカナリアは全身が震えてしまいますわぁ」
言ってカナリアは自分の体を抱き締めたまま、その場面を思い返しているのかうっとりとした表情でくねくねと身悶えた。
忠誠心の皮を被った変態がそこにいた。
「そんなに行かせたくないならば、柱にでもくくりつけておけば良いのですわ」
カナリアの変態的悦りにうんざりそうな顔を浮かべたミキサンがそう提案した。
提案はともかく、「踏んでくれ」と主君に懇願する変態がしていい顔ではない。お前も同類だと言ってやりたい衝動にかられる。同族嫌悪の様なものだろうか?
「そうしたいのは山々ですが、主を縛りつけるなど我々使用人は看過出来ませんわぁ。縛りたい願望は否定しませんけれどもぉ」
否定しろ。
普通、変態というものは肩身の狭い思いをするのが世の常だと信じて疑わなかったが、開き直った変態はその限りではないらしい。
これは異世界ゆえなのか、それとも世界共通なのか難しいところである。
カナリアは、空気を正す様に(乱したのは自分だが)一度コホンと小さく咳をして続ける。
「中央が、何の大義もなくいきなりシスネ様を処刑、などという暴挙に出る事は流石に無いでしょうがぁ、中央の出方次第ではシスネ様の身が危ないというのも事実」
「王様に挨拶するって話ではないんですか?」
「それはあくまでシスネ様を呼び出す口実ですわ。―――中央はおそらく、ランドール家が女神の加護を失った事に気付いておりますぅ」
「わざわざ今まで一度も本気で望んでいなかった招集を命じたのですから、十中八九そうなのでしょう。最悪、小娘は人質ですわね」
「はい~。であるならばぁ、中央の狙いは間違いなく「土地を寄越せ」ですわぁ」
「ランドールの土地をですか?」
「そうですわぁ。ランドールの資源はそれはもう喉から手が出る程に魅力的な物ですからぁ。中央で、いわゆる「一流」と呼ばれる品々は大抵ランドールの土地から取れた物ですわぁ。金属に宝石、木材から薬草にまでかけて、ランドールにはありとあらゆる「一流」がまるでひとところに集まった様に集中しておりますので」
「そういうのは良く分からないですけど、凄いんですねランドールって」
「ええ。凄いのですわ。―――まさに奇跡の土地ですわ。いまだに湧く様に新しい金の採掘場が見つかる程ですし、経済面だけみればランドールは後数百年は働かなくても食べていけますわ」
「働かないで良いならとても凄いです!」
「……驚くポイントがややズレてる気もしますがぁ……。―――そこを手放すというのはランドールに死ねと言っている様なモノですわぁ」
カナリアは、用意された紅茶を一口含み、唇を湿らせる。
「ランドールは嫌われ者ですからぁ、豊富で、かつ一流の資源を失えばまともに相手もして貰えません。価値が無くなれば、ランドールなど邪魔なだけですわぁ」
「そうならない為にシスネさんは中央に行くんですよね?」
「そうですわぁ。―――ですがぁ、元々我らは厄介者の嫌われ者。出ていけと口頭で追い出されるならばまだ良い方で、力ずくで奪う、というのも中央の選択肢としてあり得ない話ではありませんわぁ。―――悪魔に慈悲を期待するだけ無駄というものでしょぉ」
最後に付け足された言葉は、相手に向けて言ったのか、それとも自身に向けて言ったのか―――両の手に持つカップの中に目を落としながらカナリアがひとり言の様に呟いた。
小さな沈黙が場に流れた後。
様子が気になるのか、外で洗濯物を干す家政婦さんこと悪魔トテトテがチラチラと目をやっては、庭の外からシンジュ達の様子に聞き耳を立てているのが目についた。
「私は何をしたらいいんですか?」
先程よりも少し真面目な顔をして、二度目となる言葉をシンジュが口にした。
カナリアは手にしたカップをテーブルへと置いて、―――それで少し間を置いて、
「シンジュ様にやって頂きたい事がございます」
「……はい。何をすれば良いんですか?」
カナリアはシンジュの顔を真っ直ぐ見つめるとニッコリと微笑んだ。
「英雄になって頂きますわ」
「はい。―――はい?」
真面目な顔で返事を返したはずのシンジュの顔に疑問符が浮かんだ。
カナリアがクスクスと笑う。
「英雄ですわぁ。強き力で悪しきを挫き、人々を救う。―――そういう、英雄と呼ばれる存在になって欲しいのです」
「……………………今すぐに?」
呆けた顔をしたシンジュがそう訊くと、カナリアはまたクスクスと笑った。
「今すぐというわけではありませんが、―――そうですねぇ。少なくともシスネ様が中央にいる間には、そうなって頂きますわ」
「……ちょっと無理めかなって、思うんですけど……」
「心配なさらずとも、そうなる様に私が場を用意致しますわ。シンジュ様は用意された舞台で、用意された役を演じ、用意された台本を読んで、それで悪しき者の野望だか野暮だか、それっぽい何かを砕いてくだされば良いのです」
「悪しき者って……」
カナリアはニコリと笑って、シンジュの隣で紅茶を啜る少女へと目をやった。
「魔王の役、お願い出来ますかぁ?」
言われたミキサンは特に表情も変えずにカナリアを一瞥した。
「……ようするに自作自演で英雄をでっち上げる、という事ですわね?」
「はぁい~。ですから、ちょっと行って中央を破壊してきださいなぁ」
「ちょ、ちょっと待って。どういう事ですか?」
わけがわからないとシンジュが両者の間に割って入る。
シンジュの疑問に答えたのはミキサンであった。
「ようするに、ひと芝居打てという事ですわ。わたくしが、中央に仇なす魔王という役で中央に敵対する。中央の力がどれ程か知りませんが、わたくしに太刀打ち出来る輩など居ませんでしょう。そうなると、中央は存続の危機に瀕します。それで、さあいよいよ中央滅亡かというところに」
「颯爽と現れた若き少女が、悪しき魔王をちぎっては投げ、ちぎっては投げの大活劇」
ミキサンの言葉を引き継ぐ様にして、大袈裟な動きで剣を振る様な仕草をしたカナリアがにこやかに告げる。
それから澄まし顔を作り、
「こうして世界の平和は守られた―――という寸法ですわ」
カナリアが悪戯そうに笑う。
「私にミキサンを倒せと?」
「フリだけで構いませんわぁ。敗けを認めた魔王が配下に降る、というシナリオならば今後の生活も問題ありませんでしょう?」
「い、いや~……どうかな?」
ややひきつった顔のシンジュが、確認する様にミキサンへと顔を向けた。
「わたくしは構いませんわよ? 勿論、誰も殺さない様に努力致します。あくまでもフリですわ」
言ったミキサンが不敵に笑う。
その笑顔が、演技に見せ掛けて暴れたい、と言っている様に見えてしまうのは俺だけじゃないと思う。
「魔王の野望を打ち砕いたその英雄がランドール家と繋がりがある、というのが一番のポイントですわぁ。上手く話を広げて、ランドール家の好感度アップアップ、とここまでが台本ですのぅ」
「そ、そんなに上手く行くでしょうか? それに、ミキサンの事は―――魔王の事は向こうにもバレてるんじゃ……」
「バレていても問題ありませんわぁ」
「―――そうなの?」と、ミキサンを見てシンジュ。
「わたくしに聞かれましても」
ミキサンが言った後に、カナリアが答える。
「仮にバレていたとしても、中央の性格上、魔王の存在を把握しておれどそれを公になどしていないはずですわぁ。ですから、肝心なのは魔王を知らない者達の目に、魔王と、そしてランドール家をどう見せるかが重要になってまいります。魔王とランドール家が敵対している。と、そんな風に見せさえ出来れば、後から人心はどうとでも丸めこめますからぁ」
「そういうものかな?」と、ミキサンを見てシンジュ。
「わたくしに聞かれましても」
「難しく考える必要はありませんわぁ。全てカナリアめにお任せください。カナリアはぁ『命令』されておりますのでぇ直接は関わりませんが、偶々、そういう台本が用意されて、偶然、そういう流れになる―――かもしれませんわぁ」
「……偶然」
「偶然♪」
あくまでも偶然と言い張るカナリアは、とっくに冷めてしまったであろう紅茶をひと息に飲み干すと、「ですのでぇ、シンジュ様もシスネ様には内緒で、偶然、中央に出向いていて欲しいのですわぁ」と微笑んだ。
シンジュがカナリアの「お願い」の返事を口にする前に、俺はミキサンの足元まで寄ると、その足をポヨンと軽く蹴とばした。
ミキサンは慌てた様に「コホン」と小さく咳をして、それを俺への返事とした。
それから、隣のシンジュへと顔を向ける。
「すぐに返事を返さずとも、出発は二日後。一晩じっくり考えてからでも良いのでは?」
「……うん。そうだね。―――それで良いですか?」
「構いませんわぁ。明日にでもまたカナリアからこちらに出向きますぅ、返事はその時にでも」
話が終わってしまいそうだった。
ミキサンが足元の俺にチラチラと視線を向けて「どうすべきか?」と目で問うている気がした。
もう一度プヨンと軽くミキサンの足を叩く。
そうすると、弾かれた様にミキサンが顔をカナリアへと向けた。
そんなミキサンを、カナリアが怪訝な顔で見返す。
「我が君が手伝うというならばわたくしは強くは止めませんが、―――そんな回りくどい事をせずとも、どうにか中央へ行かぬ方向に持っていった方が話は簡単ではなくて?」
ミキサンが、無理矢理気味に精一杯の難癖を吐き出す。
「勿論カナリアめもそちらの方が良いのですがぁ、先程言った様にシスネ様の意志は堅いのですぅ。策が無い訳でもありませんが……。難しいでしょうねぇ」
カナリアはそう口にしてから、「ところでぇ」と言って視線を下に落とした。
ミキサンの足元にいる俺を見た。
「そのスライムはなんですの?」




