黒髪の少年
「この依頼を受けたいんだが」
アイさんに頼まれた手配書を、ギルドの外の壁に貼り付けて戻ると、受付に入ってすぐにそう告げられた。
「はい。え~っと、ランドールギルドを利用するのは初めてでしょうか?」
初めて見た顔だったので私がそう尋ねた。
私と同じ歳くらいのとんがり帽子を被った若い男の子。
「ああ」
凄く無愛想な表情で返事がかえってきた。
「ではまず、冒険者証明を」
「ん」
無愛想なまま差し出された
「―――はい。確認しました。御返ししますね。それで、あの、この依頼なんですが―――」
「問題あるか?」
「問題と言いますか、報酬が……。同じ内容で、賃金の得られる物がありますので、そちらをオススメします。この依頼は―――」
提示された依頼書へと目を落とす。
男の子が持って来たのは、薬草10束の納品を依頼内容とするもの。依頼者欄に私の名が書かれたあの依頼であった。
「この依頼は報酬が『肩たたき』ですから、何か別の依頼の方が……」
私には、この若い冒険者の肩が凝っている様には見えない。少なくとも同じ歳くらいの私の肩はぷにぷにだ。肩が凝るという感覚すら味わった事がない。多分、同年代ならば同じ肩事情だと思うし、わざわざ受けるだけ損であろう。
「シンジュってのはあんたの事だろ?」
困惑していると、男の子がそう尋ねてきた。
異世界では、苗字はあっても上の名前で呼ばれる事などほぼ無い。
その為、初対面の人であっても下の名前で呼ばれる事にはいい加減慣れて来たが、同年代の異性に呼び捨てにされると妙に意識してしまう。
「はい、私です。私の肩たたきがこの依頼の報酬です」
「肩たたきの時間はどれくらいだ?」
「え? あー、特に決めてませんでした。―――10分くらいでどうですか?」
「それで良い。受注する。許可をくれ」
「はぁ―――本当に良いんですか? 肩たたきですよ?」
「ああ」
困惑しつつも、本人がそう言っているのでまぁいいかと、依頼書に承認の判を押す。
割印になっている半分の書類を差し出そうとしたところ、ちょっと待ってと言いだげに男の子が手で私を制止した。
男の子がこちらに向けていた手の平を返す。
そこには小さな魔法陣が浮かんでいて、私がなんだと思う間もなく、手の平の魔法陣から蛙が飛び出して来た。
突然の蛙の登場にびっくりする私をよそに、男の子は特に気にするでもなく、空いた手を蛙の口の中へと素早く突っ込んだ。
「おー、若いのに大沼蛙持ちか」
男の子の背後、私達のやり取りを見ていた冒険者さんの一人がそう言った。
「ああ、これが大沼蛙ですか。私、見るのは初めてです」
大沼蛙というのは、【大沼蛙の腹袋】という空間魔法を使うと出てくる魔法生物である。
この蛙の体内はネコ型ロボットが持つ四次元ポケットの様になっていて、その中に私物を入れて置く事が出来る様になっている。
暇を見ては目を通す魔法書で読んだ限り、確かこの魔法を覚えるには『沼蛙1000匹を捕まえる』という儀式を行う必要があったと書かれていたと思う。沼蛙は、沼という名前のわりには結構何処にでもいる小さな蛙だそうで、前に冒険者さんに聞いた話では、ランドールの周囲の湖や森にもいるらしい。
沼蛙1000匹を捕まえた覚えなど無いのだが、私もこの魔法を持っている。魔力が無いので持っているだけで使えないのだけど……。宝の持ち腐れもいいところだし、ほったらかしゆえ、そろそろ蛙が餓死するのではないかと心配だ。魔法生物が餓死するのかは私の知るところでは無いけれど……。
「ん」
初めて見た大沼蛙をまじまじと眺めていると、蛙の口から手を引き抜いた男の子が、何かを私に差し出してきた。
パンパンに膨らんだ麻袋だった。
受け取り、袋の中を見てみる。
「あ、薬草―――10束ですからこんなにはいらないです」
袋の中には、どう見ても100束くらいは軽くありそうな薬草が詰まっていた。
「量が分からん。オマケだ。全部やる」
ぶっきらぼうにそう告げられるが、依頼内容は薬草10束である。オマケと言われても困ってしまう。
「あ~、じゃあ、余剰分は買い取らせてもらう形で良いですか?」
「それでいい」
「分かりました。計算するのでちょっとだけお待ち下さい」
「む。計算は後でいい。それより先に依頼完了の報酬をくれ」
「今更なんですが、肩たたきですけど……」
「肩は凝ってない」
だと思いました。どう見てもそんな歳じゃないし。
「代わりに、肩たたき分の時間10分を俺にくれ」
「……どういう事でしょう?」
「あんたと少し話がしたい」
話がしたい?
―――まさかわざわざその為だけにこの依頼を受注したのだろうか? 話なんかここでもいくらでも出来ると思うけど……。
しかし、続いた男の子の言葉に私の目が点になった。
「出来れば二人きりで」
一瞬だけギルドの中がシーンとなって、
「ナンパかよ!?」
「おいおい、坊主。顔のわりに随分積極的だな」
「まあ、ギルドに咲く華だからなぁ」
「今日はこわいチビッ子も居ないから、絶好のチャンスって訳か」
「そういう事か。考えたな」
沈黙から一転、ギルドが大いに沸き立った。
「別にそんなつもりじゃ……。ああ、もう! なんでもいい。―――とにかく少し話がしたいんだ」
冒険者さん達から届くヤジにイラついた様な顔を見せて、男の子か再度私に迫った。
「いや、でも、あの……まだ仕事中ですし」
「依頼はこなしたぞ。報酬なんだろ?」
「そうなんですけど……」
困った私が、助けを求めて後ろにいるアイさんへと顔を向けると、ニヤニヤするアイさんと目が合った。
アイさんは私と目が合うと、チラリと壁の時計に目をやって、
「あと少ししたら昼だから、それまで待って頂戴。昼休みなら10分と言わず昼休みが終わるまででも構わないわよ」
「アイさん!」
「良いじゃない、たまには。ランチでも食べながらゆっくりお喋りしてきなさいよ」
アイさんがウインク混じりにそう言った。
―――あ、駄目だ。
この人、他人のその手の話を当事者以上に盛り上げ様とするタイプの人だ。
まあ、そもそも自業自得だったりするので強くも言えない。
冒険者さんに少しでもやる気を出して貰おうと、レンフィールドさんと相談の上で作成した依頼であったが、何か妙な方向にシフトしつつあると思わずにはいられない。
報酬の肩たたきはレンフィールドさんは絶賛してくれたのに……。
「分かった。それで良い。少しここで待たせてもらうぞ?」
「オッケーオッケー」
アイさんが指で丸を作って、ニコヤカに返す。
「えぇ!? ―――えぇ!?」
困惑する私などほったらかしに話が進んでいく。
男の子は本当に私を待つつもりらしく、ギルドの中の空いた椅子へと腰かけて『待ち』の体勢に入り、愉快そうにした冒険者さん達にあっという間に囲まれた。
暇人さん達は面白そうなネタがあればすぐに食い付く。
肩たたきには食い付かないくせに。
私は混乱しつつも、仕事をしなければと、お預けになっていた薬草の買い取り査定を始めたが、正直、仕事どころではなかった。
恥ずかしながら、そんなお誘いの経験など生まれて初めてだったのです。
☆
「俺は今日この街来たばかりで詳しくない。場所はあんたに任せる」
昼休み。
冒険者さん達の冷やかしの声を背中で聞きながらギルドを出ると、私の後に続いてギルドを出た男の子がそう言った。
「……はあ」
「出来れば邪魔の入らない場所がいい」
はい、と思わず言いかけて、流石にそれは不味いだろうと思い止まる。さっき初めて会ったばかりの人と人気の無いところで二人きりなど、純情可憐な乙女の危機にでも陥ったら大変である。
どう返事を返そうかと迷っていると、男の子は少し怪訝な顔をした後、突然と顔を真っ赤にした。
「ち、違うぞ! やましい事は何も無いぞ! ただ話がしたいってだけだ!」
「……はい」
まあ、私は強いので(自惚れ)、万が一の事態になったら全力で逃げれば良い。なんなら、シドさんから貰った護身用のナイフで刺しても良い。たぶん許される。
静かなところと、何処が良いか少し迷って、「じゃあ海岸の方にでも行きますか?」と提案した。
「それで良い。―――飯は良いのか?」
「え? ――――あー、あんまりお腹空いてなくて」
嘘では無い。正直、緊張で食欲など何処かに吹き飛んでしまった。
「それなら良いが……良ければ俺のを少し分けてやる」
意外な言葉であったが、まさか睡眠薬入りなんて事は無いだろうか?
そんな警戒をしつつも、海岸に向かって歩き始めた。ここからだと20分位かかるが、人の目を気にするならば文句も出ないんじゃないかと思う。
「歩いて行くのか?」
私が歩き始めてすぐ、後ろから男の子が届いた。
「そうですけど」
流石に海岸は遠いとでも思ったのだろうか。文句は無いだろうと思ったそばから文句である。
「箒は?」
「箒? ―――ああ、あれは……まあ」
私の箒を知っているという事は、昨日、或いは今日の通勤を見られていたらしい。
何故かひっくり返る箒による飛行。
見られていたと気付いた途端、急に羞恥が襲って来た。
街の人からもおかしな目で見られていたが、そちらはあんまり気にならなかったのに、何故か急に恥ずかしくなってきた。
「あれはまだ練習中で、あんまり上手く飛べないんですよね」
「ひっくり返ってたしな」
「え、ええ、まあ」
恥ずかしい。トテトテさんの「止めた方がいい」という忠告が1日遅れで身に染みてきた。
恥ずかしいのを誤魔化そうと、「そんなに遠くないですから」と告げて、再び歩き始める。
五、六歩歩いたところで、
「乗れ」
と、また背中に男の子からの声。
振り返ると、男の子がいつの間にか手に箒を握って立っていた。
「あっ、箒」
思わず口から出た。
男の子は構わず、箒に股がると、そのままスイーと地面に膝がつくかどうかという低空飛行で私の隣まで飛んで来た。
「あの……」
「乗れ」
二度目になる促し。
ちょっとドキマギしつつ、男の子の後ろ、箒の柄の空いたスペースに控えめに横乗りで座る。自分の箒に乗った時は、自転車よろしく、箒に股がって縦乗りだが、あれは痛いのだ。何処とは言わないけれど……。
横乗りしてみたものの、何処を掴めば良いのか迷い、迷った挙げ句、男の子の服の裾を申し訳程度にちょこんと指で摘まんで掴まった。
なんだこれ。
凄く恥ずかしい。
「じゃ、じゃあ行くぞ」
男の子が告げると、箒はゆっくりと上昇しながら前へと進み始めた。
「凄い。全然ひっくり返らない」
素直に感想を口にした。
私が乗ると必ずひっくり返って宙ぶらりんになるのに、全然そんな気配がない。思ったよりもお尻も痛くない。
「箒はどうしても重心が上に来るから、そのままだとあんたみたいにひっくり返る。だから、箒を浮かす以外に魔法で重心を固定してやらないと上手くは飛べないんだ」
今日会った中で一番長い男の子の言葉。
「そうなんだ」
と言う事は、私が自分で箒に乗るには、もう1つ箒に魔法を組み込みないといけないのか。近い内にシドさんに相談してみよう。
建物が並ぶランドールの街を眼下に見下ろしながら、遅過ぎず速過ぎず、一定の高さを一定のスピードで進む箒の上で受ける風は、思った程に強くない。
それは多分、私の前に男の子の背中があるから。
その背中に、何故か小さい時に飽きる位に見たパパの背中が頭に浮かんだ。幼稚園の送り迎えに二人で乗る自転車。
あの頃はまだ私は小さかったから、パパの背中が大きくて、風なんかちっとも届かなくて―――今、風が少し当たるのはきっと私が大きくなったからで、別に男の子の体が小さい訳じゃない。
同じ年頃の男の子の後ろにいる自分が、少しだけ不思議な気がした。
自転車じゃなくて、箒に二人乗り。
何だかまた恥ずかしくなってきた。無言が続くせいか余計に。
「なあ」
「はひっ!?」
急に話し掛けられて、ただの返事で噛んだ。
「なんで箒なんだ?」
男の子は正面を向いたまま、そう尋ねてきた。
少し考えて、
「なんでっていうか……。常識?」
魔法使いは箒で飛ぶものだと私は思っている。ミキサンみたいに何も無しに飛ぶのが手っ取り早いのだろうが、箒で飛ぶ方がカッコいいのです。形式美。ひっくり返らなけば……。
「この世界で箒で飛ぶなんて常識はない。たぶん、あんたと俺だけだ」
「だと思ってた」
ランドールにも魔法使いはいるが、箒で飛んでる人なんて見た事ない。
男の子は前を向きながら、「なあ」とおもむろに声を掛けてきた。ヘラヘラ笑う私と違い、さっきの「人気のないところで二人きり云々」を除けば男の子は終始仏頂面で口調も無愛想なモノだった。クラスにこういう男子が1人はいた。
「あんた―――異世界から来たのか?」
男の子の言葉に危うく箒から落ちかけた。




