ランドール邸
宙吊りのシンジュが街の話題を一人占めした日の夜の事。
丘の上、空に浮かぶ十四夜月を背負って立つ屋敷があった。
ランドールを束ねるランドール家の邸宅である。
その一角、齢19になるランドール家当主、シスネ・ランドールの自室には、使用者であるシスネ唯一人だけが部屋の中にいた。
そんな部屋の中から、誰かを相手に話すシスネの声。
「分かりました。許可します。ですが、こちらの者も一人付けます。それで構いませんね?」
『勿論構いません。―――では、また何かあればご連絡します』
そう残し、シスネが愛用する机の上に置かれた水晶玉は、ゆっくりと光を失った。
シスネは一度小さく息をつくと、手元にあった小さな鈴を指で弾いた。
鈴はリンと小さく嘶き、同時にポゥと僅かに光が点った。
しばらくシスネがそのまま待っていると、部屋の扉を叩く音と、「カナリアですわぁ」と少し間延びした声が届く。
「入ってください」
「失礼いたしますわぁ」
扉を開けて入って来たのは、奇抜なメイド服に身を包んだランドール家のハウスキーパー・カナリアであった。
カナリアは扉をしっかり閉めた後、机を挟んだシスネの正面まで歩み出た。
「先ほど、レンフィールドから連絡がありました」
「デートのお誘いですかぁ?」
「違います。抜き打ちで王国からランドールギルドの視察が入るそうです」
カナリアの冗談をバッサリと切り捨ててシスネが言う。
一方のカナリアも特に気にした様子もなく、すぐに真面目な顔を作った。
「視察ぅ? いつですのぉ?」
「明日です。朝一番にと」
「随分急ですねぇ。まあ抜き打ちですから当然でしょうかぁ? ―――それでなんと?」
「許可を出しました。いまは変に波風を立てるのは避けておきたいところですから」
「妙な勘繰りは避けておきたいところですものね」
「魔王については、冒険者を含めたランドール全ての者に箝口令を敷いていますから、魔王も含め、加護の事は、まだ王国にハッキリと悟られてはいないと思いますが―――」
「ギルドの者をあまり信用なさるのはどうかと―――。レンフィールドがこっそりと上に報告した可能性も無いとは言えないのではありませんかぁ?」
「前にも言いましたが、それはレンフィールド自身の首を絞める行為です。彼とてランドールの生まれ。ランドールに火の手が及ぶ様な真似は避けたいでしょう」
そこで一度言葉を区切り、シスネは机の上の水晶玉を一瞥した。
それから、「ただ、」と話を再開させる。
「モンスター襲来時、ギルド間で救援の呼び掛けがありましたからね。そこから何かしらの噂くらいは立っているかもしれません」
「噂の真意を確かめる口実の視察、ですか?」
「その可能性はあります。それで、こちらからも視察に一名同行させるとレンフィールドの許可は取ってあります。あなたの方で適当な者を見繕っておいてください。むやみやたらと街を動き回られても困ります。ギルドの視察に街をうろちょろと見廻る理由はありませんから」
「畏まりましたぁ。―――あの二人はどうしますぅ? 何か理由をつけて、明日のギルドの仕事は休んで頂きますかぁ?」
「いえ、シンジュについては普段通りに。職員名簿は既にギルド本部の方に渡っているでしょうから、下手に隠しては余計な詮索をされかねません。彼女には普通にしておいて貰った方が逆に怪しまれないでしょう」
「普通にしていれば、どこにでもいる少女ですものねぇ」
「視察の件がレンフィールドから彼女に連絡が行くのは避けられないとして、こちらからは彼女に何も言わないで置いてくださいね。彼女はすぐ顔に出ます。あくまでも普通に、普段通りにしてもらってください。―――普通にです。間違っても『手足を縛られて箒で宙吊りになったまま街を闊歩する』なんて事態は避けください」
「シスネ様のお耳にも入りました? 彼女の奇行」
手のひらを口元に当ててカナリアがクスクスと笑う。
されど、シスネの表情は一切変わらなかった。
「フォルテが楽しそうに話してくれました」
「ほんとに話題の尽きない方です」
「何故かフォルテが、彼女の事を随分気にいってしまったようです。ちょくちょくギルドに行っては、彼女と話をするのが最近の楽しみだとか」
「年の近い友人が出来た事は喜ばしい事ですわ」
「それに異議はありませんが―――」
シスネは、一度ため息で言葉を止めてから続きを口にした。
「最初に、様子見の為にと彼女がギルド側に身を置く事をヨシとしたのが失敗ですね。フォルテがギルドに入り浸る事までは予想出来ませんでした」
「フォルテ様なら心配ありませんわ。隠れてカラスも付いておりますし……。なにより、魔王すらも圧倒し、配下とする心強い友人がおりますもの」
「だと良いのですが……。ここのところ、ランドールに入ろうとするネズミが増えて来ています。カラスには十分に目を光らせる様に言っておいてください」
「一匹、逃げ足の早いしつこいのがいた様ですが、そちらの件は滞りなく。手配書も回しておりますので―――ただ、」
「ただ、なんです?」
「フォルテ様が『燃えてきたな』、と」
そう言葉を吐き出したカナリアが小さく苦笑いを浮かべる。
「ネズミを捕まえるのはカラスの仕事です。フォルテには、そう私から言って聞かせておきます」
鉄仮面の中に、ほんの少しだけ心配の色を加えた表情でシスネが呟くようにため息混じりに吐き出した。
カナリアは、実は妹が心配で仕方ない姉・シスネの「心配だから行くな」とは言えない無器用さと、そんな姉の心など知らず、ネズミ退治で姉の役に立とうと意気込む妹・フォルテを思い心の中で苦笑いする。
どんなに仲が良くても、性格を知り尽くしていても、口に出さねば分からない事もある。
もう少し、互いの気持ちを―――シスネには、姉の役に立ちたいというフォルテの気持ちが。フォルテには、妹の事が心配で仕方ないというシスネの気持ちが。それがほんの少しでも理解しあえたなら、そんな気苦労も少なくなると思うのだが……。
鉄仮面とまで比喩されるほど、シスネは自分の感情や想いを表に出す事を極端に避ける。
フォルテはフォルテで、姉には自分の良いところだけを見せようとする。それが奇妙な空回りを生む。
「なんです?」
「―――いいえぇ。魔王についてはいかがします?」
「駄目元で、明日は1日、自宅で大人しくしているように頼んでみましょう」
「難しいと思いますわぁ。アレは主君にべったりですもの」
カナリアは数度首を振ったあと、はたと何かを思い出した様子で「べったりといえば」と顎に指を当てた。
「べったりといえば?」
「魔王以上に問題がありそうなのがいましたわ」
「魔王以上に? この街にですか?」
「シスネ様はあまり屋敷の外にお出にならないので、お気付きにはならなかったかと思いますが―――いま、街のあちこちにスライムが住み着いておりますわぁ」
カナリアに言われて思い当たった様で、シスネが「あぁ」と溢す。
「そうでしたね。失念していました。確かにそちらをどう誤魔化すかの方が問題かもしれませんね」
「これまでにかなりの数を街の外へと放り出しましたが、一向に居なくなる気配がありません。一体何処から沸いて来ているのかもまだ分かっていませんわぁ」
「あのスライムだけはいまだに何ひとつ分かっていませんね。何故、人を襲わなくなったのか、ランドールを救う手助けをしたのか、街に住み着く様になったのか」
「やはりスライムも彼女に何か関係あるのですかねぇ?」
「……失念していて聞くチャンスを逃していました。まさかそれだけを尋ねに私が会いに行くのも変でしょうしね」
「そぉですかぁ?」
「用事も無いのに会いに行くのは変でしょう?」
そう言った自分の言葉に、顎に手を当てたカナリアが「ん~」と何かを考え込んでしまう。それで、自分が何か置かしな事を言ったかと、シスネは無表情のまま僅かな疑問を覚えた。
カナリアは少しの間考え込んだ後、「あ~」と両手を叩いてみせた。妙に楽しそうに。
「でしたら、フォルテ様の付き添いという事でシスネ様も彼女に会いに行ってはどうですぅ? ギルドで無くとも、彼女の自宅ならば構いませんでしょう?」
「なら、フォルテに頼んで彼女をこちらに招きましょう。その方が」「いいえぇ」
「はい?」言葉を遮ってきたカナリアに、シスネが怪訝な声をあげる。
「招いては意味がありません。シスネ様が相手方に行く、か、ら、意味があるのですわぁ」
「そうなのですか?」
「そうなのですわぁ」
「何故です?」
「何故でもですわぁ」
にっこりと満面の笑みを浮かべて、そうだと断言するカナリアに、シスネはそれ以上の追及を早々に諦め、「考えておきます」とだけ返した。
☆
「見たか今の?」
「ええ……。何か悪戯でもしたのかしら? 両手両足縛られて宙吊りなんて、ちょっとやり過ぎな気もするけど」
満月を今日に控えた朝。
今日の朝一番に、鳳凰石を求めてやって来たランドールの中で人目を避ける様に建物の作る脇道を歩いていたヒロと、そんなヒロが被るとんがり帽子に隠れて周囲をこっそり眺めていたハロの二人の姿があった。
二人が今見た物は、大通りの中、人々の注目を集めながら箒に宙吊りになって進む一人の少女の姿であった。
「違う。そこじゃない」
「え?」
「箒だ箒」
「箒? ―――あ、言わてみれば見覚えあるわねあの箒の先端。あれって虹色冠羽よね?」
「え? そうなの?」
「え?」
「え?」
まるで噛み合わない会話に二人で怪訝に声を出し合う。
「違うの?」と、ハロ。
「そうだな……。言われてみれば虹色冠羽っぽかったな」
「箒って言うから、私はてっきりその事を言ってるのかと」
「いや、俺が言ったのは箒で空を飛んでるってとこだ」
「ああ……。ヒロ以外にも居たのね。箒で飛ぶ人。前に、『箒で飛ぶなんて常識だろ?』なんてヒロが言うから危うく信じるとこだったわよ」
「常識なんだよ……。あっちじゃ」
「あっち?」と、ハロが首を傾げる。
「……気になるな。―――ちょっと追い掛けてみよう」
「良いけど……、鳳凰石探しはいーの?」
「領主が持ってるんだろ? 場所は大体分かってるんだし、それは後回しだ」
ヒロはそういうと、建物の脇道から大通りへ。
そうして、箒で飛んでいた少女の後を追い掛け始めた。
しばらく、付かず離れずで少女を追っていた二人。
少女を追いながら、ハロが周囲の様子をちらちらと見やりつつ口を開く。
「それにしても変わった街よね」
「そうだな……。そこら中にスライムがいる」
「危険じゃないのかしら? いくらスライムといっても無害って訳でも無いでしょうに」
「悪魔の末裔が支配する街、だっけ? 案外、それの影響なんじゃないか?」
「悪魔がモンスターを使役してるのかもって事?」
「ああ」
「かもしれないわね。―――今のとこ、スライム以外のモンスターは見えないけど、油断せずに行きましょ」
「そうだな。―――っと」
少女が突然止まった。ヒロも合わせて足を止め、遠巻きに少女を観察する。
どうやら誰かに呼び止められたらしい。黒い服を着た女性が、小走り気味に箒の少女へと近付いていった。
距離があった為、ヒロはその二人の会話までを聞く事は出来なかったが、女性が何か少女に注意をしているらしく、少女は宙吊りのまま少し申し訳なさそうな顔をしている様にヒロには見えた。
少女と女性は何かを話した後、女性が懐から取り出したナイフで、少女を縛っていたロープを切った。
そうして、自由になった少女と女性は短いやり取りののち、別れた。
「なんだったのかしら?」
とんがり帽子の中からハロが問う。
「さあな」と、短いヒロの返答。
そうして、ヒロ達は、宙吊りを止めて徒歩での移動へと移った少女の尾行を再開させた。




