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主従の時間

 いつもよりも少し早い時間で静けさに包まれた屋敷の中。

 窓から見える庭は暗く、されど周囲が見えないという程でもなく妙に明るい。

 ふと上げた視線の中には、ほぼ丸くなった十三夜月がポカリと空に浮かんでいた。満月まではあと2日程。


「もう寝ましたの?」


 夜目が利くのをいいことに、明かりも点けずにリビングの窓際で読書に耽っていたミキサンは、家事を終え屋根裏へと戻ろうとしていたトテトテに、そう声をかけた。


「へい。あっしの子守唄(睡眠魔法)でついさっき寝たとこでさぁ」


「そう。―――ではわたくしも」


 読みかけの分厚い本をパタンと閉じ、身長のせいで足の届かない椅子から飛び降りる様にして立ち上がる。


「おやすみなせぇませ」


「おやすみ、トテトテ」


 トテトテとおやすみの挨拶を交わした後、リビングから離れて静かに寝室のある二階へと向かう。

 階段を登ってすぐの部屋にある寝室は、シンジュの自室兼二人の寝室となっている。


 屋敷の外ではシンジュの傍にべったりのミキサンであるが、屋敷の中まではその限りではない。

 以前寝泊まりしてギルドの建物にある小さな部屋にいた頃は、四六時中常に一緒だったが、流石にシンジュもお年頃。ある程度のプライベートは必要だろうと屋敷に越してからは個室を設けたのだが、寝室が一緒なのは変わらない。


 シンジュが寝る時は一緒が良い、と言ったのでミキサンは特に反対するでもなくそれを受け入れた。

 ミキサンを抱き枕にして寝るのがシンジュのお気に入りらしく、ミキサンの方もそれを嫌だとは思っていない。

 まあ、ちょっと……寝相が悪いのは頂けないと思ってはいるが。


 シンジュもトテトテも個室と呼べるものを持っているが、ミキサンは特に必要性も感じず、普段はもっぱらリビングで読書に勤しんでいた。

 この屋敷の中には、以前住んでいたランドール家の者が残していった本が大量に置かれた書斎があり、暇を潰すには不自由しなかった。


 屋敷はかなり広く、使っていない部屋の方が圧倒的に多い。屋根裏に篭りがちなトテトテを除いた二人で住むにはあきらかにオーバースペック。


 けれどまあ、我が主が住むならばもっと広くても良い、とミキサンは思っていた。部屋を使う使わないではなく、重要なのは威厳であるとミキサンは考える。

 理想とするなら、こんな屋敷ではなく城でも良いくらいだ。



 ミキサンが寝室に入ると、眠るシンジュの小さな寝息だけが広がる空間であった。

 ミキサンは物音を立てない様に気を使ってシンジュの側―――キングサイズの特大ベッドの端にちょこんと腰かけた。


 ミキサンは一度、こちら側に顔を向けて眠るシンジュの顔をいとおしそうに眺めてから、控えめな小さな音量で囁く様に言葉を紡いだ。


「ご存知かも知れませんが、明日の朝一番に、箒を使った空を飛ぶ練習を致します。補助はわたくしが。責任をもって御身に怪我の無いよう努めます」


 そこで一旦言葉を止めて、シンジュから視線を外す。

 そうして今度は部屋の入り口、扉のすぐ横の壁に立て掛けられている真新しい箒へと目をやった。


「魔具というのは、予め魔力を注入して使う物だというのはご存知かと思いますが、何事にも相性というものがございます。ただ魔具を使うだけならば誰の魔力でも―――わたくしやトテトテの魔力を注入しても構いませんが、空を飛ぶといった精密な動作を期待する魔具には、その相性というものが重要になってきます」


 ミキサンは箒から目を外し、暗い部屋の天井をぼんやり眺めて続けた。


「安全も含め、精密な動作を期待されるならば、お手を患わせて申し訳なく思いますが、魔具への魔力の注入をお願いしたく存じます。自身の魔力ならば操作に然程の反発もなく、スムーズな練習になるかと具申致します。―――ご検討を」


 言い終わると、ミキサンはしばらくそのまま目を瞑り―――待った。


 何を?

 と、聞かれてもミキサンには正確に答えようもない。

 分かっているのは、それが我が主だという事のみ。深く詮索するなど畏れ多い。


 しばらく待って――背後のシンジュに変化が起こった事にすぐ気付いた。


「おはようございます、我が君」


「おはよう――で、良いのかな? 深夜だけど」


 軽い調子の返事に、ミキサンはホッと胸を撫で下ろした。

 それから座っていたベッドの端から降りて、壁に立て掛けられてた箒まで歩み寄ると、それを両手にしっかりと握り、シンジュの元へ。


「ありがとう」


 まるで献上品でも贈る様な恭しいミキサンの仕草と態度に、小さく苦笑しながらも箒を受け取り礼を言う。


 あぐらをかいてベッドに座ったまま箒を足の上に乗せ、いい加減慣れてきた魔力の扱いに――でも、やっぱり非常識だよなぁと感想を抱きながら、ゆっくりと箒に魔力を込めていく。


「あまり多く入れすぎますとその分制御が難しくなります」


「あ、そうなんだ。――これくらい?」


「もう少し――それくらいで結構です」


 言われて、注入を止めて、それからふぅと小さく息を吐いた。


「ありがとうございます」


 礼を述べたミキサンが両手を差し出し、シンジュがその手に箒を預けた。

 ミキサンはそれを持ってまた入り口付近まで歩み、箒を大事そうに立て掛けた。


「いつもありがとう。ごめんね、ミキサンにばかり押し付けてしまって」


「いいえ。好きなだけ顎で使ってくださって結構です」


「いや……流石にそこまでは……。でも、ミキサンが居てくれてホントに助かってるよ」


「過分な評価を頂き恐縮でございます」


 背筋を伸ばし、規律然とした態度で言ったミキサンに「堅い堅い」とシンジュが笑う。


 ひとしきり笑った後、シンジュは「それじゃ、夜も遅いしこれくらいで」と告げる。


「あの!」


「ん?」


 憑依を解こうとしたシンジュに、慌てた様子でミキサンが声を掛けた。

 掛けたが、ミキサンはすぐに「しまった」といった表情を顔に浮かべて、シンジュと目が合うとあからさまに視線をそらした。


 ミキサンは特に何か用があって声を掛けたわけではなかった。

 ただなんとなく――もう行ってしまうのかと、そう思った。思ったらつい口から声が飛び出して、気付いたら引き留めてしまっていた。


 引き留めておいて、「用はありません」などとは口が裂けても言えず、


(なにか! ――なにか話題を!?)


 と、必死に頭を巡らせるミキサン。直視出来ず、露骨に視線をそらしたものの、自分をまじまじと見つめる主のいぶかしげな視線が突き刺さり、ミキサンの背中に嫌な汗が流れる。


 そんな風に、あからさまに動揺するミキサンを見てシンジュが小さく笑う。


 ミキサンは幼い子供の見た目に反し、ややゴスロリチックではあるものの、いつもきちりと服を着こなし、服装を除けば髪止め、リボンなどといった飾り気などは一切無い。いつも自信に満ちた表情と、その気品に溢れる立ち振舞いは淑女の見本とも称すべき()()であった。


 子供。――そう、子供だ。

 誰がどう見ても小さな子供に見えるだろう。


 シンジュは、自身の座るベッドの横をポンポンと軽く叩いて、こちらに来る様ミキサンに促した。


「はい? ――あ、いいえ! こちらで問題ありま――へ? わっ」


 畏まるミキサンに埒外が明かないと、シンジュはミキサンの小さな体を脇下で軽々と持ち上げ、先程示したベッドの上――に降ろしかけて、考え直して、ミキサンをあぐらをかいて座る自身の膝の上に乗せた。


「あ"、あ"の"」


 膝の上。緊張のせいか声の裏返るミキサン。


「堅いからね、君は。まあそういう風になるスキルを使ったんだから仕方ないのかも知れないけど、もう少しフレンドリーで構わないよ。疲れるだろう? そういうの……。お互いに」


 だいたい子供らしくないんだよ、と笑って言ってミキサンの頭をくしゃりと撫でた。

 細い絹の様な金色の髪の感触に気を良くして、二、三度手の平でミキサンの髪を遊ばせて楽しむ。幼い子供特有の匂いが広がって、それでシンジュが昔を懐かしむ様な目をする。


 しばらくそうやってから、シンジュはガチガチに緊張するミキサンに気付いて、「ごめんごめん。ちょっと遠慮がなさすぎた」と謝った。


「い、いえ! こんなものでよおひ(噛んだ)ければ、お好きなだけお撫でください! 引っこ抜いてしまっても構いません! はい!」


「いや……。引っこ抜きはしないけど……。――ただ、あんまりちゃんと話した事無かったから、折角だし、親睦を深めようかと思って」


「お、お邪魔でなければ喜んで主の話し相手を務めさせて頂きたく」


「堅い堅い」


 そう言ってシンジュはまた笑った。





「おはよ~」


 寝ぼけ眼で目を擦りながらリビングに降りて来たシンジュが、既に起きていた二人に向けて朝の挨拶を交わす。


「おはようございます」


「おはようございます。朝ご飯、もう少しお待ちくだせぇ」


「は~い」


 トテトテに軽く返して、待っている間に顔を洗ってしまおうと、シンジュがリビングを通り抜ける。

 丁度、テーブルの前に差し掛かった時、ふとミキサンの顔が目について、「ん?」と何かに気付いたらしいシンジュがミキサンに声を掛けた。


「ミキサン、何か良い夢でも見たの?」


「……いいえ? 何故ですの?」


「なんか――そんな顔してるから」


「……寝ぼけているからそう見えるのではなくて?」


「そうかな? ――そうかも。顔洗ってこよ」


 シンジュはそう言うと、何の疑問も持たずにリビングから離れた。

 誰にも見られない様に顔を伏せ、自分では気付くぬ内に緩んでしまっていたらしい頬をクニクニと揉むミキサンには気付かぬまま。






「何故ひっくり返りますの?」


「そんな事言われたって私にも分かんないよ~」


 呆れた様なミキサンの声と、僅かに泣きの入ったシンジュの声が朝の陽光に照らされる庭に響く。


「あっしが思うに、重心が高過ぎるんでは?」


「重心? それってどうやったら低く出来るの?」


「さあ……、あっしには何とも……」


 ひっくり返ったままそんなやり取りを続ける。



 いつもより早い朝食を食べ終え、ランドールの始まりを告げる鐘がなるまでの時間、意気揚々と箒で空を飛ぶ練習を始めたシンジュであったが、思いの外、悪戦苦闘を強いられていた。


 箒への魔力の補充は昨夜の内に済ませていた為、触れて念じれば魔法を使えないシンジュでも箒は何の問題もなく宙にプカリと浮かびあげる事が出来た。


「もう一回! ――重心を低くだよね? 重心……重心……」


 リトライだと意気込んだシンジュが箒へと股がり、柄をしっかりと握ると箒は徐々に地面から離れ始めた。

 足がゆっくりと持ち上がっていき、平立ちから爪先立ちへ――そうして、完全に地面から足が離れたか否かというところで――


「イタタタタタッ! 痛い痛い! 食い込む!」


「はしたないですわよ」


「だってぇ! 痛たたた!」


 朝から一人で喚くシンジュに、深~いタメ息をつくミキサン。

 そんなミキサンをよそに、シンジュは痛い痛いと喚きながらも、なんとか地面から1メートル程まで浮き上がり――そこで突然グルリと、箒を掴んだまま天地を逆さにひっくり返った。

 両の足で箒をがっしりと挟み込み、手もしっかりと握り離さない。鉄棒にでもぶら下がる様に箒に捕まり宙ぶらりん。


「だからなんでひっくり返るの!?」


 地面に向けて黒髪をダラリと下げたシンジュが憤る。


「ですから重心が」


「だからその重心ってどうするの!?」


「いや、それはあっしにも」


「もーぅ! トテトテさん!」


「えー……。あっしのせいでやんすか?」


 トテトテさん! 重心が! と言い合う二人。


「はぁ~」


 そんな二人を何処か他人行儀で眺めて、ミキサンは今日の朝だけで何度目になるのかも分からない深~いタメ息をついた。


 ―――理想と現実とでも形容するのか、仕方ないと分かっていてもそのギャップ、落差に嘆息してしまう。同じ顔、同じ声。ミキサンはどうしても比べてしまう。


 丁度、そこでランドールの街に鐘が鳴る。

 響き渡るは、ランドールの日常の始まりを告げる高らかな鐘の音色。


「仕事の時間ですわよ」


「このまま行く」


「……まあ、あなたがそれで良いなら構いませんが……」


「それで外行くんでやんすか? ――止めた方が」


「意地でも行く! ミキサン、手が離れないようにして!」


「離れないようにと言われましても……」


「ロープならありやすよ?」


「それで良い。縛って」


「止めた方が……」


「縛って!」


 意固地になって箒で行くと言い張るシンジュに、このまま問答をしていて遅刻するのも不味かろうと、ミキサンはトテトテからロープを受け取り、言う通りにロープを使ってシンジュの手足を箒に固く結びつける。


「良いですわよ」


「ありがとう! じゃあトテトテさん、行ってきます!」


「いってらっしゃいでやんす」


 こうして、シンジュは箒に宙ぶらりんという奇怪な姿で職場であるギルド目指して家を出た。空飛ぶ箒の高度は地面から1メートルといった低空飛行。


 当然ながらギルドまでの道中、箒の上――もとい、下で宙ぶらりんになったシンジュは、道行く人々の視線を集め、十分程のその僅かな時間で、その日のランドールの話題をかっさらった。


 それ以外に特筆すべき事はなく、ランドールの1日はいつもと変わらず穏やかに過ぎていった。

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ミキサン
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素晴らしい考察が書かれた超ファンタジー(頭が)
考える我が輩
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