高原の一幕
「ちょっとちょっと~、本当に大丈夫なの?」
もうもうと空に向かって立ち昇る煙を遠目に視認しながら、ハロは自分の隣で愛用する魔法銃【アテナ】を掲げるヒロへと心配そうに尋ねた。
ヒロは、顔の前に展開していた直径10㎝程の超距離狙撃照準用の魔法陣を解除すると、少しだけ間を空け、それから「外した」とボソリと溢した。
「あら珍しい」
物珍しいことでもあったかの様にハロが呟くと、ヒロが小さく苦笑した。
ロックオンした相手に向けて半自動で放たれる魔力を材料とする光の弾丸。
弾丸はシンプルに分けて二種類あり、先程の様に当たると広範囲の爆発を起こす弾丸と、爆発こそしないものの貫通力に優れた弾丸である。どちらを使うかは状況によってヒロが決めるが、今回はどうやら前者を選択した様であった。
どちら共に、ヒロの使える遠距離攻撃としては、その威力も射程距離も群を抜いて高い必殺の一撃。
それを知っていたハロだからこそ、ヒロが外すのは非常に珍しいと思った。
「追うでしょ?」
眉を寄せてやや険しい顔を作るヒロにハロが尋ねた。
ただし、ハロとしては一応聞いてみた、くらいの認識であった。一年以上も一緒に旅をした仲であるハロは、ヒロの性格を良く知っている。だから、続くヒロの言葉も何となく予想は出来ていたのだ。
ヒロは直ぐには応えず、険しい顔をしたまま大沼蛙を呼び出すと、その腹の中へとアテナを無造作にしまった。
「……やめとこう」
「あら珍しい」
ヒロから返って来た言葉は、ハロの予想とは違ったものであった。
ハロが効率厨とヒロの事を評するように、ヒロは遠回りになる様な事を極力敬遠する性格をしている。
折角見つけた獲物を追わず、もう一度探すところからやり直しとも取れるやり方はあまりヒロらしくない。
らしくないと言えば――と、ハロはいまだ険しい表情で煙のあがる狙撃場所を見るヒロの横顔を注視した。
珍しく深刻そうなヒロを不思議に思ってハロが声を掛けようと口を開きかけた時、「なあ……」と、ヒロの方から口を開いた。
「どうかした?」
ヒロは少し言い渋る様にして答えた。
「魔王っていると思うか?」
「……魔王? 魔王って【真紅の悪夢】の事? ずっと昔に死んでると思うけど……。そうじゃなきゃ、誰もいない城を私達が勝手に根城にはしてないじゃん?」
「そいつがどんな奴か知ってるか?」
半年程前、偶然空で見つけた天空に浮かぶ城。
ハロと二人で旅に出て以降、ひと処に居住地を持たなかったヒロが気に入り、「誰も居ないから」という理由で住み始めたその城こそが、原初の魔王、真紅の悪夢の居城であった。
ヒロは元持ち主の事など興味も無いらしかったが、気になったハロが調べたところ、どうやらそうらしいという事が分かった。
元の持ち主が判明した際にハロは、悪夢の事について少しだけ調べていたので、魔王の容姿や人物像、何をした魔王だったのか等もある程度把握していた。
ハロは、「私が調べた限りになるけど」と前置きした上で続ける。
「原初の魔王にして、最初の悪魔。真紅の悪夢、金色の王、圧倒的破壊者、と呼び方も色々あるみたい。膨大な魔力の持ち主で、金色の髪と真っ赤な紅い瞳だった事から、そういう呼び方をされてたみたい。体はとっても大きかったみたいよ? ――ほら、城に普通の五倍はある大きさの玉座があるでしょ? あれじゃなきゃ座れないくらい大きかったのよきっと」
ハロの言う玉座とは、城の玉座の間に威風堂々と鎮座する豪華な椅子で、足先から背もたれの高さはゆうに3メートルを超え、その幅も、ヒロが四人は座れる程に広い。
ヒロはそれを頭に浮かべながら、逡巡する様な素振りを見せ、「なら違うのかな……」と呟いた。
そんなヒロにハロがややつまらなそうな顔をする。
「一人だけ分かってるような顔しちゃってさぁ。一体、魔王がどうしたってのよ?」
「……二人組の内、一人は人間だったみたいだけど、もう一人からは悪魔の気配がした」
「……マジ?」
「ああ……。それもかなりの奴だ。正確には分からないが、多分、いままであった奴の中では一番強いと思う」
かなり距離が離れていた為、スコープ代わりの照準魔法陣を展開していてもハッキリと顔までは見えなかったヒロだが、魔力の質、大きさなどを鑑みて、それを悪魔だと判断した。
それもかなりの実力を持つ悪魔。
膨大な魔力を持つヒロが限界まで広げた魔力探知を駆使し、相手の探知範囲の外から放つ超高速の弾丸。連発が出来ない代わりに、ロックオンした相手を半自動的に追尾し、撃ち抜く、一撃必中の攻撃である。
先程ヒロは、「外した」とハロに告げたが、それは正確ではない。
正確には「避けられた」というのが正しい。
放った直後、ヒロは確かに見た。
自分でさえ避ける自信などないその攻撃を、あれは避けたのだ。
相当強い。
常勝無敗を誇るヒロであったが、今回の相手はいままでとは格が違うかもしれない――と、背筋に冷たい何かが流れるのを感じた。
「それで魔王の話?」
「……ちょっと思っただけだ。――それより、一緒に居た人間の方も気になるな。何故悪魔と人間が一緒に居たんだと思う?」
「普通に考えたら召喚者よね?」
ヒロの顔色でも窺うようにハロが聞いた。
「やっぱりそうだよな」
「でも……」と、ハロが呟くと、「でも?」とヒロが復唱した。
「あの二人が向かってた先にあるのって辺境ランドールよね?」
「え? あ、ああ……」
「もしかしたらその悪魔、最近召喚されたんじゃなくて、元々ランドールに居た悪魔なのかも?」
人差し指を立て、どこかに根拠がある様な素振りで言うハロに「どういう意味だ?」とヒロが問う。
「そのまんまよ。辺境ランドールの事は知ってる?」
「……名前だけ。たまに教会の連中がそんな名前を出してた気が……」
いつだったかなんてハッキリと思い出せないヒロの朧気な記憶の中に、たしかそんな話をしていた者達を見た覚えがある。黒を基調とした修道服を着ている三人組だった。
「ほんと、ヒロって興味の無い事にはとことん興味示さないんだから」
やれやれといった様子で肩をすくめたハロに、ヒロはバツが悪そうに頬をかき、「悪かったな」と小さく溢した。
「いい? 辺境ランドールはね、悪魔が支配する街なの」
「……悪魔が?」
「そ。正確には悪魔の末裔って話だけど、私も話に聞いただけだからほんとのところは良く分かんないわ。おっかないから行きたいとも思わないし」
「まあ……。――でも、悪魔が支配する街って大丈夫なのか? 色々」
ハロの顔を覗き込んで尋ねた。
ハロは口元に軽く手を当てた後、やや逡巡してから答えた。
「支配するっていっても、一応は王国の一領地って事になってるからそこまで深刻な話じゃないと思うんだけど……。――まあ教会としては面白く無いわよねそんな街。そりゃ、愚痴のひとつも溢したくなるんじゃない?」
ちょっと可笑しそうに口の端をあげてハロが言う。
「そんな街があったのか……。しかも王国領に」
「ヒロは悪魔と何度も戦った事あるから、ちょっと違和感あるかもね。友好的って感じじゃないもんアイツら」
「そうだな」
『異界渡り』を求める旅の中で、何度か悪魔と遭遇した事がある二人。
悪魔というのは自然発生する事も無くはないのだが、如何せん条件が厳しいので自然発生よりも人の手によって故意に生み出される数の方が多く、それゆえ大抵が番人の様な感じで、施設、或いは貴重な魔具を守るという契約の元で存在しているらしかった。
下級の悪魔は、あまり意思疎通には向いていないのか、言っている事が支離滅裂というか抽象的で、生ある物を殺す事に罪悪感というもの感じていない様子であった。
中級、上級の悪魔ともなれば知恵もあるが、それでも人間をゴミの様に扱う感覚はそのままであった。
知恵や意思疎通の有無による多少の違いはあれど、神の、人の天敵という立場は下位の悪魔も上位の悪魔も変わらない。
ただ一点、下位と上位の悪魔の大きな違いを上げるならば、知恵の有無や魔力の大小ではなく、嗜好が大きな違いだろう。――そうヒロは思っている。
悪魔は、生まれながらに人間よりも大きな魔力を有しているのが特徴である。
それゆえ、冒険者であっても単独で悪魔相手に勝利出来る者となると、それなりの才を持つ者でないと同じ土俵に立つ事すらままならない。
そんなアドバンテージがあるせいか、上位の悪魔ほど、純粋な力と力のぶつかり合いよりも、人との知恵比べを好む傾向にある。
勿論知恵比べといっても単純に算学などをするわけではない。
言うなれば、『騙し合い』や『化かし合い』のようなものを好むのだ。
例をあげるならば、たとえば悪魔自身がその有り余る魔力を使いわざわざ作ったダンジョンを人に攻略させたり、有力者になりすましての直接的ではなく、間接的な勝負を仕掛けてきたりといった事である。
圧倒的な力でひねり潰すのではなく、人と悪魔が対等で戦える場を用意し、そこで戦略、あるいは策を張り巡らせるのである。
どうしてそんな面倒なことをするのか? と言われてもヒロには答えようもなかったが、何故か知恵比べをしたがるのだ。
もっとも、ヒロはそれに付き合う気など全くなく、破棄ボーナスで得た歴史上でも類をみない強大な魔力をもって、ダンジョンは悪魔ごと破壊し、なりすましは力づくで排除してきた。
それは、一生懸命考えて作ったクイズのかかれた問題用紙を、中身も読まずにビリビリと破り捨てる様な非道。ハロは悪魔側にちょっと同情したりした。
しかし、それがヒロ流。ハロが、ヒロの事を効率厨と呼ぶのはこういうところのせいであった。
「でね? あの悪魔が元々ランドールに住んでる悪魔だっていうんなら、その悪魔が人間を連れてる理由は、召喚者じゃなくて『生贄』なんじゃないかしら?」
やや緩い空気を引き締める様な口調を作ったハロが、少し言いにくそうに言葉を紡ぐ。
ハロの言葉にヒロが「生贄?」と小さく溢し、ハッとする。
「禁魔法か!?」
「うん。悪魔なんだし禁魔法を使ったって不思議は無いと思わない?」
「確かにな」
禁魔法は、生物を供物として捧げて行う儀式を経て行使する非人道的な魔法として王国では禁止されている。
人を人と思わず、王国の御触れを破る事など何とも思っていなさそうな悪魔達ならば、その可能性は十分にあるだろうとハロは考えた。
「どんな禁魔法を使うつもりか知らないけど、もしかしたら虹色冠羽もその儀式に必要なものなのかも」
「なるほど……。見えてきたな」
「でしょでしょ!? それにもうすぐ満月だもの。満月は魔力を活性化させる力を持つ。悪魔がそれに合わせて近い内に何らかの儀式が行われるとみて間違いないわよ」
「なら、助け――」
と、言いかけて、ひきつった顔をしたヒロが言葉を途中で止めた。
たちまちに青褪めるヒロ。
そんなヒロを見て、ハロは大きなため息をついてから、畳み掛ける様に言う。
「さっきの爆発で死んでなきゃいいけど」
ヒロの額から汗が噴き出す。
「考えなしにあんなもの撃つから」
責める様な口調のハロに、ヒロの顔が更に青くなった。
ハロのいうあんなものとは、先程ヒロが放った長距離からの高魔力高威力射撃弾丸である。
ヒロは一度ゴクリを唾をのんだ。
「と、とりあえず、確かめに行かね?」
青い顔をしたまま、いまだ煙の立ち昇る辺りを指さすヒロ。
そんなヒロを一瞥し、「やれやれ、ほんとしょうがないなぁ、ヒロは」と、どこか楽しそうな表情をしたハロが呟いた。




