虹色冠羽
ランドールの北にある山脈。
その山脈を越えた先に、地平線を描く広大なギアナ高原と呼ばれる土地がある。
その上空。
空へと昇っていく一台の馬車があった。
馬車と言ってもその箱には、本来いるはずの箱を引く馬の姿はない。
代わりに、箱に設けられた窓を開いて、眼下を見下ろす人物が二人。黒髪をした若い少女。整った顔立ちではあるが、普通の少女に見える。
その隣には、真っ赤に輝く瞳をもった小さな少女がくっついていて、同じようにして眼下を眺めていた。
「こんなものかしら?」
誰に言うでもなく、小さな少女が呟く。目も眩む程の高所にあって、少女は涼しい顔をしていた。
その少女の呟きと同時に、馬のいない馬車は上昇を止め、ピタリと空中で静止した。
止まった箱の中、その少女はパタリと窓を閉めた後、今度は窓の横に設けられていた扉を開いた。
途端に強く吹く冷たい風が二人の体を叩くが、気にした様子もなく、二人はまた眼下を眺めた。
二人の視界の先には、薄い雲と、それらの隙間から差し込む木々の深緑が映る。
「しっかりと捕まっていてくださいな」
普段と同じ調子で少女はそう告げると、首にぶら下げていたスチームパンク風のゴーグルで目を覆った。
「いつでも良いよ」
もう1人の少女はそう返事をかえすと、少女と同じようにゴーグルを装着した。
「いきますわ」
あまり緊張を含ませず、普段通りの声色で少女が合図した。
直後。
二人は体を外側へと傾け、頭を下に箱から落ちた。
それは上空3000メートルからの飛び降りであった。
☆
自由を求めた訳でもないけれど、大空へと羽ばたいたシンジュとミキサン。
二人は重力の赴くままにぐんぐんと速度を上げて落下、数秒後には自由落下速度の限界である時速250キロへと到達した。
落下から、十数秒のち。
懐に抱える物の変化を確認したミキサンは、魔力を解き放ち、緩やかに減速を始めた。
そのままゆっくりと減速していき、二人はやがてピタリと空中で静止した。
頭を下にして宙ぶらりんだった体を器用に回転させる。
シンジュを肩におぶさったまま、ミキサンはもう一度懐へと手を差し込み、抱えていた物を取り出した。
ゴーグルを額へと上げ、手の中のソレを見る。
「上手くいったみたいですわ」
肩にしがみついたままのシンジュが、ミキサンの握る物に目を向けたまま告げる。
「うん。ありがとう」
「お礼を言うのはまだ早いですわ」
そう言って、ミキサンは手の中で白く輝く【星屑のリンゴ】を眺めた。
特殊アイテム【星屑のリンゴ】。獲得難度S。
ギアナ高原で採取出来るギアナリンゴを、高原の上空から1000メートル落下させる事でギアナリンゴが変化し獲得出来るレアアイテムである。
食べる事も可能で、貴族などを中心に高値で取引されている。
このアイテム。リンゴを落下させる、というのが変化条件なので、実は二人が抱えてスカイダイビングをする必要はなかったりする。
しかしそれは、変化させるだけならば、という話。
魔法で空を飛べる者ならば、リンゴを落とすだけで簡単に星屑のリンゴを作り出す事は出来る。
だが、手に入れるとなると落とすだけでは手に入らない。
星屑のリンゴは大変に脆い果物である。
ゆえに、上空から落下した星屑は、地面に落ちると無数の星屑となって消えてしまう。(もっとも、星屑のリンゴに限らず、大抵の果物はそんな高度から落下すれば粉々に砕けるが――)
その為ミキサンは、完全な形の星屑のリンゴを手にするには、自分も一緒に落ちるのが一番手っ取り早いと判断した。
そうして、3000メートルからのスカイダイビングと相成ったのだ。
条件が1000メートルという事もあり、ミキサンは当初、後々の事も踏まえた上で余裕を見て2000メートルからの落下を選択したのだが、二人には、肝心の高度を知るすべがなかった。
そのせいで、適当に高度を上げていったら3000だった。というだけの話。気温も低いし、空気も薄いからこれくらいだろうという勘。
現に、今でも二人は、2000くらいから落ちた、という認識であった。
他に幾らでも方法はあったとは思うが、常識はずれの力を持つ二人らしいと言えば二人らしい。
ミキサンから渡された星屑のリンゴを手に、嬉しそうに目を細めるシンジュ。
そんな、ホクホク顔でリンゴを眺めるシンジュの横顔を見ながらミキサンは小さく笑った。子供みたいだと。
だが、笑ってばかりもいられない。ミキサンは気を引き締める。
何故なら、ここからが本番だからである。
空を飛べる魔法使いなら簡単に獲得出来る星屑のリンゴ。しかし、その獲得難度はS。上から二番目。
その理由。
「早速来ましたわよ」
ミキサンが目だけを動かして周囲を見ながら言う。
淡々と言うその口調から、あまり危機感は感じ取れない。
「ええ~……。大変だとは聞いてたけど、幾らなんでも多すぎない?」
顔をしかめたシンジュが愚痴る様に溢す。
シンジュとミキサンがいる場所から少し離れた高原の岩陰。その岩陰の隙間から、二人の周囲にとびっきり大きな翼を広げた巨鳥が群れをなして現れたのである。
【怪鷲・ロック鳥】危険度A。
名前の通り鷲に良く似た姿をしている巨大な鳥。広げた翼の全長は20メートルを越え、その鈎爪は岩をも砕き、家すら掴んで飛ぶ怪物である。
好物は、――星屑のリンゴ。
二人の目的は星屑のリンゴを手に入れる事でなかった。
星屑のリンゴを手に入れたその本当の目的は、好物である星屑のリンゴを餌にこうやってロック鳥をひとところに集める事にあったのだ。
入手自体はさほどに難しくない星屑のリンゴが、難易度Sに分類される理由はここにあった。
儀式によって星屑のリンゴを作り出した途端、その豊潤な甘いニオイに惹かれて、こうやって好物を狙うロック鳥達が我先にと集まってくるのである。
ロック鳥の危険度はA。それが群れとなって押し寄せてくる。
難易度Sは、群れで行動するというロック鳥の習性を踏まえた上でのランク付けであった。
「来るよ来るよ。でっかいのが!」
「分かっていますわ」
急き立てる様に促されてミキサンが頷く。
あまりの数にやや慌てるシンジュとは対照的に、何処か楽しそうなミキサン。
そんなやり取りをしている二人に、睨みを利かせたロック鳥の一羽が嘶き、翼をはためかせて襲いかかってきた。
「オーホッホッホッ! ノロマに捕まる程、わたくしは抜けていませんことよ!?」
ミキサンは笑いながら、浮かぶ自身の体に魔力を充実させる。
すると、ミキサンは襲いかかってきたロック鳥の体を滑る様にスルスルと動き、その攻撃を回避した。
「わっ、わっ!」
「あらあら」
攻撃こそ当たらなかったものの、その巨大な体が素早く動く事によって生み出された突風でシンジュが肩から飛ばされ、そんなシンジュの腕をミキサンが空中で掴まえ、落下を阻止する。
「ミキサン~!」
「失礼。ちょっとからかい過ぎましたわ」
言ってミキサンは、シンジュを元の位置――自身の背中へと背負い直した。モゾモゾとミキサンの肩を掴まえながら体勢を整えるシンジュ。
シンジュが動く度に、ミキサンは背中の辺りがムズムズと妙にこそばゆかった。
「こうゴチャゴチャしているとわかりませんわね」
次々と迫りくるロックの嘴と爪を、巧みな体捌きで掻い潜りながら、ミキサンが眼を細める。
今やロック鳥の数は百はくだらない塊となり、その巨体で周囲の空を覆いつくしていた。
「ま、自分達で呼んだんだけどね」
ミキサンの肩からちょこんと顔を出したシンジュが悪戯っぽく笑う。
「ふふ。まさかこんなに来るとは思っていませんでしたわ」
「ホントにね。 ―――さてさて、目的のやつはいるかな?」
二人はロック鳥から逃げ回りつつ、一体一体を注意深く観察していく。
しばらく二人が観察していると、「いた!」とシンジュが一点を指差した。
ミキサンが、シンジュの指差した方へと顔を向け、それを視界の中へ収める。
「虹色の羽……。間違いなさそうですわね」
星屑のリンゴを使い、危険なロック鳥の群れを呼び集めてまで二人が欲した物。
狩猟系アイテム【虹色冠羽】採取難度S。
怪鷲ロック鳥のハーレムのボスであるオスだけが持つ、頭部で淡く輝く虹色の冠。
それこそが二人の求めているアイテムであった。
ミキサンは、オスの姿を認めるのとほぼ同時に、自身の体に更に魔力を込めた。
そうして、ひしめくメスのロック鳥の猛攻を巧みに潜り抜け、オスを目指して宙を駆け抜けた。
「あ! アイツ風系の上級持ってるよ! 気を付けて!」
背中のシンジュが、ミキサンの肩を軽く叩いて注意を促した。
シンジュの神眼にて解析した結果、群れのボスは【王突風】という、風系上級魔法を習得している事が判明したからである。
「了解」
短く返事を返した後、ミキサンは額にあったスチールパンク風のゴーグルで目を覆った。
ミキサンの様子に、シンジュも自身のゴーグルをつける。
その間にもミキサンはシンジュを背中に担いだままスピードを落とす事なく、ボスへと突き進んでいた。
シンジュがゴーグルをつけ終えたのと同時、ボスが喉を僅かに上下させた。
そうして二人に向け、開けたボスの口から一直線に放たれたのは、渦を巻いた一本の風。上級魔法・王突風。
ミキサンは臆す事なく、放たれ渦を巻く突風へと突き進むと、直撃の手前、紙一重でソレを回避。そのまま渦に逆らう事なくぐるぐると突風の線を回りながら、オスの頭部を目指した。
そうしてミキサンは、一切のスピードを落とす事なくオスの頭部と交差。
完全に擦れ違う直前。
淡く輝き一本にまとまった虹色の冠羽を、シンジュが素早く右手に掴む。
「掴んだよ!」
シンジュが言うや、ミキサンは駆け抜けたスピードのままそれを強引に引き抜く為に空を走る。
プチリと、風の通り抜ける音に混ざって、微かに羽の抜ける音がした。
それはまさに、流れる様な早業であった。
「やった!」
弾んだシンジュの声が背後からミキサンの耳に届く。
「よござんす! このまま逃げますわよ!」
ミキサンは悪戯っぽく歯を見せて不敵に笑うと、更にスピードを上げて、その場から一目散に逃げ出した。
そうして二人はあっという間に見えなくなった。
その場には、大好物な餌の奪取に失敗したロック鳥達の残念そうな鳴き声が、ギアナ高原の空に響き渡るのであった。
「一旦帰るの?」
追ってくるロック鳥を振り切りギアナ高原を抜ける手前で、そのまま宙を走らせるミキサンにシンジュが尋ねた。
「いえ、このままシドの店に向かおうかと」
手に入れたばかりの虹色の羽を肩に担ぐシンジュにミキサンが返す。
ミキサンにとって疲れたという程の事はしていないので、このまま用件を済ませてしまうのが良かった。
三メートル近いその羽は、風に吹かれた御旗の様にパタパタとシンジュの背後を泳いでいた。
「楽しみだね~」
言葉通り、本当に楽しみで仕方ないと、長く続く空の向こうを目を細めて見渡しながらシンジュが笑顔を見せる。
「そうですわね」
そんなシンジュの様子に、思わずミキサンも釣られて笑顔になった。
そうして、短いやり取りを交わし、二人は期待に胸膨らませながら街を目指して進み続けた。




