悪魔とランドール
シスネとフォルテが合流を果たした後、シンジュ達はカナリア先導の元、ランドール家の屋敷の一角へと案内された。
そこは大きな来賓室で、大小様々な調度品が並べられた豪華絢爛な部屋であった。
豪華な部屋の、これまた豪華なテーブルを囲む椅子に座って、惚ける様にシンジュは部屋の中を見渡していた。
「ミキサン、頼むからここにあるもの壊さないでね。絶対」
価値など分からないが、どう考えても高いであろうソレらに目を配りながら、シンジュは隣に座るミキサンにそう告げた。
「心得ております。――アレなど、手頃な大きさですし、寝室に飾れば中々に映えるのではありませんか?」
名前までは不明であるが、ガラス製とおぼしき鳥のランプを指さしてミキサンが言った。
「うん。とりあえず持って帰る前提で話すのやめよっか。貰うから壊すなって意味で言ったんじゃないからね、俺」
「心得ました。所詮、鑑賞する以外に使い道もないゴミでありますものね」
「うん。ちょっと黙ろっか。物壊す前に空気壊すから、君」
朗らかな、されど目の据わった笑顔をミキサンに向け、それでミキサンは少し慌てて真っ直ぐ前に向き直り、居住いを正した。
そんな二人のやり取りを、シスネは対面に座って訝しげに見つめていた。
シスネが不思議だと思ったのは、二人を纏う空気であった。
シスネが二人に直に会ったのは今日が初めてである。
二人と会ったのはランドール家の息がかかった料理店――もっとも、ランドールにランドール家の息がかかっていないものなど、ギルドしか無いのだが――での二人の様子を見た限り、シスネは二人の関係を『気の会う友人』ないし『仲の良い上司と部下』の様な雰囲気だと感じた。
少なくとも、今の様に完全な主従関係の空気ではなかった。
シンジュは少し大人びた雰囲気になっている――
自身がランドール家だと知り、慌てふためきテーブルに頭までぶつけた様な緊張はほとんど見られない。何処か余裕がある。
シンジュについては、緊張しているかいないかの違いかと納得出来なくもない変化であったが、問題なのはその相手。魔王の方にある。
魔王の変化は劇的なものであった。
ミキサンのシンジュに対する態度、口調は、店で見せた様な『一応、相手を立てている』というものではなく、まるでカラスやハト達がシスネに向ける様な、明確に線引きされた主従の関係のソレであった。恐れ、敬い、崇拝する様な主君に対するもの。
明らかに店で見せたものとは異なる。
まるで別人にでもなったよう――。
「いや、どれも素晴らしいですよ、本当に。――芸術とか分かりませんけど」
後半は尻すぼみ気味に、言い訳めいた台詞をシンジュが口にした。
無表情でシンジュとミキサン、二人のやり取りを観察していたのシスネを、失礼な事を言って怒っていると取ったらしい。
「欲しければ好きなのを持っていって構いません」
「いや……、流石に貰えないけど……。そんな事より、今回の事を色々話して貰えると助かるんだけど……。実はあんまり良く分かってなくて」
シスネは一度無表情にシンジュを見て、少しの沈黙のあと、
「……それを説明する前にまず、―――ありがとう」
「はい……」
怪訝な顔をするシンジュ。
実はあんまり良く分かってなくて――と言う言葉通り、シンジュ――中のパパはそもそもを良く理解していない。だから、何故いま自分はお礼を言われたのかも分からず、素直に返事をしてシスネからの礼を受け取ったのも、なんとなくであった。
パパはシンジュの傍で一部始終を見ていた。
見ていたが、それだけで何が分かるというものでもなく、ただ分かっているのは『シスネがシンジュを操って、何かを企んでいた』という事。
――シンジュが自宅の庭で魔法によって眠らされた後は、娘の事をトテトテに任せ(それもちょっと不安だったりした。なんせトテトテは悪魔という以前に男であるので)、事の真意を確かめるべくミキサンにくっついて、ランドール家の庭へとやって来た。
と、まあそうやって不安を残しつつもやって来たそこで分かった事といえば、シスネが『女神の加護』を欲しがっている、という事と、シスネの使った魔法・理想郷がどういった物であり、それを打ち崩す為のミキサンからの策の説明であった。
あの時のミキサンは明らかに俺を意識して喋っていた。
自身の考えをシスネに語るかの様なポーズを取って、俺に向けて語っていた。
――この子、俺が見えてるんじゃ?
なんて事も思ったが、少なくともさっきまで、シンジュを含め一緒に過ごしている中で、ミキサンに俺が見えている様な素振りなど一度も無かった。
実は見えていて、それでも見えていないフリをしていたならば大した役者である。
と、同時に、誰にも見えていない事を良い事に俺が行ったあれやこれやがミキサンにはバレているという事でもある。
何をやったかは自分の名誉、自己保身の為に黙秘するけども……。
――穴があったら入りたい。
実は見えてましたと、いつミキサンが言い出さないか気が気ではない。全部自業自得なんだけど。
先ほど俺にたしなめられて真っ直ぐ前を向くミキサンの方をチラチラ見ていると、シスネの言葉が続いた。
「私は負ければ殺される事も覚悟していました」
「へっ? いやいや、殺さないでしょ、普通」
「普通……。――そうですね。私の考えは普通では無かったのかもしれません。私にはあなた方という人物が見えていなかった」
なるほど。わからん。
幽霊の俺が見えてないとかそういう話かな?
「私は、全ての悪魔はランドール家が滅ぼすべきだと考えています」
「……どうして?」
シスネは一瞬だけミキサンに目を配って、応える。
「悪魔がどの様に生まれたのか知っていますか?」
「え~っと、魔力と瘴気と、……あと負の感情、だっけ?」
「召喚に必要だという意味ならばそうです。瘴気を媒体に、負の感情に魔力を注ぎ、そうやって悪魔と呼ばれる物が生まれます」
「瘴気を媒体に、かぁ。――それって魔法みたいな感じだね」
魔法をかける対象があって、その対象となる肉に媒体となる心臓を与えて、魔力という血を流す。
時々の住み処や理想郷と原理は同じだと感じた。
「そう、魔法です。悪魔とはそういう魔法なのです」
「……どういう事?」
「数百年前になります。この地にランドールという小さな集落が生まれました。それと同時期に悪魔はこの世に初めて生を受けたと伝えられています。――それ以前の世界には魔法も、悪魔という存在もこの世界には無かった概念です」
「魔法や悪魔ってずっと昔からあるんじゃないの?」
「ありません。どちらも数百年前に生まれた物です」
「それはちょっと意外、かな? これだけファンタジーしてるし、神様とかが世界を創造した~、とかいう感じなのかと思ったけど」
「神はいます。当然ながら。でなければ世界を創った存在がいない事になりますから」
「…………さいですか」
知性的に見えるシスネからの「神はいる。当たり前でしょ?」と言わんばかりの台詞。
コペルニクス的転回。
神がいるなら魔法や悪魔だって最初からあるんじゃないのか? ちょっと分からない話。
俺の疑問が顔に出ていたのか、シスネがその事に深く触れてくる。
「神はいても、今言った様に魔法という物は世界には存在しませんでした。あったかもしれませんが、少なくとも人に扱える代物では無かったのです」
シスネはそこで少しだけ間を空ける。
「魔法を世界で最初に発現させたのは、我がランドール家の始祖に当たる人物です」
「えっ? ランドール家って凄い、よね?」
「凄い……と言えば凄いのでしょう。ですが、決して順風満帆では無かったと思います。それまで、――始祖が魔法を発現させるまで、ランドールに連なる一族は、他の人々から大変な迫害を受けていました。苛烈を極めたそうです」
「迫害……。それはまたどうしてそんな事に?」
「人とは違うからです」
「ん?」
「一目でそれと分かる特徴が、私にも――そこのフォルテにもあります」
「…………耳?」
シスネが深く頷く。
「そうです。ランドールの一族は『ただ耳が長い』というだけで、石を投げられ、汚い言葉と蔑みの目を、向けられ続けていました」
「……頭おかしいな、そいつら」
「……大多数はそうは思いませんでした。一族の容姿は、まるで悪魔の様に、人々の目に映ったのです」
「悪魔ねぇ……」
言って、トテトテと、ミキサンの顔を頭に思い浮かべる。
耳が横に長くて、尖っていて、真っ赤な瞳をしている――
――確かに。
そう言われると目の前にいるシスネは悪魔と全く同じ特徴を持っている。耳が長くて、瞳が赤い。
そう思ってから、ふと、
「あれ? でも悪魔って世界に居なかったんだろ? いない悪魔の特徴なんて普通知らないはずじゃないのか?」
シスネは少し間を空けてから応える。
「……宗教というものを?」
「あ~、うん。なんとなくは……」
あいにくと、大多数の日本人のご多分に漏れず、無宗教に近いけれど……。知っているかと聞かれれば知っている。
「ランドールの一族が迫害されていた当時、宗教というものを知る人はほとんど居ませんでした。簡単に言ってしまえば、宗教はその頃に基礎が出来上がった直後であり、広く知られる様になったきっかけこそが、ランドール一族の登場だったのです」
応えず、シスネの言葉に静かに耳を傾ける。
そこから聞かされたのは、ランドールの一族の迫害の歴史と、その容姿を宗教を広めるプロパガンダに利用された事、始祖による世界で初めての魔法の発現と、この地にたどり着くまでの苦難の話であった。
「ひっどい話だな」
シスネの語る話の内容とはえらく差のある浅い感想であったが、素直にそう思ったので正直に口にした。
「外の世界ではいまだ私達ランドール家を悪魔の末裔と呼びます。そして、その悪魔の末裔が支配するランドールを汚れた地であると……。そう考えるのが世界の普通です。あなたの様に、それがおかしいと声をあげる者は、頭のおかしな連中だと後ろ指を指されます」
「まあ……そういうものなのかなぁ……」
「……いない訳では無いのです。ですが、そんな事を言えば、今度は自分達の身に害が及ぶ。だから、そんな声はあがらない。あがるはずもない。黙殺されてしまいます。――それでも、声をあげ、異を唱える人々はいました。奇特な方々です。私達になんの義理も無いでしょう。自分達の首を締めるだけです。――ランドールは、そういった人々を受け入れ、そういった人々が集まって出来た街なのです」
「ああ、それで同じランドールでも街の人達の容姿はランドール家とは違うのか」
「そうです。数百年の歴史の中で、ランドールはそんな人々に支えられて繁栄してきました。彼らの支えなくしてランドール家は成り立ちません。だから、ランドール家は彼らの尊い選択に報いる義務があるのです」
「なるほど……。――でも、今の話と悪魔の誕生とがどう繋がるんだ?」
「……奇跡の日を境に、宗教の本山である教会は、ランドール一族というプロパガンダの為の道具を失いました。それは求心力の減退を意味します。そこで教会が取った方針は、『悪魔を自分達で作り出す』という事でした」
「悪魔を作る?」
「はい。教会は、始祖の魔法を研究し、儀式という魔法を獲得する為のすべを見つけ、試行錯誤を重ね、魔法によって悪魔という存在を作り出し、世界に定着させたのです」
「――はぁ? 神を崇めておいて悪魔を自分達で作ったって事か? 宣伝の為だけに?」
「その通りです。その教会の生み出した悪魔の容姿の元とされたのが」
「ランドール一族の見た目か……」
「そうです。だから、私達ランドール家と悪魔は似ているのです。悪魔が先ではなく、私達が先なのです。悪魔は私達を真似て魔法で作った存在に過ぎません。それもかなりの改悪のもとに」
シスネの言葉に、隣の身にミキサンにそれとなく横目を向けた。
ミキサンは、シスネの話に興味がないのか退屈そうにしていた。
この子は見た目に反して物事を良く知っている。たぶん、悪魔である自分がどういう成り立ちで生まれたのかも当然の様に知っているんだと思う。
魔法によって生み出された存在。
悪魔の生まれる条件などは、以前ミキサンの事を神眼を通して見たので知識としては知っていた。
知っていたが、改めてその事を考えて――
それは一体どういう気持ちなんだろうか……。
真っ直ぐ前を見ていたミキサンの頬をプニッと指で軽くつついてみた。
「如何されました?」
頬に指を埋めたまま、特に表情も変えずにミキサンが尋ねた。
「……柔らかそうだなって」
そう――柔らかい。
柔らかいし温かい。
血の通う生き物の温もりを確かに感じる事が出来る。
そんな風に思いながらプニプニとミキサンの頬をもてあそんでいると、
「わたくしの事を気にかけてくださるその深きお心には感謝します。――ですが、深刻に考える必要などありません。わたくしは、ここに――夢でも幻でもなく、確かにここにおります。あなた様のお側に」
頬から指を離すとミキサンがこちらへと顔を向けた。ミキサンの目を見る。ルビーの様に輝く真っ赤な瞳。見ていると吸い込まれそうになる綺麗な赤。
「そうだね……」微笑む。
「悪魔もモンスターも本質は同じ。ただ人よりも後で世界に生まれた。それだけですわ」
言って、ミキサンはまた真っ直ぐ前を向いた。
その横顔を眺めて、小さく嘆息をついてから、あれ?と思う。
「モンスターも?」
そう疑問を口にする。
ミキサンは何も答えなかった。
代わりにと、シスネへと顔を向けると、シスネは「詳しくはありませんが……」と、前置きした上で話す。
「魔法が世界に現れる前、悪魔同様、モンスターも世界にはいなかったと伝えられています。――ただ、モンスターがどういう経緯をもって世界に存在する様になったかまでは私も知りません。悪魔と同じく教会に作られたのかそうでないのか……。ランドール家にはそういった記録は残されていませんが、ランドールに直接は関係なくとも、間接的に何らかの繋がりはあるのかもしれませんね」
そこまで言って、シスネはミキサンへと視線を移した。
「わたくしも存じ上げておりませんわ」
無表情のままミキサンが答える。
「……そうですか」と、シスネ。
場に沈黙が流れる。
「まあモンスターは置いておくとして……。悪魔やランドール家の現状って、それどう考えても諸悪の根源は教会だろ……」
「……何度も言いますが、あなたのその考え方は一般的ではありません。普通では無いんです。ランドールの外は、私達を悪とみなし、寝首をかこうと常に画策しています」
「……ランドールにいる感じじゃ、とてもそんな風には見えないな。ランドールは平和そのものだ」
「その平和は、『女神の加護』あっての平和です」
「そこでソレか……」
「……実感としてあまり感じる事は出来ないでしょうが……、それは今」
「俺……私が持ってる――持ってます」
今更ながら、自分がシンジュの見た目をしている事を思い出して、言い直す。散々タメ口で話しておいて凄く今更だ。
「分かっています。ずっとランドール家が所有していたからかは分かりませんが、私には加護の気配の様なモノが感じ取れます。説明は出来ませんが分かるのです。――店であなたと初めて会った時はうっすらとでしたが……、今は明確に、あなたから加護の気配を感じます。ハッキリと」
「私が持ってるのは間違いないですけど……。そうですね。実感としては無いかも。そもそもが、これがどういう物かも良く分かっていないですし」
他の魔技や人技と違い、加護に関しては神眼さんを駆使しても中身を見る事が出来ない。どういう効果なのか知らない。
何か目に見える形として効果が出るといった事も無く、実感としても無い。
――ただ、
「ただ、聞いた限りでは、街を守る結界を張る、的な事は聞きましたね。そのおかげでランドールにモンスターが入り込む事も無いから、だから冒険者は暇なんだと」
シスネが頷く。
「結界という役割も比喩的なものです。形ある現実として街の周囲に結界が張り巡らされていた訳ではありません」
「あ、そうなんだ」
「はい。女神の加護の恩恵は単純でありながら不明瞭です。女神の加護を所有すると、『運』が良くなる。――それだけです」
「うん?」
「そうです。運です」
いや、今のはそういう――まあいいか。周囲の誰もクスリともせず滑ったみたくなったけど、気にしたら負けである。
俺は間違っても小ボケ担当ではないのだから。
次で二章完結です




