パパっと登場
◇
ランドールの街が目覚める少し前に時間は遡る。
体の調子を確かめる様に、グリグリと肩を回してから、目の前の扉を開いた。頑丈そうな鉄の扉だったが、重たげな印象とは裏腹に扉はすんなりと動いた。
「こんにちはー」
一応、そう声を掛けてから中へと足を踏み入れたが、誰かがいるとは思っていなかった。マナー的な、一応の習慣。
周囲はとても静かで、自分の声が建物内部に反響して思ったりも大きく聞こえる。静か過ぎて何だか尻がむず痒くなってくる。
「まさか来るなんてな」
突然届いた声に思わずギョッとする。
誰かが本当にいるとは思っていなかったのだ。
「いや、流石姉さんというべきか? 念には念をと私をここに配置したのは正解だったわけだ」
声の方へと顔を向ける。
何やら腕を組んで一人でウンウンと頷く女性がいた。ちょっと変な子だ。と第一印象でそう思った。
「すいませ~ん。媒体とやらを壊しに来ました」
そう言うと女性から「直しに来ましたみたく言うな」とツッコミが入った。
まさか初対面の人からツッコミが返って来るとは思ってもおらず、「いや~、ははっ」と頭を掻いて誤魔化しておいた。
だって事実だし……。一応のマナー的な?
女性――というか高校生くらいだろうか?
やや幼さの残る顔ではあるが、出るところは出てるし、女性と言って差し支えない容姿をしている。
際立つのは、真っ赤に輝く赤毛。やや薄暗い建物の中にあって、女性の赤い髪だけがポカリと浮かび上がっている様にも見える。
女性と呼ぶべきか、少女と呼ぶべきか――悩む。
あれ? 今はそんな事に頭を悩ませる場合でも無かった気がする。
――ところでさっきのってセクハラ発言に入る?
まあセクハラかどうかという倫理観と、出るとこ出てる目の前の人物の呼称についてはこの際後回しにして、今はやるべき事を速やかにやっておくのが、出来る男というものだろう。
俺にデリカシーがあるかどうかを考える時ではないのだ。
折角ミキサンが作ってくれたチャンスをふいにしては申し訳が立たない。
シンジュを側で見ていて、気が気ではない場面が多々あったが、その度に心臓が止まるかと思ったが(※故人)……。
幽霊というポジションに定住してしまい何の干渉も出来ない俺に代わって、彼女はその小さな体で頭から血を流してまで頑張ったのだ。俺はそれに報いる働きをせねばなるまい。
「立て込んでるので、挨拶は後日という事で言いかな?」
尋ねると、目の前の少女が「はぁ?」と眉間に皺を寄せ、口を尖らせた。妙に迫力がある。凄む様なその顔は、高校時代、同じクラスだったカースト上位の女子、渡辺さんを彷彿とさせる。何故か三木さんと仲が良かった。
――この情報いる?
「お前、状況分かってるか?」
質問に質問で返されてしまう。なにやら御立腹であるので、いちいちその事に反論したりはしない。火に油を注ぎそう。
凄む渡辺さん(仮)に素直に答えておく。
「魔法の媒体を壊しにやって来たら、強気な女の子に睨まれてる。という状況」素直な回答。
「……なんかさぁ、――私、馬鹿にされてない?」気に入らないらしい。素直に答えたはずなのに。
「されてない。大丈夫。その赤毛素敵だよね。染めてるの?」
「…………地毛」
「ほー。そんな綺麗な赤毛、生まれて初めて見たよ」
「まぁな! 私の自慢だからな!」
「ウンウン。それだけ綺麗なら自慢しても全然OKよ」
「ちがぁぁーう!」
少女が突然雄叫びを上げたので、ビクッとした。周りが静かなだけに余計に大きく聞こえた。
「はぁ、もう、なんなんだお前……。調子狂う……」
「大丈夫? 家でゆっくり休んだ方が良いんじゃない?」
言うと、少女がイライラした様子でガシガシと頭を掻いた。
燃え立つ様な赤毛が揺れて、まるで本物の炎かと思う程に煌めきなびく。
「そういうわけにもいかないんだ。私は姉さんにここの守りを任されたんだからな」
渡辺さんが言って、そこでようやく俺は、少女が何故こんなところにいるのかを悟った。
「あー、そういう事。警備の人だったか~。若い女の子がそういうのすると思ってなかったから分からなかったよ」
「……お前の方が若いだろ」
「ごもっとも」
中身は30過ぎたおっさんでも、見た目は14歳である事を失念していた。
シンジュの身体に憑依するのは慣れて来たが、その辺りの感覚がどうも忘れがちになる。
ポケーと尻を掻いていい身体じゃないのだ。もっと周りの目というモノを気にしなくてはいけない。
――今更手遅れな気がするけども。
「って言うか! 今はそんな事どうでも良いっての! 私、媒体、守る、OK?」
なんで片言やねん。
などと口に出す俺ではない。
警備とはいえ、少女と本気で殴り合いをするつもりもない。渡辺さん怖いし。
「まああれだな。それはまた今度って事で」
じゃ! と渡辺さんに軽い調子で手を振って、それから、腰を落として思いっきりジャンプした。戦略的戦闘回避。べ、別に渡辺さんが怖かったわけじゃないんだからね!
――ツンデレの使い方が可笑しい気がする。
「は?」と言う渡辺さんの声をまともに耳にする事なく、上へと上昇する。
20メートルは跳んだと思う。世界新。誰も誉めてはくれないし、ギネスにも載らない幻の記録。
目的のモノの前まで来ると、一度、目の前の金属の塊に触れた。
――ふむ、金属の感触がするね。
なんの参考にもならない感想文を提出して、握り拳を作った右手を力任せに振り抜いた。鉄の塊を思いっきり殴るという、以前の俺なら絶対に犯さない様な愚行。だって絶対痛いじゃん?
そうすると、甲高い、凡そ金属とは思えない音を奏でて、殴りつけた『時計塔の鐘』が粉々に砕け散っていった。俺の拳は金属より硬い事が証明されたけど、やっぱり誰も誉めてはくれなかった。むしろ壊したのであとから怒られるかもしれない。
「よし! お仕事終わり!」
がらがらと崩れる金属の鐘を眺めながら、俺は腰に手を当ててそう宣言した。
先程、ランドール家の広い庭にてミキサンに教えて貰った通りならば、これで『理想郷』とかいうシスネ・ランドールの魔法は消えたはずである。
満足げに頷く俺の下、こちらを怒った顔で見上げる渡辺さんが「ふざけんなぁぁあ!」と大きな声で絶叫していた。
ほらな? やっぱり怒られた。
☆
絶対的切り札であった自身の魔法『理想郷』が破れた後、それでもシスネは悲しむでも怒るでもなく、ただ静かに丘にある自身の屋敷の庭先からランドールの街を眺めていた。
「さて、不死身ではなくなったお姫様。何か言い残す事はおありかしら? それとも冥土の土産でも贈って差し上げますこと?」
静かに街を眺めるシスネに、皮肉めいた微笑みを浮かばせたミキサンの言葉が届けられる。
今だ両者の間にはやや距離があった。
庭の上空、雲を背負って宙に浮かぶミキサンと、そんなミキサンの眼下から見下ろされる位置にいるシスネ。
「……これはあなたが?」
少しだけミキサンの方へと顔を上げたシスネが尋ねる。
「そうであればどんなに誉めれ高い事か。ですが、残念ながらわたくしではありませんわ」
本当に残念そうにミキサンが応える。
「では、やはり彼女が……」
「当然ですわ。我が君に不可能はありません事よ」
「不可能……。――確かに不可能なはずでした。この魔法の内側から抜け出す事など……。それは、言うなれば、夢の住民が現実に飛び出す様なもの……有り得ない空想」
「我が君に越えられぬ壁などありません。例えそこが天国や地獄、夢だろうとどこだろうと……」
ミキサンが自分の事の様に誇る。
「……一体彼女は――シンジュはどうやってここから?」
「……生憎とわたくしもあの方について全てを把握している訳ではありませんの。まあ知っていてもあなたに教える義理もありませんことよ」
「……そうですか」
ポツリと溢すシスネ。
無表情ながら、その顔は何処か諦めにも似た空気をまとっている様に見えた。
「さて――」
と、ミキサンは小さく言った。
言って、ミキサンの顔が愉悦に歪む。狂喜を孕んだ醜悪なまでの笑顔。
「もはやお前に勝ち目はない。お前は実に素晴らしい命の輝きを見せてくれた。知恵を絞り、策を労し、自身と、それに通ずる持てるだけの力を使って、わたくし達に挑み、抗い、それでも敗れた。最上に粋の良い獲物と出会えた事に感謝しますわ」
醜悪な笑顔を張り付けたままミキサンは地面に降り立つと、その足でシスネへと一歩を歩み寄る。その内からは巨大な魔力が溢れ、周囲の空気すらも真っ黒に凍り付かせた。
と、そんな両者の間を割って入る人の集団があった。
「カラス達はアレの相手を。たとえ1秒でも時間を稼ぎなさい。ハトの半分はカラスの支援を、残りは私と共にシスネ様を」
集団の後方、シスネの盾となるべく集まったカラスとハトに向けて、その筆頭たるハウスキーパー・カナリアがそう命じた。
「「ハッ!」」
カラスがギラギラとした闘志をむき出しに、列を為してシスネの前に立つ。魔王と対峙する。
「「承知致しました」」
カラスの後方。メイド服に身を包んだ集団が規則正しく並び立ち、声をあげた。
カラス70名、ハト30名の総勢100名からなるランドール家の鳥達。
ランドール家の為ならば命を投げ出す事も厭わない従順な翼。
そんな鳥達を前に――魔王は笑う。
それがどうしたと嘲る。百人を相手に全くひるむ様子もなく、生来の剛毅さで。
「地に落ちた鳥に興味はありませんの……。『絶対魔王主義』」
ミキサンが言葉を発すると同時に、崩れる様に100人が一斉に膝をついた。
カラスの誰もが武器を零れ落とし、ハトの誰もが膝に土が付く事を強要される。
まるで、魔王に頭を垂れる様に。
誰一人逆らう事も出来ず、自らの意思とは無関係に。
歯を食い縛り、必死に抗う鳥達。
されど、悪魔はそれを許さない。
反発する程に力は強くなり、鳥達の呼吸すらも阻害し始める。
酸素の欠乏に、心臓の脈が早くなる。加速し、目の前が霞んでいく。
誰もが必死になって自分を取り戻そうと躍起になるが、指先のひとつも動かない。そんな事さえ許されない。
(恐ろしい……これが悪魔……これが魔王)
限界を超えた心臓が脈を打つ中、カナリアは純粋にそう恐怖した。
どう見ても子供にしか見えない目の前の人物は、その眼前で立つ事すらも畏れおおい絶対の暴君。
(やはり、手を出すべきではなかった……。自分がお止めするべきであった……)
カナリアは自身の選択を後悔した。
――終わる。今日、ランドール家は終わるのだ――と
治まる事を知らず加速し続ける心臓は、カナリアの視界に赤を加え始めた。あまりの血流に眼の血管が破裂したのだろう。
それはカナリアだけではなく、鳥達の誰もが同じ状況に陥っていた。
抗えば抗う程、心臓は早くなる。
つまりは、それは裏を返せば誰もがいまだに抗い続けているという事。
眼から流れる赤い涙を手で拭う事も出来ず、いつしかミキサンを見る鳥達の眼は真っ赤に染まる。
視界に映る空が朱色に染まる。
そうしてその場に出来上がったのは、悪魔の様に真紅の瞳をした人々が魔王に膝をつく。そんな異様な光景。
そんな光景の中、立っている者が二人。
魔王ミキサンとランドール家当主シスネ・ランドールの二人であった。
「あなた方はそこで眼に焼き付けて置きなさいな。自分達の主の最後を、その眼にしっかりと」
膝をつく鳥達の間を悠然と、警戒する素振りさえ見せずにわって、魔王がシスネへと近付いていく。
シスネは小さく息を吐くと、――柔らかく笑った。一瞬の微笑みだった。
しかし、その微笑みは、加速し続けているはずの鳥達の心臓をほんの一瞬だけ止めた。止まったと錯覚させる程の恐怖、或いは絶望の感情を鳥達に与えた。
「後の事は任せましたよ。ランドールと、妹を――フォルテをお願いします」
そう鳥達に告げて、シスネはゆっくりと目を閉じた。
静かにその時を待った。




