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悪魔の本能

「鬱陶しい鬱陶しい鬱陶しい!」


 道を阻む様にして列を為して襲いかかってくるカラスを殺しながらミキサンがイライラを爆発させる。


「一体何人いますの!?」


 特定の誰に向けるでもなく、強いて言えば、途切れる事なく次々と自身に迫るカラスに向けてミキサンが叫ぶ。


(潰した蛆の数などいちいち数えてなどいませんが……、既に数百は殺したはず。――まさか本当に774万も?)


 馬鹿だ、有り得ないと切り捨てたはずの疑念が、真実味を帯びたと錯覚する程に、何処からともなく沸いて出るカラス達。

 前にもカラス。後ろにもカラス。右にも左にも黒いカラスカラスカラス。いい加減頭がどうにかなりそうであった。


(何を馬鹿な……。何か裏がある、と見るべきでしょうね)


 幻覚か、或いはそれに準ずる何か――。


 考える。

 思考を、記憶を、知識を、張り巡らせる。


 ふと気が付くと、ミキサンはいつの間にかランドールギルドのすぐ近くにまで来ていた。意識した訳ではなく無意識にたどり着いた。


「ミラージュ」


 ギルドを目の前に認めたミキサンがスキルを発動させた。


 【ミラージュ】は自身の分身を創造すると同時に自分という存在の認識を限りなく薄くする魔法だが、今までミキサンは使う必要性を感じてはいなかった。

 何故か持っている――その程度の認識であった。


 それはミラージュが、攻めるのに適していないと判断したからに他ならない。

 ミキサンの戦闘はシンプル。

 言ってしまえば、叩いて砕く、この一言に集約される。


 強大な魔力を前面に押し出し、絶対的破壊で蹂躙しつくすのだ。


 その圧倒的暴力に小手先の技など必要ない。そうミキサンは考えていた。

 ゆえに、ミラージュを搦め手として使うなどという手段など用いない。ましてそれでおめおめと背中を見せて逃げるなど万にひとつも有り得ない。


 ついさっきまでは、本気でそう思っていた。


 しかしながら、今は自分のそんな小さなこだわりやプライドなど、何の役にも立たないと考えを改めた。そんな物はたった今、丸めて千切って放り投げ捨て犬に食わせた。


 優先すべきを優先する事に躊躇はしない。

 それがミキサンなりの忠誠であった。


 ミラージュで作った分身を餌にしてカラスの目から逃れたミキサンは、そのまま気配を殺してギルドの中へと忍び込んだ。


 生まれて初めて(と言っても齢一月も経っていないが)ミキサンは敵から逃げた。

 思っていた程に屈辱的で嫌な気分でも無かった。

 優先すべきを優先しただけの事。

 主を救うのが最優先である、という使命感にも似た意識がそう感じさせているのかもしれないと、ミキサンは思った。


 これが他人ならば、健気で従順な犬だと鼻で笑っているところだが、いざその立場になると存外悪くない。


 カラス達を巻いた事で、雑務が減ってゆっくりと考える時間が出来た。

 とは言え、初めて使ったせいか、ミラージュがいつまでカラス達の目を誤魔化せるのか、時間的余裕があるのかは分からない。


(全く。時間というのは誰にでも平等に有限ですことね)


 一度小さくため息をついた後、目を瞑る。


(さぁ考えなさい。何処かに必ず攻略の糸口があるはずですわ。――世界に完璧な物など無いのですから)


 そこから、ミキサンは深く思考に没頭する。


 ――あの刹那の揺らぎ、魔力、小娘が魔法を使ったのは、あの瞬間――店の中で『我が君をランドールの一員として受け入れた瞬間』と見て間違いないですわね。


 ――解せないのは、ランドールの小娘があれだけの魔力を隠し持っていた事。わたくしが調べた時には、あれだけの力を持っているとは分かりませんでしたわね。


 ――隠していた?


 ――無くはない……か? 我が君という前例もありますし……。


 問題は、あれだけの魔力を用いてどういう魔法を使ったのか……。

 単純に情報を擦り合わせるならば、『ランドールの一員と認め、糸をつけた者を操る魔法』ですかしら? 我が君を手駒に加える程の絶大な効果――いや、そもそも我が君は魔法抵抗力というものが皆無でしたわね。抗う為の魔力が空っぽですもの。

 下手をすれば、そこらの魔法使いにも良いようにされてしまいかねない危うさが我が君にはある。

 今後はその辺りも視野に入れて周囲の注意をしませんと。


「ん?」


 そこで、ふと気付いて、ミキサンの口から疑問の声が思わず漏れた。


 ――糸を付けた者を操る、という事に間違いは無いでしょうが、ただそれならば何故、あのカラスと呼ばれる手下共にも付ける必要があったのでしょう?

 あの従順な蛆虫共ならば、そんな事をせずとも十二分に手足となって働きそうなものですが……。


 ――裏切りなどを想定した万が一の為?

 ――無いとは言えないが、可能性としては低い、か?

 寝首をかかれる心配をするならば、常日頃から発動していなければ意味が無い。それに、それならば信頼の置ける護衛でも付ければ事足りるし、魔法発動時のあの魔力の量を考えれば見返りが少ない様に感じる。


 ――で、あるならば、『操る以外の何か』があの魔法にはありますわね。


 ――例えば身体能力の増強。

 そこらの冒険者などと比べれば遥かに質の高い動きであったカラスを鑑みれば、その可能性は高い。


 ――しかし、それとてわたくしに牙が届くだけの脅威とはなり得ない。実際に戦って、それは断言出来る。

 わたくしを甘く見た、実力を図り間違えた、というのならば話は簡単ですが、決め付けると()()失敗しかねませんからね。可能性のひとつとして留めて置くのが無難かしら?

 それに、戦闘とは無縁なランドールの住民にも糸がついているのが分からない。


 ――確かに、数が多いというのはそれだけで武器となる。

 が、やはり蛆が何匹いようとわたくしを食らい尽くすには一万弱のランドール住民だけではまだ足りない。

 一体何の為に住民全員に糸を?

 付ければいけない何か――



 そこでミキサンは、ふぅと小さく息を吐いた。


(流石に情報が足りませんかしら? やはりもう一度――)


 ミキサンがそう考えた時、ギルドの中に人が入って来た気配を感じた。

 カラスにバレない様に魔力探知を切っていた為、それが誰かまでは判断がつかなかった。


 身を隠し、気配を殺して、侵入者の正体を探る為に動く。


 侵入者の正体はすぐに分かった。

 その人物は、特に隠れるでも無く、いつもの様に慣れた足取りでカウンターの中に入ると、これまたいつもの様にギルドの仕事を始めた。


 ミキサンは、相手がカラスでは無かった事に気が抜けて、隠していた身を曝け出して人物の元まで歩み寄った。


「何をしているのかしら?」


「うわぁ!?」


 声を掛けるまでミキサンに気が付かなかったらしい女性――ギルド職員のアイが、急に上がったミキサンの声に大層驚く。


「び、びっくりした~」


「あなた、こんな時にまで仕事とは随分余裕があります事ね?」


「こんな時?」


 ミキサンの言葉に怪訝な顔をしたアイが小頚を傾げる。

 そんなアイに、ミキサンも心の中で怪訝を抱く。

 ――外の騒動に気付いていないのか――と。

 警告音なのか、街に響き渡る鐘の音は、いい加減煩わしささえ覚える程に今も止む事なく鳴り続けている。

 建物の中ゆえ外ほど大きく聴こえては来ないが、耳を澄まさずとも鐘の音はギルド内に響いて来ていた。


「……鈍感もここまで来ると勲章モノですわね」


「……いきなり出て来て私を馬鹿にするのはどんな心境の時?」


「自分で考えて欲しいですわね」


 ミキサンが呆れた様に言うと、更に表情を険しくしてアイが唇を尖らせた。


「まあいいけど……。ところでミキサン、シンジュは一緒じゃないの?」


「……ちょっと用事で外しておりますの」


「そう……」


 それから、普段間に入るシンジュが居ないせいか、二人の間に沈黙が流れる。

 二人は決して気が合わない訳ではない。

 ただ、シンジュの事について、考え方が違うというだけ。


 沈黙をいい事に、アイを無視して何やら瞑想にふけるミキサン。

 そんな空気に居心地の悪さを感じたのか、アイの方から話し掛けた。


「あー……。紅茶でも飲む?」


「……いただくわ」


「分かった。ちょっと待っててね」


 パタパタと小走りぎみに奥へと引っ込んでいくアイ。

 そんなアイの背中を一瞥しながらミキサンは「殊勝な事ですこと」と、ポツリと呟いた。


 しばらくいつもの定位置で座って待っていると、紅茶を乗せたお盆を抱えたアイが戻って来た。


「どうぞ」


 アイが持って来た紅茶を小皿と一緒にカチャリとテーブルに置く。


「……どうも」


 アイに礼を述べて、テーブルの上のカップを手に取る。

 ミキサンは、ほのかに香り立つ紅茶の甘い香りを吸い込んだ後、ゆっくりとカップを口元へ。


 そして、カップが唇に届くかどうかというところで、ピタリとその動きを止めた。

 そして、表情を変えず、アイに視線すら向けず、言う。


「そんなものでわたくしは殺せませんことよ?」


 聞いているのかいないのか、ミキサンの言葉に一切の躊躇いなど見せずに、アイは隠し持っていたナイフをミキサン目掛けて力いっぱい振り下ろした。


 アイの振り下ろしたナイフは、ミキサンに触れる寸前でピタリと止まる。まるでそこにナイフを拒絶する見えない壁でもあるかの様に。


「……良く分かったわね?」


 悪怯れもせずに、()()()()()()微笑みを湛えてアイが問い掛ける。


「あなたにも糸がついているのは知っていましたもの。 ――まあ例え付いていなくても、あなたが普段どんなに顔を合わせる知った顔であったとしても、わたくしは主以外には気を抜く事などありませんわ」


 そう言葉にして、アイの入れた紅茶を優雅に口に含むミキサン。


 すぐ真横では、いつもの笑顔を浮かべるアイ。されど血管が浮き出る程に力が込められた右腕。

 そんな右腕の先では、ミキサンに突き刺そうと握られたナイフが小刻みに震えている。


(さて、――どうしたものかしら)


 アイを殺す事など熱い紅茶を飲むよりも簡単な事だ。

 しかし、それをするとまず間違いなく主の不興を買う。それはなんとしても避けねばならない。

 何よりミキサンは、シンジュに「人を殺すな」と厳命されている。

 カラスはまあ、――正当防衛?


 なので、ミキサンにアイは殺せない。かといって放置するのも後々に響きかねない。

 アイに自身を殺す力など、天地がひっくり返っても在りはしないが、人の盾として使われる可能性はある。それこそ、今みたいに笑顔でシスネの壁となるだろう。死を恐れない狂気の盾。

 そうなると、面倒な事この上ない。


 考えあぐねた挙げ句ミキサンは、


絶対魔王主義(寝てなさい)」とアイを睨み付けた。


 瞬間、アイの体から力が抜け、その場でパタリと倒れた。


 アイの小さな寝息を確認して、ミキサンは小さなため息を吐き出す。


(厄介ですわね。ですが、おそらくこれがあの小娘の狙いだったのかもしれませんわね)


 アイに限らず、ランドール住民全員に施された糸。


 それはつまり、ランドール住民全員がミキサンの敵であり、人の盾になる可能性を秘めているという事。


(わたくしが主より人を殺すなと言われ、それを遵守している事を誰かがチクったのでしょう。本当に厄介な事ですわ。

 そして敵ながら見事な策と誉めるべきところかしら? 住民が盾になるならば、わたくしは全力では暴れられない。仮に小娘だけに狙いを定めても、住民の盾がその穴を埋める。――まさかわたくしの圧倒的破壊を、無抵抗主義で封じてみせるとは……)


 しかし――とミキサンは不敵に笑う。


(もっとも、主の不興などその御身と比べれば些細な事。シンジュには悪いけれど――最悪、皆殺しも致し方ありませんわね)


 そうは思っても、避けられるならば避けておきたい。

 状況はミキサンが思っている以上に相手が有利であった。

 それでもミキサンは笑う。

 声が漏れるのも構わず喉を鳴らす。


 例え、鎖に繋がれ、牙を抜かれ、爪を剥がされたとしても、悪魔は逆境にこそ笑う。


 人が知恵を凝らし、創意工夫し、いかに悪魔を出し抜こうとも、それを踏み潰していくのが悪魔である。


 全てを出し尽くし、それでも踏み砕かれ絶望に歪んだその顔を嘲り笑うのが悪魔の本能なのだ。

 その瞬間は悪魔にとって至上の喜び。まさに至福の瞬間であろう。


「その鉄の仮面、わたくしが引き剥がして差し上げますことよ」


 その時を想像し、妄想し、ミキサンは――悪魔の王は高らかに嗤った。



 ランドールの街に、もう何度目なのか分からない鐘が鳴る。

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ミキサン
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素晴らしい考察が書かれた超ファンタジー(頭が)
考える我が輩
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