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開戦

 シスネ・ランドールが魔法を行使した瞬間、周囲の空間が僅かに揺らいだ。


 それはシスネ・ランドールを中心にして広がる波紋の様な揺らぎで、まばたきする間にランドールの街全体を覆った。


 その刹那の揺らぎの中、


「小娘がぁぁ!」


 真っ先に行動を起こしたのは、鬼気迫る表情を顔に張り付けたミキサンであった。


 ミキサンの動き出しは早かった。

 その、他の追随をものともしない魔王の瞬発力は、生ける者が出せる速度を確かに越えていた。


 だが、そんな魔王ミキサンをもってしても、それはあまりに遅すぎた。

 シスネ・ランドールが魔法を使った後では、どんな速度であっても、それはもう手遅れであり、遅すぎであり、間に合わないのだ。


 刹那の揺らぎの中で、魔王が最も脅威だと判断したのは、シスネ・ランドールから放たれる膨大な魔力でも、周囲に突如として現れた――敵意を剥き出しにした『カラス』達の気配でもない。


 それは糸。


 ランドール生まれの住民に、ただの1人の例外もなく絡み付く目には見えない、薄く、細い、魔力の糸。


 揺らぎの中でミキサンは、確かにその糸が、自分の主であるシンジュに絡みつくのを目にした。


 これはミキサンにとって、危険視すべき予想外の事態であった。

 魔王は完全に油断していたのだ。


 ミキサンは、この糸がついている条件、或いは付く条件を『ランドールに生まれた者である』という条件の下で成立しているものだと予想していた。

 ゆえに、自分はもとより、シンジュにもこの糸が絡み付く事は無いと判断し、糸のついたランドール住民に注意は払えど、シンジュに付く事にまでは注意を払っていなかったのだ。


 結果、ミキサンの予想に反し、ランドール生まれではないシンジュに糸が張り付くのを許してしまった。


 先程のシスネの言葉。


 ――「私はあなたを歓迎します。ようこそ、我がランドールへ」――。


 シスネが魔法を発動したのも、糸がシンジュについたのもこの直後。つまりは――。


(糸の条件は生まれではなかった! ――条件は、()()()()()()()()()()()()()()()()! ――迂闊だった。 生まれという、後からではどうしようも無いものと違い、酷く単純な条件。もう少しちゃんと調べておけば、前もって忠告さえしておけば、防ぐ事は出来たはず)


 だがその失敗も仕方のない事。

 普段の態度と言動で忘れられがちであるが、魔王ミキサンはこの世に生を受けてまだ幾ばくもない。人間で言えばまだ生まれたての赤子に過ぎない。

 赤子とは言えない肉体と、知識はあれども、ミキサンには決定的に経験が不足していた。

 それは元来ミキサンの持つ自信と合わさり、致命的なミスを生み出す。

 魔王ミキサンはまだまだ発展途上の暴君であるのだ。



 条件を把握すれども、この糸がどういう意味があるのかはミキサンにも分かっていない。

 しかし、シスネ・ランドールが意図的に付けたという事は、何らかの思惑があるという証拠に他ならない。


(どの様な思惑があろうと、その前に潰す!)


 本気の殺意を孕んだ魔王の一撃がシスネ・ランドールを穿つ。


 その一撃は、確実にシスネ・ランドールの心の臓を捉える――はずであった。

 


 シスネへ向けて強襲するミキサンに、突然、横からの襲撃があった。


 その襲撃で激しく吹き飛び、店の壁を突き破ってミキサンは外へと放り出された。

 それは店の壁だけに留まらず、通りを挟んだ隣の建物すらも巻き込んだ。

 岩の崩れる様な音が響く。


 それは、常人には何が起こったのかすら分からない程の一瞬の攻防であった。


 カラカラと崩れた壁から欠片が地面へと落ちる音。

 それに混じって聞こえる誰かの歩む音。


「私の勝ちです、魔王」


 空いた壁の奥から、外に向けて告げられるシスネの言葉。


 返事をするかの様に、隣の建物がガラガラと崩れ落ち、舞い上がる砂埃の中から、憤怒の表情をしたミキサンがゆっくりと進み出て来た。


「わたくしに勝てる者などランドールには居ないと、高を括っていましたが……。――なるほど。1人だけ勝てる人物を失念していましたわね。すぐ近くに居たというのに……」


 言ってミキサンは、口の中に入り込み、言葉を紡ぐ度にジャリジャリと不快な音を立てる砂を、忌ま忌ましそうに唾と一緒に吐き捨てる。


 ――その為の糸か……。もっと早く気付いていれば……。


 シスネを一瞥し、穴の中にいるであろうもう1人の存在に注視する。


「ミキサン!」


 穴の中から、快活な声が届き、シンジュが飛び出してきた。


「――すぐに」


「駄目だよミキサン、()()()()に手をあげちゃ」


 助けます、と続くミキサンの言葉を遮る様に、シンジュがシスネの前に立つ。それはまるでシスネを守るかの様な立ち位置であった。


 その表情も、仕草も、いつものシンジュと変わらない。何ひとつだって変わらない。年齢よりも幼い、子供の様なシンジュの、誰めが恐れおののく魔王に対してまるで妹に接する様に扱う仕草と口調。


 そのいつもと変わらないはずのシンジュの様相、されどいつもとは明らかに異なる主の様子に、ミキサンはハラワタの煮えくり返る思いであった。


「小娘が……、我が君に手を出して楽に死ねると思わない事ですわ」


 憤怒の表情と、街に暮らすに辺り抑えていた魔力を見せ付けて吐き出される魔王が宣言。


 小さくも強大な暴君の威圧はもとより、どう見ても自分より遥かに年下の子供にしか見えない魔王に小娘だと罵りを受けたとしても、そんな程度では鉄の仮面はこれっぽっちも揺るがない。

 例え、それがどんなに腹の立つ事であっても――。


「脅しならば、地獄のお仲間にいくらでもついてください」静かにそう言った後、シスネが右手を僅かに掲げ「――始めなさい」と合図を出した。


 合図と共に、ミキサンの四方から飛び掛かって来たのは、全身同じ黒い服に身を包んだ『カラス』達であった。全員が同じ黒を纏い、顔も黒い布で覆ってある。


 幼少の頃からランドール家の手によって鍛え抜かれた精鋭達。

 その実力はひとりひとりがAランク以上にも相当する。

 カラス達は、その類いまれなる実力はもとより、その鋼の忠誠心により、ランドール家の為ならば死すら恐れない狂戦士と化す。

 ランドール家によって、幼き頃からそう『調教』されて来た。

 死を恐れない敵ほど厄介なものもない。

 カラス達は、例え首だけになろうと、ランドール家に仇なす者の喉へと食らい付く。


 例えそれが、魔王相手であっても。


 自身の全てを主の為に捧げる覚悟を持つ使用人。それこそが『カラス』であった。



「雑魚が何百人いようと、雑魚でしかありませんのよ」


 自分目掛けて襲い掛かる何人ものカラスを目にし、ミキサンは不敵に笑う。

 

「創造、――『大鎌』」


 呟く様に言ったミキサンの手に、何処からともなく現れた人丈程もある刃の鎌が握られる。


「恨むなら、自分の主を恨みなさい」


 ミキサンが大鎌を一薙させる。

 小さな子供の姿をしたミキサンからは想像も出来ない程の速度で、軽やかに振り抜かれた大鎌は、音も無く、カラス達の首を、胴を、真っ二つに切り裂いた。

 走る鮮血と零れだす臓腑。

 しかし、カラス達からは悲鳴のひとつも上がる事は無かった。


 即死。


 ――否。


 人智を越えるのは何も悪魔に限った話にあらず。


 カラス達の執念は既に人智を越えていた。

 ある者は、首を失ってなおも武器を振り上げミキサンへと斬りかかる。

 またある者は、体を2つに裂かれようと、腕で地面を這いずり、牙を突き立てる。


 腕がもげても、脚が千切れても、頭を失っても、『カラス』は最後までカラスである事を貫き通す。


 カラス達のそんな狂気の沙汰に、ミキサンが歯を見せて大声で笑う。


「まさか本当に死んでもわたくしの喉に食らい付こうとするとは! 一体どちらが化け物だか分からなくなりますわね!」


 ミキサンは、至極愉快だとばかりに叫び、上半身だけで飛び掛かって来たカラスの1人の顔のど真ん中に刃を突き立てた。

 喉の奥まで届いた刃は気管を切り裂き、そこから零れた空気が血を混ぜてゴボコボと口から溢れ出す。


「よくもまあここまで狂信的に育て上げたものです。流石のわたくしもちょっと引いてますわ。もっとも――」


 突然の閃光と爆発音。


 ミキサンが言い終わる前に、大鎌に突き刺されたカラスの上半身が爆発を起こしたのだ。


「お喋りは油断を誘いますよ」


 周囲を巻き込んだ爆発は、激しい衝撃音を伴いながら辺りに土煙をあげた。

 そんな土煙の中から声が撒かれる。


「魔力を暴走させての自爆まで戦略に組み込む辺り……、あなた、相当なドSですわね?」


「……私の指示ではありません。勘違いしないでください。カラス達自らの意志です」


「自分達でそういう風に調教しておいて、一体どの口がほざきますのかしら」


 晴れた土煙の中で、シスネを馬鹿にする様にミキサンが笑う。


 それに怒るでもなく、カラスの死を嘆くでもなく、シスネは変わらぬ鉄仮面で顔を覆って静かに目の前の魔王を眺めた。



 ――無傷、ですか。

 ――やはり一筋縄ではこの圧倒的破壊者を屠る事は出来ませんね。


 シスネは目だけで、周囲のカラスの1人に合図を送ると、「行きますよ」と告げた。自分の前で()()()()()()()()に、転がる死を見つめるシンジュに向けて。


「何処に行くつもりですの?」


 踵を返したシスネの背中に、ミキサンの威圧を乗せた言葉がぶつかる。

 シスネはミキサンに背中を向けたまま応える。


「……心配しなくとも、私は逃げたりしません。少し場所を変えるだけです。私がランドールから出る時は、それはすなわち私が死ぬ時です。あなたはしばらくカラスと戯れていてください」


「行くならあなたお一人でどうぞ? 我が君は置いていってもらいますわ」


 依然として振り返る事なくシスネが言う。問い掛ける。


「……知っていますか? カラスの数を」


「はっ! そんな事、わたくしが知っている訳がありませんわ。知る必要もありません。例え何百人、何千人いようとも、雑魚にわたくしの歩みは止める事など出来はしませんことよ? ――皆殺しにして差し上げますわ」


「――774」


「どれだけいるかと思ったらたかが――」



「774万人」


 落ち着き払ったシスネの声が空気に溶ける。

 シスネは僅かだけ背後に首を捻って、一拍置いたのち、


「それがランドールにいるカラスの数です。――頑張って皆殺しにしてみせてください。あなたならば或いは、それも可能かもしれません」


「……そんな馬鹿げた数を信じろと仰りたいのかしら?」


「信じる信じないは自由です。――では、またのちほど」


 それだけ言い残し、シスネはシンジュを引き連れて街の奥へと消えていった。



 ミキサンは、シスネを追おうと思えば追えた。

 だが、ミキサンは敢えて追わなかった。


 ――774万。

 シスネの言った数字を真に受けるならば、それはこの大陸の全人口と同じだけの数の配下がいるという事になる。


 ――馬鹿馬鹿しい。そんな数など有り得ない。


 そうは思うが、それを笑って一蹴出来ぬ何かがシスネにはあるとミキサンは感じていた。あの小娘ならば、――齢17にして祖母からランドール家を勝ち取った彼女ならば――と、何処かでミキサンを躊躇わせた。


 仮にそれがハッタリだとしても、この状況は芳しくない。

 ミキサンにとってカラスの数などは大した問題でもなかった。

 問題なのは――おそらくは万の大軍すらも打ち崩すのは難しい「護衛」がシスネに出来てしまった事。

 ミキサンが険しい表情を作る。


(糸がついたのが自分であれば、釣られる魚が自分であればどうとでも出来た。死ぬ事すら厭わない。しかし――)


 それが自身の主となれば話は違って来る。

 シスネと共に釣り糸を引くのがシンジュであるなら、力任せに引っ張れば、主君諸とも海に引き釣りこんでしまう。


 そうならない為には、シスネを殺す為には、シンジュをシスネから引き剥がす必要がある。


(出来ますかしら……わたくしに)


 自分の主君の姿を頭に思い浮かべながら、逡巡する。


 シンジュは強い。

 普段の子供染みた様子からは想像も出来ない程。


 ミキサンは、広い庭付きの屋敷を手に入れた後、一度だけ、練習と称した組手をシンジュと行った事があった。

 ()()()()()で彼女は魔力という物を一切持っていない。

 それゆえ、組手の際、ミキサンは『いくら自身の主とはいえ魔力による肉体の強化も無しに魔王である自分に、シンジュが勝てるものではない』と少しだけ、彼女を嘗めてかかった。

 精神生命体である悪魔に物理的な攻撃は通じない。

 触れる事も出来るし、勿論殴る事だって出来る。しかしながら、ダメージというものがない。ダメージに限らず、感触といったものが精神生命体の身体には伝わらない。それはまるで夢の中のほっぺたでもつねっているかの様に現実感を伴わない触れ合い。

 そんな理由もあってミキサンは、彼女の気の済むまで、主である彼女を立てつつ、軽く流すつもりでいた。


 しかし、結果はミキサンのそんな考えをいとも簡単に粉砕した。


 その脚は、軽く踏み出した一蹴りで空間を裂き、その拳は一振りで空を割った。


「――は?」


 やや下からフックぎみに繰り出されたシンジュの拳を、慌ててミキサンが腕で受け止める。

 巨大な丸太で岩でも叩いたような、腹の底に響き渡る激しい衝撃音が街に広がった。

 爆音に屋敷の窓ガラスがビリビリと嫌な音を奏でる。


「ちょっ……! ちょ、ちょっとお待――」


 止めようするミキサンの声など聞こえていないのか、シンジュはとても楽しそうに右を左をと、次々にその凶悪な拳を突き出してくる。


「待ちなさい!!」


 主である事も忘れ、命令口調で叫んで、そこでようやくシンジュがピタリと止まった。

 シンジュは、自身が何をしたのか良く分かっていないのか――


 ――否。


 あの満面の笑み――(わざとだ――薄々分かっていたからこそ、突然組手などと言い出したのですわね)

 ミキサンはそう直感する。


 ミキサンがこれほどに慌てたのは生まれて初めて(生後一月足らず)の事であった。


 初撃を受け止めた腕に目を落とし、二度ほど手の平を開き閉じし、その調子を確かめる。


(……冗談ではありませんことよ! 魔力も無しにこれ程の――!? 下手をすれば素手で上位の竜すらも一撃……。それほどの大破壊力。精神生命体でなけば初撃で死んでいましたわ……。――しかし)


 しかし、ミキサンの驚愕は最初だけ。

 緩やかになっていく驚愕に代わり、ミキサンの内から溢れ出るのは、形容しがたい甘美を伴った感動。


「それでこそ我が主。わたくしが仕えるだけの価値があるというもの」


「えっへん! チートですから!」


 両手を腰にあて、嬉しそうにシンジュが胸を張る。


「チート?」


 聞き慣れない言葉にミキサンが小頚を傾げた。


「そう! チート! ……レベルもね、いつの間にかミキサンの倍あるんだ~。300! 何故だか知んないけど……」


 チートにレベルにと、ミキサンの知識に無い単語を口にするシンジュだが、そんな事は今のミキサンにはどうでも良かった。


 とにかく、シンジュは――我が主は、魔王すらも圧倒する実力者であるという事。

 そんな彼女に仕える事の出来る喜びで、ミキサンの心は打ち震えていた。



 シンジュは強い。

 強いが、ランドールの住民達はそれを知らない。

 シンジュは活躍の場を欲しているが、何故かそういう機会に恵まれない。上手くいかない。


(おそらく、あの方が意図的にそうしているのでしょうが……)


 シンジュの実力を知る者は少ない。人よりも優れた力を持っているという事を知っているのは自分以外にも何人かいるが、その本当の実力となると極端に少ない。自分を除けば1人しか心当たりがない……。


(あの小娘は一体どこまで知っていますの?)


 もっとも、知っていようとなかろうと、対峙すればシスネがシンジュをミキサンにけしかけて来るのは確実である。ゆえに、今追うのは得策ではない。

 考えるべきは、その時にどう凌ぐべきか。

 主君を傷つけずにどうあの女を殺すかである。


 幸いな事に、シンジュは魔力が全く無い。物理的な干渉で傷を負うことの無い精神生命体である自分ならば、そう簡単に負ける事はないだろう。

 付け入る隙があるとすれば、そういった()()()()()()()()()()()()()()()()()主の事。それを利用した何らかの手。

 おそらくそれが打開策となり得る。

 ミキサンはそう確信する。


「鬱陶しいですわよ」


 悪態をつきつつ、二羽のカラスの頭を同時に跳ねた。

 思考するミキサンの邪魔をする為、というわけでも無いだろうが、むしろそれ以上の、ミキサンの死を望むカラス達の絶え間ない猛攻を、ミキサンが思考の片手間に軽く凌いでいく。


 殺すと同時に消し炭にする作業が面倒で仕方ない、とミキサンは嘆く。

 殺しただけではまた自爆されかねない為、自爆する間もなく灰にしていくのだ。

 別に自爆が怖いとも脅威だとも思っていない。ただ――服が汚れる。


 鮮血は勲章みたいなものであるから良いとして(良くはない)、土埃で汚れるのはいただけない。

 主がわたくしの為に選んでくれた大事な服である。それを鮮血以外で汚すなんて、有り得ない。



 何処か人とはズレた感性を抱きながら、ミキサンは深く思考に没頭していった。


 幾人ものカラスを殺しながら。

 その身を真っ赤に染めながら。

 

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ミキサン
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素晴らしい考察が書かれた超ファンタジー(頭が)
考える我が輩
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