圧迫面接
ランドールに真昼を告げる鐘の音が響いたのは、いつもより少し早いお昼を、いつもの様に、いつもの店で、シンジュとミキサンの二人が取っている時だった。
少し早いとはいえ、相変わらず店の中はガラガラで二人の貸切状態。その分ゆっくりと食事を楽しめるので、いい加減ガラガラな店の経営状態を心配するだけ損だと、シンジュは思い始めていた。この店が潰れると美味しい料理が(しかも無料で)食べられなくなるので困るのだけれど、「ならお金を払え」と言われたらそれはそれで困るので、沈黙が吉である。
今日のランチは白身魚のムニエルで、名も知らない魚の身が皿の上で美しく着飾って、目と舌で客を楽しませる。
「白身魚の宝石箱や~」
皿に目を落としながら、大袈裟におののいて言うシンジュ。
そんなシンジュとはうって変わって、ミキサンの反応は「魚は魚。腹に入れば一緒ですわ」と非常にドライなものであった。
「連れないなぁ。食事はまず目で楽しむものだって言ってたよ?」
「誰ですの? そんな戯言を吐いたのは」
「パパ」
「んぐっ!」
思いもよらぬ返答に珍しくミキサンが動揺し、柔らかいはずの白身を喉に詰まらせかけた。
ミキサンの主はシンジュであって彼女の父親では無い。
無いが、そんな戯言を、と口にするのは些か具合が悪い。昼食を取る為に訪れた店で、シンジュの父親の悪口を言った様に取れる発言をしてしまったミキサンは、そのせいで少しだけ気不味い空気も味わう事になった。
ただ、ミキサンはそれ以上に主が少し心配になった。
それは、シンジュがたまにこうやって自分の父親の事を話題に出す事への心配。
父親の事を口にする時、シンジュは特にこれといった表情こそ出さないが、心中はどうだかミキサンには見当もつかなかった。
親という物を持たない知らないミキサンにとって、『父親』という存在がどういう存在かは想像するしかないのだ。
だが、そんなミキサンでもシンジュが少しだけ寂しそうな空気を纏うのが分からないわけではない。
だからこそ、さっきの軽口は失敗だったとミキサンは内心で慌てた。
もっとも、当の本人が気にした素振りも見せずに「パパも魚は捌けるんだけど骨が~」と楽しそうに『父親との思い出』に興じている。
それを見て、心の中でホッと息をつくミキサン。
そこから、時折相槌を打ちつつ、ミキサンは聞き役に徹した。
実際に、シンジュはミキサンが心配する程には寂しがっている訳では無かった。ただ、なんとなく、父親の事を誰かと共有したかっただけである。
それゆえ、ミキサンにシンジュの心の機微までは読み取れなかったが、聞き役にと回ったのは良采配と言えた。
ミキサンとしては、シンジュの語る父親の話を通して、シンジュ自身の事を知ろうと考えた上での聞き役ではあったが、ただ話を聞いて貰うだけで、人の気持ちというのは軽くなる。
「それで結局どうしましたの?」
「結局ね、パパは骨ごとバリバリ食べちゃった」
と、シンジュが『小骨だらけの小魚の骨を気にして、ちびちび身を食べるシンジュに見せたパパの小魚の食べ方』を冗談めかして話している丁度その時。
カランと小さな鐘の音が店に拡がった。
それは店の出入り口の扉に付けられた客の来店を告げる鐘の音で、いつもガラガラの店にシンジュ達以外の客の訪れたを告げるもの。
自分達が鳴らす以外で珍しくなったその鐘に、シンジュとミキサンは何気なく扉へと目を向けた。
「うわっ……。すっっごい綺麗な人」
扉の前に立つ女性を目にし、シンジュが見惚れた様にそう溢した。
ミキサンは相変わらずシンジュ以外には興味を示さなかった。そちらを見たのは、シンジュが見たからなんとなく釣られて、といった感じである。
だが、その入って来た人物の顔を見るなり、ミキサンは目を見開き、酷薄に笑った。
しかし、それは一瞬で、誰にもその表情を見られる事は無く、一瞬の表情の後のミキサンは、いつもの様に興味の無い様な表情を浮かべて、――それでも、その女性から目を離す事なく静かに様子を伺った。
(来ましたわね――)
「あ、こっち来たよ」と、小声でミキサンに話し掛けるシンジュ。
女性は無表情のままシンジュ達の方に向かって歩み寄ると、テーブルを挟んだ反対側でピタリと止まった。
「相席をご希望かしら?」
女性に声を掛けたのはミキサンの方からであった。
反応を確かめる様に、ミキサンは女性の顔を静かに眺める。
「ええ。――ご一緒しても?」
体は正面を向いたまま、女性は顔だけをシンジュに向けて尋ねた。
シンジュが、その視線に慌てて「ど、どうぞ」と手振りを交えて返す。
シンジュに促され、女性は艶やかな、されど品のある声色で「ありがとう」と礼を述べた。
女性が腰を落としたのは、店の大きなテーブルを挟んだシンジュのちょうど反対側、真正面。
位置が位置なだけに、自然と顔を見合せる事になる。そんな位置。
近くで見た女性の顔は、キメの細かく、透き通る程に白い肌をしており、それを目の当たりにしたシンジュは「お人形さんの様だ」と女性を評した。
真正面からお人形さんに見つめられ、どぎまぎとシンジュの目が泳ぐ。全身にじわりと汗が滲む。
とにかくシンジュは、女性が現れてからというもの、酷く緊張してしょうがなかった。
それは女性が美しい顔立ちだったからというのもあったのだが、それ以上にシンジュを緊張させたのは、女性のその眼。
色彩の無い無表情な顔から射ち出される、まるで心の中を見透かす様な視線。蛇では無い何かに睨まれたカエルの様に身動ぎ出来ない。
その視線は嫌悪感を抱く様なものでは決してなかった。
しかし、何故か不気味に思えてしまうのは、女性が人形の様に表情を崩さないせいだとシンジュは思った。
しばらく無言が続く。
何か言うべきかと頭を巡らせるシンジュだったが、緊張の為か何も浮かんでは来なかった。
ややおいて、
「はじめまして。シンジュさん」
女性が口を開いた。
感じている視線や空気よりも、ずっと柔らかい声。それでシンジュの緊張も幾分か和らいだ。
「……はじめまして。――あの、どうして……」
「あなたの噂は私の耳にも届いています。どんな方かと思っていましたが、話に聞いた印象より随分と幼い顔をしていますね。勿論悪い意味ではなく、可愛らしい顔立ちという意味で」
「……どうも」
「今日はあなたとお話がしたくて、この店に赴きました」
「私と、ですか?」
「ええ、そうです。興味があったというのもありますが、それ以上に私はあなたに言わねばならない事もありましたから」
「……私に、言いたい事?」
「はい。あなたには、先日の失礼な来客達からランドールを守って貰いました。ありがとう。――まずはお礼を」
「い、いえ、私は別に何も……。実際に解決したのは、この子――隣にいるミキサンですから……」
シンジュがそう言うと、女性は僅かに顔を動かしてミキサンへと視線を移した。
「勿論聞いています。魔王の事も」
女性はそこで一旦話を区切り、再びシンジュへと顔を戻す。
「――ですが、形はどうであれ、魔王を配下に従え、街の為にあなたは動いた。それが真実です。お礼を言わなければと思っていましたが、忙しくて中々会いに来れず、遅くなってしまいました」
「いえ……そんな、全然……」
恐縮し、肩を縮こまらせたシンジュの様子が可笑しかったのか、女性の目元が僅かに綻んだ。
「お家は気に入っていただけましたか?」
「え?」
女性の言葉にシンジュがキョトンとした表情を作る。
「あそこは以前、隠居した祖母が住んでいた屋敷です。祖母が亡くなってからは住む者も無く、しばらく空き家になっていましたが、気に入っていただけたなら幸いです」
「……あそこの持ち主さん!?」
シンジュが、つい大きくなってしまった声で尋ねた。
「元、です。あなたに差し上げましたから、今はもうあなたの物です」
「あ、いや、――はい。本当に貰っちゃって良かったんですか? あんな大きな屋敷」
「構いません。私は私で家がありますから、持っていても仕方ありませんので」
あんな大きな屋敷を会った事もない私にポンとくれるこの女性は、凄いお金持ちなんだろうとシンジュは思った。そして、読み難い表情の人ではあるが、良い人なんだと。
それから、ふとシンジュは頭の隅に抱いていた謎が解けた様な気になって、女性に訊いた。
「あの……もしかして、このお店がタダなのも……」
「料金はうちで立て替えてあります」
女性が言った途端、シンジュは思わず立ち上がった。
「あの! ありがとうございます! なんでタダなんだろうってずっと疑問だったんです。お店の人は街を救ったお礼だって言ってましたが、なんかちょっと……。それに服や雑貨なんかもタダだったし」
武具だけやたら高かったが、それは口にしなかった。
「……お礼を言う必要はありません。家も、料理も、服も、雑貨も、全て私からのお礼なのですから」
でも――と、シンジュが続きを言う前に口を挟んで来た人物がいた。
「勿体ぶらずに、目的を話したらどうですの?」
イライラした口調のミキサンであった。
ミキサンはその不快感を視線に乗せて、女性を睨み付けていた。
「ミキサン!」
諌めるシンジュの声。
ミキサンは構わず、女性を睨み続けた。
「目的はいまお話しした通りです。お礼を言いに」
「その言葉を真に受けろと?」
「……魔王。欲の落とし子。圧倒的強者であるあなたが、何をそんなに恐がるのです?」
ブチリとミキサンの血管が切れた(様にシンジュには見えた)音がした。
「ストーップ! ストップ! ミキサン、どーどー」
「……犬猫ではありませんことよ」
興を削がれたのか、ミキサンが小さく息をついて言った。
犬猫では無いけれど、少なからず効果があった様で、シンジュは落ち着いたミキサンから視線を外すと女性へと顔を向け直す。
シンジュは「あの……」と、場の平静を取り戻そうと、出来るだけ落ち着き払った口調を意識して口にした。
「なんでしょう?」
「あ、いえ、まだお名前を聞いてなかったなと……」
言われて、女性はいま気付いたのか「ああ」と小さく溢してから続ける。
「失礼しました。この街で私を知らぬ者は居ませんでしたから、名乗るという習慣がありませんでした」
知らない人がいない位の有名人。
けれどもシンジュは知らない。シンジュは元々ランドールの住民では無いのだから、知らないのも無理はない。
女性の言葉が更に続く。
「改めて……。はじめまして、シスネといいます」
「シスネ……さん」
呟くようにシンジュが反復する。
そして、やはり知らない名だとシンジュは思った。
「ええ、そうです。ランドールを取り仕切るお役目に従事しています」
「取り仕切る?」
小頚を傾げるシンジュにミキサンが助け舟を出す。
「この小娘はランドールですわ。ランドール家暫定当主シスネ・ランドール」
「ランドール? ―――えぇ!? ランドール家!?」
シンジュが女性、シスネを見て、ミキサンを見て、またシスネを見た。驚きの二度見に、驚きの声。
流石のシンジュも、顔は知らずとも名前だけは知っていた。
ランドール家がこのランドールの街で一番偉い人達だという程度には。そして暫定当主というのが、そのランドール家の最も頂点に君臨する立場の人物であるという事も。
まさかこんなに若い女性だとは思っておらず、女性の予想外の正体にシンジュが激しく狼狽する。
「す、……すいません! 知らずにとんだ失礼を!」
シンジュが勢いよく頭を下げて、――下げ過ぎて、ガンとテーブルに頭をぶつける鈍い音が静かな店内に響き渡る。
これには流石の『鉄仮面』も少なからず動揺したが、それが表に出てしまう程に、キメ細かく透き通る程の肌とは裏腹にシスネの皮は薄くはない。
「猿山の大将程度に頭を下げる必要など、ありませんことよ」
徹底して態度を崩さないミキサンが、シスネを一瞥して吐き捨てる。
「ミ"キ"サ"~ン"」
シンジュがテーブルに額を擦りつけたまま、ギギギと一瞬で錆の浮かんだ首を強引に動かし、ミキサンへと顔を向ける。声も錆ている。
「我が主ならば、もっと堂々としておられますよう」
「そんな事言ったって~ぇ。私はただの中学生だよ~ぅ」
同じ体勢のまま吐き出される、泣きの入ったさも恨めしいとばかりのシンジュの声。実際ちょっと泣いている。
更にいえば、ミキサンの言葉を耳にした時、一瞬だけ「このまま消えてしまいたい!」みたいな感情をハッキリと顔に浮かべた。
シンジュはミキサンに視線を向けながら混乱する頭で考える。
――どうしてこの子はランドールで一番偉い人を前に、こんなにも偉そうなのだろう?
そして、事ここに及んで私を持ち上げるのは何故だろう?
普段から私の事を、我が君とか我が主とか言って敬うけれど、実際問題、私はそんなに偉い人ではない。まあいいか、とそのままにしていた私も悪いのだけど……。
少なくとも、本物の偉い人の前で偉ぶれる程の地位も功績も、器だって私には在りはしない――。
いっそこのまま逃げ出そうかとシンジュが本気で考え始めた時。
「頭を上げてください。そんなに畏まる必要などありません。――少なくとも、あなたは」
どういう意味で、自分は頭を下げる必要がないのか、シンジュには良く理解出来なかったが、柔らかいシスネの言葉にようやっとテーブルから額をひっぺがす。
シンジュの額に赤々と残る打撲痕。
テーブルの方にもくっきりとへこんだ跡が残っており、それを見たシスネは、――一体どれだけの石頭なのか? ――と心の中で苦笑した。
シスネに、「座ってください」と促され、いそいそと席につくシンジュ。背筋を伸ばす事を意識して真っ直ぐ前を向く。
その、子供が作る様な『背筋を伸ばし過ぎて逆に反り返るお行儀の良い』仕草に、ミキサンは少しだけ呆れる様にシンジュを見て――。
「フフッ」
と、意外にもシスネが声を出して笑った。
シンジュの前で、初めて鉄仮面に表情が生まれたのである。
そんなシスネの様子に、シンジュの緊張が一気に弛緩して、入れ替わる様に気恥ずかしさが顔を出し始める。
背筋を伸ばしたまま照れた様にシンジュが頬を小さく掻いた。
「ランドールでの生活はどうですか?」
柔らかい声をしたシスネの問い掛け。
「……はい。みんなとっても良い人で、ランドールの生活はとても楽しいです」
「それはようございました」
と、シスネ。続く。
「あなたはまだ、正式にはランドールの住民とは認められていません」
「……はい」
シスネの言葉に応え、シンジュは以前、この店でブラッドに聞かされた事を思い出していた。
――ランドールは、その排他的思考から、他所から移住を希望をする者が住み着きにくい。
――この街に居を構えるならランドール家に、この街にとって自分が有益であり、役に立つ人間だという事を認めて貰う必要がある、と。
そこまで考えて、シンジュは、あれ? と何かに気付く。気付いて引っ込んだはずの冷や汗が、また背中に滲んで来る。
(お礼、って言ってたけど……。――これってもしかして……。もしかしなくても――面接!!?)
そう思った途端に、シンジュの顔から血の気が引いた。
面接とは気付かず――、色々とやらかしてしまっている気がする――!!
私もだが、それ以上にミキサンが。
いまだシスネに険しい目を向けるミキサン。そんなミキサンの脇を、シンジュが肘で小突いた。「やめろ」と。
当然ながら、そんな事で止めるならば最初から睨んでいないという話である。
(……終わった。さらばランドール)
悲壮感にも似た空気を纏い、背筋を伸ばす事も忘れて、シンジュが肩を落として項垂れる。
「何か――何か勘違いをされているようですが……。私は今日、あなたにお礼を言いに来たのです。さっきも言いましたね」
シスネの言葉に、シンジュは少し俯いたまま、視線だけを上げてシスネを見た。
それを認めたあと、シスネが続ける。
「あなたにお礼――と、ひとつだけ、確認しておきたかった事が」
「……確認ですか? なんでしょうか?」
「大した事ではありません。ただ、今度ともあなたがここに、――ランドールに居続ける意志があるのかどうか……。それを訊きたかったのです」
「……そりゃあ。……はい、勿論。――他に行くところもありませんし」
「そうですか。ランドールに住む意志はあるのですね? そうであるならば、今後とも、あなたのランドールでの活躍を期待しています」
シスネの言葉と共に、ランドールの鐘が鳴る。
それはまるでランドールの新しい住民であるシンジュを歓迎し、祝福する様に時計塔の鐘の音がランドールに響き渡る。
「……え? 良いんですか? ランドールに居ても」
当然シンジュからすれば是が非でもないシスネの言葉。
住むところがあって、美味しいご飯が食べられて、優しい人達が沢山いる。
ランドールを出るなどシンジュには考えられなかった。
「勿論です。――シンジュ、私はあなたを歓迎します。ようこそ、我がランドールへ」
その言葉を言い終わった直後、
ランドール家当主シスネ・ランドールは、魔法を発動させた。




