ランドールの姉妹
「一斉調査、ですか?」
ギルドの受付カウンターに立つシンジュが、同じカウンターの中にいたアイに向けて尋ね返した。
「そ。周囲の森の生態がどうなってるか本格的に調べるんだって。今朝急に決まったらしいのよ」
言って、退屈そうにアイが小さく伸びをした。
鐘の音と共に始まったランドールギルドにシンジュとミキサンが到着すると、既にギルドの建物の中は冒険者達でごった返していた。
のんびりとしたランドールギルドにしては珍しい光景にシンジュはやや面食らいつつも、人波をかき分け(ミキサンが強引に)、カウンターに辿り着いたところ、アイから一斉調査の話を聞かされた。
先のモンスター襲撃により、ランドール周囲は現在のところモンスターの数が激減している。全くと言っていい程にモンスターが居ない。但し、これはスライムを除いての話である。
しかしながら、ランドールのピンチの際に颯爽と現れたスライム達の武勇伝もあって、現在のランドールではスライムを人を襲うモンスターと位置付けている冒険者は少ない。
むしろ、先の襲撃以降、ランドールの街では頻繁にスライムを見掛ける様になっている。
しかもそのスライム達は、ただの一匹も人を襲わない。ゆえにランドールに住まう人々に好意的な扱いを受けている。
当然ながら、襲撃前にはそんな事は考えられなかった。
最弱とはいえスライムとてモンスター。人を襲わないモンスターなどいないのだから―――。
当初こそ、街の至るところに現れるスライムに警戒する住民達であったが、元々が弱いモンスターである事、街を救ったモンスターである事、人を襲わないモンスターである事。と、これらの理由を三本柱に、今やスライムの認識は『人々の生活を脅かすモンスター』から『ランドールのマスコット』へと移りつつある。
一体何故こんな事になったのか、ランドール住民は知る由もないが、ランドール家が何も行動を起こさない事もあり、住民達も率先してその理由を探ろうなどとはしなかった。
ランドール家が問題視していないなら、自分達も問題視しないのが平和ボケしたランドール住民である。
辺境ランドールは排他的である。
観光や出稼ぎならばいざ知らず、永住となると、住民達の態度は親しみ易い態度から一変、キツイものへと変貌する。よそ者が住むには辛い土地なのである。
だが、排他的ゆえに住民同士の団結力があり、上の者への信用も厚い。
良くも悪くも、ランドールとはそういう土地柄なのである。
スライム達はともかくとして。
ランドール周囲の生態系の調査は行う必要があった。
以前まで居たモンスターが消えたという事は、それは生態系に変化が起こるという事でもある。
誰の物でもない豊かの土地に、他の土地から移り住もうと考えるのは、人もモンスターも同じなのだ。
「じゃあ今日は皆さん調査に出向くんですか?」
カウンターの中で、冒険者達で賑うギルドを眺めながらシンジュが訊いた。
「うん。だから今日はあんまりやる事無いかも。ランドール家からの依頼だから断る冒険者も居ないだろうし」
「ランドール家の?」
シンジュは一度アイへと顔を向け、アイの小さな頷きを認めるとまたすぐに冒険者へと視線を戻した。
どうりで……。と、シンジュは思う。
レンフィールドに調査ポイントを割り振られている冒険者達は、誰もが面倒臭そうな顔をしつつも、断る様な素振りもない。働きたがらないあの『万年Dパーティー』のリコフ達ですら、調査に参加する様子だ。
シンジュはまだランドール家の人を見た事は無いが、この光景に、それだけランドール家というのはこの街で力を持っているのだと実感する。
「何故、今頃になって調査なのかしら?」
入れ替り立ち替りでギルドを出入りする冒険者をぼんやり眺めていたシンジュとアイのすぐ後ろ、冒険者の波のせいでいつもの定位置を失った(いつもはシンジュが働く中、テーブルで紅茶片手に読書をしている)ミキサンが疑問を口にした。
いつもと違うギルドの雰囲気に加え、いつもの定位置でもないが、相も変わらず小さな椅子に座って何だか小難しそうな本を読んでいるのがミキサンらしい。
「う~ん……。確かに今更感はあるわよねぇ……」と、アイ。
「ま、わたくしには関係ないことですわ」
本当にどうでもいい事の様に言って、ミキサンはまた本へと顔を戻した。
そんなミキサンの様子に、アイが小さく苦笑いをする。
この二人、初対面こそ険悪であったが、特別に仲が悪いという訳でもなかった。
無いのだが、シンジュの扱いに対しての立場が違うせいか、やや折りが合わないところがある。
例えば、シンジュを冒険者にしたくない派としてあげたい派の主張の食い違いである。
そういった場面以外では、互いにいたって普通に接している様にシンジュには見えた。大人なんだなぁ、と二人に感心すらした。
少なくとも表面上は――――。
鈍感なシンジュに、二人の水面下での牽制のしあいなど見抜けるものではない。気が合った訳でもないが、アイもミキサンも意図的にそれを隠し誤魔化しているからだ。
つまるところ、それは二人ともに、シンジュに自分のそういった醜い部分の感情を見せたくないという思いでしかなかった。
二人揃ってシンジュに良いところだけを見せたいのだ。
頼れる先輩として。
頼れる配下として。
ある意味似た者同士の二人なのであった。
☆
「一斉調査?」
ランドールの丘の上、空を背負って立つランドール家の屋敷の一室。
部屋の中には、妙に奇抜なメイド服を来たカナリアがいた。
そのカナリアの視線の先では、訝しげな顔をした1人の少女。
真っ赤に燃えるように輝く赤髪。ショートで整えられた明るい真紅は、頭の上で羽毛のように軽やかに揺れ動き、その度に赤色の髪は光を反射し、まるで本物の炎のごとく波打って激しく鮮やかに燃え上がる。
大きく開いた目から覗き見える瞳も朱色。非常に整った目鼻立ちとやや斜に構えた眉が勝ち気さを表している様であった。
スラリと長く伸びた脚は、どんな逆境にさえ震え立ち、前へと進む少女自慢の美脚。
そんな雄々しい少女についたあだ名は『真っ赤な姫君』。
人に付ける名としては、赤は血を連想させ、古来よりどちらかといえば忌み嫌われがちではあるが、それを耳にする度、少女はふふんと誇らしげに鼻を鳴らし、自信に満ちた歩みを魅せる。
そんな目の眩む様なド派手で圧倒的な存在感も霞んで見える程に目立つのは、髪からのぞく、人よりも少しだけ長い耳。
ランドール家当主、シスネ・ランドールを姉に持つ3つ下の妹、フォルテ・ランドール。
ここはフォルテ・ランドールの自室である。
「はい~。シスネ様の鶴―――もとい白鳥のひと声で冒険者はみな、ランドールの街を離れ、周辺の調査の為に動く事になります」
緩い表情と緩い声色でカナリアが答える。
「ふ~ん……。その肝心の姉さんは?」
「シスネ様ならば先程街にお出掛けになられました」
「出掛けた? 姉さんが?」
姉が出掛けた事に対して、フォルテの声色がやや色めき立つ。
フォルテの姉であるシスネは、余程の事が無い限りは屋敷の敷地内から出る事は無い。先の襲撃の件であっても、シスネは屋敷はおろか自室すら出る事は無かったほどだ。
スライムの大軍勢や魔王の誕生など、いくつかのイレギュラーはあったものの、シスネにとってそれらはさしたる問題では無かった。
あの件において、彼女の目的は『加護の所持者の把握』であり、それ以外は二の次。
二の次とはいっても、ランドールを誰よりも愛するシスネがランドールの住民を見捨てるなど有り得ない。―――そちらはカラスやカモ達だけで事足りた。ただそれだけの事。
たかがAランク程度が混じった有象無象など、シスネの心配事の内にも入らない。
彼女は自らが所有するランドール家の力に絶対の自信を持っていた。
王国と肩を並べるだけの力。ランドールが独立した特区である為の力。
それは守る事に特化した最強の盾。
それを支えるのがランドール家であり、そこに仕える実行部隊、通称『カラス』と、屋敷の管理を行う通称『ハト』である。
裏を返せば、そんな最強の盾を持つシスネが直接動かざるを得ない程、シスネにとって『女神の加護』は重要な物とも言えた。
そんなシスネであるが、彼女は街の外に至っては生まれて一度も出た事などない。
箱入りと言ってしまえばそれまで。だが、シスネからすれば街を出る理由が無いのだ。
ここランドールの中では全ての物事はランドールの中で完結する。
永きに渡り平穏と安寧を成就する理想郷では、シスネが生きる上で必要な物は全て手に入る。だから、街の外に行く理由がない。彼女はそういう夢の様な世界に生きる住人なのである。
そういう考え方のシスネであるからこそ、シスネが屋敷の外に赴くというのは重要な物事の前触れであったりするのだ。
姉の本気度合いを知り、口元を小さく綻ばせたフォルテ。
自分では何でも無い事のように取り繕っているが、上機嫌なのが屋敷仕えのカナリアでなくとも分かっただろう。
『鉄仮面』な姉と違って、フォルテは感情を隠すのが苦手であった。嬉しいとすぐにニヤけるし、機嫌が悪いと顔と口調にすぐに出る。良くも悪くも分かりやすい性格。
裏表の無いそれは、16という年齢と合わさり好意的に見られるが、フォルテ自身はそんな自分にやや不満を抱いていた。
フォルテは姉を尊敬し、溺愛し、目標と掲げ、いつか自分も姉の様にと常日頃から意識して努力している。努力しているが生まれ持った性格はどうにもならない。姉には程遠いと落ち込む事も少なくない。
姉シスネには、「あなたはあなたの生き方をなさい」とやんわりと諭された事もあるが、それでも納得出来ないでいた。
そんな意識があるせいか、姉の為に役に立つ事ならば自身の事など二の次で、姉の為と無茶をして、それで姉を心配させるという本末転倒な生き方をする。
けれども、どんなに落ち込もうとも、本末転倒だろうとも、姉の様に誇り高く生きる事だけは忘れない。
姉と同じランドール家の血を持っている。それを想うだけでフォルテの心は絶大な誇りで満たされて、それを糧に燃え上がる。
そうして、前を歩く姉を目指し少女はひた走る。姉の隣に立つ為に。姉の役に立つ為に。
それがフォルテという人物なのであった。
とは言え、あまり勝手をして、無茶をして、姉を心配させる訳にもいかない。そう思える程度には自制は効く。思う程度には。
「姉さんは何て? また留守番?」
口元のニヤけりを意識して剥がした後、カナリアに尋ねる。
また――その言い方に小さなトゲがあった。他者を傷つける物というよりは、自身の方に向いたトゲ。
もっとも、向いているだけで刺さる事など早々に無い。『また』には、自分が姉に大事にされている、という強固な壁のごとき盾が、フォルテの心に悠然と聳え立っているからだ。
「いいえ~。わたくし達下々の者も含め、ランドール一丸となって取り組むべき案件であると」
「そう……」
フォルテはそう呟いて、後ろを向いた。カナリアの視線から自分の顔を見られない様にした。口元の綻びを抑えられそうになかったから――。
フォルテは表情を(物理的に)隠したまま「燃えてきたな」とひとり言の様に呟く。
そんなフォルテの後ろ姿を見ながら、カナリアはフォルテにバレない様に声を殺して肩で笑う。可愛い人だと、いとおしそうに笑う。
「燃えてきたな」は何かにつけて口にするフォルテの口癖であるが、以前はこんな風にこそこそと表情や感情を隠す様な事はせず、ストレートにぶつけて来たものだ。
――おそらく、シスネ様の『鉄仮面』を真似ているつもりなのだろう。
シスネ様に言わせれば、「真似する様なものではない」事であるだろうが、この姉を目標とする妹は、とかく姉のやっている事ならなんでも真似したがる。小さな頃からずっとそうであった。成長した今もそれは変わらない。
だからこそ、そんなフォルテをカナリアはいとおしく思う。つい甘やかしたくなる。
甘やかせ過ぎるとシスネにお叱りを受けるため、自重はしているが……。
カナリアが、気を抜くと内から溢れ出しそうになる愛しさ(という名のフォルテの後ろ姿に覚えた激しい劣情)に身悶えしていると、フォルテがふと「戻って来るといいな……」と小さく溢した。
その言葉に主語は無い。けれど、何が、とはカナリアは言われずともハッキリと理解していた。
だからカナリアも、「……必ず戻って来ます」と、やはり何かを明確に口にはせず、されど力強く言った。
この二人のやり取りが行われた十分後、ランドールの街は『魔王の討伐』及び『女神の加護の確保』へと向けて大きく動き出した。




