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何処かの屋根裏で

 ()()()()()、2つの事象のその境界線。その生まれた隙間に刹那だけ存在する「存在しない屋根裏」の扉を開いて、その中へとミキサンは足を踏み入れた。


 そこはただ白色だけが広がる空間であった。ここに続く長い階段が深い黒であっただけに、ただの白がやけに白く光って見える。


(何もない―――と、いう訳でも無いようですわね)


 暴視を通して見た真白の部屋には、いくつもの魔力の流れが見てとれる。

 ミキサンはその流れを観察しながら少しだけ逡巡した後、冷淡な表情で威圧する様に言った。


頭が高い(絶対魔王主義)


 途端に、部屋の中に満ちていた魔力が床へと押し潰される。

 そして聞こえる「ぎゃあ!」という悲鳴。


 その悲鳴が合図だったかの様に、白いだけの部屋に色彩が加わり始める。

 木製の机に椅子、ベッドに棚にと、次々と顔を出す部屋の家具達。

 そして、ベッドの脇の床に額を擦りつける、それ。


「誰ですのあなた?」


 床でもがくソレに向けてミキサンが尋ねる。

 ソレは、ヒィッと情けない声をあげた後、自身を見下ろす様に立つ少女に目だけを動かし見る。


「そ、そっちこそ誰でやんすか!?」


「……いま、質問しているのは、わたくし、ですわ」


 ひどくゆっくりした口調で、されど凄みを含んだミキサンの言葉がソレの頭上に降り注ぐ。


「ヒィィィィ!! 答えやす答えやす! だから許して欲しいでやんす! 離して欲しいでやんす!」


 命乞いを始めたソレを小さなため息と共に一瞥し、ミキサンはその拘束を解いてやる。

 解いた途端に、素早く立ち上がって身構えるソレ。既に腰が引けている。妙に痩せぎすな顔色の悪い男。


「誰ですの? ()()()


「はい! お答えしやす!」


 額にピシリと手を当てたソレが、機敏な動きで床に正座して座る。その姿は「負け犬」のそれと良く似ているが、少なくともミキサンの目の前にいるソレは人間では無い。


「あっしはトテトテ! ここに住み着く悪魔でやす! どうぞお見知りおきを!」


「そう。まあ、実はあなたの正体などどうでも良いのですけどね。―――トテトテ」


「はい!」


「今日からここはわたくし達の住み処なのですわ。早速だけど、出ていって頂けるかしら? ネズミの勝手な居候を許す程、わたくしは寛大ではありませんことよ」


 ミキサンは、顔をちょこんと傾けて、とても朗らかに微笑んで言った。

 あまりに突然の退去勧告に、何を言っているのかすぐに意味が理解出来なかったトテトテが無表情で呆ける。

 少しして、


「ちょ……ちょっと待って欲しいでやんす!」


「待たない」。笑顔。


「せめて話を―――!」


「聞かない」。笑顔。


 口元に微笑みを湛えて、されど全く目の笑っていないミキサンがゆっくりとトテトテへと歩み寄る。

 尻を床につけたまま、冷や汗を流してズリズリと後ろに下がるトテトテ。トテトテが一歩引けば、ミキサンは一歩押す。問答しながらそれを何度も繰り返す。


「あっしはこの家の守り神でして―――」


「それは朗報。わたくし、神と名の付く連中は皆殺しにすると決めていますの」


「間違えました。あっしも神は嫌いでやんした! あっしはこの家を守護する―――そう、守護者! 守護者でやんす! そういう契約で住み着いているのでやんす!」


 そこでピタリとミキサンの足が止まる。

 後退し過ぎてもはや後が無い壁際で、トテトテが少しだけホッとした表情を見せた。


「契約とは?」


「は、はいでやんす! お答えしやす! あっしは【この家を守る】という契約の元に召喚された悪魔なのでやんす!」


「誰に?」


「この家の一番最初の持ち主でやんす! 300年くらい前の話になりやす!」


 トテトテの答えを聞いて、ミキサンが逡巡する。少し長い逡巡。

 トテトテは行儀良く正座してそれが終わるのを待った。一体この少女は何者なのかと眺めながら。


「いま―――」


「はい! でやんす」


「いま、この家の持ち主は我が主ですわ」


「姐さんの主でやんすか? 姐さん程の方を従えるとは、さぞ凄いお方とお見受けできやす」


 あからさまなおべっかでゴマをするトテトテ。

 言ってから、少々軽率な発言だったかと思ったが、当の少女はトテトテの心配とは裏腹に満更でもなさそうな顔をしている。

 トテトテはそこに自らの活路を見出だした気がした。


「まあ、我が主ですもの。当然偉大な方ですわ」


 嬉しさの抑えが効かないのか、ミキサンの物腰が柔らかくなる。それに気を良くするトテトテ。


「ええ。ええ。そうでしょうとも。いや~、そんな方に住んで頂けるなんて、あっしも300年守ったかいがあるというものです」


「守る、というのは具体的にどういう意味かしら? あなた、そんなに強い魔力持ちでも無い様ですが?」


「へぃ。あっしは元々チンケな下級悪魔でやんす。けど、契約の際に力に誓約を掛けやして」


「縛りをキツくしたと?」


「流石姐さん、話が早い。その通りでやす。あっしは【この家を守る事】にのみ力を発揮出来る様に誓いを立てやした。それによりあっしは、上級悪魔にも負けないだけの力を使える様になったんでやす。あくまで家を守る前提条件があっての力でやすが」


「……なるほど」


「あっしは、この家を守る事ならばプロ中のプロ。姐さんさえ―――いえ、姐さんの主君様さえ良ければ、あっしがこの家をあらゆる災厄から守って御覧にいれまさぁ。―――ど、どうでしょうか?」


 自分の有用性をアピールし、緊張した面持ちで相手の返答を待つトテトテ。もしも駄目なら300年を過ごしたこの家を力ずくで追い出される事になる。

 それはすなわち契約の途中破棄。

 契約を破った悪魔に先は無い。トテトテにとってこれは、住み処を失うだけの話に留まらず、生きるか死ぬかの問題なのである。


「それは我が主に聞いてみませんと」


「な、なんとかお願いしやす。200年ぶりの正式な契約者様になるかもしれやせんし……。何より、あっしとしては、ようやくボッチから解放されそうで、そうとあらば張り切って仕事いたしやす」


「ですからそれは―――今、なんと?」


「え? あの……張り切って仕事いたしやす」


「その前。わたくしの聞き間違いでなければ、200年ぶり、と言いましたわね?」


「へぃ。言いやした」


「わたくしが聞いた話では、最近までここには人が住んでいたはずではなくて?」


「へぃ。確かに住んでは居ましたが、住んでいただけであっしらと契約の更新を交わした訳じゃありやせん。あくまで住んでいただけでやんす。前の家主も、その前の家主も、長くこの家を所有してやしたが、ここに、―――『屋根裏の更に上』に住み着くあっしの存在には気付きもしやせんでした」


「つまりあなたは、ランドール家の飼い犬という訳では無い、という事かしら?」


 ミキサンがそう言うと、トテトテは少しだけミキサンの顔を伺った後、ハッと納得した様な顔を見せ、それから何度も頷いた。


「あー、あー、わかりやした。姐さんがどうも乗り気じゃなかったのはそういう事でやんすね。あっしがランドール家の子飼いじゃねぇかと危惧しての……。納得いたしやした」


 違いますの? と尋ねるミキサンに、コホンと喉を整えたトテトテが答える。


「確かに、この家の最初の持ち主から今日まで、この家はずっとランドール家の所有物でやんした。あっしの存在に気付く気付かないに関わらず、でやんす。けどそれは、家の持ち主という意味でしかなくて、あっしの飼い主って訳じゃないんでやんすよ。あっしは家に仕える悪魔でやんすから、あくまで」


「あくまで、あなたの契約対象は『家』であると?」


「そうでやんす。『家』という主がいて、あっしは『守る』契約を、ランドール家は『住む』契約を家と交わすんでやんす。まあ、共同経営みたいなもんすね。で、『住む』だけなら、実は別に契約する必要はないんす。勝手に住み着くネズミや蜘蛛と一緒でさぁ。契約が要らない代わりに、この家が持つ恩恵は受けられない、受けたいならば契約をする、とまぁそんな感じでやんす」


 トテトテの言葉を吟味するかの様に、静かに耳を傾けるミキサン。

 トテトテの言葉は続く。


「でもって、さっきも言いやしたが、ここ200年の間に家と契約を交わしたランドール家の人は居ないでやんす。そもそもランドール家の方であっしの事を失伝してしまったのか、探しもしなければ、気付きもしてないんでやす」


 ずっとボッチで寂しかったでやんすよ~。と締めくくり、小芝居気味に乾いた目元を拭うトテトテ。


(おそらく嘘ではありませんわね)と、ミキサン。


 暴視を通し見ると、確かに家とトテトテの間に繋がりが感じられる。かなり強力な繋がり。これだけの強い契約は両者に相当な相乗効果をもたらす。と同時に、それが破られた際のリスクも大きい。無機物である家の方は知らないが、元が下級悪魔だというトテトテならば無事では済まないだろう。


「姐さん?」


 深く考え込んでしまっているミキサンに、トテトテがおどおどと声を掛ける。

 その声に反応したミキサンが、つまらなさそうな顔をしてトテトテを一瞥。トテトテは自分から声を掛けておきながら、そのあまりに冷たい視線に背筋に冷や汗が流れるのを感じた。


(200年ぶりの客が、まさかこんなにおっかない者とは……。同じ悪魔の様だが、自分とは格が違う。上級の悪魔の中でも多分上の方……)


 内心で感嘆と嘆息をしてトテトテ。そして、目に見える溜息をつくミキサン。同じ悪魔でも両者の反応は真逆のものであった。


「よござんす。わたくしから主に強く推して差し上げますわ」


「ほ、ほんとですか!? 流石は姐さんだ! 話の分かる方だ!」


 喜びの表情でミキサンをヨイショしていたトテトテだったが、喜んでいるかと思ったのも束の間、今度は「あっ」と声を上げて何かに気付いた顔をする。


「あの~、姐さん」


「なにかしら?」


「あっしの事は言わずに、姐さんの主が自分であっしの事を気付く様にして頂けるとありがてぇんですが……」


「――――――はぁ?」


「ひぃ、怖い! いや、あのですね。一応昔からの決まりみたいなもんで、家と契約するには自力でここに――――」


 戦々恐々としながらも、なんとか声を絞り出すトテトテ。

 そんなトテトテに向けて、ミキサンが微笑んだ。


 ニッコリ、と。

 そして、ゆっくり、紡ぐ。


「どうして、我が主が、そんな面倒臭く、古いしきたりに、従わねばならないのです?」


「ひぃ――――ひぃぃぃい!」


 端から見れば、大の大人に詰め寄る小さな少女、という実に奇妙な構図。


「あなたは、自分が、我が君の、手を煩わせると、そう言っている自覚はおありかしら?」


「で、でもでやす! これは昔からの―――」


 パンッ!

 と、勇気を振り絞って反論するトテトテの言葉が終わる前に、その左頬が小気味良い音を立ててぶたれた。


「い、痛い!?」


「数日中に我が君を連れてまた来ます。―――良いですわね?」


「…………はい」


「よろしい」


 満足げに頷くミキサンを見てトテトテが深い深~い溜息をついた。

 ―――こんな事ならあと50年はボッチでも良かった、と。


 このまま踵を返して帰るのかと思っていたが、ミキサンは「そういえば……」と問い掛けてきた。


「なんでやしょ?」


 やや投げやりになったトテトテの声に構わずミキサンが尋ねる。


「契約するとこの家の恩恵を受けられる。と、そういう話でしたわね?」


「へぃ」


「どんな恩恵ですの?」


「良くぞ聞いてくれやした!」


 パンッ!


「痛い!?」


「どや顔がムカつきましたわ」


 トテトテの右頬をひっぱたいたミキサンが、悪びれもせず告げる。


「なんという横暴!? ―――まあ良いでやす。良くはないけど……。この家で受けられる恩恵、それは【時々の住み処(ザ・ベストハウス)】という魔法でやんす」


「どういう魔法ですの?」


 告げられた魔法の名に心当たりの無かったミキサンが問う。

 そうすると、胸を張ってふんぞり返るトテトテが自信満々といった態度で、「分かりません!」と答えた。


 パンッ!


「痛い!?」


「あなた、効果の分からないものを我が主に押し付け様としたのかしら?」


「ち、違うでやんす! せめて最後まで聞いてからにして欲しいでやんす! ―――え~、時々の住み処(ザ・ベストハウス)はですねぇ、その時々によって魔法の効果が違うんでやんす」


「……要領を得ませんことね。もう少し噛み砕いて説明なさい」


「まんまでやんすよ。時々の住み処(ザ・ベストハウス)は毎日1日に三回まで、ランダムに効果が発動しやす。効果の選択をするのはこの家自身!」


「……家が魔法を選ぶと?」


 訝しげにミキサン。


「そうでやんす。家が花壇の水遣りが必要だと思ったら、アラ不思議、花壇に水が撒かれやす。庭の雑草が伸びて来たなと思ったら、雑草が庭から無くなる。そういう魔法でやんす」


「ただの雑用ですわね」


 くだらない、と、ミキサンが言い掛けた時に、片目を瞑ったトテトテが人指し指を立ててチッチッチッと舌を鳴らした。


 パンッ!


「痛い!?」


「ムカつく顔ですわね」


「いちいち殴らないでくれやせんか? あっしこう見えてとてもデリケートな性格でやして……。まああっしの性格はともかくでやす。―――時々の住み処(ザ・ベストハウス)の効果は何も雑用に限る訳じゃないんす。雑用を例にあげたのは、家が平和な時、危機が迫っていない時はそういう効果だと言いたかったんでやんす」


「……では、危機が迫ったら?」


「家は最強の要塞になりやす。これも場合によりけりですが、時に強固な結界を張る事もあれば、姿を消して隠れる事もある。必要とあらば空だって飛んじゃうんでやんす。時々の住み処(ザ・ベストハウス)とはそういう魔法でやんす」


「その時々の状況にあった選択をする、という訳ですわね?」


「その通りでやんす。ただ、あくまで家の中、或いは敷地内での話でやんす。一歩敷地の外に出れば、そこはもう管轄外でやんすから」


「……まあ、主の身を守るのは最優先事項ですから、その点で言えば、勝手に防犯をしてくれる家というのは契約する価値はありそうですわね」


「でやんしょ? ―――あ! そうそう大切な事を言い忘れてやした」


「なにかしら?」


「家はあくまで家でやんすから、魔力を自分では作れないでやんす。時々の住み処(ザ・ベストハウス)を発動させるには、家に魔力を注ぐ必要がありやす」


「それで、契約、という訳ですわね?」


「流石姐さん、話が早い。そういう事でやんす。毎月一回、必ず魔力を注いでやる必要があるんでやんすが、支払いに必要な魔力は契約者の魔力量に関わらず、一貫して半分。魔力量の半分でやんす」


「それは……。いえ。―――魔力が足りなくなったらどうなるのかしら? 魔法が発動しないだけ? それとも契約が無効になるとか?」


「契約は履行するのがルールでやんす。魔力が足りなくなった場合、契約に従ってあっしが魔力を補充させて頂きやす。あっしの存在意義は、家に掛けられた魔法の媒体としての役割と、文字通り、()()の事態になった場合の保険でやんす」


「あらそう」


「まあそういう契約なんで、『自力でここに辿り着ける人』が契約する必要があるんでやすよ。ここに辿り着ける程の魔力の持ち主ならば魔力量は多いでやんす。そうそう魔力切れになる事はありやせんから。―――だから……」


 そこまで言って、トテトテは不安そうにミキサンの顔を覗き込んだ。

 そんなトテトテに、なんだそんな事かとミキサンが一笑に付す。


「我が主ですわよ? ()()()()()()()()()()()()


「そ、そうでやんすよね! いや~、久しぶりの契約者さんなんで、あっしもちょっとナイーブになり過ぎてる部分があるのかもしれやせんね」


「ええ、そうかもしれませんわね」


 そう互いに言い合って声を出して笑う。


 しばらくオホホアハハと笑い合った後、ミキサンが「では、そろそろわたくしは失礼しますわ。主を一人にしてしまっていますし」と言って踵を返した。


「あっ、そういえば姐さんの名前を聞いていやせんでした」


「そうだったかしら?」


 トテトテへと振り返ってミキサンが告げる。


「ミキサンよ。魔王ミキサン。―――また来るわ」


 そう言い残して、魔王は来た時と同じ様に暗く長い階段を降りて去っていった。



「魔王……。その主は大魔王でやんすかね、ハハハ」


 一人だけになった屋根裏で、トテトテの渇いた笑い声が木霊した。


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ミキサン
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素晴らしい考察が書かれた超ファンタジー(頭が)
考える我が輩
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